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第2回文藝マガジン文戯杯
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当たり前のことさ
fusur
 投稿時刻 : 2017.10.28 21:59
 字数 : 5060
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当たり前のことさ
fusur


 ――忘れたくない記憶が消えかけてしまている

 そんなあなたに――と続く文章が書かれた一枚のポスターに、なぜか目を引かれていた。
 それ自体はシンプルなデザインだ。白抜きの文字。背景の薄青色は、微かに外側に向かてグラデーンを広げている。しかし、私の目を引いたのは、いや、正確に言うならば心を掴まれたのは、その文章だた。
 今年で八十二歳になる我が人生を振り返てみれば、やはり善いも悪いもたくさんの思い出がある。中には本当に少しだけ、指で数えるほどではあるが、絶対に忘れたくないという記憶だてある。
 年を取るごとに薄れ、輪郭がぼやけ、ただそれがあたという事実だけが頭の中に残ることに、どうしても抗いたい記憶が。
 初めてそれに成たとき、初めてそれを味わたとき、初めてそれを聴いたとき、初めてそれに触れたとき、初めてそれに負けたとき、初めてそれと繋がたとき、初めてそれを失たとき、初めてそれを認めたとき、初めてそれを受け入れたとき、その時に感じた、その時にしか感じることのできなかたものを、そのまま真空パクに詰めて劣化させまいとするかのように、ずと記憶に保ておきたいと思たことがある。
 忘れたくない記憶が消えかけている。
 年を取てそう感じた瞬間あるからこそ、私はその文章に引かれ、店に入たのだと思う。

 レトロという言葉を感じさせる内装の店だた。と言ても、最近の店に多いプロデスされたレトロ感、あるいは演出されたレトロ感というのではなく、百年近く前から揺るがぬセンスの良さを保ち続けてこうなた、というような時間の趣を感じさせる店だた。
「おや、珍しい」
 奥の方から掛けられた声に、私は視線を向けた。
 カウンターの奥に座ていた男性と目が合い、私は少しだけ戸惑う。
 声の感じから初老のような印象を受けたのだが、外見を見るに二十代後半あたりにも見える。が、ハンチングを被り、地味な色合いのベストを着たイギリスの老紳士といたような服装は、なんともちぐはぐな印象を受け、違和感をもたらした。
「お客さんかな」
 彼はにこやかに目を細めて尋ねる。
 しかし私は、「はい」とも「いいえ」とも言えなかた。私はただポスターにひかれて何となく店の中に入ただけであり、ここが何の店であるかもわからないのだ。
 その戸惑いを受け取たのか、彼はふむ、と一声出してから顎に手を当てた。
「ここは、一つだけあなたの思い出を再現することができる店でしてね」
 なんとも胡散臭い商売じないか。
 私は鼻で笑いそうになた。
 が、その後に続く彼の言葉が、あまりにも現実離れして逆に興味をひかれた。
「あなたの脳内の記憶領域にアクセスし、最新のVRフルダイブ技術によて、あなたを過去の時間、その瞬間に連れていきます」
 彼はそう言てから、まあ連れていくとは言いましたがあくまで再現するだけですけどね、と少しだけ悪戯ぽく笑た。
「VR、というのはゲームのことじないのかね」
 VRというものを実際に体験したことはないが、メデア媒体でその存在は知ている。若者の文化に疎い私でも、VR技術を取り入れたゲームが発売されたという新聞記事を読んだ。専用のゴーグルをつけ、視界いぱいに映し出されたヴルの世界に、あたかも自分が入り込んでいるかのように体験できるものだ。
 が、いくら私が疎いと言ても、自らの記憶を体験できるヴルリアリテなどないと知ている
「そうですね。ゲームに取り入れられているのがもとも有名ですかね。ただVRというのはもともと、人間の認知を拡張するものとして開発が進んでいたんです。現在は視覚ばかりが目立ていますが、嗅覚、触覚、聴覚、そして味覚までをも再現させる技術なんですよ」
「なんですよ、て。まるで既に完成してるみたいに言うじないか」
 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、このくだらない冗談に乗てやろうと思た。ポスターに引き寄せられた時点で、この冗談に釣られてしまているようなものなのだ。主人の戯言にちと話を合わせてやるぐらい構わないだろう。
 そうなんです完成してるんです、としたり顔でニヤニヤしながら言うのを私は待ていたが、しかし彼は(私の思惑とは正反対に)心からそう信じているかのような真剣な顔で言た。
「完成してますよ。だからこそ、こうして店を開いているんじありませんか」
 私は一瞬だけ呆気に取られた。が、そうか、こうやて真剣な顔で冗談を言う方が返て面白いのかもしれない、と思い直した。あまりにも馬鹿馬鹿しく壮大な冗談であるほど、真剣な顔をしていれば妙な面白みが出るものだ。さてはこの主人、相当な冗談好きなのではないか。
「じあ、私も一つ体験させてもらおうかね」
 ここまで来たら、この主人の馬鹿馬鹿しい冗談に乗てやるのも面白い。話の種にもなる。ここで私が憤て場をしらけさせても後味が悪い。ときにはこれくらいの冗談に乗て馬鹿な話をするのもいいではないか。
「そうですか。とりあえず体験してもらて、お客様自信にお代を決めて頂こうかと思います。では、こちらへどうぞ」
 お代という言葉が出て、質の悪い詐欺に捕またのかと一瞬身構えたが、私に決めて頂くというフレーズがなんとも冗談めかしていて私は好感を持た。
 主人に促されるがままに、私はカウンターの奥にある部屋に入た。

 最新のSF映画のセトでも組んであるのかという、陳腐な感想が喉まで出かかた。先ほどのレトロな雰囲気からいきなり現れたので、余計にそう思わされた。
 いくら冗談とはいえ、ここまで作り込むものだろうか。そう思わずにいられなかた。なんと言えばいいのだろう、例えば病院にあるCTスキンのような、頭を覆うベド型の機器、光を反射する大仰すぎる白い機器が、モニターやその他の機器などとコードで繋がれ、部屋の中心で存在を主張していた。
「これが、そのVRかね」
「はい。こちらです。頭を機器の方に入れるようにして仰向けに寝てください」
 私は内心不安になりながらも、彼の指示に従た。
 もしかしたらこれは冗談なんかではないのか、という気持ちが徐々に大きくなていた。何かの実験台にされるのではないか。あるいはまだ冗談は続いていて、彼は相当にうまく私を騙しているのではないか、という気もする。
 彼は機器を操作しながら私に問いかけた。
「あなたがもう一度体験したい記憶はなんですか。もしくは、こちらにお任せしていただく形であれば、あなたの一番強い記憶を掬い取て再現いたしますが」
「一番強い記憶……?」
 咄嗟に答えることができず、ただオウム返しのように同じ言葉を繰り返してしまう。
「はい。事前に説明することができずに申し訳ないのですが、どのような記憶をも再現できるというわけではありません。脳の中には、その人が強く印象に残ている記憶、忘れたくないと強く思ている記憶ほど、残ているものなのです。あまりに弱い記憶ですと再現度がかなり低くなてしまうので、おすすめとしては印象の強い記憶がいいですね。まあ、印象の弱い記憶なんてすでに忘れてしまていることも多いので、ほぼ全ての人は印象の強い記憶をお選びになりますが」
 説明を聞きながら、私は一つだけすと心の奥底から浮かび上がてくる記憶を感じた。
「二十代の初めのころの、恋人と、桜の――
 私はもう色褪せて、薄れて、崩壊しかけてしまているその記憶を、告げた。
 もう遠い昔のこと。
 忘れまいと強く願い続けたのにも関わらず、六十年近くが経た今では、もうすでに消えかけてしまている記憶。この記憶はまだ私の中に残ているだろうか。再現ができるだろうか。
 もしこれが冗談であるのなら、それで構わない。
 ただもう一度その記憶に触れることができるのなら、彼に上手に騙されてみたい。
 私はそう思いながら目を閉じた。


 ――気が付くと、私は病院のベドで寝ていた。
 隣には十代後半の女の子がいる。
 彼女は窓の方を眺めている。が、やがてこちらを振り向いた。
「あ、起きた」
 少しだけ目を細めて彼女はそう言た。
「昼寝好きだね」
 呆れるように笑てから、彼女は再び窓の外に視線を向けた。
「もうすぐ桜の季節だなあ。私は生きてるかなあ」
 ことさら悲観的にいうわけでもなく、冗談めかして言うわけでもなく、ただ淡々と口にしている。
「俺だて同じだよ」
 と私は言ている。これは私の記憶だ。あの時の、そう、あの時――
「誰も骨髄なんて提供してくれる人いないもんね。あーあ、世間はなんて冷たいんだろう。なんてね。私だて病気に罹る前だたら骨髄なんて提供しようと思わなかただろうし、興味すらなかたし」
「確かにな」
 私も同意するように言た。
 しばらく二人で窓の外を眺める。
 病室にいると、お喋りをするか、窓の外を眺めるかしかやることがない。
「ねえ、日本の桜てほぼ同じDNAを持たクローンだて知てた?」
 また彼女が口を開いた。思えば、いつだて先に口を開くのは彼女の方だた。
「知らない」
 そして私はいつだて素気ない。
「人間の手によて生み出された美しさ、そして人間の手によてしか増やすことのできない。完全に人間の都合で生まれて、人間に依存した植物」
「ふーん」
「人間は勝手なんだよね。でも時々すごく美しいものを生み出す」
 彼女はそう言て、一人で勝手に頷いている。
「そんなの当たり前のことさ」
 苦笑してしまうくらいに、私たちは判たようなことを言ていた。
 お互いまだ若かたというのに。

 それから数日後、私の容体は急変した。
 そのまま行けば死ぬはずだた。
 死にいく当時の様子を私はリアルに体験する。ぼやけていく視界。意識が混濁していく様。呼吸が徐々に困難になていく絶望。体に力が入らず、生命というものが急速に体の外へと放出されていく感覚。
 ベドの周りを見回す。拳を握る父の姿。私のベドに泣き崩れている母の姿。顔を崩して泣いている姉の姿。看護婦たちが動き回る足音。私の意識を繋ごうとする医師の声。僕は知らなかた。死ぬ瞬間に人はこんなにも誰かの愛を感じるのだということ。優しさに触れているのだということ。そして意識が薄れていく。過去と現実がまじりあていく。フラクするかのように、過去の映像が次々と噴水のようにあふれ出していく。三歳のころ、大きな父親の手に包まれて押し入れに上らせてもらたこと、誕生日プレゼントに大きな電車の模型をプレゼントされたこと、誕生日パーの寿司を握りつぶして泣いてしまたこと、普段は不愛想な母が頑張て借りた絵本を読んでくれたこと、幼馴染の女の子と手をつないで遠くまで行て親に怒られたこと、初めてバレンタインのチコをもらた時の温かさ、初めて放課後の公園でキスをした時の高ぶり、音楽室でふざけて友達とギターを弾いたこと、初めて母親に怒鳴て父親に殴られたこと、夜中に一人で出歩いて聴いたブランキー・ジト・シテの新曲のやさしさ、遠くのバイクの音、初めてセクスをした時の何かを超えたような不思議な感覚、朝の光、様々な感覚があふれ出して記憶があふれ出して、私は出ない声で、ただ

「死にたくない!」

 と叫んでいた。
 
 気が付くと私の病状は落ち着き、快方へ向かていた。
もう数日で死ぬという段階になて、適合する骨髄提供者が見つかたという。
 私はそれを喜んだ。
 そして生きていることのありがたさというのを体全体で感じていた。
 が、私が病状から快方へ向かた時、すでに隣のベドから、彼女が消えていた。
 彼女は私が苦しんでいる間に亡くなていた。
 提供された骨髄は、偶然にも私と彼女、両方に適合するものだた。しかし彼女は、先に病状が悪化した私を見て、私にそれを譲てくれたのだ。私はそれを十年後に知た。ひどい後悔とやるせなさが、私の身を覆た。
 彼女が見たかた桜の景色が、今、確かに窓の外に映し出されている。彼女が私を助けるために譲たと知てから、私はもう一度、しかりとこの景色を視たかた。そして彼女が私という人間を救てくれたことを、骨髄を提供してくれた方と共に絶対に忘れないと心に誓た。桜は窓の外で満開に花を咲かせている。ソメイヨシノ。彼女が見ることができなかた年の花。

――人間は勝手なんだよね。でも時々すごく美しいものを生み出す
 
 なぜかその言葉は、すべてを示唆しているようにさえ思える。
 この窓の外を寿命が尽きるまで鮮やかに保ち、忘れないと新たに誓た。
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