第30回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・紅〉
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四條畷
茶屋
投稿時刻 : 2015.12.12 22:51
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四條畷
茶屋


 上山六郎左衛門は急ぎ、戦場に向かた。
 六郎は下手な準備も出来ずに急ぎ軍陣へ向かたのである。
 得物は手にしていたが、甲冑を着込んでいては間に合わない。
 いざとなれば甲冑などいらぬ。要は切られなければ良いのだ。いささか戦の高揚にかられた六郎はそう思ていた。
 しかしながら、いざ陣に到着して見れば、その勢いに呑まれる。
 果たして己は無事で帰れるか。
 無事で帰れるかは別としても、せめて犬死はしたくない。
 そうすると、どうしても防具が欲しくなる。
 六郎は陣の中を歩き回り、余た甲冑はないかと探し始めた。

 楠木正成が遺児、南朝方の軍事手動たる正行が神出鬼没の戦法を駆使し、細川顕氏、山名時氏といた北朝の派遣した勢力を翻弄し、次々と撃破した。
 正平3年、事態を重く見た北朝方足利尊氏は自身の執事であり、軍略に優れる高野師に軍勢を与え、本格的な南朝への攻撃を決定した。高師直は弟師泰も従え、敵勢の二倍から三倍ほどの軍勢にて万全の体制を整え四條畷に陣を敷く。
 いわゆる、四條畷の戦いである。
 正行は、軍事的に才のある師直を将に据え、万全の体制で押し寄せてきた足利軍を前にして、死を覚悟していたらしい。
 
 かえらじと かねておもへば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる

 そんな句を如意輪堂に刻み付けている。
 もともと楠木は侵攻の軍事勢力で後醍醐の蜂起の中で地位を上げてきた。その戦い方はゲリラ戦であり、籠城戦である。決戦は得意とするところではなく、実際、正行の父正成は湊川の決戦で新田の軍勢を逃がすために全滅している。
 悲壮であた。
 正行は、優れた将であたし、敵兵であてもその命を粗末にするような真似はしなかた。先の合戦においては溺れる敵兵を助け、手当をし衣服を与えて敵陣へ送り帰したという。この恩義に報いるため、今回の戦では、楠木方についた兵もいるという。
 師直は勝利を確信していたし、正行は死を覚悟していた。
 だが、正行とて、ただ死ぬ気はない。
 せめて師直の首。
 決死の覚悟であた。

 正行はその首を挙げた時、信じられない気持であた。
 師直の首。
 まさか、という気があた。
 確かに、後退させられる陣の中で決死の覚悟で敵本陣を翻弄し、後退せしめるなかで大将首を獲た。
 まさか、勝てるとは思ていなかた。
「やた。やたぞ!!」
 思わず、そんな声が漏れた。
「大将首、獲たり!」
 戦勝に沸き立とうという楠木陣営があた。
 まだ、終わらないのだ。まだ、我らに勝機は残されているのだ。
 そんな、かすかな光明を正行は感じ始めていた。

「甲冑をお借りいたす!」
 六郎はそう言うと陣幕の中におかれていた甲冑に手を付けた。ところが、周囲から怒気の含んだ声が上がた。
「その者、何をいたす。それは師直様の甲冑なり。そこもとが着るなどもてのほかなり」
「な
 六郎は気づいた。あまりに動転していて本陣の中にいたことに気づかなかたのだ。
「ぬしはもしや間者か?」
 師直の側近と思われるものが刀を抜いて近づいてくる。
「違う。わしはただ甲冑を……
 六郎は、慌てて否定するも郎従は刀を構えたまま退こうとしない。
「刀を納めい!」
 よく通る声が陣幕の中に響いた。
 大将・高師直である。
「こやつが師直様の鎧兜を勝手に奪おうと」
 郎従がそう言うと、師直は扇で郎従の頭を軽く叩いた。
「馬鹿者が!」
 そういうと郎従もひれ伏すだけであた。
「今、師直にかわて働いてくれようとする者に、なにを鎧一領ごときを惜しもうぞ」
 その言葉に六郎もひれ伏すしかなかた。
 大将がこの御方でよかた。そう思た。たた一瞬であたが、その瞬間に、この御方のためならばこの命は惜しくない、そう六郎は思たのである。

 正行軍は圧倒的な足利軍の兵力の前に敗れ、正行は弟の正時とともに自害した。
 あの一瞬見えた光明、それは消えた。
 消したのは六郎である。
 師直の甲冑を着た六郎は師直の身代わりに、正行に討てとられたのであた。
 正行が六郎の首を取た時、首はわずかに微笑んでいた。
 それに気が付いたとき、正行は悟たのだ。
 影武者だと。 
 楠木の光明を奪た六郎は、確かに笑ていた。
「我は征夷大将軍・足利尊氏が執事、高師直也! この首獲て見れるものならば挑みかかて見せよ」
 六郎にとてこの名乗りを上げた瞬間が、人生で最高に恍惚に満ちていた。
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