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第15回 文藝マガジン文戯杯「船」
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草の波 夕暮れの船 
 投稿時刻 : 2021.05.07 23:44 最終更新 : 2021.05.21 01:10
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- 2021.05.21 01:10:21
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草の波 夕暮れの船 
すずはら なずな


「船だ」
自転車を降りて、始めに呟いたのは有理だ。
「おお、船だ」
「船だ!船だ!」
続いて和真、俊平、柊人。僕らは口々に叫ぶと自転車をそこに乗り捨てて、真すぐ「船」に向かて走た。
小さな窓が並んで付いた壁、突き出たウドデキは舳先のシルエト、天窓のついた二階建ての部分はちうど船尾側だ。近くで見ると少し形の変わたおんぼろな小屋には違いなかたが、遠くまで広がる草原の、風にうねる草の波の中、僕らを乗せるために現れた、それは間違いなく「船」だた。
*
小学生最後の学年になた僕らは、「探検」とか「冒険」とか言ては自転車で遠出した。行先はその日の気分次第。毎回違う道を選び、校区の外にだて平気で出る。どんなに遠くに感じたて限られた時間で行ける距離は大したことはない。僕らの頭の中の地図はどんどん出来上がていたから、帰り道が解らなくなる心配なんて全くなかた。

土手に沿て川を遡り、行きつくところまで──その日はそんな勢いだたけれど、道に従て進んで行くといつの間にか川を離れていた。どんどん狭くなる石ころだらけの登り坂の先、目の前に開けたのはだだ広い草地。西の空、夕陽が空を赤く染め、丈高く伸びた草が風に揺れていた。
勢いで「船」に駆け寄たものの、一歩踏み込む前に急に弱気になた僕たちは、お互いの顔を見る。
「誰も住んだりしてないよな」
隙間からのぞき見ようとする和真。
「フホーシンニウで 捕またりして」
笑いながらも結構心配そうな俊平。走るのが遅くてまだたどり着けない柊人。そんな中で躊躇なく踏み込んでいたのも、有理だ。僕の双子の片割れの有理はこういう時、誰よりずと「男らしい」。

かり雑草が覆ているけれど、ずと以前はここも畑だたのだろう。「船」の中を見回すと錆びついた農具や肥料の袋が転がている。農作業用の物置というだけじなく、趣味でつぎ足しつぎ足し造た感じのする小屋で、天井には裸電球がぶら下がり、流しと小さなコンロもある。古臭いラジカセが置かれた木製のテーブルと、倒れたままの椅子は随分と埃を被ている。幾つかの壁板は剥がれかけ風に揺れてパタパタと音を立てた。急な梯子段を怖々上てみると二階の床板もぎしぎし軋み、ところどころ朽ちて抜け落ちていた。天窓の下に破れた布張りのソフドがある。触れると埃が舞い上がて柊人が咳込み、その様子が可笑しくてみんなが笑た。
「星を見ながら眠れるね」天文好きの和真が言た。
窓から遠くに広がる草地が見える。その先はきと崖か急斜面だ。地平線が空と接していて、本当に海みたいだた。

*
と誰にも見とがめられないことに調子づいて、それから僕らは何度も何度も「船」に通た。電気も水道も使えなかたけれど 飲み物とお菓子を持ちよれば充分だた。和真が漫画や本を、俊平がボードゲームを持てきた。柱には手作りのダーツの的や柊人の好きなアニメのポスターが飾られた。

「船長」は茶トラの大きな雄猫だ。
僕らがここを見つけるよりずと前から縄張りにしていたんだろう、入て来た僕らを梯子段の上からじろりと睨み、毛を逆立てて威嚇した。動物好きの有理は、そんな可愛げのない猫を相手にでも根気よく近づき、終には信頼を勝ち得て仲間として認められた。「船長」は相変わらず偉そうな態度のまま、気まぐれに有理の膝にどかと座り込む。首を延ばして有理に喉を撫でさせると、そのまま気持ち良さそうに眠た。
* 
夏になると流石に暑さには勝てず僕らは「船」から離れ、クーラーの効いた居場所を探して過ごすようになた。図書館、児童館、親の干渉の無い誰かの家、スーパーのフードコートとか、そんなところだ。

夏休みのある日、有理にしつこく誘われ、久しぶりに「船」に行た。暑いから嫌だと文句を言い言い、しぶしぶ付いて行く僕の前を有理は黙たまま自転車を走らせる。流れる汗を拭き拭き「船」に入ると、先に入ていた有理が何かをじと見下ろしている。有理の視線の先に数本の煙草の吸殻が落ちていた。煙草だけじない、椅子の下にはビールやチハイの缶が転がり、僕らの持ち込んだ漫画が散らかていた。壁のポスターに趣味の悪い落書きが書き込まれ、花火をした形跡もある。この「船」の持ち主のやたこととも思えない。
有理は床に放り出されたグラビア雑誌を蹴て隅に押しやた。船長を探したが、その日はずと姿を見せなかた。嫌な予感がした。

「ごめん。あの場所のこと、うかり話しちて」
数日後、俊平が謝てきた。相当落ち込んでいる。中学生の俊平の兄貴とその仲間が、僕らの「船」を荒らした犯人だた。兄ちんはただのお調子者だけど、仲間の中には相当ヤバい奴もいる。当分「船」には行かない方がいい、と俊平が言た。
──有理は絶対に一人で行かせないで。
俊平は口ごもりながら、真剣な目をして付け加えた。

*
母と有理はよくぶつかる。もともとお洒落や買い物が好きだた母は双子の僕らを産んだ時、片方だけでも「女の子」だたことをそれは喜んだそうだ。そんな話を聞くと、男に生まれた僕の存在も結構悲しくはあたのだけれど、「女の子」に対する母の想いも有理にはただただ重く、迷惑だたようだ。
母が買てくるフリルや花柄の洋服を嫌て僕の服を好んで着、髪を自分で短く切て、いつも有理は男の子に混じて遊んだ。母が誘ても買い物に付き合うこともせず、バレエやピアノといた習い事を薦めても頑なに断る。無理に始めさせても勝手に辞めて、有理は母の夢を壊し続けた。母はそんな有理のことを嘆き、何一つ受け容れてもらえない自分を可哀想だといつも言た。
──男だ、女だという時代じない、好きな格好で構わないじないか、本人がしたいことを応援してやればいい。
有理を庇い、僕のことについても、もとちんと見てやて欲しい、と父は言てくれた。
──貴方は本気で子供のことを心配していない。この家のひとは誰も私の気持を解てくれない。
母は泣き、父を、僕らを詰た。
船は、此処ではないどこかに連れて行てくれる。だからこそ僕らにとて、本当に大事な場所だた。

*
夕食の時間が近づいても有理は部屋から出てこない。有理の外出に気付いたのは、不覚にもついさきのことだた。探しに行こうと立ち上がると同時に、玄関でドサリという音がした。見ると有理がしがみ込んでいる。髪は乱れ靴は片方で、パーカーに泥がついている。顔と腕に擦り傷があた。自転車で転んだだけだ、と有理は言た。母は有理を部屋に連れて入ると、顔の傷を消毒しながら涙声で
「顔に傷なんかつく……
と言た。
「『女の子なのに』て言うんだ、どうせ」
有理は手当する母を上目遣いで見ると、その腕を振り切て部屋に駆けこんだ。中からドアを押さえたまま、いくら呼んでも出てこようとしない。ドア越しに、僕は有理に話しかける。船長のことを心配して「船」に何度か一人で様子を見に行ていたことは解た。怪我については本当に自転車で転んだのだと言い張てそれ以上は言わない。
「何処で」も「何故」も絶対に大人になんか言わない。僕らの居場所、「船」の秘密だけは何があても守る──有理の想いは強かた。

「あいつら船長を追い詰めていじめてたんだ。笑て花火を振り回して」
沈黙は長かたが数日経てやと、有理は少しずつ、その時のことを話し始めた。
「自転車で転んだだけて本当?」
「船長があいつらに飛び掛かて戦てくれた。その隙に逃げた」
「酷いこと、されなかたかて…心配してた。俊平が」
俊平が特に有理を名指しして「船」に行くことを止めた理由は鈍い僕にも解ていた。同じ格好をしていても、僕らの身体はそれぞれに成長している。有理がどんなに嫌がても、今までと同じではいられない。外から見る限りまだ僅かながらの変化だたけれど、僕だて気づいていた。
「女の子だから?」
有理の声が尖る。
「女の子だから、女の子なのにて、いつもそう。いそ格闘技でも習とけば良かた」
──咄嗟に感じたのは「怖れ」。逃げずにちんと対等に戦いたかたんだ
疼くような有理の悔しさは伝わた。
「 誰だて怖いさ。相手は中学生の不良だもの、逃げて正解」
こんな上面の言葉で有理の気持ちが収まるとは思えない。有理の感じた「怖れ」は、僕の言うそれとは別のものだ。
「相手によ、本当は男の子だて同じくらい危ないて言うし」
付け加えた言葉もまた宙に浮き、有理にとて何の慰めにもならない。自分が情けなくてもどかしくて胸の辺りが痛い。黙て俯いていると、僕を慰めるように無理に明るい声を出して、有理が言た。
「船長が助けてくれた。さすが船長、勇敢だたよ」


*
花火か煙草の火が原因で「船」が燃え、犯人たちが捕またと聞いたのは秋風が吹き始めた頃のことだた。俊平はめきり無口になり、学期の半ばに遠くに引越して行た。別れの挨拶すら無かた。
和真は親に言われて塾に通い出し、柊人はオンラインゲームの中で冒険の旅ばかりしていた。毎日一緒に遊ばなくなて、「船」で過ごした時間は僕らの大切な秘密だたし、船長の無事を僕らは皆、心から祈ている。それだけは変わらないと信じていた。そして僕らは、小学校を卒業した。

小学校の卒業を待ていたかのように両親は離婚し、母は家を出た。母には僕らよりずと解てくれる大事な人が居る、うすうす感じていたことだた。

*
「男に生まれたかたとか、男になりたいとか、そういうんじない」
有理はそう言たが、進学した中学の制服のスカートを嫌い、女子だけの体育やグループ活動に馴染めずにいる。学校は休みがちで、登校した日は授業中も休み時間も独りでぼんやりと窓の外を眺めてばかりいると、同じクラスになた柊人から聞いた。

「校庭の隅に船長がいた」
「教室の窓の外に船長が来た」
学校から帰ると僕に時折、有理はそう言た。
船長が元気で生きていてくれると僕も信じたかたけれど、「船」のあた場所からここまでは結構遠いし、有理の教室は三階だ。よく似た猫が中学の近所にでもいるのだろうか。仲良しの猫でもいれば有理の気持ちも解れる、僕は「学校の猫」の存在に期待した。

*
午後の最後のだるい授業を半分寝ながら受けていると、隣のクラスが騒がしい。廊下側の窓の隙間から覗くと、教室から有理が走り出したのが見えた。柊人が僕を呼ぶ。
「僕じ追いつかない、有理を追いかけて!」
何が何だかわからないまま、僕は有理を追た。
上履きのまま下足場を駆け抜け、有理は自転車置き場に走た。靴を履き替えるのももどかしく、そのまま追いかけて僕も自転車に飛び乗る。窓から他の生徒たちが見下ろして騒いでいる。気が付けば和真、遅れて柊人も自転車で有理を追ていた。
「走り出す前に、『船が来た』『船長が迎えに来た』て有理が言たんだて、柊人が……
追いついた和真が僕に教える。
行先はきと「船」のあたあの場所だ。でも、もう「船」は無い。そう叫んでも有理には聞こえない。
川に沿て遡り、そのまま道は川を離れる。石ころだらけのでこぼこ道を登ていくとあの頃と同じ、草地が開ける。だけどもう「船」は無い。焼け跡は片付けられたと聞いている。船長の行方も解らない……はずだた。

丈高い草が風に揺れる。有理は「船」のあた場所に一旦立ち止まり、何かを探すように辺りを見回した。そして急に弾かれたように顔を上げるとまた走り出した。後を追う僕らの声も聞こえないみたいだ。草地を突切り先まで行くと、有理は空に飛び込むように手を広げ、視界から消えた。一瞬の出来事だた。

僕らは追いつけなかた。夕陽がやたらまぶしかた。
草地の先の崖の上に浮んだ雲は、船の形に似ていた。

*
足を骨折し顔や腕に傷を負た有理が崖の下から見つかたのは 猫が鳴いて場所を知らせたからだ、と救助に駆け付けた人から聞いた。けれどその猫の姿を、僕らは見つけることはできなかた。
有理は病院のベドで天井を見つめたまま、あれは「崖から飛び降りた」んじない、「船に飛び乗た」のだ、と僕に言い、死ぬつもりなんかじ、もちろん無かたと、心配顔の父にきぱり言た。ギブスをした足と、頭と腕に巻いた包帯も痛々しかたけれど、数針縫た頬に当てたガーゼ、唇の端の青あざを見ると「顔に傷なんかつくて」と泣きながら言た母の声を思い出した。

「やぱり、船長の乗た船が有理を迎えに来たのかな」
翌日、一緒に有理を見舞た後の帰り道、雲一つない空を見上げながら柊人が言う。
「でも、結局船長は有理を連れて行かなかたんだ」
夢見がちな柊人の言葉をいつも揶揄う和真も、今日は笑わない。
有理を助けたのはやぱり船長だたと僕は思う。有理の大好きな、あの勇敢な猫だ。

休み休みの保健室登校でなんとか中学を卒業すると、有理は海の向こうの学校へと旅立た。父を説得するのには時間がかかたが、有理の意志は固く根気強かた。正規の留学先を自分で探し、渡航手段も自分で決めた。

*
僕は独り、草地を訪れて考える。今までのこと、これからのこと。性別の異なる僕の片割れのこと、僕自身のこと。緩い風に草が微かな音を立てて揺れる。ここで待ていたら、船が迎えに来るんだろうか。乗り込めば船は僕をどこに連れて行くんだろう。
姿は見えないけれど、遠くで猫の鳴く声が聞こえ、我に返る。きと船長は誰も連れてなんか行かない。

大きく息を吸い込むと身体いぱいに草の香りを含んだ空気が広がる。思い出の詰また草地に背を向けて、自転車のペダルを力込めて踏み込み、坂道を降りて川に沿て下る。僕は僕自身で行くべき場所を探すのだ。
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