妻と僕と妹と
お題:不倫/懊悩
「同居中の妻以外の女性と契りを結ぶのは果たして不倫だろうか」
鬼の目をした妻を前に、震えながら口に出したのだが、どうやら火に油を注いだようだ。思い
っきりぶん殴られた。
痛い。
本気なんだもん。このひと。
痛む頰を手で押さえながら、僕は次なる言い訳を考えることにしたわけである。
ことの発端は、言い始めるとキリがないのだが、とにかく僕らはこの部屋から出るわけにはいかない。これには深い事情があるのだが、こんなアパートの一室。自慢ではないが、妻は美人だ。いや、美人というか美少女レベルでロリータなのだが、それを口にしようものなら、鬼の首を取ったかのごとく。事態は修羅場と化すものだから、なるべくここでも『妻は高身長モデル体系でボンキュッボンのきつめ美人』と表記することにする。
ともかく、そんな『美人妻』の妹となると、そりゃあもう、ふたりが並んでいる姿はとんでもない百合色で、男からするとウハウハじゃないですかあ。最高だぜ! ヒュー!
と、思っていたところに、妹さんときたらとっても大胆♡ 僕は決してイケメンでもないし、女性の心を鷲掴みにするほどの甲斐性もないわけで、そんなどこにでもいるようなおっさんに訪れた試練。
「おにいちゃんすき」
「ウッヒョウ!」
「ちゅーしてちゅー」
「はわわわ」
ちゅー。
僕らは、アパートの一室にいる。キッチン、トイレ、バスは別ではあるけど、リビングはひとつしかない。布団はシングルをふたつ並べて、真ん中に僕、両脇に妻と妹さん。まあ、僕は妻と同じ布団で身を寄せ合って きゃわわするわけだけど、それはそうとして。妹さんの『すき♡』も『ちゅー』も当然、隣に妻がいるわけでして。何が言いたいかというと、
『あんたら、なにしてるわけ?』
そして、冒頭に戻る。
「落ち着いて考えよう! そもそも、見てたじゃん!? 唇にしてないじゃん!? 額にちゅーだよ、ちゅー。なんも不倫じゃないから!」
殴られる。
「あ、もしかして奥さん……嫉妬ってやつですか」
この後、無茶苦茶に殴られた。
僕は知っている。妹さんが、実は妻の娘だということを。表記上、『妹さん』とさせていただくが、実は妹ではない。これにも深い事情があるわけだけど、とにかく妻が産んだ娘であるのは間違いない。
ふたりは幼い頃から両親から虐待を受けて育ち、妻は解離性同一性人格障害。つまり、多重人格を患い、妹さんはよくわからないけど、家から一歩も外に出されない生活を何十年と続けてきたせいで、精神年齢が小学生のそれである。ついでに、妻はショックから失声症も併発している。
まあ、ここまでスマホ会話であるのだが、普段は練習中の手話でコミュニケーションを取っている。さらに、こんな普通のおっさんですが、ふたりを助け出したという経歴があり、どうやら僕はふたりにとって救世主のように映っているらしい。
ともかく、虐待の結果、妻は妹さんを産むことになり、どこか違う家庭に『養子縁組』されて、バラバラに育ったわけであるが、なんやかんやでこうやって三人で暮らせる未来がやってきた。
いやー、これで一件落着。
とは行かず、いろいろな問題が山積みだ。
正直、でかい『ヤマ』で、僕自身、脅迫に晒されているし、あのひとたちバカだから、警察に言おうものなら本気で殺されてしまう。中には頭の回る輩もいて、まいっちんぐ。以前に、僕らの身を案じたネット上の友達が警察に通報、危うく本当に殺されそうな修羅場もあって。
そんなわけで、ふたりの存在は世間には知られてはいけないわけだから、こうやってアパートの一室に息を潜めて暮らしてるのだけど、問題はそれだけではない。
妻の心は分裂したまま、出たり入ったりを繰り返しているし、狭い押入れに閉じ込められて育ったから、まず長時間立っていられないし、手料理を振る舞おうと台所に立とうものなら、後ろ向きに倒れていってしまう。
栄養も十分に与えられて来なかったこともあって、発育が十分ではなくて、それは生活に多大な支障をきたしている。ここまで、自由になるために妻も頑張ってきたけど、緊張の糸が切れて、現在そのほとんどを布団の上で過ごしている。
妹さんの問題もある。性徴期を著しく阻害され続けた結果、精神年齢は一〇歳にも満たず、喋ることを許されなかった生活環境のせいでやはり妹さんも口を用いたコミュニケーションが難しい状態だ。
しかし、唯一、認められた『性欲』は高まる一方で、室内に男は僕ひとり。さて、どうなるかはもはや火を見るよりも明らかなわけですよ。
僕は妻を何よりも愛している。
軽いスキンシップならまだしも、その一線を超えないように四苦八苦してるわけだけど、その軽いスキンシップも妻からすれば、どうやら浮気の一部に入れられるらしい。
そうして、またしても冒頭に戻るわけである。
「この子は僕らの娘なわけじゃん? 額にちゅーぐらい普通だろ?」
『あ!?』
「すみません……」
何を言っても許さない妻の態度に妹さんがムッとした顔で、僕の腕に抱きつく。
『やめなさい!』
べー。
別にふたりとも仲が悪いわけではないのだが、こと僕のことになると、途端に険悪なムードになる。
僕ですかあ。
「これぞ、板挟み……」
『あ!? 胸がないって言いたいわけ!?』
『むねある』
むにゅ。
妹さんはあろうことか、僕の手を自分の胸に当てさせて揉ませる。
「待った! 今のは僕の意思じゃないから!」
慌てて手を振りほどいて、弁明するが、
『揉んだよね? 揉むまではさせてないんじゃないの』
妻の目つきが一層、釣り上がる。
まあ、聞いてくれないよね。僕は心の中でため息をつく。どうしたものか。
懊悩。
考えろ。考えるんだ。このままでは、妻に殺されてしまう。
ぽくぽくちーん!
僕は妹さんを優しく引き離すと、強引に妻を引き寄せて、甘く愛の言葉を囁く。きっと、妻は嫉妬してるだけだ。なら、もっと激しいスキンシップで巻き返しを図る!
『わたし・あなた・殺す・したい』
こんな時だけ、手話を用いる妻。最高の笑顔だった。
しかし、僕の胸の中、ちょこんとおさまった妻はわりとまんざらでもない顔。妹さんに勝ち誇った面持ちで、ふんと鼻を鳴らす。
そんな妻に妹さんも負けていない。
『ちゅー』
ほっぺにちゅー。ほぉ。きゃわわ。
『このひとは、私の旦那なの! あんたはそういうのダメなんだからね!』
『じゃおくさんになる』
『奥さんは世界にひとりだけ!』
ああ……さらにヒートアップしてきたなあ。
ふたりが慎ましくスマホ会話をしてるのをぼんやり眺めながら、この事態を鎮めるにはどうすべきか、頭をフル回転させる。
口喧嘩もスマホ会話で、返事待ちがあるから、プリプリ怒っていても、なんだか滑稽なふたりであるが、僕はハッとして、自分のスマホを立ち上げる。
勝った。
僕は、事態の沈静化をとりあえず、問題の先送りで対応することにして、心の中でほくそ笑む。
「奥さん、奥さん! ほら、これ一緒に見よう!」
『なによ』
僕のスマホ画面に映し出された一枚の写真を、マジマジと眺める。妹さんも僕の肩に胸を置いて眺める。
ババン!!
怖い女の顔!
何を隠そう、今の妻はホラーにとびきり弱い。前に、一緒にホラービデオを鑑賞したときは、びっくりして人格が変わってしまった。そう。このびっくりGIFアニメを見れば、人格が変わって、とりあえず事態が---
『ふうん。で? 何がしたかったわけ』
「あれ!? 効いてない!?」
『あんたにどれだけ見させられたと思うわけ? 脈絡もないこんなの、怖くないし、というか、ふうん。そういうつもり』
妻は僕の作戦に気づいたようだ。胸におさまっていた妻が身体を起こして、
『うん、とりあえず、歯を食いしばって』
今夜、最高のしばきをいただいたのだった。
その後、どうなったって?
妻の『しばき』を契機に、ふたりはやれやれと布団に潜り込んで、僕ひとりぼっち。
妻なんて、反対方向に身体を向こうにやって、僕が肩に手を置こうものなら、猛烈の張り手で振りほどかれる。
僕はため息をついて、ふたりが寝付くまで外に飲みに行こうと立ち上がったのだが、
『どこいくわけ』
と、大変ご立腹なご様子。
『いやあ、気まづいしさ。ちょっと外に出ようって思ってさ』
『隣にいろ』
『あ、はい』
僕は立ち上がりかけた身体を正座で坐り直して、妻の背中を見つめる。
『今日はごめんね。でもあんたを誰にも取られたくないから。ちょっとしたことも嫌。分かってよ』
そんな文字が僕のスマホに浮かび上がって、僕は思わず、口にするわけである。
「奥さん、きゃ