笑わないんじゃない、笑えないんだ
トシノブは俯いたまま、何も言わない。何を聞かれても、黙
ったままだった。いつまでもこうしているかもしれない、と、声の主は、そう思ったのでその場から消えた。
(笑うって、なんだよ。笑うって……どんなときに……)
授業中、そんなことを考えていた。トシノブは、もちろん笑うことがある。だが、それは大笑いだとか、本心からだとか、輝くような笑顔ではない。非常に自虐的な笑いだ。自分を切り売りして、暗く黒く歪んだ微笑みを浮かべるだけだ。
そんなことをしている間に、高校生活が終わろうとしていた。終始、笑うことがなく「わらってばかり」の自分がいただけであった。
トシノブが唯一、ホッとできる安息の場所。それが自室だ。自宅の、限られたスペースにいる間だけ、トシノブは本心の、心の奥の奥から湧きあがる欲求によって動くことができた。
今日もインターネットを眺めて昏い笑いを浮かべている。面白い事が何かないか、学校でネタに出来ることはないか、そんなことを探している。すると、パソコンの画面にチャットを知らせるポップアップが流れてきた。
「今日もそんなことやってんの?」
ポップアップには、その一言だけが書かれている。トシノブは無視してインターネットの動画を眺めていた。この部屋において、見たくないものは見なくてもいいのだ。
しかし、ポップアップが消えた途端に次のポップアップが流れてきた。
「無視すんなよ」
トシノブは、いい加減、怒りが湧き上がってきたのでパソコンを閉じてしまった。自分を解放するためにパソコンを起動させていたのだし、辛い気持ちになるくらいなら眠ってしまった方が、幾分かましであるのだ。
夢の中で、トシノブは空を飛んでいた。空を飛ぶ夢とは、一般的に自由に解放されたいときに見るのだという。トシノブは夢の中にいるので、そのことについて考える余裕はない。
朝日に無理やり起こされ、目覚ましをストップさせる。目覚ましがサイレンを鳴らすまで、あと十数分あった。だが、トシノブはいつもその時刻よりも早く起きる。
(今日もまた、こんな時間に…………)
声が聞こえる。頭の中に響く声だ。いつかの日、聞いた覚えがはっきりと残っている、昏い声だ。
(みんな、待ってるぜ。お前の笑顔をさ)
トシノブは、ぶんぶんと頭を振った。できないことは、できない。だから、できないのだ。トシノブは早めに学校に行く準備を始めた。
通学中、学友が歩いていくのが見えた。笑顔だ。トシノブも笑顔になる。自然に出てくるのは愛想笑いだ。へらへらとした、薄っぺらい笑いだ。
そんな毎日を、送っている。そして、卒業式も間近になった日だった。その日は、雪がちらついていて肌寒かった。
トシノブが太陽を見上げている。この雪は、止むだろうか。晴れてくれたら。もし、晴れてくれたら、心から笑うことができるかもしれない。そんなことを考えていた。
その時。トシノブの背中に体当たりをする者がいた。いつもの冗談だった。しかし、トシノブは油断していたので体勢を崩してしまった。
よろめいたトシノブの目に、粉雪が入ってしまった。とても、とても痛かった。しかし、何故かこの偶然を笑うことができた。
「あれ、どうしたのトッシー? いい笑顔じゃん?」
「え、トシノブ、そういうシュミ?」
「うっせぇっ! 違う、違うってぇ!」
ほんの偶然が、トシノブを笑わせた。卒業間近のこの日に、彼はようやく真の笑顔を手に入れたのだった。
トシノブは、パソコンに設定した「いつか笑えた時の為のポップアップ」という実行ファイルを、削除することができたのだった。
(了)