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【迷い犬、ポチの涙】 愛か死か!家族の絆、殺処分についてのお話。
投稿時刻 : 2019.06.09 03:09
字数 : 13787
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【迷い犬、ポチの涙】 愛か死か!家族の絆、殺処分についてのお話。
婆雨まう@KDP作家~カクヨム~エブリスタ~なろう!?


 大崎夫妻はお昼の煮魚定食を食べ終え、デパートのペトシプの前、シケース前で佇んでいた。

 透明なガラスケースの中には、生後間もないダクスフントが寝そべていて、布でできた小さなボールで遊んでいた。

 ほかには鼻のつぶれたフレンチ・ブルドグ。

 きれいに毛を刈りそろえられたヨークシ・テリア。

 プードル。

 頭にピンク色したリボンをつけたメスのシーズー

 ごはんをむしむし食べているチワワ。

 白い体で左目の周りだけが黒いブルテリアがそれぞれケースに入れられ、時間をもてあましているかのような目で通り過ぎる買物客を眺めていた。

 白いマルチーズは眠ていて、大崎夫妻の問いかけにも応じないほど、熟睡していた。

 その中に1匹。

 見るからに人なつこそうなダクスフントがいた。 

 「あ、かわいい。こち見てる」

 祥子が言い、昇の顔をのぞき込んだ。

 大きな愛らしい瞳で祥子の瞳を見つめるダクスは、元気もりもりで寝転がて腹を上にして遊んでいた。

 「飼いたいな

 祥子がもう一度、昇の瞳をのぞき込む。

 「うちにはポチがいるだろ」

 昇がすかさず駄目出しをする。

 祥子は老犬のポチを頭に思い浮かべ、

 「ポチか。私、ポチきらい」

 何やらひとり言を言た。

 隣町の川原で拾てきたこの老犬、ポチは、うちに来て既に15年経過していた。

 見るからに老いぼれていて、人間でいえば70歳くらいか。

 雑種で、人間の問いかけにも応じないほどもうろくしていた。

 「ねえ、あのダクスフント、飼おうよ。さきからじと私の目を見てる。なんか運命を感じるな」

 祥子は言い出したら聞かない性格をしている。

 大崎夫妻は結婚して20年を迎えた。

 子供はいなかた。

 「ポチの弟か。悪くないけど。犬、2匹もいらないんじね」

 昇はシケースに貼られたプレートの情報から、ダクスフントがオスで、産まれて2月であることを知た。

 「私、ポチきらい。なんかちともなつかないもの。飼うなら小型犬がいいて前から決めてたんだ」

 「そんなこといてポチどうするんだよ。老犬だぜ」

 祥子の言いたいことが昇には飲み込めなかた。

 「ポチが死ぬまで飼いけないていうの? それまで大好きなダクスフントを飼えないなんて生き地獄だわ。こちが、おばあさんになう。いい考えを思いついた。どこかにポチを放してあげない? 犬も死ぬ間際くらい自由を味わいたいんじないかしら。いつも鎖につながれて自由を奪われる生活なんて、かえて残酷じないかしら」

 その日はそれで終わた。

 翌週、昇と祥子は、懲りもせず、またペトシプのシウインドウを眺めに行た。

 隣にいたコーギーは販売予約の札がついていて、お目当てのダクスフントは相変わらず布製のボールにじれて遊んでいた。

 「このままじ、マー君、売れちう。どうしたらいいの?」

 「マーて誰?」

 昇が祥子に問いかける。

 祥子は小型犬ダクスフントに既に名前をつけていて、飼う気まんまんだた。

 「ポチはさあ、山に放してあげようよ。それがさあ、一番幸せだと思うよ。鎖につながれて自由を奪われて。こんなの幸せとは言えないんじないかしら?」

 昇はそれもそうだな、と半分納得して祥子の顔をのぞき込んだ。

 「で、どうしたいの?」

 うちにはお金もないし、昇は正直な感想を述べた。

 「残念だな。ペトを買うお金がない。こればかりは」

 わ

 昇がわざらとしく声に出して笑い、祥子を見た。祥子には挑発に思えた。

 祥子が表情を緩めた。

 「何を言ているのよ。こういうときのために、私のへそくりがあるんじないの。それを使わせてもらうわ。いいでし? これならみんなハピーになれる」

 祥子はぺろと舌を出し、来週買いに来てもしマー君が売れていなかたら、マー君を飼うつもりでいた。 

 あとは売れないことを願うばかりだ。

 1日過ぎ、3日過ぎ、祥子は毎日のように夕方、買い物のついでにマー君を眺めに行た。

 マー君は終始退屈していて、このところは布製のボールにも飽きたのか、寝てばかりいた。

 4日過ぎ。

 1週間が過ぎ。

 とうとう約束の日が訪れた。

 大崎夫妻はデパートを訪れ、ようやく念願のダクスフントを手に入れた。

 狂犬病の予防接種をしてから犬を昇夫妻に引き渡すため、受取りは3日後となた。

 祥子がレジで8万円をブリーダーに支払い、マー君はこうして大崎家の一員となた。

 物語はここからが始まりだ。

 ポチはとうとう用済みとなてしまい、3日後、丹沢のふもとに捨てられることになた。

 今まで食べたことのないようなステーキが3日3晩ふるまわれ、牛乳が毎日与えられた。

 ポチは異変を感じ取たのか珍しく祥子になつく仕草を見せ、体にすりより、ふだん舐めたりしないのに祥子の頬を舌でなめようとした。

 「汚いわね。あち行て」

 だが時既に遅かた。

 祥子の心はすでにマー君に傾いていて、ポチにつけいる隙はなかた。

 「誰か拾てくれるわよ。心配いらないて。かわいそうだと言て、誰かがポチを拾てくれるわよ。親切な人がきと現れるわ」

 祥子はいやがるポチを無理矢理、車に乗せ、自宅から80キロ離れた丹沢に向かた。

 車は1時間かけて東名高速を走り、それから2時間、市道、山道をただひたすら走り、やがて丹沢のふもとに辿り着いた。

 時刻は夕方を回ていた。

 車を広場に停めた。

 「ポチおりなさい。今、エサをあげるからね。疲れたでし

 鳥肉、豚肉を油で炒めた肉料理を皿の上にこれでもかというくらい盛りつけた。

 今まで見たこともないようなごちそうに、ポチは舌鼓を打た。

 何も知らないポチががついてエサに食らいつく。

 むさぼるように食べるポチ。

 「さあ、行こう。ポチが我に返たら行きづらくなる。行くなら今だ」

 昇が祥子の背中に声をかけ、車に乗り込んだ。

 祥子もさすがにかわいそうに思たのか、

 「捨てるのやめる?」

 昇に言た。

 「今更、無理だよ」

 昇が車から降り、ポチの頭を数回なでた。

 「今までありがとう。元気に暮らすんだぞ」

 「元気でね、ポチ」

 こうして別れの日は訪れた。

 ポチは相変わらずエサをむさぼり食らていて、状況が飲み込めずにいた。

 「これだけあれば3日は生きられる。悲しいけどこれも運命だ。オレ達を恨まないでくれよ」

 車に乗り込む昇。

 窓を開け、ポチを見おろす祥子。

 ポチを見たのは、これが最後だた。

 ポチは山盛りの肉を5分で平らげた。

 隣に盛られた山盛りのドグフードに口をつけたとき、ポチはふと我に返り、昇と祥子がいないことに気付いた。

 何かいやな予感がして辺りを見回したものの辺りは暗く、他に誰もいなかた。

 30分待た。

 そして1時間が過ぎた。

 昇と祥子が戻てくるものだとばかり思て、ポチは3時間を同じ場所で過ごした。

 その場にしがみ込み6時間待たとき、自分が捨てられたことに初めて気付いた。

 ポチは山に向かて何度も遠吠えを繰り返したが、周りからの反応はなかた。

 その場で朝まで過ごしたポチは、翌朝、皿に盛られたドグフードでお腹を満たし、とぼとぼと東へ向けて歩き出した。

 朝日が昇る方角を目指し、とにかく歩くことにした。

 ふだん歩き慣れないアスフルトの道路はとても路面が固くて、長距離を歩いたことがないポチは、すぐに肉球から出血した。

 でも歩くことをやめるわけにはいかなかた。

 進路を東に東に、ただ思いつくまま、気の向くまま進んだ。

 1日が過ぎ、2日目には雨が降り、とうとう3日が過ぎてしまた。

 ごはんに3日もありつけず、途中道ばたで見つけた犬のふんを食べて空腹をまぎらわせた。

 雑草でお腹を満たし、道路脇の水たまりの水を飲み、夜も昼も忘れてただひたすら東に向かて歩いた。

 犬の第六感で、こちに歩けば昇の家に辿り着けるような予感がして、ただひたすら歩くことにした。

 自分を捨てた理由を聞くまでは、死んでも死にきれない。

 昇に逢いたい。

 祥子の目を見て、自分を捨てた理由を尋ねたい。

 心がはやて仕方なかた。



 1週間後、ポチは熱でうなされ、神社の境内にうずくまていた。

 栄養失調と水分不足からくる脱水症状で、熱は平熱を5度も上回た。

 偶然ポチを見かけた近所の人が鳥の骨を持てきてくれて、ポチはがつがつとそれを食べた。

 世の中には親切な人もいるものだ。もしかしたら自分を飼てくれるのではないか。

 淡い期待は夢に終わた。

 こんなに薄汚れた老犬なんて、誰も見向きもしないだろう。

 そこにあるのは愛ではなく、情だ。

 お情けなのである。

 こんな老犬を飼てもいいというほど、人は気持ちが優しくない。

 ポチはそのことにまだ気づけずにいた。

 ポチは3日後、ようやく元気を取り戻し、神社を出て旅を続けた。

 目指すは大崎夫妻の家だ。

 みんなでまた仲良く暮らしたい。

 もう一度、昇の腕に抱かれたい。

 思えば思うほど、老犬のポチはひもじくて空腹がこたえた。

 どうして自分を置いて行たのだろう。

 もしかしたら自分を車に乗せるのを忘れて、車を発車させたんじないか?

 ドジな祥子のことだ。

 十分ありえる話だと思た。

 ポチは理由を探ろうとしたが、考えれば考えるほど、何やら楽しい思い出ばかりが浮かんできて涙がこぼれた。

 昇が自分を捨てるわけがないじないか。

 あんなに毎日、一緒に散歩をしてくれたのに。

 毎日、ごちそうを食べさせてくれたのに。

 それなのに……それなのに。

 なぜ。

 何かの思い違いだと思いたかた。

 勘違いだと言てほしかた。

 15年来の家族なのに、姥捨て山みたいに自分を捨てることなんてありえるのだろうか?

 自問自答してみたけれど、やはり答えには辿り着けなかた。

 1週間が過ぎた。 

 畑が広がる集落に入り、ポチは危うくお百姓さんに鍬で殴られそうになた。

 エサをもらおうと近寄たポチを見て、自分が襲われると勘違いした農家の長男は、ポチの頭めがけ、黒光りする鍬を思い切り振りおろした。

 「し。あちいけ。し

 泥で汚れた体は、いつしかばさばさの毛づやで、見るからに野犬の風貌をしていた。

 その頃には栄養失調から皮膚病にかかり、体の至る所から毛が抜け落ち、体調も最悪だた。

 ポチは首輪をしていたので野犬狩りにあうことはなかたけれど、相当ひどい身なりをしていたと思う。

 栄養失調。

 脱水症状。

 どこに行けば食べ物がもらえるのかもわからず、ただ歩くだけの日々。

 目はくぼみ、体からは異臭が発し、いつしか歩くのも困難になていた。

 朝、散歩ですれ違う犬たちはみな幸せそうで、人に飼われることがいかに満たされていて平和なことか、ポチにもようやくわかり始めた。

 今までの自分は自由でないことをいつも嘆いていた。

 鎖につながれ。

 そしていつか鎖から解き放たれ、自由になりたい。

 そればかり願い、そして思いは現実になた。

 もう少し祥子になつけばよかた。

 もと尻尾を振て、喜びを表現すればよかた。

 そう思たけれど、あとの祭りだた。

 ポチはようやく念願の自由を手に入れた。

 でもそれは自由なんかじなかた。

 苦悩の始まりだた。

 飼い主から愛され、食べ物を与えられ、好きなだけ眠ることができたあの生活は、今から思えば天国のようなものだた。

 寝る場所に不自由することなく。

 食べるものの心配をすることもなく……

 ポチは現状を嘆いた。

 人間の手から離れたい。

 犬だけのユートピアで暮らしたい。

 そう思い、何度脱走したいと思たことか。

 実際に手に入れた自由というものは、それはもう残酷なまでに過酷で、すべてが不自由で、エサにありつくことさえ困難を極めた。

 ポチは、

 「これで終わりか。ここで死んでしまうのか」

 何度もそう思い、動くのをやめ、目を閉じようとした。

 けれどもう一度、もう一度だけ、自分を愛してくれた家族と暮らしたい。

 離ればなれになた理由を知りたい。

 その思いに強烈に駆り立てられた。

 その頃、大崎夫妻は、ダクスフントのマー君をお風呂に入れたり、ペトトリマーに連れて行たりして、マー君を大層かわいがていた。

 かわいくてかわいくて仕方なくて、犬をふとんの上で寝かしつけては、座敷犬として家の中で振る舞わせた。

 ポチと違てよく甘い声をだして鳴くマー君は、おねだりするのも、人に甘えるのもとにかく上手だた。 

 子犬の成長はめまぐるしい。

 昨日まで赤ん坊みたいに思えた子犬が、半年もすれば成犬になり、表情も豊かになる。

 大崎夫妻は既にポチのことなんて頭になくて、ときどき思い出すものの、完全に過去の人(動物)となていた。

 ポチはボロボロのぼろ雑巾みたいになてよたよたと夜の田舎道を歩いた。

 街灯もまばらな田舎道は、孤独を感じるのに十分な場所だた。

 森や川原で休み、昼間、明るいうちに距離を稼ぐ。

 見ず知らずの人はそんなポチをみてかわいそうに思たのか、おにぎりを食べさせてくれたり、水を飲ませてくれた。

 3日ぶりのごはん。

 肉や魚が食べたいと思たけれど、ぜいたくは言えなかた。

 あるとき、ポチは親切な村の人に出会た。

 「おまえ、まだいたのか? 行くところがないみたいだな。そう思て食べ物を持てきてやたぞ」

 歳が50歳くらいの、にやついた中年は、ポチの前に盛大なごちそうを広げた。

 タマネギの炒め物。にんにく料理。ドライフルーツ。なす。銀杏。チコレート。するめいか。

 犬が食べてはいけない物。

 NGフードばかりをポチに食べさせようとした。

 ポチはもう3日も何も食べていなかたので、なりふりかまわずそれらを腹にかき込んだ。

 そして1時間後、原因不明の食あたりで動けなくなた。

 畑にうずくまるポチ。

 動こうにも腰が抜けてしまい、身動きが取れなかた。

 そうこうしているうちに雨が降てきて、泥の中で死んだようにうずくまた。

 ポチはその場所で3日過ごした。

 泥まみれになり、雨水に濡れ、ポチはその場を動けずにいた。

 体重が5キロ落ち、下痢が続き、ポチは今更とはいえ骨と皮ばかりになた。

 肋骨がすけ、みるからに不健康そうで、病み上がりの病人みたいになた。

 そんなポチをみかねたのか、畑の持ち主が犬用のゲージを作てくれた。

 親切な人だたが、やはりこの人もポチを飼てくれるわけではなかた。

 「おまえ自分の家を探しているんだろう? 元の飼い主に会いたいんだろう? だたらこんなところにうずくまてちいかんがな。はよ元気出せ」

 犬の心が不思議とわかる人だた。

 ポチはそこに1月居候し、日に日に元気を取り戻した。

 そうさ。人間は善なる生き物なんだ。

 愛にあふれた生き物だ。

 オレの飼い主様は、今頃どこで何をしているんだろう?

 オレがいなくて寂しいだろうな。

 ポチはこれから自分の身に降りかかる残酷な運命も知らず、心に太陽を思い描いた。

 さすらいの旅がまた始まろうとしていた。

 元気を取り戻したポチは今度は進路を南に取ることにして歩き始めた。

 体の調子もよくて、足並みも軽かた。

 5時間も歩くと、むかし車で訪れたキンプ場に偶然辿り着いた。

 そのキンプ場は、忘れもしない、昇がポチに鮎を5匹食べさせてくれたワンダホーな場所だた。

 ここにいればもしかしたら大崎夫妻と再会できるかもしれない。

 ポチは淡い期待を胸に抱いた。

 キンプ場は連日連夜、夏休みということもあり、家族連れでにぎわていた。

 バーベキで食べきれなかた肉や魚、釣た鮎やニジマス。ヤマメをポチは何度も食べさせてもらた。

 食うに困らない日々が続き、ここで一生暮らすのも悪くないな。

 ポチはそんなことを考えるようになていた。

 なんとか1月が過ぎた。

 しかしこの地区一帯では野良犬の権力闘争が起きていて、ポチをかわいがてくれたボス犬が群れを追われた。

 ポチもその影響を受けることになた。

 ポチはキンプ場を追われた。

 酒池肉林のような生活は、いときだから楽しいのかもしれない。

 それが毎日続くとなれば不思議と飽きてしまうから不思議だた。

 適度に不自由を感じ、適度に快適さを感じるから、生き物は溌剌とするのだ。

 天国みたいな生活だたけれど、こんな生活が未来永劫続いたら、痛風になてしまうだろう。

 ポチは老体にムチを打ち、またしても、とぼとぼと歩きだした。

 それからはやはり食べ物に困る日々が続き、体重は激やせしていた頃に戻た。

 1日30キロ歩くものの、かつて見慣れた風景には一向に巡り会えず、それでもポチはひたすら歩いた。

 ポチを飼てもいいという人は一向に現れないばかりか、疲れ切た容姿から拒否反応を示す若者も多かた。

 毛が抜け変わる季節を迎えた。

 いつしか季節は夏から秋に変わり、木々も色彩を深めた。

 鳥がせわしなくさえずり、もうじき訪れる冬の準備をしているかのように、ポチの目には映た。

 もうじき冬が訪れる。

 雪降る冬が訪れれば、寒さで体が思うように動かなくなるだろう。

 今歩けるうちに距離を稼ごう。

 歩く距離を2倍に増やすことにした。

 ポチの現在地は大崎夫妻の家から50キロの距離まで迫ていて、そのまま北東にますぐ行けば、かつて知たる集落が現れるはずだた。

 ポチは西に歩き東に歩きそして南に下り、時には北を目指し、大崎の家に少し近づき、そしてわずかばかり離れ、探り当てそうでできない場所をぐるぐると行たり来たりした。

 冬が本格的にせまる11月の晩、またしても偶然、むかし行たことのある大型スーパーに辿り着いた。

 かつて連れて行てもらたことのあるその駐車場では、来場者にフランクフルトを振る舞ていて、ポチはおじいさんからフランクフルトを3本食べさせてもらた。

 「随分、人なつこい犬だな。どこから来たんだ? かなり汚れているけど一応首輪してるじないか。迷子にでもなたのか?」

 ポチはくんくんと声を出して鳴き、人間の言葉が話せないことを呪た。

 ポチがちぎれんばかりに尻尾を振る。

 《大崎という、40代の夫婦知りませんか? 大きなワゴン車に乗ています》

 何度もおじいさんに話しかけるけれど、おじいさんは一向に気にも留めず、フランクフルトを焼く手を休めなかた。

 「もと食べたいのか? でももうやれないよ。もと食べたいなら財布でも拾てきな。ここ掘れわんわん言うてな。千両箱のありかでもオラに教えてくんな」

 おじいさんはポチに言た。

 ポチはお腹を満腹にして今来た道を舞い戻ることにした。

 右に曲がり左の急傾斜の坂道を上り、いつか見たことがあるような景色に辿り着いた。

 富士山が見え、かつて公園で見た景色と同じ光景が眼前に広がた。

 ここから大崎の家まで近いことが、なんとなくではあるけれどわかた。

 1月が過ぎ、そして12月に入り。

 状況は何も変わらず、ただ歩くだけの日々が続いた。

 放浪の生活にもようやく慣れ、1日のリズムがつかめるようになた。

 よし。

 あともう少しだ。

 今日もがんばろう。

 歩き疲れたポチは、その晩、小さな公園で野宿した。

 そして朝を迎えた。

 何やら予感めいた感情が胸の奥底から突き上げてきて、心がはやて仕方なかた。

 ポチは動物の第六感で、この町を中心とした10キロ四方に何かがあると確信した。

 これは予感なんかじない。

 予言みたいなものだ。

 ある確信めいた第六感が、ポチの心を突き動かした。

 そうだ。

 こうしちいられない。

 びんびん伝わてくるシグナルをもとに、ポチは再び走り出した。

 ポチはとりあえず進路を北に取り、そこでかつて知たる散歩コースを目のあたりにした。

 近い。

 それもかなり近い。

 心がはやり、今にも昇、祥子に会えることを想い、駆けだした。

 たしかこちの方角だと思うが思い出せない。

 30分も走ると、ようやく眼前に郵便局が現れた。

 ここから30メートル下れば、大崎の家に辿り着けるはずだ。

 息をするのも忘れて、ポチは走た。

 そうだ、この町並みだ。この風景だ。

 この壁の色。

 電柱。

 そしてとうとう念願の大崎の家。

 かつて自分が住んでいた犬小屋に辿り着いた。

 無我夢中だた。

 や。やと辿り着いた。

 大きなため息と安堵の気持ち。

 犬小屋は既に廃墟となていたけれど、なかにはあの日のままタオルが数枚敷かれていた。

 見慣れたアヒルのゴム人形……

 そうだ、この町だ。この匂いだ。

 何もあの日と変わらない。

 そうだ、やとオレは帰てきたのだ。

 我が家に辿り着いたのだ。

 よかた。

 本当によかた。

 今日まで生きながらえたのは、このときを迎えるためだたのか。

 誰も使た形跡がない犬小屋を前に、ポチはへたれ込んだ。

 そしてくんくん鳴いて、安堵のため息をもらした。

 しばらくして、家の中から小型犬の鳴き声が聞こえた。

 今まで聞いたこともないようなキトな声で、ポチの知らない犬の鳴き声だた。

 ポチは混乱した。

 きと自分がいなくなて昇も寂しかたんだろう。

 寂しさを紛らすため、新たに犬を飼たのかもしれない。

 ポチは、自分が捨てられることになた原因が、まさかこの犬にあろうとは夢にも思わなかた。

 今日は月曜日だ。

 祥子はパートの勤めに出てるはずで、昇は夕方7時を過ぎなければ帰てこないはずだ。

 ポチはいままでの苦労も忘れ、勝手知たる犬小屋で眠ることにした。

 うつらうつらしているうちに、やがてあたりは暗くなり、冷え込んできた。

 祥子が帰てくる時間になり、ポチは犬小屋から出て、祥子の帰りを待た。

 自転車を15分こぎ、買い物袋を下げた祥子が、やがて電子機器メーカーの部品工場から帰てきた。

 そしてポチを見つけ腰を抜かしそうになた。

 自転車を所定の位置に置く祥子。

 「あらやだ、びくりするわね。ポチじないの? どうしてここがわかたの? どうしてここにいるのよ? 本当にポチなの?」 

 なにやら悲しげな瞳を向けた。

 ポチはうれしさと喜びで祥子の足元を何度も飛び回り、そして跳ね回り、素直に感情を表した。

 ポチが喜べば喜ぶほど、祥子の心は複雑だた。

 幼い子犬のようにはしぐポチをみて、祥子は困惑した。

 ポチの目を見て祥子は言た。

 「ポチ、よく聞いてね。私はあなたを飼うことができないの。わかるでし? 大人には大人の事情があるのよ。でも1週間だけ時間をあげる。あなたに家族団らんの思い出をあげましう」

 しばらくすると祥子はいつもの祥子に戻ていて、牛肉を200グラム、そして好物の肉団子を焼いてくれた。

 ポチはがつがつと祥子の手料理を食べ、失た時間を取り戻そうと必死だた。

 これで家族団らん、しかも水入らずで過ごせる。

 牛肉でできた肉団子は祥子の手作りで、ポチの好物だた。

 なつかしい祥子の味。

 なれなれしいダクスフントが、ポチにじれて、足元にまとわりつく。

 そうこうしているうちに昇が帰てきた。

 車のエンジン音に興奮して、ポチは失禁した。

 のどを鳴らすポチ。

 かつて聞いた犬の野太い鳴き声に、昇も興奮して、

 「ポチか。本当にポチなのか? サチ、どうしてポチがここにいるんだ?」

 状況が飲み込めず、昇が祥子に尋ねた。

 「ポチに聞いてくれる? 何がなんだか、私にもよくわからないの。家に帰てきたらポチが犬小屋の前に座ていて……

 昇が何度もポチの頭をなでた。

 喜ぶポチ。

 その優しさがポチをのちのち苦しめることになる。

 それから新しい家族、ダクスフントのマー君を囲い、家族の団らんが始また。

 ポチはなんだか複雑な気持ちで、ダクスフントのマー君を眺めた。

 自分と比べてまだ若く、仕草も初々しくてたしかにかわいかた。

 「祥子、どうする? オレは2度も同じ犬を捨てには行けないよ。それでなくてもかわいそすぎる」

 ばさばさの毛づや、皮膚病で肌がむき出しになたポチの目を見て、昇が悲しい瞳を向ける。

 「そんなこと言て、マー君に病気が移たらどうするの? あなた責任持てるの?」

 祥子は気のない素振りを見せた。

 「ポチがここに辿り着くまで、そりあもう悲しい日々を過ごしたと思うよ」

 言葉を遮り祥子が反論する。

 「そんなこと言て、ポチを飼えるほどうちは裕福じない。マー君を取るかポチを取るか。この際、はきりさせましう」

 ボロボロになた老犬とマー君。

 結果はおのずと知れていた。

 「ポチには1週間だけここで過ごしてもらい、1週間後、ポチを保健所に引き取てもらいましう」

 「かつての家族だぞ。おまえポチに死ねていうのか?」

 昇が悲壮感漂う瞳で、祥子を見る。

 「ほかに方法がある? 生きていたていいことが何もないのよ。どこにも行くあてがないなら、それも仕方ないでし。ポチには1週間の間にたくさん思い出をつくてもらいましう。そしてさよならしましう」

 昇もそれ以上、口にできなかた。

 ただならぬ雰囲気に、ポチは尻尾を丸めクンクンと鳴いた。

 2人がケンカしていると思たポチは、まさか自分のことを話しているとは思わなかた。

 上目遣いで2人を見つめるポチ。

 こんな夫婦を見るのは、実に久しぶりのことだた。

 せかく帰てきたというのに、何かの理由で2人がケンカしてる。

 険悪な雰囲気の中、ポチの知らないところで話は大きく動こうとしていた。

 「おれには無理だよ。今度は保健所に連れて行けというのか」

 それでも祥子は頑として受けつけなかた。

 「もともとなつかない犬だたし。人に可愛がられないペトじ、ペトの意味なんてないでし?」

 悪いのはポチだと言わんばかりに、祥子が言う。

 次の日も次の日も、今まで食べたことのないようなごちそうが振る舞われた。

 いい加減おかしいと感じたポチも、まさか2度も家族から捨てられるとは思わなかた。

 悲しいことだがそれは現実になた。

 雨降る12月の、とある日曜日。

 ポチはお風呂に入れられ、体を清めてから保健所に連れて行かれた。

 そして犬用の50センチ四方のゲージに入れられ、再び自由を奪われた。

 そこはかつて知たる病院のベドとは少し趣が違ていて、野犬や捨て犬であふれかえていた。

 泣き虫の犬。

 ノイローゼ気味の犬。

 統合失調症の犬。

 野犬の群れ。

 吠えたり、くんくんと飼い主を懐かしむ犬が所狭しとゲージに詰め込まれ、クソも味噌も一緒に飼い慣らされた。

 食事はドグフードが少量。

 病気で死のうが精神が崩壊しようが、そんなことは知たこあなかた。

 ポチは最初、何がなんだかわけがわからなかた。

 てきりここが犬用の病院だとばかり思ていて、まさか保健所という、動物たちに恐れられている場所だとは思わなかた。

 ゲージから連れて行かれる犬が2度と同じ場所に戻てこないことから、ここが死を受け入れる場所だということをポチは遅れて知るのである。

 毛並みの悪い、薄汚れた犬ばかりが、次の日も明くる日も保健所にやてきた。

 どこか獣くさい犬ばかりで、満足に食事を与えられていない、ガリガリにやせ細た犬も多かた。

 ポチはなぜ自分が大崎夫妻から疎まれ、あろうことか2度も捨てられることになたのか、そればかり考えて過ごした。

 自分に悪いところがあるなら教えてほしかた。

 改善するから僕を見捨てないでほしい、心からそう思た。

 大崎夫妻は、ポチを保健所に預ける際、ポチの頭を数回なで、ポチを抱きしめるそぶりをした。 

 今になてはそれが悲しくて、胸が張り裂けてしまいそうだた。

 ダクスフントのマー君を飼うため、仕方なく僕をお払い箱にしたのか。

 そうか。

 そういうことだたのか。

 せめてここで最期を迎えろというのなら、僕は愛されていたという証を胸に抱いたまま最期を迎えたい。

 ガス室に送られる日がいよいよ明日に迫た。 

 悲しんでも悔やんでも、不平不満を言たところで、今まで過ごした日々が何一つ変わらないというのなら、ならばいそのこと楽しかた思い出を胸に抱いて死のうじないか。

 そうか。

 自分はこの冬を越せないのか。

 ここで最期を迎えるのだな。

 色々な思いが頭をよぎた。

 何もどこも悪いところがないというのに、人間の一方的な都合で最後通告され、そしてお役御免となた。

 ポチは覚悟を決め眠ることにした。

 永遠の眠りにつくとはどういうことなのだろう?

 昨日までの自分が果たして幸せだたのか?

 自分は産まれてくるべきではなかたのではないか。

 自分を責めることで、何かの糸口をつかもうとした。

 自分は愛される資格がなかたのではないか?

 生きているだけで、息をしているだけで迷惑な存在だたのか。

 今まで大切に育ててくれてありがとう。

 たとえ一時でも、僕は幸せだたんだ。

 そう思おうとしたが、どこかで納得できない自分がいた。

 ポチは翌日、クリスマスを1週間後に控えた朝。

 ガス室へと送られた。

 「とうとうこの日がきちまたな。それにしてもなんて悲しい目をしていやがる。そんな目でおいらを見つめないでくれ。胸が張り裂けちまうじないか。頼むからオレを恨まないでくれよ。これも仕事なんだ。好きでやてるんじないからな」

 何も知らない、ただ尻尾を振り続けるポチを保健所の係員が誘導し、ポチは畳2枚分ほどの狭い個室に閉じ込められた。

 辺りには死臭が漂ていた。

 大型犬、小型犬。

 大小様々な犬が小さな一室に押し込められ、ここから出してくれとばかりに泣き叫ぶ。

 それでも懸命に尻尾を振り続けるポチ。

 もしかしたらここから出してくれるかもしれない。

 ポチは淡い期待を胸に最後の望みをつないだ。

 ポチが尻尾を振る。

 「今更、人間に愛嬌を振りまいたところで、どうにもならないんだ。それにしても人なつこい犬だな。オレを恨むなよ」

 係員が最後通告した。

 「おまえは捨てられたんだ。飼い主から見放されたんだ。だから明日まで生きる権利がない。これも運命だ」

 悲しい、けれどとてもきれいな、澄んだ目をしていた。

 ポチが最後に見た人間の瞳とは、このうえなくきれいな瞳だた。

 それだけがせめてもの救いだた。

 入り口の頑丈な鉄の扉が閉められ、犬たちは戸惑いを強めた。

 これから何が起きるのか。

 何が起ころうとしているのか。

 ただならぬ気配が漂た。

 きんきん鳴く子犬。

 遠吠えするドーベルマン。

 係員が静かに時計を見た。

 処置する時間まで、あと2分と迫ていた。

 犬がガス室に20匹くらい押し込まれ、やがて重くきしんだ音のする鉄の扉がもう1枚閉じられ、室内は真暗になた。

 四隅の上の方から、そして下の方から、やがて無色透明なガスがもくもくと送り込まれ、犬たちは息もできずもがき苦しんだ。

 ぐぎ

 ぎ

 腹の底から響き渡る怒声が、狭い室内に響き渡た。

 犬たちが一斉に声を上げ、室内に阿鼻叫喚の連鎖が広また。

 ここから出してくれ。

 息ができない。

 苦しい。

 動物の鳴き声は扉が2重に閉められているため、外部には一切漏れなかた。

 ガラス張りののぞき窓から係員は室内をのぞき込んだ。

 毎回感じる、胸が張り裂けてしまうような、どこか息苦しくなるような情景が係員を苦しめた。

 どの犬も狭い室内を行たり来たりして、うろたえているのが手に取るようにわかた。

 苦しい。

 水が飲みたい。

 頭ががんがんする。

 5分経ち、動物たちはやがて鳴くのをやめ、どさ。どさ

 1匹倒れ、2匹倒れ。

 そしてすべての犬が床にふした。

 足を硬直させ、痙攣を起こした犬。

 口から泡を吹く犬。

 大きな口を開け、舌をだらりと下げた犬。

 呼吸困難で過呼吸を起こした犬。

 白目をむいた犬が所狭しと床に重なる。

 アウシツのむごたらしい光景が、犬の世界で再現された。

 苦しいのは一瞬のことで、やがて意識を失い、心地よい感覚に襲われるというものの、この光景を見た者は感じるものが強すぎた。

 体から抜き出た魂が狭い空間をさまよい、天上へと勢いよく浮き上がた。

 「もう少しの辛抱だ」

 係員は時計を見た。

 9時53分。

 何匹犬を殺しても終わりなく。

 次から次へと犬が保健所に送り込まれ、そしてそのたびに機械的に犬は処刑された。

 ガス室での出来事は一瞬苦しみをともなうものの、痛みを感じることもなく、やがて静かな時間を取り戻した。

 ポチは午前9時53分。

 空に高く太陽がのぼていることも知らず、風を感じることなく天国へと旅立た。

 次、産まれてくるときも、大崎夫妻の子供として産まれたい。

 それだけを願い、ポチは天国へと旅立た。

 羽根のはえた天使がポチを迎えにきて、天国へと連れて行た。

 ポチは離ればなれになた兄弟と、雲の上で再会した。

 「ポチよ、おまえは頑張た。もうどこへも行かなくていいんだよ。静かに雲の上で暮らすがいい。ここは楽園だ。もう誰にも気兼ねしなくていいんだよ」

 安らかな心の声が遠くから聞こえた。

 季節は巡た。

 春が訪れ、そして夏が訪れ、やがて秋を迎え、ポチが死んだ冬が巡てきた。

 それでも保健所には相変わらず悲しい目をした犬やネコが連日連夜、飼い主によて運び込まれ保護期限を迎えた。

 里親になてくれる人はほんのわずかで、ケージに入れられた犬やネコたちは自分の運命を知てか知らずか、みなどこか寂しそうだた。

 人だからという理由で死を免れ、犬やネコだからという理由で死を受け入れなくてはならない現実がある。

 それはある意味、人間社会なので仕方のないことなのかもしれないけれど、彼らにも心があり、感情があることをもと人間は知るべきだと思う。

 ポチの死は無駄ではなかた。

 そう言える日が、いつか訪れるのだろうか?

 ポチは何を思い、どう死を受け入れたのだろうか?

 ポチは多くの疑問を人間社会に投げかけた。

 ポチがもし言葉を話せたのなら、何を大崎夫妻に語ただろう。

 どんな言葉を残しただろうか?

 虎は死んで皮残し、人間死んで名を残す。

 ポチは死に、けれど何も残せなかた。

 その心は大崎夫妻には遠く届かず、親から愛されなかた子供のように、ポチは最後にユダに裏切られた。

 ポチは何を伝えたかたのだろう?

 死にゆく瞳で、何を見つめていたのだろう。

 ポチは幸せだたのだろうか?

 愛とはなんなのか。

 家族とはなんであるのか。

 ポチが何かを語ろうとする。

 現代社会は、それでなくとも生きにくい、サバイバルゲームのようなものだ。

 《人間は命を奪われないだけ、まだましなんだよ》

 ポチならそう言うかもしれない。

 ポチは死に、そして人々の記憶から完全に消えた。

 季節は巡り、輪廻は転生する。

 ポチはあの日、この世を去た。

 それを知る人はごくわずかしかいない。

 人々はキリストを想た。

 ポチよ、もう一度、蘇れ。

 たとえそれが苦難へと続く道であても。

 すべての生き物が幸福を迎えることは不可能なのだろうか?

 自問してみたものの答えはでなかた。
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