【BNSK】品評会 in てきすとぽい season 13
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天を登る
茶屋
投稿時刻 : 2015.07.11 20:07
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天を登る
茶屋


 中谷昇は昇た。
 どこへ?
 多分天に、と昇は思ている。
「あ、死んだな」という自覚はあたし、朦朧とした意識の中で一種の浮遊感を覚えたからである。
 しかし、これが天国なのか、とも思てしまう。目の前に広がる光景は金色や虹色に彩られ見るものすべてが美しく、五感に至る感覚は全て幸福に満ち、人々は皆幸福そうな顔をしている、というような情景ではない。あるのは、坂道である。アスフルトなどで舗装されているわけでもなく、砂利は敷かれているが境界を徐々に雑草が蝕んでいて、道の中央にもちらほら踏まれた雑草がある。砂利もだいぶ前に敷かれたらしく、水たまりになるであろうと思しきへこみや、砂利が剥げて土がむき出しになた部分がある。
 これが、天……
 しばし、呆然としたものの昇はその坂道を登てみることにした。しばらく登てみると広葉樹の林に囲まれた集落に辿り着いた。粗末というか、原始的で簡素な家が円周状に立ち並んでいる。家の軒先で何やら弓のような道具の手入れをしている老人の姿が見えたので近寄てみる。昇は何も言わずに、しばらく老人の手つきに見入ていた。慣れた手つきで弦の張り具合や弓のしなりを確かめている様子だた。
 ふと、老人が顔をあげる。
「新入りか? それともお客人かな? 珍しい」
 そんな老人の言葉に昇は戸惑う。自分がどちらなのかわからないのだ。
「ここは天なのですか?」
 戸惑た末出た言葉がこれだ。
「そうさな。わしにとてはここが天かもしれんな。お前にとてはどうだ」
 老人は刻まれた皺を更に深くするかのように笑て、そう言た。
 昇はしばらく周囲を見渡して、言う。
「私にはここが天とは思えません」
「ならば、まだ道はある」
 そう言て老人は集落の裏手の道を指し示す。
 坂道だ。
「まあ、行てみるといい。気に入らなければ、いつでも戻てこれるさ」
 昇は老人に会釈して、その坂道に向かてみることにした。
 坂道だ。
 森の中の山道のような体をしてる。
 昇は、また昇た。

 それから先、幾つもの集落に行き会た。
 坂道を登るたび、集落の姿は変わていた。
 集落と行ても、それはもはや街や都市だたりするものもあた。
 そのたびに、行きあた人に「ここは天ですか」と尋ねる。
 答えはいろいろだ。
「天てのはそもそもなんだ」
「少なくとも満足してるよ」
「今はとても幸福なの」
 そこに住む者達は皆、そこでの暮らしに満足しているような様子ではあた。
 登るたびに文明が進んでいるような気もした。文明が進むたびに幸せのかたちも変わていたのだろうか。それに合わせて、天も形を変えた天を提供していたのだろうか。
 文明は必ずしも一方通行ではなかた。最初に行き会た集落のような自然に囲まれた村に行き当たることもあた。
「自然への回帰こそが人類にとて最適の形なのですよ」
 どこかインテリめいた言葉回しが鼻につく中年の男はそう言た。
 皆、座禅を組み瞑想の中にある集団とも行きあた。
 僧侶は「色即是空、空即是色」というばかりであた。解脱を体現しているのか、いや、誰もいないだだ広い空間だけの場所もあたから、彼処こそが肉体から開放されて解脱した人々の天だたのかもしれない。
 現代的な都市にもたどり着いた。ハピーになれるドラグに溺れ、馬鹿騒ぎが続いている都市もあれば、真理の探求こそ至高とする学問都市もあた。
 脳に電極を付けた人間が、ひたすらボタンを押し続けている施設は衝撃的だた。
 脳の快楽中枢を刺激し続けているらしい。
 彼らは、幸福であり、彼らにとてこれが「天」なのである。
 その後、マゾヒストとサデストのコミニテや快楽殺人者、異常性癖者の都市を見るに従い、段々感覚も麻痺していた。
 
 だが、昇は坂道を登り続けている。
 この「天」のシステムを理解しかけていた。人々の個別に合わせた、天のコミニテが形成されているのだ。
 コミニテだけでなく、孤独が保証された都市もあたが、ある種の個人が隔絶されたコミニテではあるのだろう。
 人類にとて、至高の幸福などない。幸福は個別にあるだけだ。
 そうなのかもしれない。
 ただ、わからないことがある。
 幸福は本人の意志が尊重されているのか、それとも大いなる全知のシステムによてその個人に適正な幸福が提供されているのか。
 人は自分がこうありたいと願い、例えば憧れの職業に就こうとしたりして努力をする。しかし、いざ憧れの職業に就いてみると憧れと現実のギプに戸惑い、やがてその職業が自分に適合していなかたことを自覚することになる。
 これと同じように、自分の望む幸せが、必ずしも最適の幸せとは限らない。
 ならば、全知の存在によて最適化された幸福を提供されれているのではないかとも思う。
 しかしながら、人の脳は、「天」に至てもその脳の束縛から逃れていられないのだとすればだが、脳を調整すれば例え本来苦痛を感じる場面でも鈍感であたり、幸福であたりすることができる。だから、人が望む幸せを、それがその人にとて幸せにならないはずだたものであても、その人を最適化することによて、最適な幸せに変えることができる。あの脳に電極を付けてボタンを押し続ける施設のように。
 どちらなのだろうか。
 人にとての幸福とはどちらが、優先されるべきなのか、幸福か、願望か、意志か、精神か。
「どれも幻かもしれませんよ。そんなもの」
 坂道の途中でそう言い放たのは大天使・ニノボルを名乗る謎の男だ。天使というだけあて確かに純白の翼が生えている。
「理由はどうあれ、ここは、天です。自らの幸福は必ず見つかるはず。幸福だとか、どうでもいいことです。重要なのはここが天であること」
 この男が天使かどうかは怪しいところである。聞いたこともない名前であるし、男の言うようにここは天、この男は天使になることを望んだ、あるいはそれが幸福だた男の成れの果てなのだろう。
「私の天とやらはどこにあるのでしうね」
「なかなか見つけられないものもいるのです。まずは、登り続けることです」 

 坂道を登り続けていても不思議と疲れは感じない。
 だから、ニノボルの言葉にしたがて今も坂道を登り続けている。
 あれからだいぶ経つような気もするが、この世界の時間の流れというものがよくわからない。
 それでも未だ、自分の天とは行きあていない。
 もしかしたら、自分にとて天など存在しないのかもしれない。だが、不思議と不安ではなく、それならそれでいい気もする。
 あるいは旅をすることが自分にとての天という可能性もある。いろいろな都市、集落、コミニテを見聞する。無限に続く旅という天。
 いや、ただ単に、坂道を登ることが天なのかも知れぬ。
 そこに山があるから、と誰かが言たと思うが、そこに坂道があるから、登り続けているだけかもしれない。それで不思議と満足はしているのだから。
 そもそも、ここは本当に天なのか、確証などない。
 死ぬ前の一瞬の夢なのかも知れぬ。
 だが、そんな疑念はどうあれ、昇は坂道を登り続ける。
 今のところ、自分にはそれしかないのだから。
 
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