完全犯罪
隆太が唐突に切り出したのは、SNSの各所でさえ実しやかに飛び交
っている例の噂話のことらしかった。
「今、密かに宇宙人が攻めてきてるって話あんじゃん?」
流行りは逃さず廃りは追わずのこいつらしい。が……、
「宇宙人の仕業にしたらさ、今なら完全犯罪ってできそうじゃね?」
今回は話の落としどころというか底の浅さがすぐ見える風でもなく、いつもの低空飛行から突然旋回して一気に高度を上げた
ように感じられたのが、僕のちょっとした琴線に触れた。後先考えず適当にうそぶくだけならいつものことだが、意表をつく展
開を見せてもくれそうだったので、ついにどんな人間にも進歩というものはあり得るのだということが証明される日がやって来
たと、期待が膨らんだからである。
「……ミス研がSFに走ったら終わりだと思うけどね。ま、最後まで聞こうじゃないか。……で?」
僕は努めて、平静を装いながらそう訊いた。
「……え、何?」
「いや、だから完全犯罪ってどういうことだよ。どういうトリックが出てくるんだい?」
「それを考えるのは君らの仕事だろ? 高梨クン、二ノ宮クン」
……期待は急速に萎むとむしろ心地よく感じることがある。だから今回も、わざとらしく無理やり期待値を上げて遊んだだけ
のつもりだったのに、思いのほか普通に失望している自分に当惑してしまった。この男には何を期待してもダメだと、頭ではも
う分かっているはずだ。なのに……いったいどこに、本当に期待する余地が残っていたというのだろう。
「隆太クン、殺したいヒトでもいるの?」
……こういうことを平然とのたまう人種こそ僕にとっては宇宙人だ。だが、その一言で僕の疑問は氷解してしまっていた。本
棚の奥に隠れて見えなくなっている間、一時的に失念していたが、そういえば今日は珍しく二ノ宮が来ていたのである。だから
、二ノ宮に惚れている隆太がちょっと頑張ってみたのかもとか、あからさまに隆太の純情を弄んでいるだけの二ノ宮が自分のネ
タを隆太に喋らせて僕の反応を見ようとしたのかもとか、ありがちなストーリーを無意識に想定したというのが真相なのだろう
。
「ボクはいるよ」
ふいに怖気を感じたので、そう言われてもまだ僕は振り向くのを思いとどまった。
「……高梨クン、キミだ」
その思考も感情もまったく理解しきれないのだが、どうしようもなく興味を惹かれる(異性としてではない)のもまた事実だ
から仕方がない。世俗的に表現するなら、僕は端的に言って二ノ宮と和平交渉を進めたいのだった。
何が原因なのか、とにかく僕は二ノ宮を怒らせてしまったらしい。そしてここふた月ほど、二ノ宮は部室に顔を出さなくなっ
ていた。隆太の話では僕がいないときを見計らって何度か来ていたようなので、退部するつもりでないことは分かっていたのだが、いかんせん特進クラスの彼女とは校舎も違うためなかなか会えず、どうにかならないものかと鬱々とした日々を送ってきたような次第だったのである。
「なんだい、それは……? 君をそんなに怒らせるようなことを、僕がしたのかい?」
付け加えるなら彼女は極めて容姿端麗だ。隆太のような単細胞が興味を惹かれているのはむしろそちらの要素だろう。女王様然とした勝気な性格に映る所作とエピソードの数々とも相俟って、その手の層には堪らない魅力を放つ逸材として将来を嘱望されているという作り話を本人がしてすら違和感がないほどだ。
「特進クラスでもないキミが学年一位の座にあるのが気に入らない、といったら信じるかい?」
……そういえば以前、二ノ宮は全国模試で二番手になったらしいぞと言って隆太が自分のことのように喜んだことがある。してみると、結果など気にしたことがないので分からなかったが、僕は全国一位に昇りつめていたということだろうか。二ノ宮が頂点に立つのを阻んでしまったために彼女の逆鱗に触れたという、ただそれだけのこと……のはずはないのだが?
「ボクはね、自分より劣った男の子じゃないと好きになれないんだ。一種の母性本能というヤツが、このボクにもあるのかもしれないね。だから……キミはそれ以上賢くならなくていいんだよ」
……どうも話の落としどころというか、先の展開が読めなくなっている。やはり彼女は創作のネタを僕に喋って反応を試しているのだろうか。……分からない。読ませない。彼女の真骨頂だ。だから僕は、どうしようもなく彼女に惹かれてしまう。
「……それは一種の、愛の告白なのかい? 密かに君を思慕していた隆太が、木端微塵になっているじゃないか」
すると二ノ宮は、いつの間にか自分の鞄から取り出してきたらしい小瓶のようなものを掲げて言った。
「これはね、ボクが二ヶ月かけて完成させた薬だ。劇症性の拒絶反応もなしに緩やかに、人のDNAを細胞ごと入れ替えてしまえる薬なんだ。早い話が、外見や記憶はそのままに細胞だけを別人のものに変えてしまうという代物で、きっと癌も根治させることのできる夢の薬なんだけどね……」
……また、先が見えなくなった。面白い。二ノ宮なら本当にそんな薬も作りかねない。僕はただテストの成績がよいだけの秀才だけれども、二ノ宮はテストが苦手……というか面倒なだけの天才だから。
「……さっき、隆太クンが言ったことを聞いて閃いたんだ。この薬を悪用すれば、完全犯罪も可能だってね」
「ほう……それはどういうトリックだい?」
二ノ宮はちょっと小馬鹿にしたように、勝ち誇ったように続ける。
「ふふ、トリックも何もそのままだよ。DNA鑑定で本人であるという証明ができなくなるわけじゃないか。だから一言添えるださ。『お宅の息子さん、ホントに息子さんですかね? 宇宙人か何かがなりすましているんじゃないですか?』ってね」
「ああ、なるほど。その後で……宇宙人として処分されたり、人権剥奪ということでどこかに収容され研究材料となったり……そういうことか」
結局のところ二ノ宮は、隆太の希望通り即興でトリックを考えたのでそれを披露してみせたということらしい。僕がそう、やっとオチを見つけた気分に浸っていると……しかし当の隆太は、流れ弾に当たってフラれたショックを引き摺っているのか沈黙したままだった。
◆
「話の流れの中で、やんわりフッてあげる作戦だったんだけどなぁ……」
あからさまに拒否したほうがショックも小さいかと思ったのに、本気にせず逆効果に終わる日々が続いたため、しばらく部活動を控えたくなるほどだった。
「返って傷つけちゃうなんて……。あたしの繊細な想い、メッセージ、ちゃんと分かってくれる男の人なんてどこにもいないのかな……」
二ノ宮静香は、今日も一人お風呂で憂鬱な溜め息をついて眠るのだった。
(了)