【BNSK】品評会 in てきすとぽい season 12
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(時間外)Be Like the Squirrel Girl
投稿時刻 : 2015.06.07 16:07 最終更新 : 2015.06.07 16:08
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- 2015/06/07 16:08:37
- 2015/06/07 16:07:31
(時間外)Be Like the Squirrel Girl
空母赤城


 去年の夏、私は先生とつきあい始めた。
 先生は私が高三を迎えた春からクラス担任になた。五月を過ぎた頃からアプローチを始めた。断り方に寸分の隙もなくて、私はますますのめり込んだ。どうやて先生を翻意させたのかは、自分でも分からなかた。
 梅雨が明ける頃、先生は言た。「学校教師とつきあうことが何意味するのか、分かているのか」と。校庭にはアジサイの花が咲いていた。空には虹が架かていた。ひとしたら、虹が架かていたから翻意してくれたのかも知れなかた。

 先生からの最初のプレゼントは、小さなサボテンの鉢植えだた。月宮殿と呼ばれる球状のサボテンで、繊細な白い棘を無数に持つ。
 棘のある動植物にシンパシーを感じるらしい。針や牙では駄目なのだとも。形状的には、ウニや毬栗がもとも洗練されていると言た。
 どうやら私は、その棘の防御をかいくぐて先生にたどり着いたらしい。少し、誇らしく思た。

 はじめて車に乗せてもらたとき、外ではセミが激しく鳴いていた。程よく人気のないコンビニの駐車場で、吹かしたままのエンジンの振動を感じながら、ラジオから流れる音楽とセミの声を聞いていた。騒音の夏だ、と思た。都会の喧噪とか言うけれど、田舎だて負けてはいない。
 山の上はるか上空まで突き出た積乱雲は、この星の成層圏にまで達していた。あそこならセミの鳴き声もラジオの電波も届くまい。
 先生は、冷えて汗をかいた500mlのペトボトルを二本抱えてやてきた。「こちが沙耶の」と言て、私の分を渡してくる。甘い紅茶は好きではなかたけれど、当然のように差し出す先生のそれを断ることは出来なかた。きと、先生とこれまでにこういう関係になた女の人で、それを好きだた人がいたのだろう。バカバカしい。イヤだと言て、それでも次もそれを差し出されたら、どうせ落ち込むのだから、これでいい。
 パールホワイトのダイハツのミラは、軽自動車然とした軽自動車だた。大人の男性が所有するにはコンパクトに過ぎる感じもするが、それでも女子高生の軽い脳みそを運ぶには十分だた。
 私は先生に「人里離れた山奥に行きたい」とリクエストした。山ならいくらでもある。飛騨山脈とかいう、小学校の地理の穴埋め問題で初めて触れた概念は、実際には三千メートル超級の山を九つも抱える日本の一大山系で、ダイハツのミラには少し荷が重いように思われた。
「糸魚川街道。北に進めば、糸魚川に出る。日本海だな」
「海は人が多いからイヤ」
「山だて似たようなもんだ。今や日本のどこを探したて、人に出くわさない場所なんてない」
「でも獣道を分け入れば」
「分かた分かた、そういうのはまた今度にしよう。サバイバルにはそれ相応の準備てものが必要なんだ」
 でも結局、私と先生がサバイバルをすることはなかた。
 先生はミスチルの音楽が好きだた。それだけで、何となく世代が違う感じがした。それを正直に伝えたら、まだ彼らも現役バリバリなんだぞと、今度こそ世代の違いを痛感する返事を返された。別に、世代が違て悪いわけじない。でもそれは伝えなかた。
 ラジオのノイズが聞くに堪えなくなて、先生手持ちのCD(もちろんミスチル)も何巡かする間、時折トイレ休憩を挟みながら、車はノロノロと峠道を走ていた。先生はカーナビを使わない。曰く、旅の醍醐味が薄れるのだとか。地図は使てもいいけど迷たときだけとか、助手席の人に道案内をさせないとか、不思議なこだわりを持ていた。
 途中、峠のそば屋に立ち寄て食べたざるそばは、これまでに食べたことのあるどんなざるそばよりも美味しかた。そばの麺そのものが、こんなにも水分を含んで瑞々しく、それでいて歯ごたえを失わないでいることがどうしてできるのだろうと思た。コンビニで売ているものでは二度と同じ満足感は得られないだろう、と思た。
 人里離れた山奥とまではいかなかたが、道と伴走する川が岩場を縫うようになり、いよいよ川からも上流ぽさが漂い始めた頃、私たちは目的地に着いた。
 砂利の敷かれた駐車場には、まばらに車が停められていた。正面にある何か商業施設と思しき建物は、和風ど真ん中の作りをしていた。
 そこはいわゆる温泉旅館だた。
 泊まりOKと伝えたときから、そのつもりで予約していたらしい。つまり、海に行く気なんて最初からなかたのだ。
 先生には元々人を食たようなところがあたけれど、それは周到にサプライズを計画するとか、そういう感じで発揮される能力ではなかた。むしろ、どんな嘘や企みも何食わぬ顔で扱てみせるという芸当に近いように思われた。
 でもこの時の私は、何を考えているか分からない、それでいて決して私を裏切らない(少なくともこれまでのところは)、何も知らない私を引ていてくれる先生に心の底から依存していた。それこそが先生の持ている大人の魅力なのだと信じていた。

「どうして先生は私のことを好きて言てくれないんですか」
 つきあい始めた頃、私のことをかわいいとは言てくれるのに一度も好きだと言てくれなかた先生に対して、そう言たことがある。まだ敬語を使ていた頃だ。
 そのとき先生は微かに笑た。その表情からは困惑やら面倒くささが一切読み取れなくて、それはいわば百点満点の微笑とでも言うべき表情だた。もとも洗練された防御に対して、付け入ることの出来る隙は少ない。
「たとえ好きであても、好きと言うことだけがそれを表す全ての手段だとは思わないし」そこで先生は一呼吸おいた。「第一、そういうのは少し、照れくさいと思てね」

 照れくさい、と言たのはきと嘘だ。この先生が、たかだか私に好きだというのに恥じらうはずがない。きと、まだその覚悟が出来ていなかたんだろう。ただ、それに気付いたのは(というかこの解釈が正解であるという保証もまたないけれど)、まだずと先のことだ。
 温泉旅館の離れの一室で、先生の抱擁を受けながら聞いた好きという言葉は、気持ちよく私を陶酔させた。
 旅館でありながらにして母屋から離れた一軒家のような間取りを持つこの宿を取るのに、先生がどれだけの出費を強いられたのかは分からない。ラブホテルの相場ならその辺の繁華街を歩いていればイヤでも目につくのだけれど、それでも高校生がバイトして泊まるにもハードルの高さは否めない。
 だからこれは、先生の私に対する愛情の深さの証なのだ。
 先生を信じ切ていた私は、私の全存在を預けてしまうことに寸分のためらいも感じなかた。先生の体は暗がりの中でも分かるほどに引き締まていて、私のそれとは全然違た。そのことが少しいたたまれなかた。少しひんやりした肌の感触が、汗と絡まて吸い付いては離れ、離れては吸い付いた。時には大時計の振り子のようなリズムで、時には腕時計の秒針のように。先生が、過剰なまでに私をいたわてくれるのが嬉しくて、愛おしかた。
 部屋の中には薄青い月の光が充満していた。蝶の影が障子を横切たように見えた。先生は、まるで一本一本その数を数えるかのように、私の髪の毛をもてあそんでいた。風鈴がどこかで鳴ていた。
 私たちのクラス担任で、同時に高校数学を教えている先生は、ホームルームであろうと授業中であろうと無意味に饒舌だた。むしろ、数学に関係のないおしべりの方が人気があた。三十を少し超えた頃にしては老成した感じがなくて、むしろ少年ぽささえ漂ていた。
 そんな先生のことを好きになたのだけれど、敢えてしべりすぎない二人でいるときの先生も好きだた。二人でこうして寝転がている布団の中では、他のことを考える必要がなかた。ここは確かに人里離れた山奥だた。携帯の電波も入らない。
 朝の気配がじわりと近づいた。月の光の明るさを、稜線の彼方から浸食する明るさが上書きしていく。
「寝よう」先生が言た。「どれだけ寝坊したて平気だ」
 でもそれは嘘だ。寝坊にも限度というものがある。
「ちんと起こしてね」
 私が言うと、先生は微かに頷いた気がした。
 遠くから、セミの鳴き声が聞こえてきた。

 私たちの関係は、秋も冬も秘密裡に続いていた。
 大学受験を控えた私にしてみれば、いろいろな意味で辛抱の半年だた。今の私たちの関係が健全でないことも、露見すればお互いの立場を著しく悪くするだろうことも、もちろん知ていた。
 先生はこの点においても、完璧に私をコントロールしていた。私たちは無闇に顔を合わせないように努力したし、極力逢瀬も控えるようにした。とはいえ、全く会わない状況に耐えられるほど、私の心は頑強に出来てはいなかた。人目を忍んで、時には隣町のコンビニで、時には神社の裏で待ち合わせた。少し会て、すぐに別れた。スパイとエーントが進捗を交換するために、手短な儀式を行うように。
 寂しさを紛らわせるように、私はサボテンに話しかけた。育てやすい代わりに、付け入る隙の少ないフルムをしていた。でも、私はその内側に入ることを許されたのだ。

 冬になり、セミもトンボも死に絶えた。雪に覆われた山間の盆地は、音を失たようだた。灰色の空は、その上に輝く何か大事なものを隠しているように見えた。
 いつかのコンビニの駐車場で、ダイハツのミラが吹かしたままのエンジンから漏れる排熱を車内に伝えていた。フロントガラスには止めどなく雪の結晶が模様を焼き付けては消えていた。冬の日は短い。ことに天気の悪い日には、午後五時にもなれば宵が大口を開けて暗闇を招き入れていた。
 先生が、微かに湯気をまとた二本のペトボトルを抱えてやてきた。チイスはいつもと変わらない。今では、少し甘くした紅茶を好きになてしまている自分がいた。
「行こうか」と先生が言い、車が国道に滑り出る。
 往くあてはない。
「受験、来週だけ」
「そういうこと、先生が一番よく知てなくちいけないんじない?」
「私立はたくさんあるから」
「東京に行ても、会えるかな」
「会えるよ」
 このときの先生の言葉には、どこか投げやりな響きがあた。どうしても東京に行かなくちいけないわけでも、どうしても東京に行きたいわけでもなかた。でも親も先生も、特に東京に行くことを止めたりしなかた。田舎に入りたい大学がないのも事実だた。
 結局、願書を手に入れたのは東京にあるいくつかの女子大のものだけだ。
 この日は泊まりNGだた。当たり前だ。受験を来週に控えて、デートしていることさえ異常と言えば異常なのだ。二人の間で受験に関わることが全て済むまでの間、これを最後にしようとあらかじめ取り決めておいたことだた。最後の晩餐、飯抜き。
 雪に穿たれたわだちは心許なかた。どす黒く濡れたアスフルトに、汚れた雪がシト状に飛び散ていた。夜には凍らないように塩化カルシウムが撒かれて、それがさらに路面を汚く染め上げる。雪国特有の汚さだ。
 いそ車なんてどこかに停めて、身を寄せ合ているだけでも良いと思た。でも先生は黙々と運転を続けていた。車を停めると、逆にせき止められていて積もり積もた何かが噴出してしまうとでも言うのか。そんな沈黙が続いた。
 カーナビがないと、どこを走ているのかが分からない。まして、視界は最悪といてよかた。テレビがアナログだた頃の砂嵐は、まさにこんな感じだたかも知れない。
 それでも、いくつかの信号待ちを経るうちに、結局その沈黙は自壊した。先生は、前を見据えながら呟くように言た。
「この春、俺もこの高校、辞めるから」
 赤の信号灯が、音もなく降り注ぐ雪を紅色に染めていた。色鮮やかな着色料をまぶされた紅シウガのようだ、とどこか上の空で思た。
て、リアクシン、なし?」
……驚いてるよ。声にならないくらい」
「そうか」
 信号が青に変わると、紅シウガのイメージも霧散した。先生はいつも言葉が足りないし、唐突だ。
 その後、先生がぽつりぽつりと漏らした言葉は、おおよそこんな感じだた。
 沙耶とこんな関係になた以上、このままこの高校で教師を続けることは出来ない。どこか違う場所で違う職を探す。このまま俺たちが会えなくなることを意味するわけじない。ただ、どこかでけじめをつける必要があた。
 私には分からなかた。このときは混乱しすぎて、何も考えがまとまらなかた。
 落ち着いてから振り返てみると、この先生の発言はむしろ、どうしようもなく身勝手に思えた。自分が納得したいから人を勝手に巻き込んで、それで贖罪のつもりでいたのだ、と。しかしそう思えた頃には、何もかもが手遅れになていた。つまりは何をも生み出さなかた。
 先生は、そのまま私を家の近くまで送り届けてくれた。
 別れ際のことはよく覚えていない。もとよく覚えておくべきだたと後悔している。きと、あとから無理に思い出そうとしても、色々な記憶が干渉し合てグチグチになてしまうだろう。
 その夜、先生と愛車のミラは、雪道でスリプした10トントラクに巻き込まれた。堅牢なベンツであたとしても、あの衝撃を生き延びるのは不可能だたろうと言われた。むしろ、トラク運転手を無傷で済ませたのも、先生の愛車がミラであたからかも知れない。ほとんど皮肉のような慰めだた。
 こうして愚かにも、先生はその人生に本当のけじめをつけてしまたのだ。

 あとから知たことだけれど、私と先生との関係は、一部では噂になていたらしい。ただ、それはどこにでもある雑多な噂の一つに過ぎなくて、この事故のこともあてそれに触れるのは不謹慎だという雰囲気でも生まれたのか、私に何かしらのお咎めが来ることはなかた。
 遺影の先生は、私が知らない髪型をしていた。短い髪を真ん中で分けて、サラリーマンみたいだた。あれだけひどい事故であたにもかかわらず、遺体の顔は先生と分かる程度には復元されていた。もとも、私には先生を直視する勇気はなかたが。
 最後の見送りを済ませた。この日、空は灰色をしていなかた。久しぶりに青空を眺めたような気がした。空には太陽の他に、特に変わたものが漂ていたりはしなかた。

 先生のお葬式に、先生の前妻とその子供二人が来ていた、と言う話をどこからともなく聞いた。親類席で、いたたまれない視線を浴びながら終始恐縮していて気の毒だた、と。妻と離婚しても、子供は子供だ。葬儀にも来るだろう。
 私はそもそも先生に離婚歴があることを知らなかた。そのことは少なからず先生に対する印象を奇妙にゆがめることになた。奥さんと子供二人に囲まれた先生は、私の知ているどの先生でもない。先生の内側に、もう一人の別の先生がいるようだた。その先生は、決して私を内側に招き入れることはない。押し入れば壊れてしまうだろう。
 離婚するということは、大概はどちらかに落ち度があるということだ。先生が奥さんを傷つけて裏切たのか。奥さんの何かしらの要素に先生が耐えられなくなたのか。
 まして子供もいたのだ。ひとしたら養育費なども払ていたかも知れない。私にそれを知らせなかたのは、優しさだたのか、いい加減さだたのか、それとも臆病さだたのか。高校の先生を辞めて、そのあと本当にどうするつもりだたのか。
 もはや先生は応えてくれない。

 携帯に残された写真のうち一枚だけ、リスの写真があた。珍しいと思て撮たのだ。そのリスは、雪の中でドングリを抱えていた。あのリスは冬の間ため込んだドングリを食べて過ごすんだ、と先生は言た。そして、リスが食べ忘れたドングリの実が、いずれ芽を出して新しいドングリの木になるのだと。
 リスの写真を見たとき、私は先生がいなくなて初めて泣いた。先生がいなくなて、本当の先生がどんな人だたのかも分からなくなりかけて、でもそれでいいのだと思た。

 私は、特に高め狙いでもなかたのが幸いして第一志望の大学に受かり、この春上京することになた。
 サボテンが、赤い花を咲かせた。
 いつかこのトゲトゲの地球儀から飛び出していくのだ。
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