創作板勝負だー祭り2026春
〔 1 〕«〔 作品2 〕
サンクチュアリ
投稿時刻 : 2026.01.28 17:36
字数 : 4558
1 2 3 4 5
投票しない
サンクチュアリ
MOJO


§1
 ボーイング747は定刻通りに成田空港を離陸し、旋回しながら上昇した。機体が水平を保ちしばらくすると、チャイムが鳴りシートベルトサインが解除された。航路は雲の上で気流は安定している。
 スチュワーデスが機内食を配膳し始めた。
「フィッシュ・オア・チキン」
 チキンを選ぶと、スーパーの鍋焼きうどんをひとまわり小さくしたサイズが折りたたみ式のテーブルに置かれた。チキンを選ぶのは、経験上ノースウエスト航空のフィッシュは食えたものではないと知っているから。
 今回の客に喫煙者はいない。そのことは旅行代理店の添乗員である私を安心させた。外国の航空キャリアは喫煙席が少なく、空港のカウンターでチケットを搭乗券に替える際に希望通りにならないことは少なくない。
 私の客が禁煙席で喫煙する。近い席の西洋人が叫ぶ。
「NO SMOKING!」
 今回はそういうトラブルは起きない。アルコール類は無料で提供されるが、客が悪酔いして私を困らせることもない。成田→ロスアンジェルスのフライトは短くないが、何の問題も起きずに機体は空港に着陸した。
 
§2
  入国審査の長い列に並ぶ。私の前にテレビでよく見る俳優の岩城滉一が立っている。仕事柄よく空港やホテルのロビーで有名人と遭遇する。男性の方が見栄えが良いことがほとんどで、女性はテレビ画面越しに見る方が美しい。岩城滉一はテレビで観るより小柄であったが野性的な風貌で、私の客と対照的である。
 ターンテーブルからスーツケースをピックアップして税関へ向かう。日本からのツーリストは、添乗員が同行する場合、どの国でもスーツケースを開けられることは殆どない。今回も税関スタッフは私の胸ポケットの社章入りネームプレートを確認し、客の荷物にもチェックを入れなかった。
 
§3
  日付変更線を跨いでロスアンジェルスまで来たが、旅程ではここからマイアミまで行き、更にサンパウロへ向かうことになっている。
 客の人数が多く、マイアミへの国内線は一機まるまる貸し切りである。
 パン・アメリカン航空のカウンターでチケットと交換した搭乗券から最前席を抜いて客に配る。人数が多いので席割りを省いた。そのことがクレームにはならない類いの客と判断したから。   
 しかし私はやらかした。私のシートはコクピットのすぐ後ろでエコノミークラスのものではない。それに搭乗してから気づいた。
 離陸して機体が水平になると、エコノミーシートに座る客たちは互いに顔を見合わせ何か言いたそうである。機体は小型で私のシートとエコノミークラスの境は民家に吊るされているようなカーテンで仕切られているだけである。ゆったりしたシートに座り、ワインやフルーツのサーブを断りながら私は困惑していた。
 
§4 
 今回の客筋は世界中に信徒を持つキリスト教原理主義系の宗教団体である。毎年どこかの都市で大規模な集会があり、その年はサンパウロ近郊の街で行われた。
 マイアミからサンパウロへ向かう航空キャリアはブラジルのヴァリグである。
 それは北半球から南半球への移動であり冬から夏への移動でもあった。あるいはプロテスタント圏からカトリック圏への旅とも云えた。それが理由かは定かでないが、エコノミークラスであっても機内食はノースウエストよりずっと質が良い。サラダ類の副菜に牛フィレ肉のメインディッシュ、デザートのスイーツまで付く。
  通説ではプロテスタントは慎ましくカトリックはおおらかとされる。私が見てきた限りでも、カトリックの大聖堂はサイズも装飾も過剰で、プロテスタントのそれは牧師の自宅であることもあった。
 ところで、キリスト教は私にとって遠いものではない。
 母方の家系がプロテスタントで、幼い頃は母親に連れられて教会に通ったこともあった。その質素な教会に今でも親族が集うことがあり、私も顔を出す。その教会では彼らを邪教とし、抜け出す手助けのようなこともしている。
  しかし、今接している彼らからは「邪」のようなものは感じない。輸血を拒んで子を死なせた。その他、彼らにまつわる良くない逸話から、ツアーが始まるまでは怖れのような気持ちを抱いていたが、彼らの瞳は澄んでいる。彼らを端的に顕すと、放牧され草を食む羊である。
 
 §5
  サンパウロのグアルーリョス空港を出たツアーバスは市街地から大会が行われるサッカースタジアムがある街へ向かう。途中の山道ではヘアピンカーブにガードレールがない所がいくつかあり、斜面には朽ちかけた木の十字架が無造作に立てられている。それはカーブを曲がり損ねた者たちの墓標である。
 
§6
  毎朝、朝食後にホテルからサッカースタジアムまで彼らをチャーターバスで連れて行くことが私の日課である。大会が行われている間、世界各地からの信徒が集うスタジアムは彼らの聖域であるのだろう。
 往路のバスでは毎朝勉強会が行われる。彼らは「サタン」「ハルマゲドン」という語を頻繁に発する。
 今の世はサタンが支配していてもうすぐ最後の戦いであるハルマゲドンが起きる。そして戦いの末に生き残る我々は安息を得る。
 勉強会は概ねそういう流れで進む。また彼らはお互いを苗字の下に「兄妹、姉妹」を付けて呼び合い、三日目の車中で聖書を手渡された私も以降某兄弟と呼ばれるようになる。
 夕方、彼らがスタジアムからバスが停まる駐車場に戻って来るまで、私は暇を持て余す。留守番の相方であるドライバーには英語が通じない。
 昼食にはスタジアム付近の屋台でエスペチーニョというスパイシーな串焼きや具が挽肉の揚げパイなどを食した。上司からは「屋台でモノを食うな」と申し渡されているが、私はどの国へ行っても屋台で飲み食いをする。
 最も印象に残っている屋台はニューヨークのホットドッグである。それはソーセージが隠れるほど細切りの酢キャベツが盛られていた。アメリカはプロテスタント優勢の国。ソーセージから連想すると、広めたのはドイツ系の移民だろう。あそこはプロテスタント発祥の地だが、ホットドッグは質素でありながら美味である。などととりとめもなく連想しながら、私は鉄串の肉を咀嚼する。
 
§7
  小高い丘の頂きに建立された巨大なイエス像が街全体を見下ろしている。
 一行はその麓から登山電車に乗りイエス像の真下に向かう。車窓にはリオデジャネイロの市街地が流れている。カーニバルを直前に控え、カラフルな飾りつけを施された山車が何台か見える。街はずれのスラムは遠景からでもそれと判った。
 頂上に着き、像の真下で私は集合写真のシャッターを切った。意外なことに、像の下で彼らは祈らなかったし跪いたりもしなかった。
 コパカバーナビーチが見渡せるシーフードレストランで昼食をとる。窓際の席では砂浜でサッカーをする裸足の子供たちが見える。彼らの殆どは肌が浅黒い。
 バスはレストランからホテルに向かう。多くの商店がカーニバル用の飾りつけで彩られている。
 バスが信号で停まった。となり車線のクルマの窓から子供たちが両目の端を指で吊り上がらせてこちらを見ている。スクールバスで送迎される、おそらくは裕福な層に属している白い肌の子供たち。                 東洋人蔑視のあのジェスチャーを見るのは久しぶりであった。

§8
  深夜にベッドの脇の電話機が鳴った。姉妹のひとりからである。
「風邪気味で寝付けません。添乗員さん、風邪薬をお持ちですか?」 
 声に湿り気を感じる。その日の朝、スタジアムへ向かうバス車中で、ある姉妹から小指の先ほどの青い石を手渡され、その意味を測りかねたが、電話の主はあの姉妹かもしれない。しかし私は常備薬としてスーツケースの内ポケットにしのばせてある風邪薬を彼女の部屋へ持って行く気にはなれない。誘われているとしても応じると面倒なことになる。
 次の夜、彼らが寝静まってから私はタクシーを呼び、ダウンタウンのクラブへ向かった。
 店内はボサノバ調の軽い音楽が流れている。この店の存在、作法のようなものは土産物店のマネージャーから教えられた。
 薄暗いカウンターの隅で、目を付けた女とカタコトの英語でやりとりをする。カーニバルを控えたこの街の賑わいや私の国が今は真冬で最も寒い時期であることなどを。
 交渉が成立する。クラブの会計は私が米ドルで支払った。インフレでこの国の通貨は不安定だから、全ての支払いは米ドルであった。
 女とクラブを出て駐車場へ向かう。常夜灯から女のクルマが黄緑色のフォルクスワーゲン・ポロであると知れる。
 女が娼婦なのか小遣い稼ぎの素人なのかは定かでない。ポロのトランスミッションはオートマチックではなく、女はクラッチを踏みながらシフトレバーを操作する。デニム地のスカートから伸びる脚がしなやかで美しい。
 私は言ってみる。
「これ、ドイツのクルマだよね」
「そう。でもドイツ製じゃないの。ブラジルの工場で造られているの」
 この国のクルマの燃料はエタノールである。つまりはアルコールで、そのせいか街全体が酒に酔っているような感覚にとらわれる。
 ポロが停まった駐車場からアパートメントのエントランスへ移動する。女の腰に手をまわしてエレベーターに乗る。明るい灯の下で女の化粧が濃いと知れる。着ているものは若づくりだが、くたびれた白人の中年女である。
「ここまで来てキャンセルはしないわよね」
 とでも言いたげな安心した笑顔をうかべている。狭いエレベーターが上昇する。私は落胆を悟られないように努める。
 エレベーターの扉が開いた。暗い廊下の突き当りが女の部屋である。 

§9
「あなたは急いでいる?」
「ああ、夜明けまでにホテルへ戻らなければならない。君がホテルまで送ってくれるんだろ?」
「そういう約束だわね」
  私は姉妹から渡された青い小石を女の掌に乗せてみる。
「ターコイズね。旅人を護る効力があるのよ?」
「君にあげる。おれは無茶をしないから必要ないさ」
「真夜中にここに来るのはけっこうな無茶だと想うわ」
 私は次第にリラックスし睦言を囁く。
 英語だからか照れくささのようなものがない。それを感じる余裕がないというべきか。母国語であれば歯が浮くような台詞を私は発する。
  ことが佳境に近づいた気がして、私は小さなラミネート袋の封を切る。女の腹に顆粒状の何かが散る。それはサラサラと落ちて女のヘソのくぼみを埋めた。
 柔らかだった女の身体が強張る。
「何をしたの?」
「すまない。ゴムと風邪薬を間違えた」
 女は笑いだし何か言ったが、おそらくはポルトガル語で私には理解できない。女はベッドから降りてバスローブを羽織った。
 キッチンから酒瓶とアイスペール、小さなグラスをふたつ乗せたトレイを持ってベッドに戻ってきた。
 私は脱いだトランクスの下着を再び着ける。
 ふたりはベッドの上で体育座りの恰好で向き合う。
「このスピリッツはラムかい?」
「ちがうわ。カシャッサよ」
 祝福とは縁遠いふたりがグラスを合わせる。
 狭い部屋に小さな鈴の音が響いた気がした。
「あれは日本の風邪薬?」
「そう。パブロンというんだ」
「チアーズ。パブロンに乾杯ね」
 私はあの兄妹たちの羊のような澄んだ瞳を想いだしていた。
 ベッドまわりの薄暗い灯りが壁に貼られたカレンダーや磔のイエス像のミニチュアを照らしている。
 私はこの暗がりと狭い空間が私と女の聖域であるような気がしてくる。
 心の内に浮かんでは消える諸々を慈しみながら、私はカシャッサの杯を重ねた。
 
                               〈了〉 
← 前の作品へ
次の作品へ →
1 2 3 4 5 投票しない