珠算赤魚
金魚発祥の歴史は古代中国南北朝時代までさかのぼると言われている。
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黄巾の乱に端を発した三国時代もはや一五〇余年も過去の話
――西暦四三五年。元嘉の治と称される、後世から見て比較的安穏で文化的なこの時代、中国大陸江南に興
った宋の都建康(南京)の大通りをゆく一人の男がいた。男の名は陳銘。元は地方役人の家に生まれた次男坊だったのだが、幼少時より手のつけられぬ悪童であったため、国子学の学生に潜り込んで二年で放校に処された事件以後、親族からは絶縁を宣言されている。その陳であるが、彼はいま六尺一寸の背丈を窮屈そうにかがめ、腹の前に大きな鉢を抱えて、国子学時代の知己である鄭という男の家を目指しているのだった。
「それで、これが、何だって?」
「馬鹿野郎。二度も説明させる気か。金になる魚だと言ったろう」
建康の北ほどにある屋敷の前庭で、二人の男が鉢を囲んで座り込んでいる。陳と鄭その人である。鉢には水がなみなみと湛えられており、色鮮やかな赤い鱗の魚が数十匹、泳いでいるようだ。鄭は猜疑の目でもって隣の男を睨んだ。が、当の陳はどこ吹く風である。
「まあ見ていろ」
言うなり陳は両手を鉢の水に浸して、赤い魚を追った。掌を間仕切りのように使って、ちょうど十匹分の魚を手の中に囲い込む。魚たちは窮屈そうに身を寄せ合っている。
「一匹、中に入れてくれ」
陳が言うので、鄭はそうした。十一匹目の赤い魚を陳の囲いの中に放った途端、合わせて十一匹の魚は暴れ出し、陳の手の囲いを無理やり乗り越えて逃げ出した。その特徴的な逃げ方に、鄭はようやく陳の言葉を理解した。
「つまりこれを算盤にしようってわけな」
算盤、つまり、そろばんである。陳の手の中には一匹だけ魚が残っていた。九匹は陳の右手を乗り越え、一匹は左手を乗り越えた。そういう習性の魚なのだと、陳は言った。突然変異のこの赤い魚は、集団の数が十より増えると、必ず二方向に別れて住処を移すのだという。
「確かに、こいつらで珠算をやったら壮観だろうなあ。……分かった。お偉い国子学に売り込んでやるよ」
うっそりと笑みかわして二人の男は別れた。
その後の記録はほとんど現存していないが、一説には、学府の奥に秘匿された赤い魚は交配を重ね、測量や天文の複雑な算学にたびたび用いられたと言われる。文化大革命の折に観賞用の金魚と混同されことごとく破壊され尽くすまで、美しい赤い魚たちは大陸の算学を支えたのである。