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第5回 文藝マガジン文戯杯
〔 作品1 〕
The summer in the room
茶屋
 投稿時刻 : 2018.11.18 18:59
 字数 : 3004
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The summer in the room
茶屋


 季節は、冬である。
 どんよりとした雲が空を覆い、吹きすさぶ風すら仄暗い灰色を帯びていそうな気配だ。
 一時間ほど前から降り始めた綿埃のような雪は、もうすでに道を白色で埋め尽くしている。
 まるで核戦争で人類が滅んだ後のように寂しく。
 まるで異常気象で動物たちが消え去た後のように静かだ。
 そう、季節は冬。
 冬なのだ。
 
 後ろ手に玄関のドアを閉めて、息を吐く。
 白い息は天国まで登ていきそうだが、それは叶わずに消散する。吐き出された呼気は成仏できずに姿の見えぬ浮遊霊になる。
 寒い。
 少なくとも、暖かくはないし、ちうどいいはずもない。天国にはほど遠く、地獄というには少し生ぬるい。少なくとも死ぬほどではないし、耐えられないわけでもないのだが、耐えろと言われたらご免こうむりたいところだ。ご免こうむりたいのやまやまなのだが、季節は否が応でも冬なのである。
 そんな不平が思考の中を蹂躙して、他の思考をホロコーストして、荒廃した思考の荒れ野の中に、ただひとつの単語を選ばれし者として屹立させるのである。
 寒い。
 とはいえ、孤独の玉座は盤石とはいえず、革命の胎動はいつしか鳴動となり、やがてすべてを打ち壊す地震ともなろう。さすれば、いや、で、あるからにして人間はその一歩を踏み出せるのである。寒さに打ち震え、極寒に耐えるだけでは人間はアフリカの大地から出でることなどできなかたかもしれない。寒いという思考の絶対王政を打倒し、寒冷の王権神授を否定し去てこその人間なのである。
 そう、言い忘れたが、この物語の主人公は人間である。
 そして、私は人間だ。
 だが、待て。
 私は人間なのだろうか。
 舞いしきる雪の中、そんな疑問が降り積もていく。毛糸の手袋で包まれた掌を開き、閉じる。
 まあ、たぶん人間だろうし、100%人間ではないかもしれないが、だいたいは人間であているだろう。たとえ、30%ぐらいの人間であたとしても、それはそれでどうでもいいことだ。たぶん、それは今後の生活に大した影響はない。仮に全然人間ではないのだとしても、私が嘘をついているというだけの問題である。
 私はさしあたて人間であるし、雪の降りしきる世界へと出でようとするものだ。
 突然、笠地蔵の昔話が脳裏によぎる。爺が地蔵に笠を載せるという話である。何故その童話が頭の中にひこりと顔を出したのかというと、目の前の道を笠を被た地蔵が歩いているからだ。歩いている、という表現が的確であるか否かと言えば否であろうし、かといて飛び跳ねているというには少々愉快さが足りず、滑稽ではあるかもしれないがやはり不気味さが勝る。だが、この厳しい寒冷の中で貧困にさいなまれた脳にはそれ以外の語彙が浮かんでは来ない。構造上足の可動部が限定されているのか、それとも単純に歩行という行動を制限する試練を己に課しているのかは定かならぬが、その両の足を揃えたまま、ぼと跳びあがり、両の足をぴたりとくつけたまま、ぞぼと着地する。
 ぼ
 ぞぼ
 ぼ
 ぞぼ
 ぼ
 ぞぼ
 。飛距離そのものは小さく、移動速度も決して早いものではないが、降り積もた雪にしかりと己が足跡を刻み付けんとするかのように、力強い着地である。そもそもいたいどういた機構で跳躍しているのであるのか、その体は一見して曲がているようにも伸縮しているようにも見えず、遠目に見る限りでは何の変哲もないやや劣化した石仏地蔵である。仏の御心というものは広大無辺で畢竟成佛にして一斉衆生済度であろうから、地蔵があんな跳躍をしようとも摩訶不思議ではないし、仏パワーでだいたいの説明がついてしまうのだが、生憎私は熱心な仏教徒ではないし、念仏よりは電子レンジを信じる程度には唯物論者でもある。だが、この世の摩訶不思議妖怪魑魅魍魎の類は必ずしやその真相を究明し万能科学の偉大なる光明を持てこの三千世界をあまねく照らし現世に極楽浄土を築かんと誓うほど熱心な唯物論じではない。
 だから、まあ、地蔵跳躍現象の力学的考察はさしあたり保留する。そもそもメロスは物理がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。そしてメロスとかの邪智暴虐の王はこの物語になんの関連もない。
 それはそうとして、地蔵が動く目的そのものは気になる。

 というわけで、地蔵を追て数百メートルの道を進んできたわけだ。地蔵の速度は遅いし、季節は冬である。こちらの歩行速度も制限されるわけで、畢竟体内の筋肉組織細胞分子原子素粒子の活動も大幅な制限を受け、熱力学的に寒いのである。もはや寒さに耐えきれず、地蔵を追うのはやめにして居酒屋チン店で薄くて安ぽさ満開の酒精飲料で脳に暖かさの錯覚を惹起させようかと考えていた時、一発の銃声が鳴り響いた。
 昨今、我が町では東亜回天会直参唯心会二次団体浜林組とШД組系列の大共産人民会との抗争が激化している。シノギのいざこざが原因で浜林組が起こした大共産人民会若頭掘音の刺殺事件を皮切りとして、警察の厳重な警戒にもかかわらず双方の報復合戦が続いている。上部団体の東亜回天会とШД組の間で稲元組の幹部を介した手打ちに向けた動きはあるものの、現在も散発的に抗争は続いている。
「叔父貴の仇じ!」
 続けざまに発砲音がする。
 気づけば晴天である。空は青々と広がり、先ほどまで空を覆ていた鼠色の雲はどこかへ姿を消し去ていた。陽光が道に積もた雪を照らし、反射し屈折する光子が積み重なた氷の結晶を彩ている。鼠色と白色の陰鬱の世界から青色と透明の爽やかな世界へ。だがそんな爽快な色合いの世界も長くは続く、光り輝く白銀は真赤な鮮血へと染め上げられていく。怒声と呻きの奏でが静寂な世界を彩り、修羅羅刹の舞踏が目の前で上演されていく。それでも地蔵のぼぞぼぞぼぞぼというリズムは安定したbeat per minuteを雪の海原へと刻み続ける。鮮血銃弾ドス罵詈雑言そんなことは王道楽土極楽浄土の前には色族是空空即是色と言わんばかりに極道の遺骸にも目もくれず、助けを求める死にかけの身体をも踏みつけ、ただただ地蔵は歩みをやめず、それに感化されているわけでも信仰心を抱いたわけでもないのだが私もそれを見習て歩みをやめない。
 上空ではHong-20が旋回している。それに武器を手にした天使の群れがまとわりついている。まもなく、雪の代わりに天使の羽が舞い、降り積もてい浮くことだろう。
 七人の喇叭吹きが軽やかにスウングジズを奏でながら地蔵を出迎え、天上高くに響き渡るその音が蝗たちを呼び寄せてくる。ランダとバロンは今日も罵り合ており、ペトのアジ・ダハーカを探す貼り紙は電柱一本置きに張り付けられている。世界の荒廃は指数関数的に増加し、異常気象は異常が一周廻て正常になた。冬には灰が降らず、ちんと雪が降る。人間はだいぶ少なくなたが、救済を求めるものの数は減たわけではない。
 天から落ちてきた爆弾が、凄まじい光で世を照らし雪を融かしたとしても。
「久しいなマイトレーヤ」
 地蔵は静かにそういうと腰に差した刀を抜いた。
「クシテガルバか」
 後光を背にした影は意外そうに続けて呟いた。
「裏切るのか」
「仏の教えには飽いた」
 石仏の地蔵は笑みを浮かべたようにも見えた。
 その瞬間、地蔵は一気に跳躍した。

 ぼ

 時は56億 7000万年。
 そして季節は、冬である。
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