「また来年に来るよ」とタビが言った。電車の中から。
「約束だよ」とマチは言った。ホームの上から、鳥のような澄んだ声。「また僕に会いに来てくれるって」
　電車の扉がしまる。タビが頷いてから微笑んで手をふった。マチはうつむいて、さして長くはない髪の中に目を伏せた。
　タビはマチの住むこの街から去った。
　それが、夏の終わりのこと。
　あざやかだった季節から日常に戻り、あの喧騒が嘘だったかのように大人しくなった海岸沿いを歩いて、マチは学校へと通う。
　マチは、前と変わらない日々を過ごしていた。友人と遊び、勉強して、家族と過ごし、食べたり寝たり。秋も冬も。別になにかが悪いわけではない。前と一緒だ。
　ただ、ひとつのことをやめていた。
　だから友人からたまに言われる。
「なにかあったの？」
「いや、別に」マチは言った。「そういう気分」
「ふーん」友人が目を細める。「変なの」
　
　自宅。マチは教科書とノートを開いて机に向かっている。
　ノートの端にいたずら書き。黒い線を何本も引く。その横に1年後と文字を書き込んで、ため息をはいた。
　斜めを上をぼんやりと見る。手をあげて頭をかいた。

　春が来て、マチは別の学校に通う。友人は変わらない。でも、いくらか増えた。服装は毎日同じものを着るようになった。
　変わったことが多いけれど、夏に近づいていくことは変わらない。
　GWが過ぎて、梅雨があり、それからテストがあって、だんだんと暑くなってくる。週末の海岸には気の早い遊び人たちがあふれはじめていた。
　マチは鏡を見る。
　鏡には、1年前と変わったマチの姿が映っていた。
　切るのをやめた髪の毛は背中の上まで伸びていて、まるで女の子のようだった。
　大きく伸びた背丈とがっしりとした体格は、明らかに男性のものだった。
　鏡の中に映る、マチの顔が歪んだ。漏れた笑い声は、石のようだった。目の端に涙が浮かぶ。

　夏。
　マチは駅へ行かずに、髪を切った。離された黒い線たちが床に散らばる。
　タビが戻ってきたのかは、わからない。
　会いに行かなかった。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<了>

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