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第7回 文藝マガジン文戯杯「COLORS」
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紫文庫の見られる生活
(
多千花香華子
)
投稿時刻 : 2019.04.29 00:18
字数 : 2351
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紫文庫の見られる生活
多千花香華子
表紙カバー
を外すと紫色の文庫本だ
っ
た。
これは俺の本だ。俺の所有物であるというだけでなく俺が書いた俺の著書であり、俺の本が俺の嫌いな紫色であることに俺はたいそう驚いた。
そこで目が覚めた。意味のない夢だ
っ
た。
今日初めて見た夢のはずだが、記憶のどこかにひ
っ
かかる。もしかしたら初めてじ
ゃ
ないかもしれない。もう何度も同じ夢をみていたかもしれない。そんなことはないかもしれない。そんなあやふやさが俺の人生のテー
マかもしれない。
刺激の少ない生活をしている。念願かな
っ
てのことで、望んでそうしているのだ
っ
た。
金はある。仕事はしてない。仕事というものは金を得るためであろうとそうでなかろうと刺激的なことである。刺激を避けようとするならば、まずい
っ
とう初めに消去しなければならないのは仕事である。
金はある。大金が。銀行に。
銀行に大金があるというのは面白いことで、キ
ャ
ッ
シ
ュ
カー
ドの調子が悪くな
っ
て作り直しを頼んだりすると、とうぜん名義人本人が来店していることがバレる。すると投資案内係が飛んできたりするのである。二、三分話を聞くと洗剤やらタオルやらの入
っ
たおみやげをもらえるのだ。
ところでどうして俺は金を持
っ
ているのだ
っ
た
っ
けか
……
?
そうだ、アレだ、爺さんの遺産をもら
っ
たんだ
っ
た。母方の爺さんは農家で資産家というわけでもないが土地をたくさん持
っ
ていた。だから爺さんが死ぬとおふくろに遺産が入るわけだ。
これだと遺産はおふくろのものになる。どうして俺に入
っ
てくるんだろう。
あああ、そうだ
ぁ
、爺さんより先におふくろが死んだんだ
っ
た。だから金は俺のものにな
っ
た。
いやち
ょ
っ
と違う。おふくろは生きてるし、なんなら親父も生きているし、もしかしたら爺さんも生きている可能性がある。
この理屈はおかしい。金は別の方法で俺のものにな
っ
た。
そうだ、印税だ。俺の金は俺の本で稼いだ俺の印税で、俺はその金で俺の人生を謳歌している途中の俺の人生だ
っ
た。
いやおかしい。そんなに印税が入
っ
てくるなら俺は売れ
っ
子の有名人であるはずだ。こんな刺激の少ない隠遁生活などできはしないだろう。
あああ、そうだ
ぁ
、俺は昔に体を壊すほどバリバリ働いてそのときに貯めた金だ
っ
た。
そんなに稼いだことない。だいいち、どんな仕事をすればこれだけの大金を稼げるのか、俺にはもともとわからないじ
ゃ
ないか。
半世紀にもなる長い人生で月に二十万以上稼いだことがないのだ。わかるはずもない。
銀行に。金はある。大金が。
どうして金があるのかはもういい。興味が失せた。とにかくあるのだ。その金を食いつぶして極楽隠遁生活を送
っ
ているのに違いない。
金の説明は棄てた。人生のみがある。銀行に。
ゆ
っ
くりした生活のなかで、俺は自炊をよくした。いくらでも外食できる金があるのに、なぜ俺は面倒な自炊をしているのか。
ああ、そうだ
ぁ
、身体だ。身体が贅沢を許さない。外食をしているとすぐ中性脂肪が増えてぶくぶくに太
っ
てしまうのだ
っ
た。だからヘルシー
なものを自炊している。
いや、世の中便利にな
っ
て、ヘルシー
な外食なんていくらでもできるはずじ
ゃ
なか
っ
たか。いや、俺はベジタリアンなのだ。だから野菜ばかりをおいしく食べるには自炊がも
っ
とも簡単な方法なのだ
っ
た。
じ
ゃ
あ昨日の夜に食
っ
た牛肉のステー
キはなんだ
っ
たのか。あふれるジ
ュ
ー
シ
ィ
な肉汁の味わいはは
っ
きり覚えている。
俺は野菜が好きだが、肉も同じくらい好きなのだ
っ
た。
たぶん、将来嫁に行くことを見越しての料理修行なのだ。だから俺は自炊をしている。
本当のところはわからん。なぜ俺は手間のかかる自炊をしているのか。
料理が好きだから自炊している。同様に金が好きだから金を持
っ
ているのだ。
潤沢な生活資金があり、ゆ
っ
くり自炊できる時間もあり、自由気ままで刺激の少ない生活をしている。
この生活は気に入
っ
ているが、どうにも困
っ
ていることもある。
刺激が少ないせいで、記憶が曖昧になりがちだ
っ
た。
今日の午前にした買い物も、昨日のことだ
っ
たかおとといのことだ
っ
たか、わからなくなるときがある。
たとえば、いま左腕にある注射痕だ。ポツンと点が付き、内出血して青なじみにな
っ
ている。
これはいつ付いた?
あああ、そうだ
ぁ
、昨日献血に行
っ
てきたんだ。四百ミリリ
ッ
トル献血してきた。そんな記憶がある。記憶はなんとなくあるが、注射痕は左腕にしかなか
っ
た。普通献血するには献血前検査で、献血に血を取る腕の反対側の腕で血液検査のために血を取るので、献血した場合にはもれなく両腕に注射痕ができるのである。
いまは左腕にしか注射痕はない。
もしや俺は麻薬中毒者だろうか。金もあり暇もあるのだから、あとは快楽が欲しいとばかりに麻薬を使
っ
ていてもおかしくない。
この記憶の混乱も薬物中毒のせいかもしれない。その可能性は低くないだろう。
いや、ち
ょ
っ
と論理がおかしい。麻薬を使うような男が身体のために自炊するだろうか。しない。それに俺は出不精だ
っ
た。麻薬の売人などどこにいるかもしらず、交渉事ができるとも思えない。
いや、おそらくこうだ。医療機関での血液検査かもしれない。金を持ち、健康に気を使
っ
て自炊している。だから定期的に医者へ行
っ
て血液検査もしているのだ
っ
た。
なかなか納得のいく説明だ。ありうる話だ
っ
た。
実際のところはどうであろう。あまり自信がない。
なぜ俺は金を持ち、自炊をし、注射痕をつけているのか。
事実はあいまいでは
っ
きりしない。
俺には腹が減ることぐらいしか現実はないのかもしれない。もしかしたら金もないのかもしれない。ただ腹が減
っ
ているだけかもしれない。眠ることさえないのかもしれない。
だが、寝る前に読書を嗜むのがこのごろの習慣だ
っ
た。今日も眠りにつこうと、近くの本を手に取る。それはカバー
のない紫色の文庫本だ
っ
た。
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