◆hiyatQ6h0cと勝負だー祭り2025秋
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柿食えば
投稿時刻 : 2025.10.31 21:35
付記更新 : 2025.10.31 21:39
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目次
1. 第1章アクアいちかわ卒業
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柿食えば
根岸 豪志


第1章アクアいちかわ卒業

ponzi。50歳。ワナビ作家、研究者、ミジシンという三つの肩書を持つ彼は、常に「自分の人生はこれからだ」と信じて疑わなかた。しかし、半世紀生きてなお、就職活動、恋愛結婚、文学賞受賞といた世間的な成功の指標は、何一つとして彼の人生の棚に並んでいない。夢という名の船は、岸から離れられないまま、50年の歳月を経て座礁寸前だた。
​その座礁しかけた船に、図らずも「追い風」が吹いた。それが、彼が過去三年間を過ごしたB型事業所「アクアいちかわ」からの卒業宣告だた。
​社長室の窓には、真新しい春の光が差し込み始めていた。向かいに座る社長は、丸顔に優しさと、どこかホとしたような安堵の表情を浮かべている。
​「ponziさんはもうB型事業所卒業ですね。思えば、わたしがまだ『リスタートいちかわ』で下積みをしていた頃からの長い仲。アクアのスタートアプメンバーでもありました。約三年の付き合いですか。大変、思い入れがあります」
​社長の言葉は、ねぎらいに満ちていた。しかし、ponziにはその裏にある真意も痛いほど理解できた。
​アクアいちかわは、生活の安定と就労訓練を提供する場所だ。だがponziは、与えられた作業よりも、事業所内の静かな環境を「創作のための時間」として利用した。納期のある仕事より、自分の「哲学的な思索」を優先し、職員の指示には独自の「アーストとしての見解」で反論した。他の利用者との協調性に欠け、時に場の空気を乱すトラブルメーカーであたことも自覚している。
​分かりやすく言えば、これは厄介払いだ。運営側からすれば、「もうこれ以上、この才能を持て余した50歳児の扱いに頭を悩ませたくない」という、疲弊した本音の表れだろう。
​しかし、ponziはそれを「屈辱」としてではなく、「天命」として受け止めた。
​「約三年間、社長には本当にお世話になりました。そうですね、わたしも人生の次のフズに足を踏み出す時期かもしれないですね」
​彼は敢えてその「厄介払い」という本音には突込まず、社長の言葉を、自らを「一般就労という、より高いステージ」へと押し上げるための「昇進祝い」のように解釈した。
​50歳という年齢。障害というハンデプ。そして、蓄積された失敗の数々。にもかかわらず、ponziの内側には、未だに尽きぬ情熱と自己肯定感がマグマのように滾ていた。B型事業所という『守られた檻』から解放された今こそ、彼は、このマグマを一気に噴き出させ、人生を劇的に変える「第二の青春」を始められると信じた。
​「社長には感謝しています。アクアでの三年間は、次の飛躍のための『充電期間』だたと思ています。これからは、わたしの持つ創作性、研究心、そして知性を、一般社会の荒波の中で試してみたい」
​ponziの言葉には、演技ではない、本物の決意が宿ていた。彼は、この卒業が、単なる職場移動ではなく、『人生の停滞』からの『強制的な脱出』であることを直感的に悟ていたのだ。
​社長はponziの熱に押され、少し戸惑いながらも深く頷いた。
​「ponziさんが一般就労でも成功できるよう、心から願ています。あなたの才能は本物だ。ただ、そのエネルギーを、どうか『社会と協調する方向』に向けていただきたい」
​社長は、最後の忠告を込めて、地域の就労支援センターの名刺を差し出した。
​「次のステプの相談は、『センターさんかく』の吉川さんが良い。私の昔からの知人で、非常に親身になてくれる。あなたの持つ『飛び抜けた個性』を、『活かす道』を見つける手助けをしてくれるはずですよ」
​ponziは名刺を受け取り、その冷たい紙の感触を、新たなミンの「招待状」だと感じた。
​「ありがとうございます。吉川さんには早速、わたしの『50歳からの人生設計』を熱く語てこようと思ています」
​彼は、社長室を出ると、冬の空の下、深く息を吸い込んだ。
​過去の失敗は、すべて壮大な物語のプロトに変わる。
​「厄介払い」をされた? 結構。それは、「あなたは、この場所には収まりきらない」という、社会からの裏返しの賛辞なのだ。
​50歳からの再出発。それは、「もう一度、人生をゼロから書き直す」という、ワナビ作家として、最高にエキサイテングなテーマだた。
#改ペー
第2章センターさんかくでの相談

アクアいちかわの扉を後にし、ponziは、自宅アパートで数日間、自身の「第二の青春」の戦略を練り上げていた。50年の人生で得たすべての知識、失敗、そして未だ消えない情熱を、どうすれば「社会的な成功」という形に昇華できるか。その答えを携え、彼は地域の地域活動支援センター「センターさんかく」のドアを叩いた。
​相談室は、白く明るい光が満ち、壁には利用者たちの手による前向きなメセージが飾られている。今日の面談相手は、吉川さんとみゆちんの二人。吉川さんは、眼光に鋭さを持つベテランの相談員。みゆちんは、親しみやすい笑顔を浮かべる精神保健福祉士だ。
​席に着いたponziは、早速、練り上げたプランを披露したい気持ちで逸ていたが、吉川さんの問いかけは、彼の熱意よりもまず「安全」を優先するものだた。
​「いかがですか、ponziさん。主治医の先生はなんとおているのですか?」
​吉川さんの質問は、支援の『レール』に乗せるための、最も基本的な確認だた。
​ponziは、主治医の言葉を、少しばかり残念そうに、しかし正直に口にした。
​「主治医の先生は『一般就労に行くにしても、まずは障害者雇用にすべきだ』とおています」
​彼にとて「障害者雇用」とは、自分の可能性に「制限」をかけることのように感じられた。だが、『安全を確保する』という主治医の真意は理解できる。彼はその「制限」を、『飛び越えるべき最初のハードル』と解釈することにした。
​吉川さんは、ponziの顔色を伺いながら、淡々と現状の支援範囲を説明する。
​「そうですか。先生の意見は、あなたの体調を考えれば妥当です。私たちセンターさんかくも、A型事業所、もしくは障害者雇用の求人であれば、紹介や面接対策のお手伝いができます」
​吉川さんは、そこで言葉を切た。
​「ですが、ponziさんが目指す、フルタイムの『一般就労(健常者枠)』となると、話は変わてきます。基本的には、そうした就職先は自力で探してもらうしかない。私たちは生活の安定を第一に考えていますので、いきなり大きなリスクを取ることは推奨していません」
​みゆちんも、やんわりとした口調で補足した。
​「まずは、ゆくり、『スモールスタート』で。体調に負担のない範囲で、社会との繋がりを再構築していくことが大切ですよ」
​吉川さんとみゆちんの言葉は、冷静で、良識的で、彼を気遣う優しさも滲んでいた。しかし、ponziの頭の中には、すでに「スモールスタート」では到底収まらない、壮大すぎる「プロジクト・オリンポス」の設計図が完成していた。
​「リスクを恐れていては、真の人生の逆転は成し得ない」
​彼は、吉川さんたちの安全なレールから降りることを決意した。この場で、自分の熱意と具体性を示すことが、彼らからの真の協力を勝ち取る唯一の方法だと直感したのだ。
​ponziは、衝動的に立ち上がた。彼の顔には、アクアで「厄介払い」と見られたエネルギーが、今度は「挑戦者の自信」として溢れている。
​「吉川さん、みゆちん。お気持ちは感謝します。ですが、わたしがこの50歳で目指しているのは、単なる『就職』ではありません。これは、わたしという人間が、50年間の失敗をすべて回収し、社会に貢献するための、『人生総決算のグランドデザイン』なんです」
​彼はそう宣言すると、おもむろに、相談室の壁に設置された大きなホワイトボードに向かい、ペンを取り出した。
​「わたしには、ワナビ作家、研究者、ミジシンとして培てきた、多角的な創造力という武器があります。これを、一般社会の『知恵と企画力』が求められる分野で爆発させたい」
​彼はボードの中央に、力強い線で円を描き、それを複数のセクターに分割し始めた。まるで、一国の未来図を描く戦略家のように、迷いのない筆致だた。
​「主治医の『障害者雇用』という助言も、吉川さんの『安定志向』も、理解できます。ですが、わたしは『制限』を『足かせ』ではなく、『跳躍台』として利用したい。わたしは今、最もエネルギーが満ちている。この熱を、社会を動かす力に変えてみせます!」
​ホワイトボードは、瞬く間に、タイトル、目標、ステプ、予算、そして「リスク回避策」まで含んだ、綿密な計画図へと変貌していた。ponziの語り口は、もはや相談ではなく、未来の投資家に対する熱烈なプレゼンテーンそのものだた。
#改ペー
第3章僕の人生、そう自分の人生

​ホワイトボードの前で、ponziは自信に満ちた笑顔を浮かべた。黒いマーカーが描く線は、もはや単なる図ではなく、彼の50歳からの未来を切り拓く設計図そのものだた。
​「わたしが目指すのは、人生の『逆転満塁ホームラン』です。そのための戦略を、三つの柱で構成しました。名付けて『プロジクト・フクス』――再生と飛躍の計画です!」
​彼はまず、ボードの中央に「目標:創造性を活かした正社員就労と、表現活動の確立」と力強く書き入れた。
​そして、図の左側に「柱一:知的武装とキリアチンジ」のセクシンを設けた。
​「まず、最も重要な一歩、大学院への進学です。わたしのような大学中退者でも、『社会人選抜』という形で門戸を開いている大学院が増えています。特に、慶應、立教、日大といた社会科学系や文系の大学院は、多様な実務経験を持つ社会人を積極的に求めている」
​吉川さんとみゆちんは、真剣な面持ちでペンを走らせる。
​「大学院は、最短で博士課程3年間、学費はざと200万円程度。これは、学部からやり直すよりも時間的、経済的に効率が良い。通学期間中は、アルバイトで学費と生活費の一部を賄い、残りは現在保有している資産を計画的に取り崩して充当します」
​ponziは、なぜこの道を選ぶのかを熱く語た。
​「これは単なる『学歴ロンダリング』ではありません。大学院で、わたしが長年培てきた『独学の研究成果』を、『現代社会に通用する論理的・学術的な形式』へと洗練させる。これにより、50歳からのキリアチンジに必要な『知的な説得力』と『最新の知見』を獲得します。これは、わたしの持つアイデアと企画力を、企業が欲しがる『付加価値』に変えるための、戦略的な『資格取得』なんです」
​続いて、図の中央に「柱二:ライフワークのプロ化」というセクシンが描き足された。
​「次に、作家、研究者、ミジシンとしての活動。これも大学院、アルバイトと並行して継続します。これまで『ワナビ』で終わていた原因は、『生計を立てるための努力』を怠たからです」
​彼は、自身の過去の失敗を正直に認めた上で、前向きに変換した。
​「小説や音楽というのは、わたしの人生を『記録し、表現し、そして社会と対話する』ための不可欠なツールです。文学賞の受賞にこだわるよりも、『読者や聴衆と直接繋がる』ことを重視し、自費出版やインデズ活動を通じて、『独自の世界観』を確立し続けます。これにより、就職活動の際、企業に対して『一貫したクリエイテブな実績』を示すことができます」
​そして最後に、すべての目標の頂点に当たる右側に、「柱三:創造的職務への着地」が記された。
​「柱一と柱二で得た『知的な権威』と『クリエイテブな実績』を引提げ、最終的には、『創造的思考』が活かせる分野での一般就労を目指します。具体的には、大学職員、出版社やIT企業の企画・編集職、あるいは企業のブランデング部門です。この年齢とバクグラウンドだからこそできる、既成概念に捉われないアイデア出しが、わたしの最大の強みになると確信しています」
​ponziはマーカーを置き、深呼吸した。ホワイトボードは、相互に連関し、すべてが最終目標に繋がる緻密で壮大なネトワークとして完成されていた。
​「この計画は、『失敗しても戻る場所がない』というリスクを抱えています。だからこそ、わたしは『逃げ道のない人生』を最高にエキサイテングなものに変える覚悟を決めました。これは、『生活の安定』と『自己実現』を両立させるための、50歳の男の人生を賭けた、唯一無二の設計図です!」
​相談室に再び静寂が訪れる。
​ponziの熱弁、そしてボードに描かれた圧倒的な具体性と実行への執念に、吉川さんとみゆちんの目には、驚きと感嘆の色が浮かんでいた。
​吉川さんは、眼鏡を押し上げ、そして、みゆちんと顔を見合わせた。
​「……おお!」
​みゆちんが、感嘆の声を漏らした。それは、単なる「すごい」ではなく、「この人なら本当にやり遂げるかもしれない」という、期待のこもた歓声だた。
​吉川さんは、ponziの顔をじと見つめた後、ゆくりと口を開いた。彼の声には、先ほどの冷静な支援者のトーンに、「一人の人間」として感銘を受けた熱が加わていた。
​「ponziさん。あなたの情熱と、この綿密な計画には、正直に言て感服しました。特に、『知的武装をキリアチンジに繋げる』という発想は、非常に論理的です。ですが、だからこそ、この情熱と才能を、絶対に潰してはならない」
​吉川さんは、ボードの図を指さしながら、具体的なリスクとその対策について、さらに深く踏み込んだ質問を始めた。
#改ペー
第4章リスクと哲学

​吉川さんは、ホワイトボードの壮大な図を指さしながら、ponziに問いかけた。その声には、単なる支援者としての懸念だけでなく、この挑戦を成功させてほしいという願いが込められていた。
​「ponziさん。あなたの情熱と、この綿密な計画には、正直に言て感服しました。ですが、だからこそ、この情熱と才能を、絶対に潰してはならない。この『プロジクト・フクス』は、『資産の取り崩し』を伴います。もし、大学院進学やアルバイトが立ち行かなくなた場合、『生活のセーフテト』はどうなるのですか? 再び体調を崩すリスクを、どう乗り越えるおつもりですか」
​吉川さんの問いは、「理想を現実にするための最後の壁」だた。
​ponziは、深く息を吸い込んだ。彼は、吉川さんの懸念を理解した上で、自らの「覚悟」を伝える必要性を感じていた。
​「吉川さん。ありがとうございます。この問いこそ、わたしがこの場で最も答えたかたことです。たしかに、この計画は『退路を断つ』ことを前提としています。わたしにとて、『セーフテト』は、『いつか逃げ込める言い訳』になてしまう」
​彼は、ホワイトボードの隅に小さく書き足した。
​『リスク=覚悟』
​「わたしがこの人生で憧れるのは、『自分の実力と信念のみに生きる』人々の姿です。わたしの理想は、哲学者の中島哲史先生のような生き方。彼は、既成の学問体系や大学組織の論理に囚われることなく、そのずば抜けた哲学性、創造性、独自性により、予備校講師として大変な人気を博しました。一方で在野の哲学者として、生涯を賭した偉大な研究を続けている」
​ponziの瞳は、輝いていた。それは、彼の「第二の青春」を貫く哲学そのものだた。
​「その権威に迎合せず、清貧を美徳とし、ただおのれの実力のみに生きている人生観に痺れます。はきり言てかこいい。これは、『自分の創造力こそが最大の資産である』と信じ抜く、真の自立の姿です」
​みゆちんは、目を輝かせながら頷いている。彼女の目には、ponziが描く「理想の自分」の像が、確かに魅力的に映ているようだた。
​「思えば、わたしが憧れるヒーローたちは、みなそうでした。サカー監督の故イビツ・オシムさんは、常識を覆す『考えるサカー』を貫いた。スロベニアの哲学者、スラヴイ・ジジクさんは、アカデミズムの殻を破り、世界を相手に思考の挑戦を続けている」
​彼はさらに、世界的なリーダーたちの名前を挙げた。
​「元中国国家主席の胡錦濤さん、元アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマさん。彼らは巨大な権力構造の中にありながらも、既得権益に背を向け、リスクを取て面白い生き方をした人たちばかりです。ponziさんがどこまでやれるかは未知数ですが、彼らの姿勢から学んだのは、『リスクを負わない人生に面白さなんてない!』ということ」
​「この計画が破綻すれば、生活は苦しくなるでしう。ですが、その『清貧』な状況こそが、わたしの創造性の原動力になる。わたしは、『生活のすべてを賭けた挑戦』を、『人生をかけた最高の物語』として完成させる覚悟です。これが、わたしの『Bプラン』です。すなわち、『Bプラン』は存在しない、成功あるのみ、です」
​ponziの熱弁が終わると、相談室には深い沈黙が訪れた。彼の哲学は、「安定」を求めるセンターさんかくの支援の理念とは真向から対立するが、彼の覚悟の深さは、吉川さんの心を強く揺さぶた。
​吉川さんは、静かに目を閉じた後、ゆくりと開いた。彼の顔には、諦めではなく、決意の色が浮かんでいた。
​「ponziさん。あなたの『哲学』と、『物語を生きる覚悟』、しかと受け取りました。私たち支援者の役割は、『あなたの人生を勝手に修正すること』ではない。『あなたが選んだ道を、最も安全かつ着実に進むための戦略を、共に考えること』です」
​彼はホワイトボードの『プロジクト・フクス』を指さし、表情を引き締めた。
​「分かりました。あなたには『セーフテト』は必要ないのかもしれない。だが、『リスクの最小化』は必要です。明日以降、この計画を成功させるために、具体的な大学院の情報、費用対効果の高いアルバイト先の選定、そして月々の資産の取り崩し計画について、一緒に詰めていきましう。あなたの『物語』を、『現実の成功談』に変えるために、私も全力を尽くします」
​こうして、ponziとセンターさんかくの協働が始また。それは、「理想を追う情熱」と「現実を支える知恵」が手を組んだ、50歳からの奇跡の物語の、確かな一歩だた。
#改ペー
第5章柿食えば

センターさんかくからの帰り道。
​ponziの胸中は、数時間前の激論の熱と、吉川さんから得た「確かな協力」への希望で満たされていた。「プロジクト・フクス」は、もはや単なる空想ではなく、プロの知恵と共同作業で実現を目指す、具体的な戦略へと昇華したのだ。
​「『物語を生きる覚悟』、しかと受け取りました」
​吉川さんの、あの力強い言葉が頭の中で反芻する。リスクは大きい。退路はない。だが、そのリスクを承知の上で、吉川さんは「戦略を共に考える」と手を差し伸べてくれた。ponziは、孤独な挑戦者から、初めて信頼できる伴走者を得た感覚を覚えていた。
​そんな高揚感の中、彼の足は無意識のうちに、地域の安売りスーパーBig-Aへと向かていた。
​店内は、夕暮れ時の生活感に満ちている。レジに並ぶ主婦、疲れた顔のサラリーマン。彼らが手にしているのは、吉川さんが説いた「安定して生き延びる」ための、地道な努力の対価だ。
​青果コーナーで、彼は鮮やかなオレンジ色の果物を見つけた。
​柿だ。一個98円。秋の終わりに、太陽の最後の光を凝縮したかのような、円熟した色合い。
​ponziは迷いなく、最も色の良い柿をいくつか選んでカゴに入れた。彼は柿が大好きである。その甘さと、わずかに残る渋み。人生の機微をそのまま映し出したような味わいだ。柿はビタミンCが豊富で、秋のほんの短い期間しか取れない貴重な食べもの。干し柿も美味しいし、柿を剥いた皮を天ぷらにして揚げると、これまた美味なのだ。
​手に持た柿のずしりとした重みが、吉川さんが再確認させた「生活」のリアリテを、温かく伝えてきた。
​彼は、グループホームに帰て、すぐに世話人さんに頼んで剥いてもらおうと思た。柿の皮を丁寧に剥く、その静かで地道な作業を見つめることで、彼はいつも、ある大切な記憶を呼び起こしていた。
​それは、彼が20代のころ、精神的な挫折で完全に自信を失い、廃人同然の生活を送ていた時期のことだ。その頃、彼を献身的に支えてくれたのが、父親代わりだた弁護士の山本隆夫先生だた。
​ある日、山本先生は、彼の前で食後のデザートの柿を剥いていた。分厚い法律書や判例集を読み込む鋭い視線が、今は目の前の丸い柿に注がれている。その手の動きは、地道で、丁寧で、決して急がない。
​剥き終わた柿をponziに渡し、先生は豪快に笑いながら語りかけた。
​「おい、ponzi。東大だー、弁護士だーて威張たところで、人間はしせん、こういう地道なことをしないと生きて行けないんだ(笑)。お前が目指してる『偉大なこと』も、結局は、目の前のこの『地道な作業の積み重ね』の上にしか成り立たないんだよ」
​20年以上前のことだ。当時のponziは、「地道なこと」を徹底的に嫌い、一足飛びの成功だけを夢見ていた。しかし、今、「プロジクト・フクス」を掲げた50歳の彼は、山本先生の言葉の本当の重さを理解し始めていた。
​壮大な理想(フクス)を語り、リスクを負う(哲学)。それは「かこいい」。だが、その理想を支える基盤は、毎日柿の皮を丁寧に剥くような、地道で、丁寧で、決して妥協しない日常の営みの上に築かれるのだ。
​吉川さんとの協働も、大学院での研究も、アルバイトも、すべてはこの「地道なこと」の積み重ねだ。
​ponziは、手に持た柿を握りしめた。
​「柿食えば、鐘が鳴るなり、法隆寺」。
​彼は、その明治時代の俳人、正岡子規の俳句をもじて心の中で呟いた。
​「柿食えば、われわかるなり、人生観」。
​50歳からの再出発は、派手な花火ではない。それは、時間をかけて大地に根を張る、地道な、しかし確かな一本の樹を育てる作業なのだ。彼は今、その最初の種を手に入れた。
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