SF
SFの定義についてお客様と討論したことがあります。
ここでいうお客様というのは、レンタル店でDVDを借りてかれる方のことで、初老の眼鏡をかけた恰幅のいいミリタリー
コートの似合う方です。
その方のお話が非常に興味深い内容で、盛り上がりました。
お話というのはもちろんSFについてです。
エンターテイメントにおける最近のSFの作品というのは以前に比べて変わってきているというところで意見が一致しました。お客様は何名かお知り合いの中にああでもないこうでもないと話せる仲間がいるそうで、ついこの間話題になったのだと言っていました。僕はというと映画に接する機会が多いので最近の傾向というのを普段からふと考えたりしていました。
2人の間で”以前と比べて”というのが話題の中心になりました。
お客様が感心したというお話は、最初のSF小説についてです。
それは20世紀にかかれたもの。とてもシンプルなもので、想像力が働かされました。
ある朝、アメリカ合衆国大統領に電話がかかってきた。
「おはようございます大統領。私はロボット(人工知能:AI)です。」
以上が最初のSFといったものです。又聞きで、不正確です。ですので細部に関しては記憶違いがあるかもしれませんがおおむねこのような内容でした。僕もこれには感心しました。
すごいのはこの中に5W1Hがほとんどできているということです。
これだけ短い文章で細かい部分は何も書いてないにもかかわらずとも、
読んだ人のイメージがある程度の基準からはずれない様になっています。
これだけでもSFとして成り立っていると思いました。
じゃあSFってなんだっけ?僕は考え、ある結論を出しました。
今この瞬間を基準として 少しだけ何かをずらす ありえるかもしれない世界
パラレルワールドを想像していただければわかりやすいです。
基本的なイメージとして、それこそがSFなのではと思いました。
「少しだけ何かをずらす」という部分には【時間】【秩序】【科学力】【物理法則】【空間】とかが考えられます。
【時間】 = タイムマシン、過去、未来、平行世界、加減速/
【秩序・価値】= 暴力、狂気、自然災害、ゲーム/
【科学力】 = ロボット、ソーラー、原子力、無限機関、重力
【物理法則】 = 魔法、
【空間】 = 宇宙、地底
何個かを複合したのもあります。そして、やりすぎてると個人的にはつまらないと感じます。
一つか二つが理想的だと思います。
(駄目な例:魔法が使える主人公はそれでタイムスリップしたが世界は滅んでいて、
その原因となった隕石を未来の生き残りのロボットのともに宇宙へ行って破壊する)
またこの「少しだけ何かをずらす」理論で言えば、一般的な物以外にも可能なものがたくさんあります。
【法律】【文化】【歴史】【言語】などなど・・。なんでもSFたりえるのです。
【法律】でいえば、最近では図書館戦争は立派なSFだと思います。実際の図書館法に記載がある文章を引用し、いまよりも検閲について法的に規制された世界(日本)を自衛隊を元にした仮想の軍隊を一兵士の視点で描いた物語、つまり、ラブコメだと思います。
【歴史】でヒトラー率いるナチスドイツが大戦で勝利してたら今は・・というのもあればそれはSFだと僕は思います。
少ない例ではありますがこの通り、いくらでも「たら」「れば」とつければSF足り得ると考えています。
そして実は、僕はSFを題材にして何か作品を作る場合に本当に重要な部分というのはむしろこちら「今の世界を基準に」の部分だと言いたいのです。このことを言うことがこのコラムのすべてです。
先ほどの「アメリカ大統領」の話を例にします。
この話の優れた点というのは先ほど書いた通りですが、「今の世界を基準に」という部分ではどうでしょうか。
アメリカ大統領、という人物を知らない人は世界に半分くらいでしょうか。日本ではどうでしょうか。アメリカ大統領の名前知っている人は10人に7人くらいいるでしょうか。顔は知っているでしょうか。
多分日本の認知度No1人物というのはタモリさんです。外国人No1は知りません。しかし、職業について考えるならアメリカ大統領という職業を知らない人はそんなに多くはないと思います。
次に、電話。電話は誰しも使う物です。各人の手に届く場所にあるものです。
そして、ロボット。しゃべっています。挨拶もしています。大統領に、です。
つまり電話は、重要か危険な内容で、かつ、この世界のロボットは生活に重要な位置を占めていて
今よりも科学力は発達しているということがわかります。
わざわざ忙しい大統領に対して人ならまだしも、ロボットは電話を通常しません。
機械による人へのクーデターという想像さえ浮かびます。
そして、すでにいくつかの壁は突破されています。人類は分が悪いです。
ロボットが挨拶しているところをみると余裕がありそうで、降伏勧告の電話である確率が高いです。
結末は果たしてどうなるのかは、著者のみぞ知ると言ったところでしょう。
今の「アメリカ大統領」の話についての一連の流れというのは書いている訳ではありません。
「今この瞬間を基準に」して勝手に考えていったものです。
著者と読者の認識が一致するからこそ成立しているのであって、
そこにあまりに開きがあるとそれを埋めるための設定をどんどん増やすこととなります。
そういう作品も嫌いではないですが、よっぽど勉強をしてうまく作り込みができないと失敗すると思います。
以上が僕の考えるSFと呼ばれる作品の基準です。
SFとは「今この瞬間を基準にして 少しだけ何かをずらす ありえるかもしれない世界」
普通、「サイエンスフィクション」の意、通りにするならばそれに当てはまらない部分が多くなると思いますが、僕が勝手に言っているだけなので問題ないです。
逆にSFじゃない場合は、今の世界が残っていない世界です。
「主人公がゴキブリ。床下をはう、言葉もなく。人と戦う、という意識もなく暮らすだけ。たまに死ぬ。」
僕はいやです。読みたくないし、むしろ、言葉で書かれていたら不思議です。誰が書いたんだろう。って思います。人が読むものではないです。
「1万5千年前の地球。人類は自然の中で言葉を持たずコミュニケーションをして暮らしていた。
主人公は勇敢、かもしれない♂。何人かの♀と一緒に行動している。」
知るか。失敬。知りません。がんばってくださいとしか言えません。女性に反感を買いそうです。
また歴史的事実に基づいているため物語の人物などがフィクションになってしまっている場合も不可です。
「織田信長。本能寺の変より少し前。天下統一を目指している。」
・・・でも本当は死んでるんでしょう?だって役者は織田信長じゃないじゃん。になります。
「伝記」というジャンル自体が登場人物など偽物であるので”ありえない”ことです。
SFは”ありうるかもしれない”世界でなければなりません。
偽の偽は真であるため、”タイムマシンでやってきた未来の自分に会うこと”は起こりえます。
タイムマシンがいまはありません。ですのでそれを使って過去に行けるかどうかはわかりません。
「起こりうる可能性は現在にいては否定できない」のです。未来のことは否定しようがありません。また過去については
「織田信長が暗殺されなかったら、戦国時代は21世紀まで続いていた」
この文章を否定するには「織田信長が暗殺されなかった」という事実を作り、21世紀まで待たないといけません。それで戦国時代になっていれば真、なっていなければ偽。しかし、織田信長はこの歴史では暗殺されていますので暗殺されなかったという事実は作れません。つまり今わかるのは「暗殺された場合、戦国時代は21世紀まで続かない」「暗殺されなかった場合、戦国時代は21世紀まで続いたかどうかはわからない」ということです。
しかし仮に、「織田信長は暗殺されたが、戦国時代が21世紀まで続いていた」
という文章があったとします。この文章は歴史的に一部沿っていますが事実ではありません。
ですので”ありえるかもしれない”ではなく”ありえない”。つまり、SFではありません。
2回の否定は肯定を生みます。
”ありえるかもしれない”ことと”ありえない”ことは人が信じられるかどうかを決めます。
完全な0%と0.0000000・・・・1%の違いは、非常に大きな意味を持つのです。
大きくいえば”この世界じゃないなら、〜だ”でSF完了です。〜は自由です。全部あり得ます。
しかしこれだとアバウトなので、本人以外は非常にわかりづらいです。読めません。
今この瞬間を基準として 少しだけ何かをずらす ありえるかもしれない世界
一番いいのは、この文章を読んでいる間に、ほんの少しだけ違和感を感じたり、違う世界への扉が開きどこかへ連れて行ってくれるようなことだと思います。
そして、信じさせてくれる魅力的な登場人物、自分が感情移入できる存在がいることも設定が濃くなればなるほどに作品の説得力という面でとても重要な要素になるのだと思います。
今主流の作品の多くが心惹かれない理由は、映画やアニメの発達にともなって、タイムマシンなどの設定を信じることに違和感を覚えず新鮮みが薄れてきたからだと思います。
映画の中ではエイリアンの種類は何千何万といます。タイムマシンは何千台と作られました。
それゆえに、非日常のはずのこういった設定が画面の中とはいえとても身近になり日常的になっているのです。
最初の話に戻りますが、SFのジャンル自体が古くなっています。
SFにとって華やかだった時代を僕は過ごしたのだと思います。
というのは、やっていること自体に新しい変化がないからです。
未だにタイムマシンという設定は使われています。
しかし、少し視野を広げていくと別のジャンルのものでSFの要素が多少なり入っていることが多くなった気がします。
タイムマシンに読者が慣れたということは、設定として使いやすくなったということです。
ジャンル自体はこれ以上発展こそしないものの、物語のスパイスとして役割をあたえることができるようになりました。そういった作品はおそらくはSF作品とは呼ばれない物でしょう。アクションだけ90分の映画が珍しいように、物語の核をSFがになった恋愛映画や、近未来の警察を舞台にしたサスペンスなど。
これからのSFは物語の中に存在していくのだと、僕はそう思います。
今この瞬間を基準として 少しだけ何かをずらす ありえるかもしれない世界
僕が子供の頃胸躍らせて、夢描いた世界です。
その偉大なる先人たちのSFとは
ドラえもん
宇宙戦争
マトリックス
スターウォーズ
E.T
バックトゥーザフューチャー
透明人間
ブレードランナー
トータルリコール
ターミネーター
日本沈没
ゴジラ
猿の惑星
エイリアン
キングコング
ジュラシックパーク
スパイダーマン
ガタカ
ハリーポッター
タイム・マシン
ナイトミュージアム
トゥルーマンショー
マルコビッチの穴
MIB
GANTZ
スーパーマン
ロードオブザリング
鉄腕アトム
AKIRA
風の谷のナウシカ
魔女の宅急便
機動戦士ガンダム
新世紀エヴァンゲリヲン
銀河英雄伝説
です。ありがとうございました。