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第25回てきすとぽい杯 誤字修正版投稿所
〔 作品1 〕
しあわせなバレンタイン
(
大沢愛
)
投稿時刻 : 2015.02.14 23:58
字数 : 3425
1
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しあわせなバレンタイン
大沢愛
スマー
トフ
ォ
ンを耳に当てた翔太が夜空に向か
っ
て声を張り上げている。
「だ・か・ら、ブ
ッ
クス花出。住所? しらね
ぇ
よ。常盤通りのマ
ッ
クのとこを西に入
っ
てしばらく行
っ
たとこ。本屋。あー
、でもここ、もうすぐ閉店らしいから入口チ
ェ
ー
ンかかるかも。え? だから動けね
ぇ
の。わかる?」
軽自動車の車内は、駐車場の照明灯の届く範囲だけ灰色に浮かんでいる。ゆ
っ
くり息を吐くと、フロントガラスがぼんやりと曇
っ
た。カシミアのセー
ター
を着込み、ウー
ルのキルテ
ィ
ングコー
トを被る。口許に手のひらを翳すと、翔太のにおいが蘇
っ
た。
「どのくらいいかかるの? そり
ゃ
そうだけどさ、こ
っ
ちも寒いわけ。車から離れられないわけじ
ゃ
ん。なるべく早く。30分? 完全に本屋、閉ま
っ
てるよ」
レギンスに一見ミニスカー
ト風のシ
ョ
ー
トパンツを組み合わせてきたのは寒さ対策だ
っ
た。たとえば外を歩くとか。昼間は快晴で、場所を選べばおさんぽは快適だ
っ
たはずだ。その間中、私と翔太はお天気の一切関係ない空間に籠
っ
ていた。消臭剤の撒かれた見せかけの清潔さの中で過ごしていると、身体に無数の埃が降りかか
っ
てくるのがわかる。窓のない部屋は何時間いても夕暮れ時みたいだ
っ
た。翔太はルー
ムサー
ビスのメニ
ュ
ー
を何度も手に取
っ
た。「このミ
ッ
クスグリルプレー
トとか、よくね?」添付された画像を見る。どう見ても冷凍食品を盛りつけただけだ
っ
た。私が拒否すると、空腹に耐えかねた翔太は待ち合わせのときに渡したチ
ョ
コレー
トを開封して食べ始めた。ノイハウスのクピン・オ・フリ
ュ
イ5個入りがいちばんふさわしくない食べ方で消えてゆく。2個食べたところで我に返
っ
たのか「食う?」とケー
スを差し出す。「食う」味の記憶の残らないまま、1個350円の塊が700円ぶん、お腹に下りて行
っ
た。部屋に設置されたウ
ォ
ー
ター
サー
バの水を飲んで、空腹は宙吊りになる。音量ゼロでバイブレー
ター
もOFFにしたスマー
トフ
ォ
ンが、暗がりでLEDを点滅させていた。
外に出たときにはあたりがオレンジ色に染ま
っ
ていた。翔太はだるそうに車に向かう。後頭部の寝癖に絡んだ糸くずがほどけてジ
ャ
ケ
ッ
トの背中を転が
っ
て行く。高校を出てすぐ就職した翔太は、就職先が自動車メー
カー
の下請け会社で、入社と同時にメー
カー
の車をロー
ンで買わされた。好きな車は他にあ
っ
たけれど、メー
カー
の工場には他社製の車は入れない。お金が溜ま
っ
たら別にもう一台買うことにして、いちばん負担の少ない軽自動車を購入したそうだ。で、いつ買うの、と訊くと、言葉を濁す。周りにも同じことを考えて軽自動車オー
ナー
にな
っ
た同僚が何人もいるけれど、誰一人、本命車購入には至らない。そのうちに会社を辞めていくか、カー
用品店に足繁く通
っ
てドレスア
ッ
プに走るか、だそうだ。翔太の車のダ
ッ
シ
ュ
ボー
ドにはフ
ェ
イクフ
ァ
ー
が貼られ、白いステアリングカバー
が被せられていた。会社の帰途、飲みに行くことも多い。もちろん車で行く。地方都市で、居酒屋には駐車場が併設されて、酔客が次々と車に消えてゆく。翔太によれば、絶対に飲酒検問に引
っ
掛からないコー
スというのが社内で周知徹底されているらしい。万が一捕ま
っ
た場合は、自動車メー
カー
の下請け社員としてあるまじき振る舞いだということで、厳しい立場に立たされる、という。どのくらい厳しいかは、該当社員がことごとく辞めていくのでよく分からないそうだ。
高速道路インター
チ
ェ
ンジ付近のイタリア料理店で夕食を取
っ
た。ワインを頼んでもいい、と翔太は言
っ
てくれた。私を乗せるときだけは絶対に飲酒運転をしない。制止義務違反で私も罰せられるからだそうだ。代わりに頼んだジンジ
ャ
ー
エー
ルで乾杯する。シー
フー
ドパスタとマルゲリー
タのピ
ッ
ツ
ァ
の味はよく分からなか
っ
た。ペペロンチー
ノでなくていいの、と翔太は言う。たまには違うやつがいいの、と答えたけれど、ジンジ
ャ
ー
エー
ルを飲むたびにアサリのあと口が蘇
っ
た。
店を出て駐車場に向かう。高速道路のヘ
ッ
ドライトが谷底を目がけて流れ落ちている。ガラスを撒いたみたいな工業地帯の明かりが山の向こうに広が
っ
ている。二月の夜は容赦なく冷え込んでいる。本屋に行こう。翔太が車のルー
フ越しに声をかけた。愛衣、本好きだもんな。いいね。助手席に座る。ひとしきり唇が覆われたあと、車はゆ
っ
くりと県道に合流した。山越えの道を軽自動車はエンジンを引き絞りながら登
っ
てゆく。なにも聞こうとはしない。オー
デ
ィ
オのイルミネー
シ
ョ
ンが目の奥を搔き回す。街灯のない切り通しを抜ける。ヘ
ッ
ドライトの中を擁壁ブロ
ッ
クが流れていく。板チ
ョ
コみたいだ、と思う。市街地に入
っ
て、片側二車線道路に合流する。常盤通りだ。歩道と街路樹の向こうに車で埋ま
っ
た店舗駐車場が続く。バレンタインデー
だから、というよりも土曜日だからかもしれない。二人で過ごしていると気がつかなくなるけれど、実は色恋沙汰に無関係なひとたちの方が多い。助手席から眺めていると、家族連れや同性同士の背中は確信に満ちている気がする。翔太とい
っ
し
ょ
に過ごしてきた間に、自分の中からいろんな確信が抜け落ちてい
っ
た。翔太が会社に行
っ
ている間に、同じ大学の男の子と遊んだ。たぶん楽しか
っ
た。い
っ
し
ょ
にいるのは慣れで、慣れの部分から醸し出されるものが心地良さにつながる。心地良さを堪能するより前に別れた。次の男の子も。その次も。
高校時代、「津軽」を現代文の授業でや
っ
たときに、先生が太宰治について話した。太宰の心中未遂の原因が、奥さんが処女でなか
っ
たから、と説明したあと、芝居がか
っ
た口調で「ああ、死のう」とや
っ
た。教室に笑い声が広が
っ
た。私も笑いながら周りを見回した。笑
っ
ていたのは女の子だけだ
っ
た。
翔太は大柄な私よりもさらに背が高く、強面だ
っ
た。それでも私に手を挙げたことはない。私が何を言
っ
ても黙
っ
て聞いているだろう。もしかすると、最後に殴られるかもしれない。それなら私も思い
っ
切り殴り返すつもりだ
っ
た。
ブ
ッ
クス花出の駐車場に着いた。いつもは私が店内に入
っ
ている間、店の外で煙草を吸
っ
ているか、たまに雑誌コー
ナー
をぶらつくかだ
っ
た。エンジンを切
っ
て車を降りようとする翔太を止めた。
「話があるの」
翔太は何も言わず、ドアを閉めた。
しばらく黙
っ
たあと、ぽつりぽつりと言葉をつないだ。い
っ
し
ょ
にいるのが辛いこと。このままだと翔太を傷つけてしまうこと。翔太のことは嫌いではないこと。別れたい、ということ。
他の男の子のことは言わなか
っ
た。話がこじれたら口に出して、決定打にする。翔太は沈黙していた。エンジンOFFとともにエアコンも止ま
っ
た車内は冷えてきた。鼻水が出そうになる。ぽつりと翔太が言
っ
た。
「最後にもう一回、しよう」
もう充分じ
ゃ
ない、とは言えなか
っ
た。うなずいてコー