二合目(聖犬ワン公)
犬にエサを与えながら、男はその犬との出会いについて思い返していた。それは八年前に遡る。
早朝の駅前の公園で段ボールに入れられているのを発見してからだ。
「何だこりゃ?」最初に見た際、男は目を丸くした。見た目はまだ生まれて間もないような仔犬のようだが、やたらデカイ。後で知ることになるが、それは超がつくほどの大型犬種であった。
「困ったな~…」男は、段ボールの中の仔犬を見下ろしながら呟いた。「ってか、誰だよ、俺の家に捨てて行った不届き者は…」男はホームレスだった。本人は旅人と称していたが、公園に段ボールとブルーシートで家を作り、そこを住まいとしていた。
犬はその日から、いつまでたっても男の元を離れようとしなかった。雨の日も風の日も雪にも夏の暑さにも耐え、男の寝床に住み着いた。かといって、男になついていたワケではなく、雨風を凌ぐために、何より公園を利用する人からエサを貰えるのを期待してであった。
あれから八年。相変わらず男の元から離れず、今もこうしてダラダラと納豆のようなヨダレを垂らしながら、黙々とエサにかぶりつく犬を見ながら男は思った。「どおりで捨てられるはずだ」と。
これまで犬を見た多くの人はみんな口を揃えたように「あ、知ってますよ。確かセント・バーナードでしょ?救助犬で有名で、確かフランダースの犬ですよね?」と男に話かけてきた。「違うよ。それはハイジだって…」いつもそう言い返そうと思ったが、面倒なので男は大抵話を合わしていた。
「みんな知らねーなぁ~。大体、何がセントだ。実態はヨダレ垂らしながら食べてはゲップし寝てばかり、たまに起きたかと思ったらウンコか小便。聖なる感じはこれっぽちもしない。救助犬って、救助されるほうの間違いだろ…」男はずっとそう思ってた。「しかし、何でセントなんだろ?」
知りすぎていた男でも、それは後々までなかなかわからなかった。修道院で飼われてたからという話を耳にしたことはあったが、だからと言って、さすがにセントはないだろうと思った。セントの本当の意味がわかったのは最近のこと。犬も歳を取り、恐らくこのまま童貞で生涯を終える可能性が高くなったと知ってからである。
男はエサを食べ続ける犬に向かい「お前は確かにセントだったよ。童貞であると知ってる俺が保証するよ。に比べ、俺は女という生き物も知りすぎてしまったよ…」と言葉をかけた。
すると、犬は何を思ったか、急に暗い山の中を上をめがけ駆け始めた。「おいおい、マジかよ。もしかして怒ったの?」男は取るものとりあえず、犬を追って、まだまだ暗い山道を月明かりだけを頼りに登り始めた。