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朝の情景コンペ
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『JELLY』
 投稿時刻 : 2013.05.05 13:58
 字数 : 1822
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『JELLY』
小山内 豊


 町に陽が射してきた。
 マンシンの壁面はまぶしさを増して白く輝いた。その壁を這うつたの葉は、気流に歓喜してやさしく揺れた。地際では何本か植えられたコニフ、ツツジ、シリンバイがせまる日差しを、未明の場所から待ちわびている。向かいの家、バルコニーに干されたスニーカー、赤ん坊の服、だんなさんの作業着、喜んでいるように見えた。昨夜はあの家から赤ん坊の泣き声が聞こえた。若い夫婦はそれをあやして、ようやく眠りについたのかもしれない。
 紗幸はリビングのソフに横たわり、それを眺めている。家族で起きているのは自分だけだ。両親は奥の部屋で寝ていて、弟は北側の四畳半、どこも照明をつけていないので、この家は眠ている。その時間を一人で過ごしている。リビングの中央にある机には、自分の部屋から起きてくるときにもてきた『JELLY』と、買たばかりのスマホがある。着信を知らせるライトが点滅しているが、紗幸はそれを放ておいた。誰からのものか、見なくてもわかていた。その送り主はもうしばらくしたら、向かいのマンシンから出てきて、自転車に乗り、朝練に出かけるはずである。紗幸はそれを待ているのだた。
 親が起きてくるのと彼が家を飛び出すのとどちらが先か、賭けをするような気持ちがあた。両親ともに働いているが、今日は休みだ。だから六時半をまわたいまの時間に起きてきてもおかしくない。彼の朝練は学校で七時からだ。そろそろ出てこないと遅刻だが、そんな日もあることを知ている。
 遅刻か、と、紗幸はだんだんと失望を募らせる。
 やがてコニフのこずえに朝日が届いた。深い緑色が、エメラルドに変わる。じりじりと角度が上がて、こんどはツツジの葉が輝きだす。赤い花が祝福される。
 ばたん、と音がして視線を上げると、彼があわてた様子で家を飛び出すところだた。着替えと教科書を入れたバグを背負いなおして、階段を下りていく。「間に合た」と、声に出しそうになるのが、不意に聞こえてきた、奥の部屋からの物音でふさがれる。父親だろうか、ベドが軋み、誰か立ち上がるかすかな音だた。いまや、彼は階段を降りきて、マンシンのアプローチまで来ている。奥からはドアの開く音が聞こえる。父親だ、と、紗幸は念じる。父親であればますぐにはリビングにやてこない。その願いが通じて、物音は、玄関へ向かう。新聞をとりに行たのだ。
 眼下で彼は駐輪場に走る。右隅の特等席がいつもの駐輪場所だ。中央の植栽地をまがり、自転車まで眼と鼻の先まで走る。
 紗幸はソフから身を起こした。彼が急に立ち止まり、硬直して突ている。なにごとか、と立ち上がりバルコニーに近づく。彼は誰かと話している。予想外だたらしく、不自然な格好で緊張している。相手は、見覚えのある背格好だた。紗幸のなかで冷たい感情が怒りとともにわいた。テーブルのスマホをとり彼の番号へ発信する。呼び出し音を聞きながら、再び眼下の様子を眺める。
 彼は硬直したままでいたが、おそらくバグの中から聞こえてくる携帯電話の着信音によて、緊張が解かれる。飛び出してきた相手の話を遮て、あわてた様子でカバンを下ろしなかを探る。携帯電話を見つけ、液晶画面を確かめ、ますぐに紗幸のいる部屋のほうへ向き直る。そのままじとこちらを観察している。紗幸の姿が見えているかどうかはわからない。あるいは光りの反射で暗く、部屋の中まではうかがえないかもしれない。彼はゆくりと通話ボタンを押して、こちらに向かて立つ。
「早く行かないと遅刻するよ」
 と、告げて紗幸は通話を切た。
 彼は出くわした相手との会話を続けたか、それとも朝練に間に合うべく自転車を走らせたか、紗幸にはわからない。間近で衣擦れの音がして振り向くと、父親が意地の悪い笑顔を浮かべて様子を伺ていた。手には取てきた新聞を持ている。
 紗幸は『JELLY』を手に取り、父親へすばやく投げつけた。フン、ヘアスタイル、ダイエト、モデルのインタビ、めくれあがたのを父親はすばやくよける。寝起きとは思えない機敏な動きであた。
「ものは大切に」
 いやみたらしく『JELLY』を拾い上げ、ほこりを払う仕草をしてみせる。にらみつけられると、にやけ顔をくずさないままキチンへと退散する。
 紗幸はその後姿にさらにするどく視線を送て、それからちらりと外の様子を伺たが、もう誰もいなくなていた。
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