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*――創文板 将棋祭――*
 1  2  3 «〔 作品4 〕» 5 
 投稿時刻 : 2013.11.10 15:19 最終更新 : 2013.11.10 20:25
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- 2013.11.10 20:25:17
- 2013.11.10 15:19:57
と金
゚.+° ゚+.゚ *+:。.。 。.


 カチン、と、鈍く、薄い紙越しに、木と木のぶつかり合う音がした。それが、机の脚のパイプに伝わて、かすかに教室に響き渡る。彼の指から離れた駒が、ほんの少ししてから、たわんだ紙の盤上でずるりと動いた。紙の将棋盤はいつも八つ折りにして畳んでいるから、広げてもどうしても平らにならない。駒は軽くて重しにもならないから、不安定だ。整然としない40枚の並びをじと見つめて、いつかテレビで見たプロ棋士さんみたいに、神妙な顔で考えるフリをしてみる。でも結局どうすればいいのかわからなかたので、右手の人差し指でおそるおそる、角を押さえながらつつつ、と、斜めに動かしてみた。薄暗い放課後の教室に、駒と紙のこすれる音が小さく、小さく響く。私の指が駒から離れると同時に、カチン、と鈍い音が響いた。はやいなあ。心の中でつぶやきながら、今度は金に指を伸ばそうとした時、山本くんが突然口を開いた。
「あのさあ」
 将棋盤ばかり見ていたので、突然人の声がしたことにびくりして肩が震えた。しかも、彼の声はすこぶる不機嫌そうだた。
「詰んでるんだけど」
「つんでるて何?」
「負けたてこと」
「山本くんが?」
「お前だよ」
 山本くんは大きくため息をついた。校庭から響いてくる野球部の人たちのかけ声とそれが混じり合た。窓から指す西日はすかりオレンジ色になている。彼の白い肌がそれに当たて染まている。痩せ形で背は少し低めで、染めていない黒い髪はシトカトで、黒縁眼鏡、学ランは校則厳守で着こなして、顎のすぐ下の窮屈そうなフクまでしかり留めている。昼休みにたまたま、1年E組の教室の窓際で一人本を読んでいる姿を見たとき、絶対頭のいい人だ、と思た。頭がいいから将棋ができるに違いない。私は放課後、まだ騒がしいE組の教室に飛び込んで、彼に駆け寄た。
「ねえ、将棋できる?」
 言いながら私は、彼の机に、家から持てきた将棋の駒をぱらぱらぱらとぶちまけた。彼はぎとしていた。その表情を見て、あ、そういえば、名前も知らない人にこんなことを聞くのは失礼なのかもしれない、と思て、私は机の上にまだ広げられていた数学の教科書に書いてあた山本隆という名前を確認して、それから、もう一度聞いた。
「山本くんて、将棋できる?」
「いや……え?」
「できないの?」
「ていうかあんた、誰?」
「坂下なつき。山本くん、将棋できるの?」
「いや……できなくもないけど、何なの? 部活の勧誘?」
「やた!」
 私は飛び跳ねながら、もう帰てしまた誰かの椅子を持てきて、山本くんの机の隣において、紙の将棋盤を広げた。
「やろう! 将棋やろう!」
 山本くんははじめ、周囲をきろきろ見回して、居心地悪そうに、嫌だよ、と言ていたのだが、しつこく、しつこくくい下がた末、とても嫌そうに、一局だけ、と言てくれた。

 そして、今に至る。
「すごい! やぱり山本くんは頭がいいんだね! 3連勝だね! 強い!」
「強いとかじねーよ、あほか、お前なんなんだよ、将棋できるわけじねーのかよ、やたことあんのか? 弱いてレベルじねーだろ!」
 興奮する私に負けじと強い口調で彼は言い返す。それからはああ、とまた大きくため息をついてから、鞄を手に立ち上がた。
「バカバカしい、帰るわ」
「待て! お願い! あともう一回だけ!」
「何回やても勝てるわけねーから。諦めろよ。やりたいなら勉強してこいよ」
「あのね、勝てなくていいからね、この「ほ」て子が「と」になるまでやらせて! お願い」
「はあああ?」
 あからさまに不機嫌な顔で、彼は私を見下ろす。それから吐き捨てるように言た。
「お前、バカなの?」
「うん、よく言われる」
 そう返しながら、私は紙の上に並べられた歩の駒たちに目をやた。つられるようにして、山本くんも視線をそちに移す。それから再び、今度は多少静かな口調で、教えてくれた。
「てか、これは、ほ、じないし、と、でもないから」
「え? え? そうなの?!」
「それぐらいは勉強してから来いよな」
 吐き捨てるようにそういうと、彼は今度こそ教室を出ていこうとした。
「わかた! 勉強してくるから、明日もまた対戦しようね!」
 背中に向かてそう叫んだけど、返事はなかた。私は乱れた駒たちを黙て眺める。

***

 記憶はいつも、ぱらぱらぱら、と崩れる山から始まる。
 お母さんにもお姉ちんにも、バカだ、バカだ、と言われて来たけど、確かに、バカなんだろうなあと思う。周りの子は3歳や4歳ぐらいの記憶からあるみたいなのに、私の一番古い記憶は6歳ぐらいの頃のもので、しかも細部はろくに思い出せない。
 その日はたぶん春休みか夏休みだたんだと思う。私はお姉ちんにつれられて児童館に来ていた。参加料の200円を握り締めて、理科の実験の教室か何かに参加した。私はバカで、お休みの日にお母さんがいないと留守番ができないと思われていたから、お姉ちんとよく、こういうところに行かされた。保育園代わりだ。お姉ちんは私より5つ年上で、十分大きかたから、すごくうんざりしていたようだた。
 教室の帰りに、玄関で靴を履き替えようとしていた私たちに、突然、若いお兄さんが話しかけてきた。ボランテアで児童館の手伝いに来ていた大学生らしい。
「ねえ、君たち、将棋をやてみないかな?」
 児童館でやているこども将棋クラブの勧誘だた。お姉ちんは、たぶんだけど、家に帰ても私の面倒をみなきいけないのはつまらないし、どうせならここでもう少し時間をつぶそうと思たんだと思う。お姉ちんは私と違て頭がいいから、将棋のルールとか、打ち方とかを知ていたみたいで、誘われるままにプレイルームに入ていて、すぐに、同じくらいの歳の女の子の向かい側に座らされた。私はもちろん、将棋なんてできるわけがなかたから、プレイルームの隅この椅子に、ぼおと座ていた。細かいことは覚えていないけど、プレイルームにはパイプ机が7、8ぐらいは並べてあて、そこに将棋盤が並べてあて、それを挟んで、小さい子は小学1年生から、大きい子は中学生ぐらいまで、向かい合て座ていた。部屋の隅こには何人か保護者の人もいたみたいだけど、私みたいな将棋を指さない子供は、他にはいなかた。手持ち無沙汰になた私に気を使てくれたんだろう。さき声をかけてきたお兄さんが、将棋盤と、駒の入た木箱を持て、私の元にやてきた。
「お姉ちん待てる間、一緒に山崩ししようか」
 何に誘われているのかよくわからなかたので、私は黙てお兄さんの顔を見つめてにこにこした。バカなんだからせめて愛想良くしなさいていうのが、お母さんの口癖だた。お兄さんもにこにこして、それから、将棋盤の上で、駒の入た木箱をひくり返した。パン、と音がして、それから、慎重に木箱を真上に引き上げる。私は目を見張た。木で出来た大小さまざまな五角形のピースが、山になて台の上にそびえ立ていた。じと見ている私の前で、お兄さんが人差し指でそと、一つ、山の下の方にある、香車の駒をそと、ゆくりと、押さえて、手前に引いていた。私はなぜだかそれが香車であたのを覚えている。当時は漢字も読めず、将棋の駒を見るのも初めてだたのに、あの、お兄さんの指の触れた、中ぐらいの駒の上の、香車の二文字だけは妙にはきりと思い出せるのだ。山はぴくりとも動かなかた。それから、お兄さんは駒から目を離して、私の顔を見てまたにこりと笑た。同じようにしてごらん、と言われて、私は山に視線を戻す。不規則に積み重なている駒は、どれもきれいな五角形のフルムに、かこいい文字が書かれていて、私はなんだか胸がときめいていた。どれがいいかな、と、私はじくりじくり時間をかけて山を見つめていた。複雑な形をした読めない漢字ばかりの中に、私は唯一、読める赤い文字を見つけた。思わずそれに指を伸ばす。ぱらぱらぱら、と音がして山が激しく崩れた。てぺんにあたそれを押さえつける。指に他の駒が覆い被さる。駒の表面は、私の体温よりほんの少しだけひんやりしていた。雪崩を起こした山のそこに沈んだ駒が、将棋盤とぶつかて、ぱちん、と乾いた音を鳴らした。
「ああ、ああ、崩れちた」
 またくもてルールを理解する気のない様子の私に、お兄さんは困惑して、何度か山崩しのルールを教えようとしたが、結局だめだた。山を作る度に、赤い「と」の文字を見つけて手を出す私に、最後には匙を投げた。
「と!」
 私は強引に奪取した駒たちを盤上に並べて、にこにことお兄さんに見せた。
「うん、と、だねえ」
「と!」
 私は「と」というひらがなが読めることを自慢していたつもりだたのだが、お兄さんは全く気付いていなかた。それから、自分の手前に駒を並べだした。
「将棋はね、最初にこういう風に駒を並べて、自分と、対戦相手と、交互に駒を動かすんだ。それぞれの駒の動き方決められていて、この歩兵て駒は、最初は、一回に1マス、前にしか進めない。一番弱い駒なんだけど、ここまで進むとねー
 そう言いながら、お兄さんは歩兵の駒をすと、盤上で滑らせた。そして途中で、二本指でそれを挟む。パチン、と、音が響いた。裏返された歩兵が、赤文字の「と」に変わていた。
「こうやてね、変身するの。そうするとね、金の駒と同じ動きができるようになる」
 6方位に動いたそれを見つめた後、私はお兄さんの顔を見つめて聞いた。
「きん、つよい?」
「うん、強いよ」
「すごいね」
「そうだね、すごいね」
 私は何がなんだかわからないまま、この、唯一読めるひらがなの駒が気に入てしまて、帰り際、これがほしいほしいと泣き出してだだをこねて、お兄さんたちを困らせてしまた。対戦相手に負けたらしく不機嫌になたお姉ちんには頭を叩かれた。強引に腕を引張られて児童館を後にした帰り道も、ずと泣いていたので、不機嫌きわまりないお姉ちんにはきつく言われた。
「あんたみたいなバカが、将棋なんか指せるわけないんだから、ほしいなんて言うんじないわよ」
 この話はお母さんにも報告され、夕食後に再びこぴどく叱られた。それで私たちはもう二度と将棋クラブのある日にプレイルームには寄りつかなくなたし、私は二度とお姉ちんやお母さんの前で将棋が欲しいとは言わなくなた。お父さんには言てなかたはずだ。なんで今更? と思たけど、去年のクリスマスの朝、目覚めると、枕元に、将棋セトがおいてあた。

***

 先週から制服が冬服から合い服に変わていたのは運が悪かた。白いから汚れが目立てしまう。靴も靴下もスカートもびしぬれだ。どうしようかな。まだ夕方というには日が高かた。グラウンドではいつもみたいに運動部の人たちが練習している。いつもみたいに。いつも通りだなあ。私はいつも、日が落ちる頃まで教室で時間をつぶしているから、一人きりでここにいる。いい天気だ。それに、暖かい。しばらくここにいれば少しは乾くかもしれない。靴を脱いで靴下を脱いで、窓際に、日光があたるように並べると私は机に座た。将棋の木箱を勢いよくひくり返す。ばん、という音が響いた。あの時と違う音だなあ。教室の机は児童館にあた将棋盤とは違う木なのかな。硬くて鋭い音だた。山はうまくできずに、少し崩れた。その音も、やぱり児童館の時とは違た。駒が泥水を吸て湿てしまている。鈍くて小さい音音だた。
 教室の扉の開く音がして反射的に顔をあげた。前に、部活でもないのにいつまでも教室に残るなと先生に注意されていたのを今になて急に思い出した。バカだなあ、別の場所で時間を潰せばよかたのに、と思たけど、幸い、そこにいたのは先生ではなかた。山本くんは、眼鏡の奥から険しい目を覗かせて、立ち尽くしていた。何か言いかけたのか、唇がかすかに動いたけど、その後私からさと視線を動かした。私はそれを黙て見つめていた。数秒間沈黙が続いた後、意を決したように彼の方が口を開いた。
「帰らないの」
「うん、いつも6時くらいまでここにいるから」
 そう答えると、少しまたためらうように沈黙した後、私とは目を合わせ辛そうにしながら、尋ねた。
「いつも、あんなことされてるの」
「え?」
 反射的に聞き返したけど、もう一度言てくれる様子ではなかたので、私は彼の顔を見て、教室を見て、それから窓際に干したものと、泥水に浸されてしまた将棋の駒たちと、破られて汚れて使えなくなてしまた紙の将棋盤を順繰りに眺めて、それから口を開いた。
「さきの、見てたの?」
……たまたま」
「そか」
 なんて答えればいいのかわからず、しばらく考え込んだ。
「いつもじないよ。たまに。それに、連休の前は別の子がされてたんじないかな。その子、先週から学校に来なくなた」
 そう説明すると、ずと入り口に立ていた山本くんが、そと、なるべく大きな音を立てないようにドアを閉めて、それから私のいる机のそばまで歩いてきた。
「あん中に入て拾てきたの」
「うん。将棋盤はだめになた」
「どうせ玩具屋で売てる安いやつだろ」
 諦めて新しいの買えばよかたのにて言いたいんだろうなあと思た。
「でもサンタさんにもらたやつだから」
「サンタ……
「信じてるわけじないよ」
 泥まみれになた山を見ながら、私は続けた。
「お父さん、単身赴任で年に何回かしか帰てこないから、私がまだサンタさんを信じてるんだと思てるんだよね」
 それから、また教室に沈黙が降りた。山本くんが、私の前の席の椅子を引いて、そこに腰掛けた。鞄に手を突込んで何かを探している。野球部のかけ声が遠くから聞こえてきた。教室は薄暗くて静かだ。出てきたのはポケトテた。男の子なのにちんとそういうの持てるの、しかりしてそうだし、頭が良さそうだなあと思た。私はハンカチもテも持てきてなかた。彼は2枚取り出して、私に1枚手渡した。それから残りを机の上にそと置く。
「将棋」
 ぽつりと、呟くように尋ねる。
「ちんと、勉強してんの」
 私とは目を合わせないで、泥にまみれた山の中から、てぺんの駒をひとつ手に取た。山は崩れない。小さなそれを、山本くんは拭き始めた。駒は水を吸てまだしけているけど、泥自体は少し乾き始めているようだ。かさかさ、とこすれるような不快な音がして、それから机の上にぽろぽろ砂のようなものがこぼれ始める。
「うん、してるよ」
 私は慌てて彼の真似をし始めた。それと同時に、彼が机の上に、汚れを落とした駒を、パシン、と叩きつけた。将棋盤の上でやるのとは、やぱり違う音だなと思う。かたくて冷たい音がする。彼の指から離れたそれは、歩兵だた。
「ふひう、だよ」
「ふて読むんだ?」
「一度に一マス、前にしか進めない」
「うん、それは知てる」
 私がそう答え終わる前に、今度はそれを裏返した。再び、冷たい音が鳴り響く。
「敵陣につこむと、金になる。と金」
「金は強いんでし
「だから相手にとては痛手だけど、それをとても、歩兵としてしか使えない」
……うん」
 言いたいことがわからなかたので、私は小さくうなづくだけして、手元の駒を見た。丁寧にこすると、文字のくぼみに入り込んでいた泥が落ちていく。泥汚れのついた私の手の中で、赤い「と」の文字が浮かび上がてくる。
「いじめなんかしても、なんの足しにもならないのにな」
 呟くようにそう言うと、山本くんはまた山から一つ、今度は飛車の駒をとて、テで拭き始めた。
 山本くんが拭き終えたと金の駒をじと見つめた。泥は落とすだけ落としたけど、茶色に薄汚れたのはどうしても消えそうになかた。だのに、薄暗い部屋の中で、それが光り輝いているように見えた。あの日、将棋盤の上の山でそれに惹かれたときみたいに。
 お母さんにも、お姉ちんにも、クラスの子にも、バカだて言われて、何も出来ないと思われているけど、確かにそうなのかもしれないけど、ずと心惹かれ続けているものがある。ひらがなが読めた。だから指を伸ばして、それからずと、執着し続けている。今それが、目の前で光り輝いて見えた。
 強くなろうと思た。少しずつでも前に、前にだけ進んで、ひたすら。
「山本くん、私、勉強して強くなるから、また将棋やろうね」
 彼は何も言わなかた。私も何も言わず山の中から一番大きな玉将の駒を手に取た。
 いつかと金に成て、山本くんからこれをとりたい。
 それから私たちは黙て、日が落ちるまで、泥まみれの駒を綺麗にしてはカチンカチンと鳴らし続けた。
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