勤め先である工場へ向かうために駅構内へ入る。Suicaにチ
ャージしながら駅ロータリーを覗くと、あるスペースには行列が出来ていた。が、僕はその行列と人だかりを無視して進む。時間に余裕がある時なんかは、『あれ』を使おうと思うけれど、今日みたいに遅刻するかしないか微妙な時は、さすがに待っていられない。駅構内にも『あれ』はあるのだが、そちらも恐らく行列が出来ているだろう。十分ほど待てば使えるのだろうが、そこまで待っている余裕などない。もっと早く家を出るべきだったが、別に一日二日あれを使わなかったところで、致命的に後悔することなど、滅多にないように思う。だから気にしなくていいだろう。
地元から電車で五駅の場所に、僕の務める工場はあった。
駅からは送迎バスが出ている。送迎バスとは言っても、昔タクシー運転手をやっていたおじいさんが、会社に雇われて運転するワゴン車だ。駅で待っている社員やバイトを拾って工場まで運ぶという、バスとは名ばかりのオンボロ車だった。
あまりにも田舎過ぎて、何の店舗も見えない駅前の広場に出ると、会社の名前が入ったワゴン車が停まっている。
車の扉を開けるとすでに佐伯さんと渡辺さんが乗っていた。待たせていた二人と運転手さんに謝りながら僕は車に乗り込む。運転手さんはバックミラーで僕らを確認した後で、すぐに発車した。
「時間ぎりぎりだったね」
佐伯さんがいつも通りの柔らかい笑みを向けながら、そう言った。
「いやあ、少し寝坊して、いつもより出るのが遅れました。電車も一本遅れましたし」
「五反田さんと置いていっちゃおうか、って話してたの」
悪戯っぽい笑みを浮かべる彼女は可愛らしかった。彼女は二十四歳のフリーターで、生活費を稼ぐためにここで働いているという。ちなみに五反田さんとは運転手さんの名前だ。とても寡黙で、こちらが話しかけない限り何も喋りはしない。きっちり時間を守る人ではあるけれど、最初にあった時は強面の顔で無口なものだから、嫌われているのかと思ったほどだ。
「いやあ、佐藤君が遅刻してクビになっても、俺のところで働いてもらうから大丈夫よ」
僕と佐伯さんの後ろに座る渡辺さんが、僕の頭を叩きながら豪快に笑った。
一見チンピラのように見えるこの人は、キャバクラの雇われ店長をしていて、昼間の空いた時間をこの工場で働いているのだと言う。以前、僕が勤め始めた時期に、
「なんでキャバクラでも働いてるのに、こんな工場、しかも安月給で働いているんですか」
と訊いたら、
「俺さ、働いてないとおかしくなるんだよ。とにかく金を稼いでない時間が恐ろしくて、常に働いてないと、俺駄目なんだよ」
と言っていた。一日の睡眠時間が三時間で、キャバクラが休みの日は、知り合いの人に頼んで夜間の交通整理のバイトをさせてもらっているらしい。とにかく起きている時間のほとんどを働いているという超人的な人だった。いつかは体を壊して死にますよと、僕は彼に言い続けているのだが、彼は面倒くさそうに「いっそ死にてえよ」としか言わないので、いつか死んでしまえばいいと密かに思っている。親に捨てられて、中学校を卒業してからずっと働き続けて、とにかく金を稼ぐことに喜びを覚える、そんな可哀想な人ではあるから同情はするのだが、ただ貯金通帳に金が溜まるのを楽しみに生きる人生というのも不幸であると僕は思う。だからといって、彼を救おうと言う気はない。それに、しつこく僕をキャバクラのボーイとして引き抜こうとするので(彼が僕のどこをそんなに気に入っているのかは全く分からないが、僕は何かと彼に気に入られている)、正直、僕は彼の事を甚だ疎ましく思っているのだ。悪い人ではないんだけれど。
「着いたぞ」
キャバクラに勤める女の子の愚痴について、渡辺さんから延々と聞かされ続けていたら、いつの間にか工場に着いていた。
車から降りて工場内に入ると、エントランスの隅の方のスペースに、人だかりが出来ているのが見える。
「今日は人がいっぱい集まってるっすね」
渡辺さんに声を掛けると、彼は面倒そうに頷きながら
「ああ、今日からこの工場にも『あれ』が置かれるんだってよ」
「ええ? ついにここにも置かれるんですか?」
「おう。まあ俺は自分専用のを買ったばかりだからな。お前ら貧乏人にはちょうどいいよな」
さりげない自慢を吐きながら、彼はけけけっと笑った。
「二百万したんでしたっけ?」
「おう。毎日使ってるわ」
渡辺さんのその言葉に、佐伯さんは少しだけ羨ましそうな顔をしたが、しかし内心では渡辺さんの事を軽蔑してるんだろうなと思った。
「しかし、みんな毎日のように使ってるよね」
そんな佐伯さんに向けて言うと、彼女は頷きながら苦笑した。
「それはそうよ。みんな保険をかけたいのよ、自分の人生に」
僕だって自分専用の物があれば使いたいが、職場に置いてある『あれ』をこうやって我先を争うように使っている人を見ると、なんだかうんざりしてしまう。
「しかし、遂にうちの工場にも導入されるとはなあ」
僕はため息を吐きながらそう零した。
「セーブポイントなんて物が」
箱に食品を詰める作業をするためにラインへ向かう。しかし今日は、隣で一緒に作業するはずの加藤君の姿が見えなかった。姿の見えない彼の代わりに、大きな腹を震わせながら、社員の藤崎さんが脂ぎった顔をこちらに向けていた。
「加藤さんは今日休みですか?」
藤崎さんにそう訊くと、彼は疲れ切った顔でこう答えた。
「なんかエラーが起きたらしくてね。実体が上手く再現できないみたいなんだ。サーバーに問い合わせてみると、どうも変なエラーが起きてるらしくてね。明日には直るらしいけど、まあ仕方がないな。加藤君が悪いわけじゃないし。いくらセーブしてたって、エラーが起きたら会社に来れないもんな」
おかげで俺がライン作業をする羽目になったよ、と、彼は疲れた顔で笑う。押し付けられた仕事を断れない性格なんだろうなと思った。
「じゃあ、加藤君は今、この世にいないんですね」
「そうだと思うよ。僕はエラーになったことが無いから、エラーになっている時の気分ってのはわかんないけど、どうやらその間の意識はないらしいね。気が付いたら翌日になっているらしいよ」
この世界に生きる僕らには、たまにエラーという現象が起こる。世界に何らかの不具合が起きて、突然存在が消えてしまったり、体や意識が再現できなくなったりする。そんな場合は、管理会社という場所に電話をすればいいのだが、その管理会社とは誰がやっていて、なぜ僕らを管理できているのか、それがどんな存在なのかは誰も知らないらしい。
翌日、加藤君はいつも通り会社に出社し、ラインで僕の隣に並んだ。
作業しながら、軽く昨日の事について聞いてみる。
「昨日エラーが起きたんだって?」
「うん。何も覚えてないけどね。というか、朝起きていきなり告げられるんだよ。君にエラーが起きていました、ってさ」
「そうなんだ。でもそんなことされたら、さすがに怒っていいと思うけどな。給料だって一日分が台無しになっちゃうわけだし。その日の予定とか駄目になって、人に迷惑かけちゃうじゃん」
僕がそう憤ると、加藤君は僕を宥めるように口を開いた。
「まあ、僕もそう思うけどね。でもお詫びとして、エクスカリバーとルディヌの鎧を送ってくれたから、まあ許すしかないよね」
「えっ! そんなレア装備くれたの? だから加藤君、今日ルディヌの鎧を着て会社に来てたんだ!」
今日は加藤君の装備がやたら豪華なので、驚いていたのだ。そうか、エラーを起こした管理会社からのお詫びの品だったのか……。
「そんな装備が貰えるのなら、エラーが起こるのも悪くないかな」
「でもさ、別にこれって売れないし。誰かと戦うわけじゃないのにエクスカリバーとかもらってもって思うよ。それだったらお金とかもらった方が良いな」
そんなことを言いながらも、背中にエクスカリバーを背負って会社から帰る加藤君はとても嬉しそうな笑顔だった。
クリスマス一週間ほど前の休日。僕は彼女である美咲とカフェテリアでお茶をしていた。駅前にあるカフェテリアなのだけれど、窓から見える駅前のセーブポイントを覗くと、相変わらず長蛇の列が出来ているのが見える。
そりゃあ、任意のタイミングでセーブした時点に戻れるのは素晴らしいと思うけれど、何度も何度もロードをして成功するまでやり直すのは少し見っともない気もする。例えば仕事でミスしたからと言って、セーブした時点に戻って朝からやり直すというのも面倒くさいはずだ。同じことを何度もやるのが嫌な僕にとっては、セーブしたところからやり直しだなんて考えただけでもうんざりする。
事故に遭うとか、殺人犯に襲われるとか、そんな致命的な事態が起こればさすがにセーブした時点に戻ろうと思うけれど、いちいちくだらないことでセーブ地点まで戻っていては人生楽しくないだろう。それに、いつでもセーブ地点からやり直せるという油断が、緊張感の欠如を招き、仕事に身が入らなくなるという危険性も指摘されている。だから僕は出来るだけ、週に一二回ほどのセーブにとどめ、とりあえず重要な事が無い限りロードをしない様にしている。
そんなことを考えながら、僕はくすりと笑った。目の前でカフェラテを啜る美咲がちらりとこちらを見る。僕は今日の内に訊いておきたかった、美咲の来週の予定を尋ねる。
「来週のクリスマス・イブは休みとったんだよね?」
「うん。クリスマス・イブは一緒に居られるよ」
付き合ってから二回目のクリスマス・イブ。僕はこのクリスマス・イブの日に、美咲にプロポーズをしようと考えている。今年に入