ラスト・スタンディング
電車に揺られていた。
車窓越しにのどかな田園風景が果てしなく続き、流れていく。どこまでも見覚えのない風景。以前もこの近くを通
ったはずなのに。電車と車では、同じ景色でもこうも見た目が異なるのだろうか。
面白いくらい人のいない車両の一番端っこの席で、静かに窓にもたれかかる。ガラス窓に寄せた頬が冷たい。
◇
私を揺り起したのは、阪峰くんだった。私が目を覚ますと、心底ほっとしたように笑みを向けてくれる。何かにつけて私にはもったいない彼氏である。おかげで若干の混乱しかそのときは感じなかった。
私はなぜかアスファルトの上に倒れていた。小さな住宅街の中。首をめぐらすと、阪峰くんをはじめとした見覚えのある面々。ミナちゃん、橋本くん、堂下くん。阪峰くんと私も含め、みんな同じ英会話サークルの仲間だ。
なんだか頭がぽうっとしている。そうだ、みんなで堂下くんの運転で、海に行く予定だったんだ。水着だって新調した。あれ、私のバッグはどこ?
「俺たちさ」
口を開いたのは橋本くんだった。ミナちゃんにずっとアプローチをかけているけど、見事なまでに相手にされていないかわいそうな橋本くん。
「なんか、死んだみたいなんだよね」
◇
電車は単線で、駅に到着するたびに通過待ちがあった。ドアが開いて、少し冷涼な空気が流れ込んでくる。
ここに一人で来ることになるなんて。
こみあげそうになる涙をのみ込んだ。私が泣く資格なんてない。
◇
私以外の四人は、先に目覚めていたらしい。先に目覚めていた、ということからもわかるとおり、彼らも私と同様意識を失っていて、気づいたらこの街にいたそうだ。みんなで乗っていたはずの車や荷物は見つからず、着の身着のまま小さな街にいたのだという。
わけがわからない。
「誰かいないの?」
私の言葉に皆は顔を見合せ、首を振った。
「誰もいないんだ」
いつも冷静な堂下くんは、こんな状況でもやっぱり淡々としていた。私は堂下くんの言葉に眉間にしわを寄せた。
「誰もいない?」
と、そのとき、ズボンのポケットに入れていたスマホが震えたのに気がついた。誰かのスマホがメールを受信した音が聞こえる。
「さっきまで電波もなかったのに……」
そうスマホを取り出したミナちゃんが短く悲鳴を上げた。ミナちゃんが先に悲鳴を上げていなかったら、私も上げていたかもしれない。
見たことがないニュースサイトが表示されていた。
『大学生グループ、旅行の途中で交通事故 四名が死亡』
見覚えのある大学名。そして、死亡した四名の身元は確認中との記載。事故現場は、まさに私たちが向かおうとしていた観光地。
「……今ここにいるの、何人?」
ミナちゃんの言葉に空気が凍りついた。
◇
電車が再び動き出した。なんとなく、両手を見る。
あのとき、最初に動いたのは橋本くんだった。
どこにそんなものを持っていたんだろう、突然ナイフを振りかざした橋本くんは、いきなりミナちゃんの首を切りつけた。円弧を描いて飛び散った赤いものは、私の両手に飛び散った。
悲鳴など上げる間もなく、ミナちゃんが倒れた。
静寂を破るように、再びスマートフォンが震えた。誰かの呑気な着信メロディが流れた。
「……やっぱりだ」
突然の凶行に走った橋本くんは、一人スマホを取り出して笑んだ。
「ここは、死後の世界なんだよ」
ニュースサイトが更新されていた。
『死亡者の身元が判明』
ミナちゃんの名前が掲載されていた。
血だまりの中に横たわるミナちゃんに視線を釘づけにしていた私の手を引いたのは阪峰くんだった。
逃げるぞ、だかなんだか言われたような気がしたがよくわからない。
手を引かれるがままに走って、でも街の出口は見つからなかった。
「ここ、本当に死後の世界なのかな?」
「……だったら、もう全員死んでるってことだろ」
いつの間にか、私たちの後ろに堂下くんがいた。
「生と死の世界のはざまってところだろ」
◇
目的の駅に到着した。自宅から、三時間もかかった。車だともっと近かったのかもしれない。
網棚の上に置いていた大きな花束を手に、電車を降りる。
潮の匂いが強い。海の近い田舎町だった。
私たちが閉じ込められていたその世界はあまりに狭かった。すぐに追いかけてきた橋本くんに見つかって、阪峰くんと橋本くんが掴み合いになった。阪峰くんはなぜか拳銃を持っていた。橋本くんが額から血を流して倒れた。
「……すごいな」
重みのありそうな黒い鉄の塊を手にした阪峰くんは、それを私と堂下くんの方に向けた。
「ほしいと思ったら、武器が出てくるんだ」
阪峰くんがまっすぐにこちらに銃口を向けた直後、銃声が響き渡った。
堂下くんまで拳銃を構えていた。阪峰くんが倒れる。
今度は悲鳴が出た。肺にある限りの空気を絞り出した。いまだ状況を飲み込み切れていなかった頭が、ようやく回り出したのかもしれない。
何、何、何、なんなのこれ。
拳銃片手に、堂下くんはスマホを取り出した。例のニュースサイトを見ているのだろう。身元不明者はあと一人? 一体どんなひどい事故だったんだろう。
「……俺さ」
何を考えているのかよくわからない、なんて評されることが多い堂下くんの笑みを、私は初めてみたような気がした。
「お前のこと、わりと好きだったんだよね」
◇
花束を両手で抱え、ゆっくりと歩く。
来たことがあるはずの場所なのに、どうしてこんなにも覚えていないんだろう。
堂下くんが自分のこめかみを撃ち抜いたその瞬間、視界がブラックアウトした。気がつくと、病院の一室に私はいた。
私は、事故での唯一の生存者になった。
潮の香りがどんどん強くなる。さびれた観光地。みんなと来たはずなのにどうしてこんなに――
――覚えていないのかって?
ふいに、聞き覚えのある声が脳裏に響いた。
「……ミナちゃん?」
――ニュースサイト、よく見てみなよ。
記事にはリンクが貼ってあった。ひとつ前の記事。
――君はさ、まち合わせに間に合わなかったんだよ。あの日、僕たちに合流する前に……
今度は阪峰くんの声だった。
『女子大生、電車のホームから転落』
潮の香りが急に遠のいた。目の前に、あの住宅街が広がっている。
橋本くんの声がすぐ後ろでした。
――やっぱりここは、死後の世界だったんだよ。
振り返る。そこには、懐かしい彼らが揃っていた。