働かないライオン
むかし、働かないライオンがいました。
兄弟が狩りに出かけても、老齢の親ライオンが鼻先で小突いても、彼はサバンナを照りつける過酷な太陽の中で、涼しい木陰に寝そべ
って暮らしていました。
朝も昼も寝転がったままぼんやりと過ごして、時折、のそりと動いたかと思うと、近くの水場で喉を潤して、また寝転がるのでした。
食べては寝て、寝ては食べて。
そんな暮らしぶりでしたから、彼は他の誰よりもでっぷりと太ってしまい、少し歩くだけですぐに息が上がってしまいます。
食事といえば、狩りから戻ってきた兄弟たちを押しのけて、我先に兄弟たちが苦労して狩ってきた獲物の肉にありつく有様ですから、群れの誰もが彼のことを疎ましく思っていました。
ある日のことでした。
狩りに出かけた兄弟ライオンたちが、日が暮れても戻りません。
心配になった親ライオンたちは、兄弟ライオンを探しに行こうかとそわそわするのですが、そんなことも気にならない様子であくびをする彼の傍から離れようとはしませんでした。
狩りの基本は朝に出かけて明るいうちに戻ることです。
暗くなると、迷子になったり、思わぬ強敵と出くわしてしまうおそれがあるのです。
兄弟ライオンたちは、獲物を捕らえることができなくても、日が沈む前には戻ってくるよう、幼いころから教育されていましたから、辺りが真っ暗闇になっても戻ってこないということは、何かよくないことが起きたのは、もう明らかでした。
ライオンたちは群れで生活しているとはいえ、基本的には家族単位で行動しますから、まさか群れの誰かに様子を見てきてくれなどとはとても言えません。
それでも親ライオンたちは、なかなか決心できませんでした。
少し歩いただけで息が上がってしまうような彼を一人、置いていくわけにもいかず、かと言ってこのまま戻ってこない兄弟ライオンたちを待ち続けるのは、とても危険なことだとわかっていました。
というのは、もし他の動物たちにこの住処が見つかってしまったら大変なことだからです。
生き残った一頭のあとを追って、群れを一網打尽にしようとする。
そんな狩りをする動物もいるものですから、状況をしっかりと見極めるために、やはり様子を見に行く以外に方法はありません。
そんな親ライオンたちを尻目に彼は大きなあくびをします。
彼は、昔はそんなライオンではありませんでした。
他の兄弟たちと元気にあちこちを駆け回り、強い親ライオンのことを心の底から尊敬していました。
ある時、彼は過ちを犯してしまいます。
それは群れで新しい住処を探して、移動を開始したときのことでした。
当時、彼の父親ライオンは群れの指揮を執っていました。
父親ライオンを先頭に、夕暮れのサバンナをライオンたちが横断していました。
彼は、まだ幼かったので、兄弟たちと一緒に母親ライオンの傍にいました。
朝からずっと歩いていましたから、いい加減、彼は喉が乾いていました。
そこに、なんとも涼しげな木陰と水場が見えてきて、彼は思わず群れから離れてしまいます。
ところが、彼がいなくなったことに母親ライオンも兄弟たちも気付いていませんでした。
彼は、存分に水分を身体に蓄えて、少し木陰にごろんと横になります。
なんとも素敵な場所を見つけた。
そうだ。
みんなにも教えてあげよう。
彼は、身体を起こして、さっきまで歩いていたけもの道を見てみるのですが、そこにはもう誰もいませんでした。
急に彼は寂しくなって、みんなを探すのですが、見つけることができません。
そうこうするうちに、周囲は真っ暗闇になってしまいます。
かわいそうに、彼は、知らず知らずのうちに、ヒョウの群れに囲まれていました。
ジリジリと草木に隠れて彼に近づいていきます。
一方の彼といえば、もう怖くなってずっと鳴いているばかりでした。
一頭のヒョウが彼の胴体に狙いをつけて飛び出しました。
彼は飛び上がって、一目散に逃げようとしますが、何頭ものヒョウが姿を現して、次々に彼を襲います。
もうダメだ。
そう思ったときでした。
聞きなれた獰猛なうなり声が聞こえてきます。
父親ライオンでした。
父親ライオンは、ヒョウたちの隙を見て彼を口にくわえて走り去ります。
もうヒョウたちの姿は見えません。
助かった。
彼は安堵のため息をつきましたが、父親ライオンは、緊張した顔で、彼をくわえたまま、夜のサバンナをもの凄い速さで駆け抜けます。
もう大丈夫なのに。
彼は、そんな父親ライオンを見て、口を尖らせました。
二人が戻るとすぐ、群れは移動を始めますが、もう真夜中でしたし、みんな、ずっと歩き詰めで疲れ切っていましたから、しばらくして足が止まってしまいます。
そこを待っていましたとばかりにヒョウたちが襲いかかります。
そう、実は、ずっと彼らを付け狙っていたのでした。
大人のライオンたちは、子どもライオンを守ろうと抵抗しますが、疲労のせいで次々にヒョウたちに倒されてしまいます。
母親ライオンは、彼と兄弟の上に覆いかぶさって、ヒョウたちの攻撃に歯を食いしばって耐えます。
ヒョウたちの狙いは子どもライオンでした。
何度も何度も母親ライオンに襲い掛かります。
そうして夜が明けると、ヒョウたちはしとめた子どもライオンを口にくわえてゆうゆうと自分たちの住処に戻って行きました。
彼らは多くの仲間を失ってしまいました。
そんなことがあって、彼は極度に夜を、外を怖がるようになり、ついにはまったく働かなくなったのでした。
ふと遠くで、兄弟ライオンの一人の危険を知らせる声が聞こえてきます。
その声は、まるで最後の命を振り絞るような、弱り切った、しかしその声は確かに親ライオンたちに届きました。
親ライオンたちは即座に危険を群れに知らせますが、みんなもうぐっすりと眠ってしまい、誰も起きようとはしませんでした。
老いた身体に鞭打って、父親ライオンが迫りくる獰猛な声に立ち向かいます。
母親ライオンは、あの時の傷のせいで素早く動けませんでしたが、彼のすぐ傍に立ち、威嚇のうなり声をあげます。
ようやく、危険な状況に気付いた群れは、子どもライオンを庇うようにあちこちでうなり声をあげ、周囲を窺うようにぐるぐると回ります。
そんな異変を、やはり彼も気付いていました。
しかし、彼はもう死んでもいいと思っていました。
ずっとみんなに責められていましたし、自分が臆病でダメなライオンだとわかっていたので、もう楽になりたいとずっと思っていたのでした。
しかし、母親ライオンは彼を守るため、必死に戦います。
そんな様子を、彼は諦めた顔でぼんやりと眺めていましたが、一頭の雌ライオンが襲われているのを見て起き上がります。
たくさんの仲間を失って堕落の人生を歩んでいた彼を、責めることもせず、また慰めることもせず、時折寄り添い、励ましてくれた彼女を、彼は好きになっていたのでした。
でも、ダメな自分が彼女と一緒になってはいけないと、ずっと冷たい態度をとっていたのですが、彼女が逃げ回る姿に、無我夢中で駆け寄り、彼女を庇うように獰猛なうなり声で威嚇します。
でっぷりと太った身体のことも、恐ろしいあの夜のことも、群れのみんなから感じる疎ましさも、親ライオンや兄弟ライオンたちへのすまなさも、全部忘れて彼は襲い来る敵に立ち向かいます。
その敵は、あの日、彼を、群れを襲ったあのヒョウたちの子どもたちでした。
身体に無数の傷が増えても、彼は戦い続け、何頭ものヒョウを倒していきます。
そうして、夜が明けると、手負いのヒョウたちは方々に逃げ去っていきました。
群れに死んだライオンはいませんでした。
ただ一人。
でっぷりと太って、いつものように寝転がる彼を除いては。
いつも無表情だった彼の顔つきは、幼いころに憧れた父親ライオンのような勇ましい立派なライオンのものに変わっていました。
群れは、彼の迫りくる死を悼んで、悲しそうに遠吠えを上げます。
彼は、薄れゆく意識の中で、自分が変わればすべてが変わる、と気付いたのでした。
それに気付くには、もうずいぶんと遅かったのですが、彼は満足でした。
自分が変わればすべてが変わる。
だけど、どうやって自分を変えればいいのか、あのヒョウたちがいなければきっと気付けなかったのですから。
願わくば、尊敬の眼差しで彼を見つめる子どもライオンたちが、どうしようもない自分の変え方を、そして彼自身の過ちを、その目に焼き付けてくれれば。
彼は、静かに目を閉じて、動かなくなりました。