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第22回 文藝マガジン文戯杯「さようなら」
〔 作品1 〕
さよならにまつわる記憶・少年時代
(
MOJO
)
投稿時刻 : 2023.02.14 00:26
最終更新 : 2023.02.14 01:36
字数 : 5023
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2023/02/14 01:36:28
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2023/02/14 01:35:53
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2023/02/14 01:15:54
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2023/02/14 01:14:23
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2023/02/14 01:08:07
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2023/02/14 00:26:28
さよならにまつわる記憶・少年時代
MOJO
転校の多い少年時代であ
っ
た。
引
っ
越しを繰り返す家に育
っ
たから。
金勘定の出来ない母親が家のことを取り仕切り、消費者金融や街金融からの借金が嵩んで家を売り清算することを繰り返していたから。
東京、埼玉、千葉にまで跨がり住居は変わ
っ
てい
っ
た。
いま考えると、母親は発達障害を持
っ
て生まれてきたのかもしれない。他のことは概ね問題ないが、金の出し入れが上手く行かなければ、延々と不如意が続き、それが当たり前の環境で育
っ
た僕は、人生というものに期待しなくなる時期が、他の者より早か
っ
たように思う。
小学校を卒業して中学に上がると、学校には知る者がひとりもいなか
っ
た。春休みに東京都練馬区から埼玉県新座市に引
っ
越したのである。
知る者がいない利点も在る。それはリセ
ッ
トが出来ること。子供であ
っ
ても人間関係というものは煩わしく、そういうしがらみがない状態であ
っ
たから、人格、性格的なものも、自ら設定し演じることが出来た。黒い学生服を着るタイミングは、リセ
ッ
トに適していたように思う。思春期の始まりで、骨格が大人びてきて、声変わりの時でもあ
っ
た。
リセ
ッ
トは上手くい
っ
たようで、学校に行くことが楽しか
っ
た。しかし、それが長く続かないことは経験則から判
っ
ていた。どうせまた何処かに引
っ
越し、次のリセ
ッ
トは今回のようではないであろうことも。
良いことのあとにはそうでないことが起きる。そういう世の理のようなものは既に理解していた。
練馬区と新座市は、地理的には隣接していたが、学業のレベルのようなものが違
っ
ていた。練馬区では凡庸に毛が生えた程度の成績だ
っ
たのに、新座市では優等生と云える成績であ
っ
た。
部活では、最も小さな大会で予選落ちするような弱小水泳部に所属し、それゆえ一年生から試合に出ることが出来た。
二年生になるとガー
ルフレンドらしきもできた。
その少女はテニス部に所属していた。互いの部室が近く、競泳用のパンツを穿いてプー
ルサイドに向かう僕には、白いテニスウ
ェ
ア姿の彼女の胸のふくらみや膝上から伸びる脚が眩しか
っ
た。
ある日、その少女と豊島園に行くことにな
っ
た。デー
トというやつである。
僕等は流れるプー
ルで泳ぎ、プー
ルサイドでの昼食は彼女がつく
っ
てきたツナサンドであ
っ
た。暑い季節で、食パンに挟まれたツナから微かに傷んだ匂いがしたが、僕はそれに気付かぬふりをし、ガ
ッ
ツリ頬張りながら少女の瞳を見て「美味い」と言
っ
た。
プー
ルから上が
っ
た僕等は、今でいう絶叫マシンに乗
っ
た。隣に座る少女は、最初の坂を下るあたりから僕の肩に顔を埋め、それはマシンから降りるまで続いた。
ある日、母親から引
っ
越しをすることを告げられる。
二年生の三学期から、別の中学に通うことになるらしい。
二学期最後の日、昇降口の下駄箱で上履きからスニー
カー
に履き替える際、豊島園に行
っ
た少女から手紙を受け取
っ
た。
帰宅し、二階の自室に上がり読んでみる。
便箋は白く、縦書きの文字は青か
っ
た。文面は他愛のないものであ
っ
たが、異性から手渡しで手紙を受け取
っ
た経験はそれが初めてで、僕はとても嬉しか
っ
た。
転居先の最寄り駅は小田急線の参宮橋であ
っ
た。
新居の近所に劇団四季の稽古場があり、舞台女優と思しきキレイなおねえさんたちが付近を歩く姿をよく見かけた。
冬休みを新居で迎えた僕は、ラジオのFM局にリクエストのハガキを送
っ
た。リクエスト曲はニ
ュ
ー
・シー
カー
ズの『恋するハー
モニー
』で、三学期から新しい学校です。いろいろ心配です。などと添え書きした。ダメ元でレコー
ドをくださいとも記した。ラジオ局にハガキを送
っ
たのはそれが初めてであ
っ
たが、デ
ィ
スクジ
ョ
ッ
キー
に読まれ、『恋するハー
モニー
』がトランジスタラジオの小さなスピー
カー
から聴こえてきた。数日後、レコー
ド会社がラジオ局へのデモ用につく
っ
たと思われるドー
ナツ盤の、中心部にレー
ベルやアー
テ
ィ
スト名が記されていないものが数枚送られてきた。レ
ッ
ド・ツ
ェ
ッ
ペリンの『移民の歌』やザ・フー
『無法の世界』も含まれていた。
『恋するハー
モニー
』はコカ・コー
ラのテレビCMにも使われ、老若男女に広く認知される楽曲とな
っ
た。
三学期が始ま
っ
た。
登校初日に教壇の先生の横に立ち、自己紹介をして、先生に促された席に付く。小学生の頃から幾度となく経験している儀式とはいえ、やはり緊張する。
数週間が経ち、警戒するべきはどの生徒かを概ね把握した頃、
「ねえ、もしかしてFMにリクエスのハガキを送らなか
っ
た? デ
ィ
スクジ
ョ
ッ
キー
が読んだ名前とあなたの名前が同じだ
っ
た気がするの」
隣席の女子生徒からそう訊かれ、あれは自分であると応えた。
その少女を、毎夕のテレビ公開放送「銀座ナウ」で、カメラが客席に向く際に見かけることが度々あ
っ
た。
「西城秀樹はテレビで見ると素敵だけど、実物は手脚が長すぎて蜘蛛みたいなの」
少女はそんなことを呟いた。
渋谷区立代々木中学は、学業を優先させていたようで、放課後の部活がなか
っ
た。僕の成績も凡庸に戻
っ
てしま
っ
た。
三年生にな
っ
ても親しくしたいと感じる者は現れなか
っ
た。秋にな
っ
て、僕は二年生の二学期までいた新座市の中学の文化祭に遊びに行
っ
た。
夕方から旧友の部屋に四人が集まり、生まれて初めて酒屋に入店し、買
っ
たサントリー
レ
ッ
ドを湯呑み茶碗に注ぎストレー
トで飲んだ。その友人の父親はある企業の独身寮の寮長で、友人は寮の端の部屋をあてがわれ、ゆえに親の監視から遠か
っ
た。
赤茶色の液体はとても苦く、大人たちがこんなものを飲む理由が分らなか
っ
たが、僕は美味いよな、などといきが
っ
てぐいぐいと飲んだ。
最後の日に昇降口で少女から手紙を貰い、文通は今も続いている、と僕は自慢する。あの女は誰にでもそうする、などと言う者がいた。
「今でも付き合
っ
ているのか?」
「いや、文通だけさ」
そういえば、彼女は昼間、顔を合わせても素
っ
気なか
っ
た。文通という秘密を共有しているからだと思
っ
ていたが、初めての酒盛りで、それをあ
っ
さりバラしてしまう僕はどうかしている。き
っ
とサントリー
レ
ッ
ドのせいだろう。
日が落ちて随分時間が経
っ
た頃、ボトルが空いて、パー
テ
ィ
は終わ
っ
た。初めて飲んだウイスキー
はとても効いて、僕は友人宅から西武池袋線のひばり
ヶ
丘駅まで歩く途中、真
っ
直ぐに歩けずに何度も転んだ。
終点の池袋駅に着いて、山手線のホー
ムまで移動する際も千鳥足であ
っ
た。
新宿駅に着き、小田急線各駅停車のシー
トに座ると、安心した僕は眠
っ
てしま
っ
た。
参宮橋は新宿からふたつ目の駅だが、遥か離れた柿生という駅で、駅員から肩を揺すられ起こされた。この車両はもう基地に入るので降りてほしいと駅員は言
っ
た。
駅舎の時計は午前零時を示し、既に上りの最終が停車する時間は過ぎていた。
おぼつかない足取りで無人の改札を抜ける。目抜き通りにはシ
ャ
ッ
ター
が閉ま
っ
た店舗がぽつりぽつりと在
っ
たが、百メー
トルも歩くと、道の両側にはススキが茂る野原が広が
っ
ていた。電話ボ
ッ
クスを見つけることは出来たが、財布の中は空で十円玉ひとつさえなか
っ
た。
仕方なく、駅に近い派出所に入
っ
て、家に帰るタクシー
代を貸して欲しい、と警官に頼んでみた。
警官は僕の願いには応じず、どこかへ電話をかけた。数分後にはパトカー
が派出所に横付けされた。黒い学生服姿の中学生はパトカー
の後部座席で両腕を警官たちに抱えられ、神奈川県警登戸警察署まで連行されたのである。
取り調べ用の小部屋に連れて行かれ、少年課の課長に調書を取られた。まともに呂律がまわらない僕は、課長からボー
ルペンでアタマをビシピシと叩かれた。
午前二時を過ぎた頃、
切羽詰ま
っ
た声が署内に響いた。母親が迎えに来たのである。
神奈川県警からや
っ
と放免され、タクシー
で帰宅すると午前三時を過ぎていた。
学校に通報されるのだろうな。高校受験での内申書に響くのだろうな。やはり良くないことが起きる順番だ
っ
たのだな。
眠りにつくまでのベ
ッ
ドで、そんなことが去来してきた。しかし、その件で職員室から呼び出しを食らうことはなか
っ
た。
受験では第一志望には受からず、滑り止めの男子校に通
っ
た。
その高校は仏教系の新興宗教団体が建てたもので、全ての教室にエアコンが設置されていて、学食も安く美味か
っ
た。その他諸々、設備が整
っ
ているわりには、月謝は都立高校に毛が生えた程度であ
っ
た。附属中学があり、そこから上が
っ
てくる生徒の親は信徒であ