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第3回 文藝マガジン文戯杯
〔
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〔 作品2 〕
次の楽師殿へ
(
茶屋
)
投稿時刻 : 2018.01.31 17:19
字数 : 5613
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感 想
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次の楽師殿へ
茶屋
「本当に、音楽がお好きなんですね」
その言葉を耳にしたとき、私の表情はき
っ
と曇
っ
たことだろう。一瞬、何故そういわれたのか全く理解できなか
っ
たのだが、これだけ己の職業の事を語らされれば当然だろう。私は自身の職業にはそれなりに真摯に向き合
っ
ているし、それなりに創意工夫も加えている。それを率直に語
っ
てみせれば、それは私の職業に対する愛情、熱情と錯覚されても不思議ではないのだ。
大衆紙の編集者にしては造詣が深く知性を感じさせるインタヴ
ュ
アー
だと思
っ
ていたから、こんなおもねりのような言葉が飛び出すとはなさそうだと少し油断していた。私が、心の奥底では誰かに共感や理解をしてもらいたか
っ
たのだろうかなどという、くだらない分析は今は必要がない。必要なのは、乾いた笑いと、質問への返答。
「好きなことを職業にできるということは、とても幸運なことだと思います。少なくとも私は、そんな幸運には恵まれませんでしたが」
キ
ョ
トンとした表情の若い編集者の方をポンと叩きながら、私は部屋をあとにした。
子供の頃から、音楽が身の周りにあふれんばかりであ
っ
たし、それがいつしか溢れ出して私の人生に侵食してくるのは自明な事でもあ
っ
た。父は元楽器奏者の現楽器職人であり、母は現役の声楽家であ
っ
た。海外に行くことも多か
っ
た母に比べて、工房での仕事を主としていた父が私の世話や教育に対して大きな責を負
っ
ていた。まだ、専業主婦の割合も大きか
っ
た時代である。そういう意味でも、私はそれなりに特殊な環境で育
っ
てきたと言えなくもない。
とはいえ、その役割が母親であ
っ
たとしても私の人生に大きな違いがあ
っ
たとは思えない。私は結局、あふれた音楽で溺れていただろうし、否応なしに音楽の中を泳ぐ術を身につけなければならなか
っ
ただろう。
父は母の才能を愛していたが、己の才能には無頓着だ
っ
た。その点、私は父に似たといえよう。だが、才能自体と、己の才能に嫌悪に近い感情をう
っ
すら抱いた点で言えば、私は父を超えた。
はじめ、両親は私を声楽の道に進めたか
っ
たようだが、私が声変わりする頃にようやく父が諦めて、それは終わりとな
っ
た。父はそれですべてを諦めたようだ
っ
たが、母は違
っ
た。声楽以外の道を考えなか
っ
た父とは対照的に、母は音楽であれば何でもよか
っ
たのだ。たとえ私がヒ
ッ
プホ
ッ
プを志したとしても、母はそれを喜んだだろう。
高等教育に差し掛かろうとしている段にな
っ
て、私は音楽に対してやや鬱陶しさを感じ始めていた。音楽に対しては、皆讃辞によ
っ
てそれを語る。ここの曲や忌まわしいジ
ャ
ンルは確かに存在するが、音楽それ自体は素晴らしいものであり、それは誰にも否定できないのだと。私にはそれが全く理解できなか
っ
た。音楽好きという人種が、まるで新人に無理やり酒を勧める冴えない管理職のようにしか見えなか
っ
た。
しかしその感情も今ほど大きくはなか
っ
たし、両親に期待されることは悪い気分ではなか
っ
た。母の声楽が駄目であるならば、父の楽器。そう考えるのは、私にと
っ
てごく自然な事だ
っ
たが、父は明らかに驚いていた。父はその楽器にまるで魅力を感じていなか
っ
たのである。その点に関しては私も同意見なのだが、そもそも父が何故その楽器奏者を志し、生業としたのかは不思議な話である。何せ父型の祖父母は果樹農家なのだから。
それはともかく、その時にな
っ
て私は父の楽器を一度も弾いた事がないのに気づいた。十数年、その楽器のすぐそばで生活してきたのにも関わらず一度もである。父がまな板の上で材料を捌くのも目にしてきたし、ルー
ペとピンセ
ッ
トでも
っ
て慎重に神経を繋いでいく作業は見ていてワクワクする作業だ
っ
た。刺激臭のある水槽に沈められた楽器たちが時折痙攣するように動く光景は今見ても気持ちのいいものではないが、その時はまでは楽器それ自体を嫌悪するほどではなか
っ
た。
そしてそもそも、父がその楽器を弾いている風景を見たことがなか
っ
たのだ。壁を隔てて試し弾きの音など聞こえてくることもあ
っ
たのだが、さして気にも止めていなか
っ
た。
「綺麗な音色でし
ょ
。お父さんの楽器しか出せない音域なのよ」
母のそんな言葉に、私は戸惑
っ
たのは覚えている。私にと
っ
てそれは小鳥や烏たちの囀りと変わりがなく、私にと
っ
てそれは美しいものではなく雑音でしかなか
っ
たのだ。
初めて父の楽器を弾いてみたいとい
っ
たとき、父は不可解そうな表情をしたのを覚えている。まるで、息子が突然、風俗に行きたいとでも言いだしたかのような顔だ。
「別に構わんが
……
」
あまりの反応にこちらが驚いたほどだ。父の職業に息子が興味を示した場合、普通父親という生き物は喜ぶものではないだろうか。だが、今にな
っ
てみれば父のそうした反応も理解できなくはない。おそらく、私や父と同様に、この楽器を愛するものなどいないのではなかろうかとすら思える。
ニトリル手袋をはめた父が、水槽から無造作に一匹の楽器を選び出して、ステンレスの流しに置き、水道を出しながらたわしで無造作にこす
っ
ていく。はじめは揮発性のある水槽の液体の臭いでわからなか
っ
たが、その楽器からは特有の生臭さが漂
っ
てくるのがわか
っ
た。ドブと磯臭さを混ぜて、酢漬けにしたような嘔吐反射を促すような臭いだ。
私もニトリル手袋を嵌めようとすると父が「弾くときは素手だ」とぶ
っ
きらぼうに言
っ
た。父はいつもより不機嫌であるように感じたが、この楽器と向き合う時、奏者は大抵不機嫌になるのだ。この臭いならば、仕方があるまい。
父に渡された楽器を抱えたとき、私は戸惑いと嫌悪感しか覚えなか
っ
た。その臭気もさることながら、表面全体を覆うね
っ
とりとした粘液のせいでし
っ
かりつかまなければならない。そのせいで、表面は冷えているが内奥から伝わ
っ
てくる生ぬるい体温と、不規則な液循環の脈動と緩やかな筋の蠕動を嫌というほどに味わわなければならなか
っ
た。私は引きつ
っ
た顔をしていたと思う。それにかまわず、父は香りの強い煙草に火をつけた。父が煙草を吸うのは工房でだけだ。
どうや
っ
て弾けばいいのかわからないまま不快極まりない楽器を持
っ
て呆然としている私と、煙草をふかしながらただそれを見ている父。
しばらくそのまま時間が流れたが、煙草をもみ消した父がや
っ
と口を開いた。
「連れてくる」
奥の戸を開けて姿を消した父。私はただ、父の消えたドアを見つめているしかなか
っ
た。見つめていれば、見つめていさえすれば何かが変わるとでも信じるかのように。
やがて、奥の戸を開けて現れた父は一匹の羊をひいてきた。我が家のペ
ッ
ト、名前はメリー
、メス。母は可愛が
っ
ているが、父と私は世話はするが、それ以外で気にかけることもない、あ
っ
てもなくてもかまわない我が家の設備の一つ。そう思
っ
ていたが、そうではなか
っ
たのだ。メリー
は父の仕事道具だ
っ
た。
メリー
は自ら進んで、私の目の前まで歩んできた。何かを望むような瞳で、じ
っ
と私を見つけている。いままで、メリー
がこんな目で私を凝視してくることなどなか
っ
た。
「まずは内膜に左手を入れて神経を弾け、右枝の鰓に右手を添えて音程は調節できる。あとは首に口をつけて体液を吸
っ
たり吐いたりしろ。それだけだ」
椅子に腰を下ろし、再び煙草に火をつけた父がいかにもつまらなそうに言
っ
た。
内膜に手を差し入れると、表面を覆うのと同様の粘液と、蠢くスパゲ
ッ
テ
ィ
、あるいは蚯蚓か蛆虫のようなもので満たされていた、それが父の言う神経なのだろう。それを弾いてみると楽器の下部にある触腕が何かを探るように動き始めた。同様にややざらざらとした右枝の鰓と言われる部分に触れてみると、触腕の動きが変わる。確かに何かパター
ンがあるようだが、何ら音は出ていない。これでは決して楽器と呼べる代物ではない。
だが、なんとなく理解できそうな気がした。多分、私はこの楽器を弾くことができるし、才能がある。これを生業とすれば、間違いなく成功するだろう。そんな直感が私の脳に到来し、覚悟を決めざる得なか
っ
た。
首、に口をつけると、ち
ょ
うど「我が子を食らうサト
ゥ
ルヌス」か、社交ダンスを踊る人のような格好にな
っ
た。腐臭が、口い
っ
ぱいに入り込んでくる。吐きそうになるのをこらえながら、首の中にある半透明の粘液を口の中に吸い上げる。瞬間、左手に絡ま
っ
た蟲たちがその密度を上げ、鰓も不規則な脈動を始める。下部の触腕が、メリー
の脊椎を刺し貫くと、メリー
の喉から音楽が流れ始めた。
直感の通り、私は楽器奏者としての才能は類稀なるものであ
っ
たし、成功も収めた。その楽器の新たな境地を開いたものとして音楽と趣味をしないような人間からもある程度名前を知られる程度には有名になり、音楽の新たな地平を切り開くものとして歴史に名を遺す可能性すら見えてきたのだ。
その名声に関しては、私は満足を覚えている。私は仕事して、この楽器に真摯に向き合い、努力もしてきた。
だが、私は音楽は好きではない。
そしてこの楽器に至
っ
ては、う
っ
すらとした嫌悪の感情を抱いている。
「私を、あなたの楽器にしてもらいたいのです」
何かの冗談だろうと思
っ
たのだが、彼女のその目を見れば、それが嘘ではないことがわかる。
楽器が脊髄を通して神経を接続し、スピー
カー
として用いることのできる生物は、原理的には音を発せられればどんな動物でもよか
っ
た。ただし、長年の奏者たちの経験上から羊かカナリアが用いられることが最も多い。私もさまざまな動物を使
っ
ては見たものの、安定感があ
っ
てどんなジ
ャ
ンルにも対応できるのは羊だと思
っ
ている。
原理的には人間をスピー
カー
にすることも可能だろう。可能だろうが、誰も思いつくことではなか
っ
た。誰かが、試したという話も聞いたことがない。基本的、楽器は動物の神経や脳組織を傷つけるものでないことは科学的に証明されているのだが。
果たして、許される行為なのだろうか。
メリー
の目を思い出す。そして、その後、楽器にしてきた動物たちの瞳を。
そして、目の前の女の目をじ
っ
と見つめる。
「いいでし
ょ
う。ただし、私はあなたの事をしらない。知らなければ、知り尽くさなければ、楽器にすることはできない」
私は嘘をついた。
一目ぼれというわけではなか
っ
た。美人をものにできるチ
ャ
ンスを握
っ
てはおきたいという、浅はかな下種根性のなせる業だろうが、そんな根性が自分にもあ
っ
たとは今でも驚きを感じずにはいられない。彼女を知るという名目のもと、私は彼女と幾度も会い、会話をし、食事を楽しんだ。慎重なつもりだ
っ
たが、ぬかるみに一歩一歩足を踏み入れるのを止めることはできなか
っ
た。
眉目秀麗で知性もあり、才能のあふれるピアニスト。メデ
ィ
アにも一時期注目されたが、事故で二度とピアノも弾けなくなる。ほぼ完ぺきでありながら、私を、正確には私の音楽を、求めている。恋愛感情を持つなという方が無理がある。私はヘテロで、修道院に暮らしているわけではないのだ。
正直に言えば彼女を愛してしま
っ
ていたし、そのことを正直に彼女に言
っ
た。
「言葉では駄目、音楽でそれを伝えて」
気が付けば私は、底なしの沼にゆ
っ
くりと沈み始めていた。
音楽で音楽以外の何かを表現するというのは無謀なことでしかない。確かに音楽によ
っ
て聴覚以外の感覚が刺激されるということもあるかとは思うが、それはあくまで思い出が想起されているだけでイワン・ペトロー
ヴ
ィ
チ・パブロフの犬の涎と大して変わりがない。また、あるにしてもそれは共感覚の一種であ
っ
て、人類共通の能力ではない。だから、そんな共感覚を持たぬ私にはまるでそれが理解できない。そもそも土俵が違うのだ、という話でもあるのだが、が、音楽のカバー
する範囲に比べて、言語のカバー
する範囲はより一層広いように思われるし、言語は音楽の範囲の一部を簡単に代替できる。
それでもなお、人は音楽に魅了され、音楽を求める。音楽は、感情や快楽とのつながりが深い。音楽は、言語というよりも、どちらかと言えば、アルコー
ルやドラ
ッ
グの類に近いものだろう。音楽は言語以上に何かを伝えたりすることはない。それは錯覚でしかなく、世界中が同じ歌を歌
っ
たとしても、歌いながら殺し合いを続けるだろう。
それでも、人は音楽を求める。
そして彼女は、音楽を求める。
向かい合う彼女の瞳は、あの時のメリー
とは違う。怯えに揺らいでいる。不安に揺らいでいる。それでも、決心は揺らがない。
私も、覚悟を決めた。
あの時と同じなのである。彼女を使うことによ
っ
て、私の仕事はより一層完成されたものとなるだろう。そして、彼女を手に入れることができるだろう。そんな直感に支配された私は、覚悟を決めないわけにはいかなか
っ