第18回 文藝マガジン文戯杯「Junction」
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猫はサワン
投稿時刻 : 2022.02.14 23:32
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猫はサワン
MOJO


 人は長く生き過ぎる。
 それが私の人生に対する偽らざる実感である。
 人間の平均寿命が、七十年を越えているなんて、快挙を通り越して怪奇としかいいようがない。他の種を見れば、犬は十年を過ぎるとお年寄り扱い。カラスやスズメ、ハトはどう見ても十年は生きそうにない。首都圏在住だから、牛、豚、あるいは馬の寿命には疎いが、彼等も人間ほどは長く生きないだろう。
 長く生きてもおかしくない種、例えば亀などは、永遠に生るのだ、といわれても違和感はない。水族館のゾウガメが、首をもたげ、口を半開きにしてじと動かずにいる。「悠久」という言葉が、あれほどぴたりはまる光景は、そうありはしない。
 日常の近辺にいる種では、なんといても猫にシンパシーを覚える。あのしなやかな身体で摺り寄られると、ほんの一瞬ではあるけれど、私は充足する。これから語るのは、ある猫との不思議な交友の思い出である。
 その頃、私は、東京の東はずれのJR駅ビルに隣接する、シピング・モールの一角にある惣菜を売る店で働いていた。朝の八時頃から、店の奥に設置された油釜に、冷凍のコロケやらメンチカツやらを放り込み、揚がた順にトレイに並べる。十時の開店の頃には、海老天やイカ天、かきあげ天なども、ガラスケースの内側に並ぶ。お向かいの漬物屋のおばちんが、箸を舐め々でかい梅干を大皿に並べ始めれば、シターが開くと同時に、デズニーランドふうの音楽が始まり、シピング・モールは全館一斉に開店する。
 当時の私が朝目覚めてまずしたこと、それは夢の反芻であた。目覚めたばかりの混濁した意識で、たた今まで徘徊してきた、私のもう一つの世界を視覚化し、枕もとに用意しておいたメモ帳に「魚」とか「テレパシー」とか書きつける。仕事を終えて帰宅してから、そのメモ帳を見ながら、こんなふうに書いてみる。

 私は、夜の漁港をさまよい歩いている。船着場には、数えきれぬほどの漁船が停泊し、夜の波に揺られ、互いに擦れあい、軋んだ音を発している。青魚の臓物のにおいが鼻につくが、漁港なのだからしかたがない。私は夜釣をするためにここに来たらしい。歩き回ているのは、竿をだすのに適当な所を捜しているはずなのだが、どういうわけか、私は手漕ぎの小舟で沖にでてきてしまた。リズムカルにオールを操り、これ以上先はない所まで小舟を漕いできた。見上げると満天の星々。海面は月明かりに照らされて光ている。まるで銀塊を粉状に砕きばら撒いたようだ。私は深夜の大海原の真々中で、誰かと交信している。話しているのではなく、交信しているのだ。海面からカツオのようなサバのような魚が顔を出し、私を見ている。私の交信相手は、あの魚であるらしい。私たちは、何かとても大切なことについて、テレパシーでやりとりしているようだ。なぜならあやつは魚のくせに目玉をますぐに私に向けていたから。魚ごときに言い負かされそうになた私は、だんだん腹が立てきた。私はその魚を小舟の上に引ぱりあげ、びくびく動くえらぶたあたりをがちり押さえこみ、包丁でカレーをつくるときの玉ねぎのように、細かく切り刻み、海面にばら撒いてしまた。すると、きらきらひかていた海面は、灰褐色に濁り始め、どこからか終末感を起想させる音楽が響き始めた。荘厳、といてよい調べに暫らく身をゆだね、私は小舟の上でじと動かずにいる。

 つまり、私はふてくされていたのである。
給料の良いホワイトカラーから脱落し、抗うつ薬を飲みながら、安月給でコロケを揚げる、サービス残業が当たり前の総菜屋店員に成り下がたのである。
「目覚めたら、次の眠りまで世の中に俺様の時間を貸してやる」
 そんなつもりで毎日を過ごしていた私だから、メモをとたあとの、ベドから洗面所までのほんの数メートルの足取りがおぼつかない。ワンルームマンシンの、狭い部屋が散らかている、というだけのことであるが、この散らかり方がひどい。CDやビデオ、衣類や食器、腐りかけている果物、靴、発泡スチロールのトレイになにやらこびりつき、茶褐色にかびて異臭を放ている。そんなこんなが、板張りの床一面に散乱し、起きぬけの少し遠い意識では、歩行が危険ですらあたのである。当時の私は、玄関に鍵をかけずに出勤していたから、帰宅してみると、靴やらダンボールの箱やらが挟まていて、玄関扉が半開きになていることがあた。そんなある日、あの猫は私の留守中に部屋に入り込み、そうとは知らずに帰宅した私をギとさせたのだた。
「またやらかしたか」
 半開きの扉のまえに立ち、私は溜息した。挟まている靴を足で玄関に戻し、扉を閉めると、部屋の奥でなにやら気配がする。私は緊張し、ユニトバスの扉横の壁にある室内灯のスイチに指を置いた。部屋に灯りが燈ると、小ぶりな虎ブチ猫が、クロートの下で、背中を三角にして私を見ていた。そう、あの猫は、衣類が山になている辺りで、ふーふーていたのである。
 緊張が弛みホとすると同時に、私はこの椿事を愉しむことに決めた。私が育た家には、常に猫がいたから、どうすれば唸らなくなるかを知ていたのである。まずは、玄関を閉め、猫の出口をふさぐ。そして、何事もなかたように振舞う。私はベドに寝そべり、テレビを点ける。猫のことは一切無視する。すると、猫は玄関の辺りでがさごそ音を立てている。出口がなくなて、困ている様子である。TV画面では、ジイアンツに移籍してきた清原が三振したが、私はひたすら猫の緊張が解けるのを待た。頃合をみて、冷蔵庫から塩鮭を一切れ出し、部屋の真中辺りに置いてみる。脱出不可能であることを悟たのか、猫は塩鮭に興味を示し、においを嗅ぐが喰おうとはしない。小ぶりな猫だが、下腹のあたりが膨れていて、孕んでいるようだ。そのうち、猫は部屋のあちこちを物色し始め、クロートに入り込み、出てこなくなた。
 清原は次の打席も凡退し、私はクロートにそと近づいてみた。なかを覗くと、猫は私を見ようとしなかたが、両耳を水平に寝かせていて、これは服従、あるいはリラクスのサインである。人差し指で、喉の辺りを触ても嫌がらない。暫らくそうしているうちに、猫はあのごろごろ音を発し、私の掌を甘噛みした。私は猫を抱き取り、ベドに戻た。あお向けに寝て、猫を胸の上に置き、その前足を閉じた瞼の上にのせてみる。ごろごろ音が私の肋骨に響く。そして、猫の肉球は、かつての凄腕文章家が表現したように、ひんやりとして心地よいものであた。
 あの日以来、私はあの猫をよく見かけた。私は惣菜屋の店員だたから、残り物の小鯵南蛮や、鉄火巻きの具を持ち帰り、あの猫を見つけるとその場で与えた。そのうち、帰宅した私がマンシンのエントランス付近まで来ると、あの猫は必ず現れるようになり、耳を水平に寝かせ、私の足もとに擦り寄てくるようになた。腹はますます膨らみ、出産はもう間近のようだ。
 ところが、とんでもない不幸が彼女を襲い、それを知た私は、どうしても彼女の危機を傍観できなかたのである。
 五月の連休中に、彼女は災難に見舞われた。当時、私のマンシンには、管理人室があたが、管理人は常駐しておらず、その部屋は、週に一度、メンテナンスに来る管理会社の人の道具を置く倉庫になていた。
「連休中につき、次の巡回日は某日です」
 そんな貼り紙を気にしてはいたが、まさかあの猫が閉じ込められるとは、思てもみなかた。おそらく、あの猫は、管理会社の人がメンテナンスの道具を出し入れしているうちに、中に入たのだろう。私がそれに気がついたときは、連休前の巡回日から数日経ていて、次の巡回日は一週間以上先だた。私には連休はなかたから、朝の出勤時に、管理人室の中から、意外なほど野太い猫の鳴き声が響いてくるのを聴いた。夜、帰宅してみると、猫はまだ鳴いていて、私の気持ちを重くした。
 翌日は店の定休日だたが、私は出勤する日より早く起きて、様子を見にエントランスに下りた。管理人室の外壁に耳をあてがうと、猫はやはり鳴いていたが、その弱々しい鳴声から、憔悴しているのは明らかである。さらに、その後ろから、細い、本当にか細い別の鳴声も聴こえてくる。そう、あの猫は、閉じ込められたまま仔を生んだのである。
 部屋に戻り、午前九時になるやいなや、管理会社に電話してみると、テープが回ていて、そのテープが示す緊急用の電話番号にかけなおしてみても、同じテープが回ている。
 私はベドに寝ころんでじとしていた。きと眉間にはしわが寄ていたに違いない。日が西に傾いた頃、心中でぽとり、と何かが落ちる音を聴いた気がした。それと同時にベドから起きだし、ハンマーを持て管理人室へ降りて行き、扉の前に立ち、ドアノブを見つめた。
 あれ以来、あの猫は姿を現さない。もしかすると、既にこの辺りにはいないのかもしれない。しかし、ほんのいときにせよ、あの猫はふてくされの私を癒した。きと何処かの森で、野ネズミや野鳥を捕獲しながら、数年で土に還るのであろう。私はそう思うことにした。その結末は私を和んだ気持ちにさせた。

 さて、話としてはここで終わると体裁が良ろしい。でもせかくだから、もう少し実際に起きたことの成り行きを聞いてほしい。
 つまり数週間後、私はあの人懐こい野良猫と再会したのである。三階にある私の部屋まで上がる階段の二階踊り場付近に、あの猫は耳を水平に寝かせながら現れた。
「おや、どうしていた?」
 私は和んだ気持ちになたが、あの猫は擦り寄てこない。鳴きながら、少しづつ私から離れ、振り返る。振り返りつつまた離れる。角の空き部屋の、ガスや電気のメーターが設置された機械室の扉が開いていて、どうやらそこに来い、と私を呼んでいるようだ。機械室の中を覗くと、そこはボロ雑巾を敷きつめた寝床になていて、虎ブチや三毛や黒白の仔猫たちが眠ていた。私は近くのコンビニで彼女のために猫缶を買い、私のために缶ビールを買た。
 数日経つと、あの猫は仔を連れてエントランス付近に現れるようになた。仔猫たちの食欲は旺盛で、私の持ち帰る残り物の惣菜をうーうーと唸りながら喰た。しかし仔猫たちは、母親がそうするように、私に擦り寄てくることはなかた。
 毎年、梅雨の頃になると、あの猫の仔たちが、エントランス横の植え込みに咲いた紫陽花にじれついていたことを思いだす。無彩色の周りの風景に、そこだけ切り取て貼り付けたような、紫陽花の青紫が鮮やかだた。
 私といえば、未だにふてくされが治らないが、あれ以来、猫が部屋に来たことはない。

                〈了〉

参考文献、井伏鱒二『屋根の上のサワン』
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