螺旋世界の支配者数
眼の前に、跪いて許しを請う者がいた。
魔王。
この世界を闇に包んだ元凶。
この魔王の元にたどり着くまで数多の魔物たちを殺害してきた。世界を旅して魔物を屠り、居城の外では襲いかか
ってきた者たちの死体を積み上げた。この玉座の間も多くの血と肉片が散らばっている。
今、ここにいる命はふたつのみ。
勇者と魔王それだけで、それもひとつ消えようとしていた。
そうしてそれは自動的により多くの命を奪う虐殺へとつながる。
「命乞いを聞くと思うか?」勇者は言った。
「許してほしい……。もう人は襲わない。魔物たちとともに山奥に隠れ、決して表にはでない」
魔王は涙している。
両手を胸の前で祈るように握りしめている。
魔王は、すべての魔物たちの原型であり源でもある。ゆえに……。
「わたしが死ねば、すべての魔物たちが死んでしまう」
「消えるだけだ。苦しみはない」
「苦しいかどうかではない。魔物たちだって生きているんだ」
「生きている人間たちを襲ったのはお前たちだろう」
「それは人間だってそうだ。お互いに戦った」
「俺たちは戦った。そしてお前たちが負けたんだ」
剣を振り下ろす。
涙を流す魔王の顔が斜めに割れ、体まで裂けた。
ゆっくりと魔王の口が動く。割れて息が漏れるような声。
「お前は今、1億の命を奪った」
「そうして世界を救ったんだ。人間の世界をな」
ふたつに別れた魔王の体はもう動きはしなかった。
顔に多くの涙を浮かべたまま固まっていた。
勇者は魔王の死体に背を向けて、息するものの存在しない城を去った。
世界から魔物が消えた。
各地のお城や町はお祭り騒ぎになった。もうこれで怯えて暮らすことはない。野を開いて畑を広げることができる。山に入り果実を摘むことだってできる。船はただ海という自然に立ち向かうだけでいい。大砲も聖水も必要ない。
人間の世界は平和になった。
100年の間は。
この世から魔物たちが消えて100年が経過した。
あの日、訪れた平和はもう存在しない。
人間たちは日々、命を賭けて戦っている。
人間たちと。
魔王を倒した勇者の子孫たちは各地に散っていた。その誰もが剣術や魔法に優れ、普通の人間を超えた力を持ち、1万の軍勢に1人で立ち向かえるほどだった。勇者たちは様々な国で上級騎士として召し抱えられており、戦場で相まみえれば、地形が変わる程のぶつかりあいを見せた。
ある日、ローブを着込んだ賢者が勇者たちの前に姿を見せた。賢者は杖で地面をついて問うた。
「どうしてお前たちは争うのか?」
「我が国を反映させるため」
「それはお前たちの国ではない。人間たちの国だ」
賢者は言葉を続ける。
「お前たち超越者は、もう人間ではない」
勇者は、無言のまま、争いを振り返る。軽く剣を振るうだけで塵に変わる人間の姿を。同じような姿をしているのに、か弱き生き物たち。自らに並ぶものは、戦場で出会う、あちらの国の勇者だけだった。
「お前たちの国を作るのだ。世界は強き者たちを望んでいる。100年前にお前たちの先祖が魔物たちを滅ぼしたときのように」
勇者が剣を振るうと賢者は霞となって消え去った。
あれは、魔のものだったのか。
それとも、世界の使者か。
勇者たちは、その誘引の言葉に従った。
世界はふたつに別れた。
勇者の国と人間の国。
少人数の国と多人数の国。
はじめはただ人間の国から勇者たちが消えただけだった。人間の国同士で争い、国が潰れ、新しい国ができるそのような繰り返しの中に、わずかな集落が人知れず生まれた。
そうして増えた多くの者たちがある日、国を飲み込んだ。
国に住むものはひとりの例外もなく命を奪われた。
勇者の国の誕生だった。
勇者の国は、戦力の数を有していなかった。ゆえに大きな国土を守ることはできなかった。
勇者の国は、戦力の質を有していた。ゆえに大きな国土を持つ国を滅ぼすことができた。すべての命を消して。
そうしてある日、人間たちは気付いたのだ。人間同士で争っている刻ではないと。
あの人間の形をした化け物たちを滅ぼさねば、人間に未来はないのだと。
人間たちは数多の犠牲を払いながら戦った。
勇者の顔に一筋の傷をいれるために、1000人の犠牲を必要とする。たった1体の勇者を打ち取るためにあるときは5万の兵を用意することもあった。
勇者は、豪快に笑いながら剣を振るい、その風圧で人間たちを切り裂いた。
勇者は、たった2音の呪いで、火球を浮かべ、人間たちを消し炭に変えた。
人間たちは、仲間だったものを盾に耐え、踏み越えて、一瞬の隙に襲いかかった。
人間たちは、1000人の魔術師が陣形を組み、長い呪文を唱え、魔法を放った。
戦はどちらにも死を届けた。
それでも人間たちの戦況は悪化するばかりであった。
勇者の国の者は、10歳に満たない子供ですら、小さな村を滅ぼすには十分な力を持っていたのだ。
2、3と集まれば、人間の烏合の衆とはまるで桁の違う、質の伴った連携で、多くの人間たちを消し去った。
人間たちの数はみるみるうちに減っていった。
それは魔物が消えたときよりは遅かったけれど、数年後のゼロが見えるほどのはやさだった。
あるときある人間がある廃城の玉座の間を訪れた。
辺境の地で、ずっと昔に滅んだ城。その玉座の前に、ふたつに別れた死体が転がっていた。
なんという表情だろうか。
命乞いをしているようで、しかし、勝ち誇ったようでもある。
目から流れていた涙はらしきものは、血と混じり、紅い結晶となって筋を作っていた。
人間の若者は、血と涙の結晶を持っていたスコップの端で叩き、欠片を小瓶に収めた。
「これでいいのか?」
若者が誰もいないはずの場所でつぶやく。
「持ち帰り研究するがいい」
突如、現れた煙が人の形となった。賢者だ。ローブのフードを被り杖をついている。
「これで人間たちをあの化け物どもから救えるんだな」
「それはお前たち次第だ。知恵ある人間は様々な自然の驚異をその知恵を持って乗り越えてきた。違うか?」
「どうだろうな。あいつらは暴風ですらやさしい化け物どもだ」
賢者は無言で消えた。
若者が舌打ちする。
若者は、小瓶振って、中で転がる魔王の紅い涙眺めた。
「なんでもいいさ。あいつらを抹殺できれば」
若者は小瓶を背負い鞄にしまって城を去った。