手袋の行方
懐かしそうに目を細めた北村はなにか言いたげに口許を緩めたまま、しばらくの間、俺をじ
っと見つめていた。
「なんだよ。なんか言えよ」
燻らせた紫煙を追って宙を仰いだ俺は、バツが悪くなり唇を尖らせた。
「いやさ、どれくらいぶりに三島と会ったのか考えていたんだよ」
「成人式の後にやった高校の同窓会以来だから、30年くらいだろ」
俺のつっけんどんな態度が可笑しかったのか、北村は肩を震わせて笑いを噛みころした。下がる目尻に少年の面影が残っていて、高校時代の記憶が呼び起こされる。次々と浮かび上がる同級生の顔は想像の中で妙な老け方をしていて、自分も口許が緩んでしまい思わず失笑してしまった。カウンターの奥に並ぶ様々な形のボトルが間接照明で淡く輝き、卒業アルバムの集合写真のように見えた。
「結局、北村は親父さんのあとを継いだのか?」
代々不動産業を営んでいる北村の家はとても裕福だった。当時まだ高価だったコンピューターやピカピカのステレオデッキが当たり前のように部屋にあり、俺やクラスメートはいつも嫉妬と羨望が混じった複雑な思いに囚われていた。成績が良かったのに偏差値が低い不動産学部がある大学へわざわざ進学し、北村は親のあとを継ぐのだろうと誰もが思っていた。
「うん。自分のやりたいことを見つけて別の道を探しても良かったんだけど、どうも僕は冒険が苦手なみたいでね、おとなしく敷かれたレールの上へ乗ることにしたんだ。だから、いまでも三島が少し羨ましい」
シルクを織り込ませた艶やかなスーツで、毛玉が残ったジャケットの俺に北村は告白する。なんの冗談だと思ったが、切なげな眼差しにお世辞は含まれていないようだった。
「冒険なんてたいそうなものじゃないよ。同窓会のときはさ、世界一のファッションデザイナーになるとか大口叩いていたけど、途中で挫折して鞄屋に転職だもの。冒険じゃない。遭難だよ」
グラスの氷が小さく割れて流氷のようにウイスキーの上を漂っていた。なにかが変わるわけじゃないけど、俺はひと息で飲み干しグラスの底に残った氷の粒を見つめた。マスターに合図をした北村が「同じのでいいか?」と尋ね、ゆっくり頷く。
「それでもいまは自分の店を持っているのだから、三島は凄いよ。革の手袋を作ってくれる工房を探していたら革工房ミシマって出てきて、もしかしたらと思ってホームページを見たら三島秀樹って書いてあった。最初は同姓同名かとも考えたんだけど、写真がさ、そのまんまヒデちゃんなんだもの」
「いいから、話を進めようぜ。革の手袋を俺が作ればいいのか?」
懐かしいあだ名で呼ばれてきまりが悪くなり、手のひらを扇いで北村を急かした。
「分かった、分かった。この間、メールに詳しく書かなかったのは、実際に見てもらいたいものがあったからなんだ」
隣の椅子からバッグを持ち上げ北村は腿に置いた。ブラックのシンプルなレザートートはおそらくエッティンガー。イギリスの上品な感じが北村に似合うなと考えていると、特徴的なピンタブを弾き、中から角が寄れたA4の手帳を取り出した。
「この写真を見てくれ」
ページの間に挟まれていたモノクロのキャビネ版はかなり古い写真のようで、黄色いシミがあちこちに広がっていた。
「ずいぶん古そうなオープンカーだな。イギリス車か?」
「ホンダの車だよ。S600って車」
フロントウィンドーの向こうでハンチング帽を被った青年がハンドルを握っている。肩にエポレットがあるからトレンチコートを着ているようだ。隣には風になびく髪を押さえた笑顔の女性。北村がオーダーしたいのはドライビンググローブなのだろうが、このアングルだと全体像は掴めなかった。
「こんな感じのやつを作ればいいのか?」
「いや、可能な限り同じものを作って欲しい」
呆気にとられた俺は北村の顔を凝視したまま固まった。
「実は去年、お袋が亡くなったんだ。それ以来、親父に覇気がなくなって、先月突然、仕事を引退するなんて言い出してさ。もっとも傘寿になるから遅いぐらいなんだけれど」
合点がいかない俺を察して、北村は写真の人物を指差して話を続けた。
「僕としてはさ、お袋の最期ばかり考えている親父が不憫でね、出会った頃を振り返って楽しかったこととか、悲しいことばかりじゃないだろって思い出して欲しいんだよ。僕も親父には本当に世話になったからさ。だから、そのためにね、納屋の奥で埃を被っていた車をレストアして、2人のドライブを再現してあげようと思ったんだ。そろそろ免許も返納して欲しいし」
「つまり服も含めて完全再現したいと」
照明に透かし、もう一度写真を注視してみた。遊びに行ったときに見掛けた北村の親父さんはいつも難しい顔をしていたから、写真の中の穏やかな表情を浮かべた青年となかなか結びつかない。ただ隣にいる北村と血縁がある人物だとは面相や雰囲気からなんとなく理解できた。
「コートと帽子はあったんだが手袋だけはどうしても見つからなくてね。ちなみにこの写真のネガはある。四つ切に引き伸ばしたあと業者に頼んでカラーにする予定だ。拡大した画像と色はメールで送るので、手掛かりは少ないけど、どうか引き受けて欲しい」
きつく唇を結んだ俺を迷っていると判断したのか、北村は説得するように声へ力を入れた。写真を返し煙草に火を着け、宙の一点を見つめたまましばらく考える。形さえ分かれば造作もないことだから、友人だし断る理由はない。ただ頭に過ぎったのは幾ばくかのつまらない意地だった。自分の仕事を遭難と例えたのには意味があった。独立した当初、俺には野心があった。
「くだらない話なんだけどさ、俺は自分の作品を世間に認めさせたかったんだよね。名の知れたブランドになるとか、持っているとステータスになるような、そんな製品を作りたかった。でも店を出してから気づいた。財布でもベルトでもさ、当たり障りのないデザインのものが売れるんだよ。俺らしさを込めたところでたいして売れない。期待した子どもがクラスでハブられているような、そんな寂しさを感じちゃってね、気がつくと生活のために思い入れのない製品ばかり作っている。最初の俺はどこに行ったんだろうって」
グラスを揺らしながら黙って聞いていた北村はウイスキーを一口含むと不意に相好を崩した。
「三島にとって作ったものは子どもなんだね。なんだか僕の親父みたいだな。あれこれ子どもに願望を押し付けて自分の思い通りにしようとする。まあ、僕はそれを受け入れたんだから文句は言えないけど。でも三島は違うと思っていたよ。親の意思とは関係なく自分のやりたいことを見つけて、いまがあるんだろ? だったら子どもも自由にしてあげればいいのに。それに思い入れのない製品なんて言い方、ちょっと可哀想だ。出来のいい子だけ贔屓する親みたいで、僕はどうかと思う」
「ひょっとして俺、説教されている?」
途中から笑顔を忘れ熱くなっていた北村は俺が言葉を挟むと我に返った。
「ごめん。家業を継ぐって決心するまで、僕もいろいろあったんだ。当時を思い出して、つい興奮してしまった。別に三島を責めたいんじゃないんだ。ただ子どもの立場だったらどう思うかとか、自分と重ねて考えちゃって」
申し訳なさそうに項垂れた北村の背中を軽く叩いた。穏やかな印象ばかりが記憶に残っていたが、こうして感情をあらわにする姿を目の当たりにすると些細なことで喧嘩した高校時代を思い出し、また新たな友情を築けそうな気がした。
「三島の場合は、もう少しお客さんを信用したらいいと思う。三島が気に入らないものでもお客さんが選んだってことは、その人にとって価値があるってことなんだから」
「客を信じろか。自信って不思議だよな。自分の中の根拠が揺らぐとすぐに消えてしまう。俺の場合、たぶんその根拠っていうのは自惚れと変わらなかったんだろうな。誰かが良いって保証してくれないと、不安になってしまう」
今度は北村が俺の肩を叩いた。
「僕が保証してあげるよ。天下の革工房ミシマなんだから、三島の色がなくたって間違いなく良い製品になる」
いいように乗せられたような気がしたが、悪い気分ではなかった。
「お願いできるかな?」
棚のボトルみたいに輝いている瞳が答えを待っていた。カランと氷が溶けてグラスを弾いた。それが合図だと思ったのは俺が少し酔っていたからなのかもしれない。
「手袋なんて作るのは専門に通っていたとき以来だけど、まあ、やっ