第3回 文藝マガジン文戯杯
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茶屋
投稿時刻 : 2018.01.31 17:19
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茶屋


「本当に、音楽がお好きなんですね」
 その言葉を耳にしたとき、私の表情はきと曇たことだろう。一瞬、何故そういわれたのか全く理解できなかたのだが、これだけ己の職業の事を語らされれば当然だろう。私は自身の職業にはそれなりに真摯に向き合ているし、それなりに創意工夫も加えている。それを率直に語てみせれば、それは私の職業に対する愛情、熱情と錯覚されても不思議ではないのだ。
 大衆紙の編集者にしては造詣が深く知性を感じさせるインタヴアーだと思ていたから、こんなおもねりのような言葉が飛び出すとはなさそうだと少し油断していた。私が、心の奥底では誰かに共感や理解をしてもらいたかたのだろうかなどという、くだらない分析は今は必要がない。必要なのは、乾いた笑いと、質問への返答。
「好きなことを職業にできるということは、とても幸運なことだと思います。少なくとも私は、そんな幸運には恵まれませんでしたが」
 キトンとした表情の若い編集者の方をポンと叩きながら、私は部屋をあとにした。

 子供の頃から、音楽が身の周りにあふれんばかりであたし、それがいつしか溢れ出して私の人生に侵食してくるのは自明な事でもあた。父は元楽器奏者の現楽器職人であり、母は現役の声楽家であた。海外に行くことも多かた母に比べて、工房での仕事を主としていた父が私の世話や教育に対して大きな責を負ていた。まだ、専業主婦の割合も大きかた時代である。そういう意味でも、私はそれなりに特殊な環境で育てきたと言えなくもない。
 とはいえ、その役割が母親であたとしても私の人生に大きな違いがあたとは思えない。私は結局、あふれた音楽で溺れていただろうし、否応なしに音楽の中を泳ぐ術を身につけなければならなかただろう。
 父は母の才能を愛していたが、己の才能には無頓着だた。その点、私は父に似たといえよう。だが、才能自体と、己の才能に嫌悪に近い感情をうすら抱いた点で言えば、私は父を超えた。
 はじめ、両親は私を声楽の道に進めたかたようだが、私が声変わりする頃にようやく父が諦めて、それは終わりとなた。父はそれですべてを諦めたようだたが、母は違た。声楽以外の道を考えなかた父とは対照的に、母は音楽であれば何でもよかたのだ。たとえ私がヒプホプを志したとしても、母はそれを喜んだだろう。
 高等教育に差し掛かろうとしている段になて、私は音楽に対してやや鬱陶しさを感じ始めていた。音楽に対しては、皆讃辞によてそれを語る。ここの曲や忌まわしいジンルは確かに存在するが、音楽それ自体は素晴らしいものであり、それは誰にも否定できないのだと。私にはそれが全く理解できなかた。音楽好きという人種が、まるで新人に無理やり酒を勧める冴えない管理職のようにしか見えなかた。
 しかしその感情も今ほど大きくはなかたし、両親に期待されることは悪い気分ではなかた。母の声楽が駄目であるならば、父の楽器。そう考えるのは、私にとてごく自然な事だたが、父は明らかに驚いていた。父はその楽器にまるで魅力を感じていなかたのである。その点に関しては私も同意見なのだが、そもそも父が何故その楽器奏者を志し、生業としたのかは不思議な話である。何せ父型の祖父母は果樹農家なのだから。
 それはともかく、その時になて私は父の楽器を一度も弾いた事がないのに気づいた。十数年、その楽器のすぐそばで生活してきたのにも関わらず一度もである。父がまな板の上で材料を捌くのも目にしてきたし、ルーペとピンセトでもて慎重に神経を繋いでいく作業は見ていてワクワクする作業だた。刺激臭のある水槽に沈められた楽器たちが時折痙攣するように動く光景は今見ても気持ちのいいものではないが、その時はまでは楽器それ自体を嫌悪するほどではなかた。
 そしてそもそも、父がその楽器を弾いている風景を見たことがなかたのだ。壁を隔てて試し弾きの音など聞こえてくることもあたのだが、さして気にも止めていなかた。
「綺麗な音色でし。お父さんの楽器しか出せない音域なのよ」
 母のそんな言葉に、私は戸惑たのは覚えている。私にとてそれは小鳥や烏たちの囀りと変わりがなく、私にとてそれは美しいものではなく雑音でしかなかたのだ。

 初めて父の楽器を弾いてみたいといたとき、父は不可解そうな表情をしたのを覚えている。まるで、息子が突然、風俗に行きたいとでも言いだしたかのような顔だ。
「別に構わんが……
 あまりの反応にこちらが驚いたほどだ。父の職業に息子が興味を示した場合、普通父親という生き物は喜ぶものではないだろうか。だが、今になてみれば父のそうした反応も理解できなくはない。おそらく、私や父と同様に、この楽器を愛するものなどいないのではなかろうかとすら思える。
 ニトリル手袋をはめた父が、水槽から無造作に一匹の楽器を選び出して、ステンレスの流しに置き、水道を出しながらたわしで無造作にこすていく。はじめは揮発性のある水槽の液体の臭いでわからなかたが、その楽器からは特有の生臭さが漂てくるのがわかた。ドブと磯臭さを混ぜて、酢漬けにしたような嘔吐反射を促すような臭いだ。
 私もニトリル手袋を嵌めようとすると父が「弾くときは素手だ」とぶきらぼうに言た。父はいつもより不機嫌であるように感じたが、この楽器と向き合う時、奏者は大抵不機嫌になるのだ。この臭いならば、仕方があるまい。
 父に渡された楽器を抱えたとき、私は戸惑いと嫌悪感しか覚えなかた。その臭気もさることながら、表面全体を覆うねとりとした粘液のせいでしかりつかまなければならない。そのせいで、表面は冷えているが内奥から伝わてくる生ぬるい体温と、不規則な液循環の脈動と緩やかな筋の蠕動を嫌というほどに味わわなければならなかた。私は引きつた顔をしていたと思う。それにかまわず、父は香りの強い煙草に火をつけた。父が煙草を吸うのは工房でだけだ。
 どうやて弾けばいいのかわからないまま不快極まりない楽器を持て呆然としている私と、煙草をふかしながらただそれを見ている父。
 しばらくそのまま時間が流れたが、煙草をもみ消した父がやと口を開いた。
「連れてくる」
 奥の戸を開けて姿を消した父。私はただ、父の消えたドアを見つめているしかなかた。見つめていれば、見つめていさえすれば何かが変わるとでも信じるかのように。

 やがて、奥の戸を開けて現れた父は一匹の羊をひいてきた。我が家のペト、名前はメリー、メス。母は可愛がているが、父と私は世話はするが、それ以外で気にかけることもない、あてもなくてもかまわない我が家の設備の一つ。そう思ていたが、そうではなかたのだ。メリーは父の仕事道具だた。
 メリーは自ら進んで、私の目の前まで歩んできた。何かを望むような瞳で、じと私を見つけている。いままで、メリーがこんな目で私を凝視してくることなどなかた。
「まずは内膜に左手を入れて神経を弾け、右枝の鰓に右手を添えて音程は調節できる。あとは首に口をつけて体液を吸たり吐いたりしろ。それだけだ」
 椅子に腰を下ろし、再び煙草に火をつけた父がいかにもつまらなそうに言た。
 内膜に手を差し入れると、表面を覆うのと同様の粘液と、蠢くスパゲ、あるいは蚯蚓か蛆虫のようなもので満たされていた、それが父の言う神経なのだろう。それを弾いてみると楽器の下部にある触腕が何かを探るように動き始めた。同様にややざらざらとした右枝の鰓と言われる部分に触れてみると、触腕の動きが変わる。確かに何かパターンがあるようだが、何ら音は出ていない。これでは決して楽器と呼べる代物ではない。
 だが、なんとなく理解できそうな気がした。多分、私はこの楽器を弾くことができるし、才能がある。これを生業とすれば、間違いなく成功するだろう。そんな直感が私の脳に到来し、覚悟を決めざる得なかた。
 首、に口をつけると、ちうど「我が子を食らうサトルヌス」か、社交ダンスを踊る人のような格好になた。腐臭が、口いぱいに入り込んでくる。吐きそうになるのをこらえながら、首の中にある半透明の粘液を口の中に吸い上げる。瞬間、左手に絡また蟲たちがその密度を上げ、鰓も不規則な脈動を始める。下部の触腕が、メリーの脊椎を刺し貫くと、メリーの喉から音楽が流れ始めた。

 直感の通り、私は楽器奏者としての才能は類稀なるものであたし、成功も収めた。その楽器の新たな境地を開いたものとして音楽と趣味をしないような人間からもある程度名前を知られる程度には有名になり、音楽の新たな地平を切り開くものとして歴史に名を遺す可能性すら見えてきたのだ。
 その名声に関しては、私は満足を覚えている。私は仕事して、この楽器に真摯に向き合い、努力もしてきた。
 だが、私は音楽は好きではない。
 そしてこの楽器に至ては、うすらとした嫌悪の感情を抱いている。

「私を、あなたの楽器にしてもらいたいのです」
 何かの冗談だろうと思たのだが、彼女のその目を見れば、それが嘘ではないことがわかる。
 楽器が脊髄を通して神経を接続し、スピーカーとして用いることのできる生物は、原理的には音を発せられればどんな動物でもよかた。ただし、長年の奏者たちの経験上から羊かカナリアが用いられることが最も多い。私もさまざまな動物を使ては見たものの、安定感があてどんなジンルにも対応できるのは羊だと思ている。
 原理的には人間をスピーカーにすることも可能だろう。可能だろうが、誰も思いつくことではなかた。誰かが、試したという話も聞いたことがない。基本的、楽器は動物の神経や脳組織を傷つけるものでないことは科学的に証明されているのだが。
 果たして、許される行為なのだろうか。
 メリーの目を思い出す。そして、その後、楽器にしてきた動物たちの瞳を。
 そして、目の前の女の目をじと見つめる。
「いいでしう。ただし、私はあなたの事をしらない。知らなければ、知り尽くさなければ、楽器にすることはできない」
 私は嘘をついた。

 一目ぼれというわけではなかた。美人をものにできるチンスを握てはおきたいという、浅はかな下種根性のなせる業だろうが、そんな根性が自分にもあたとは今でも驚きを感じずにはいられない。彼女を知るという名目のもと、私は彼女と幾度も会い、会話をし、食事を楽しんだ。慎重なつもりだたが、ぬかるみに一歩一歩足を踏み入れるのを止めることはできなかた。
 眉目秀麗で知性もあり、才能のあふれるピアニスト。メデアにも一時期注目されたが、事故で二度とピアノも弾けなくなる。ほぼ完ぺきでありながら、私を、正確には私の音楽を、求めている。恋愛感情を持つなという方が無理がある。私はヘテロで、修道院に暮らしているわけではないのだ。
 正直に言えば彼女を愛してしまていたし、そのことを正直に彼女に言た。
「言葉では駄目、音楽でそれを伝えて」
 気が付けば私は、底なしの沼にゆくりと沈み始めていた。

 音楽で音楽以外の何かを表現するというのは無謀なことでしかない。確かに音楽によて聴覚以外の感覚が刺激されるということもあるかとは思うが、それはあくまで思い出が想起されているだけでイワン・ペトローチ・パブロフの犬の涎と大して変わりがない。また、あるにしてもそれは共感覚の一種であて、人類共通の能力ではない。だから、そんな共感覚を持たぬ私にはまるでそれが理解できない。そもそも土俵が違うのだ、という話でもあるのだが、が、音楽のカバーする範囲に比べて、言語のカバーする範囲はより一層広いように思われるし、言語は音楽の範囲の一部を簡単に代替できる。
 それでもなお、人は音楽に魅了され、音楽を求める。音楽は、感情や快楽とのつながりが深い。音楽は、言語というよりも、どちらかと言えば、アルコールやドラグの類に近いものだろう。音楽は言語以上に何かを伝えたりすることはない。それは錯覚でしかなく、世界中が同じ歌を歌たとしても、歌いながら殺し合いを続けるだろう。
 それでも、人は音楽を求める。
 そして彼女は、音楽を求める。
 向かい合う彼女の瞳は、あの時のメリーとは違う。怯えに揺らいでいる。不安に揺らいでいる。それでも、決心は揺らがない。
 私も、覚悟を決めた。
 あの時と同じなのである。彼女を使うことによて、私の仕事はより一層完成されたものとなるだろう。そして、彼女を手に入れることができるだろう。そんな直感に支配された私は、覚悟を決めないわけにはいかなかた。

 私が、正確に言えば私の音楽が、彼女の中で響いた。彼女の脳の中、脳のニロンを、私の楽器が軽やかに弾いていく。歓喜を、悲しみを、憤怒を、そして恍惚を。彼女の顔は幸福に満たされ、半開きになた口からも漏れ出でてくる。人々を魅了し、美しいと思わせるであろう、音楽が、彼女の口から垂れ流されていく。
 これが美しい音楽であり、いや、それどころか音楽の歴史を塗り替えるであろう音楽であることは、理解していた。だが、聴衆の喝采や涙の意味は、またく理解できない。私は、この音楽にまたく美しさは感じられず、何の感情も揺さぶられない。例え美しい妻の口から流れる音楽だとしても。
 妻は言う、私の音楽は言葉を異常に何かを伝えてくれ、抱擁以上に温もりを感じさせてくれるのだと。
 確かに、そうなのかもしれない。私は彼女の脳という楽器を演奏するのだから。
 けれども、果たしてそれは音楽と言えるものなのだろうか。
 音楽は言葉を超えられるかもしれないが、それはもはや音楽ではない何かだろう。
 私は、音楽を理解できぬままに、音楽を奏でている。
 私が奏でていることは、本当に音楽なのだろうか。
 そんな悩みを共有できそうな父は、去年死んだ。
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