第19回 文藝マガジン文戯杯「花火」
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ごめんねチャーリー
投稿時刻 : 2022.05.20 23:34 最終更新 : 2022.05.21 06:30
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- 2022/05/21 06:30:33
- 2022/05/21 06:24:26
- 2022/05/20 23:34:50
ごめんねチャーリー
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 SPARTANS。
 サンノゼ・ステイツのキンパス・ストアで買た青いスタジアムジンパーの胸にはその英文字が大きな字体で施されていた。この大学のアメフト部所属の学生は自分たちをスパルタンズと名乗り、女子学生はもとより地域住民からも人気があた。キンパス内の売店で売られる衣類にも愛称が刺繍されるほどに。
 私が寄宿する学生寮にもアメフト部の学生が何人かいた。彼等のうちのひとりデイヴドは、アジアの東の果てからの留学生である私に親しげな態度で接した。
「おまえ、日本から来たんだて?」
「そうだよ」
「おれのクルマはダトサンのハニー・ビーだよ」
「ああ、あれは日本ではサニーと呼ばれているんだ」
「スタジンが似合ているぞ」
「ありがとう。あんたは試合に出る選手?」
「ああ、ランニングバクのレギラーだよ」
「そうか。でもおれはアメフトのポジシンはクオータークしか知らないんだ」
「そうなのか? スパルタンズのジンパーを着ているから詳しいのかと思たんだが」
「いや、これはデザインと色がカコイイから買たんだ」
「試合を観たくないか? チケトなら二三枚都合できるぞ」
「ああ、それは嬉しいな。ありがとう」
 アメフトには興味がわかなかたが、気さくで親切な者からのチケトを断る理由もなかた。

 クヌートが運転する旧い型式のオペルは、ハイウエイ101を北上しスタジアムに向かう。助手席にはクヌートのガールフレンド、ジシカが座り、私は後席でカレジフトボールのパンフレトに目を通していた。小さな文字でびしり埋また記事の、意味が解らない単語は読み飛ばしたが、大意は理解できた。この国ではカレジフトボールの人気は高く、それは日本の高校野球と似ていた。
 スタジアムに着くと駐車場は広大で、オペルが停また所からゲートまでがずいぶん遠く感じられた。
「チケト、どうやて手に入れたんだけ?」
「デイヴドから貰たんだ。彼は今夜のゲームに出るらしいぞ」
「へー、あのでかい赤毛の奴はアメフト部だたのか」
「でかいて、身長はおまえの方が高く見えるんだが」
「ああ、おれの国は平均身長が高いらしいな。みんなおれより小さいけどな」
「寮に他にも北欧から来てるやつがいるが、おまえはひと際ノポに見えるよ。何インチあるの?」
「八十インチ弱かな」
「それておれの国の言い方だと二メートルで、巨人の部類だぞ」
「おまえは何インチ?」
「七十インチ弱」
「小せーな」
「おれの国だと標準的だぞ」
「わたしも七十インチくらい」
 ジシカが合いの手を入れるうちにゲートをくぐり、受付カウンターでチケトが半券になり、スタンドに指定席を見つけて座た。

 ゲームが始また。しかし私はラグビーのルールさえも解かていなかたから、甲冑で武装しているが如くの大男たちがグランドを走り回りぶつかり合う様を観てもすぐに飽きてしまた。照明に照らされた芝生が後楽園球場のナイトゲームのようで美しかたけれど。
 前半戦が終わり、ハーフタイムになた。クヌートとジシカはゲームが始まる前から手を繋ぎ合い、時折睦言らしきを交わしている。彼らの人目を憚らないその手の行為は、日本人の私から見ると奇異に思えたが、この地では私が異邦人である。

 クヌートと私が同じクラスにいた時間は短かた。
 アメリカの大学で留学生が学部を専攻するには、通常はトイフルという試験で五百点以上を取らなければならなかた。それはリスニングと英文法と長文読解の三つから構成されていて、日本人は英文法と長文読解では高得点を得ることが多かた。私には、クヌートはここに来てすぐにネイテブの学生たちと、何の不自由なく会話しているように映たが、五百点には至らなかたようで、他の国から来た学生たちと共にトイフルをパスするための講義を受けていた。
 サンノゼ・ステイツは二セメスター制で、彼は来て半年後の秋から始まる年度からエコノミクスを専攻した。
 私は二度目のトイフルで470点を取たが、その点数だとアート・メイジかミク・メイジの二択しかなかた。知る限りアメリカの大学には美術や音楽の学部がある。サンノゼ・ステイツもそうで、五百点に僅かに満たない者でも専攻できた。しかし、私には絵心がなかたし、音楽の譜面も読めなかた。それ以前に実家の経済が破綻しかかていて、銀行の残がエアチケトを買う額に近づいたら帰国しなければならなかた。I-20ビザではアルバイトも不可であた。
 外国人がレギラーの学生になるには、トイフルの点数と共に銀行の残高証明提出も必須だたから、それが叶わぬことが知れると、私はトイフル強化のためのクラスにも出席しなくなた。キンパスから近いセブンイレブンで安いカリフルニアワインを買い、瓶に靴下を履かせて、明け方までラウンジのソフで飲みながら、先に帰国した日本人学生から譲り受けたアコーステクギターを弾いた。アルコールはパブリクスペースでは禁止だたが、みなグラスやビールの缶に靴下を履かせて飲んでいた。
「なあ、あんたの国はビートルズのお陰で有名になたよな」
 私は寮に来たばかりの頃のクヌートに『ノルウの森』を弾いて聴かせてみた。
「ニーハオ。あんた、チイニーズなのに何故それを知ているんだ?」
「おれはチイニーズではないが、これを弾けないジパニーズはけこういるかもな」
 チイナタウンは世界中にあるから、ここの学生も初見の東アジア系に「ニーハオ」と話しかけてくることが多かた。当時、サンノゼがシリコンバレーに属することはなんとなく知てはいたが、私は「シリコン」とは女性の豊胸手術に使うゼリー状のものだと思ていたから、何故「バレー」なのかが理解できなかたし、知ろうともしなかた。クラスに出席していたときは、頻繁にアサイメントを提出しなければならず、それは手書きでは受け付けてもらえなかたから、図書館から借りたタイプライターを慣れない手付きで長時間かけて打たものである。
 ジシカは寮長の娘で、夏休みに帰省しない数少ないアメリカ人の学生だた。専攻はアートで、
「印象派がどうのこうの」
 などと私が話しかけると、
「画家には興味がないの。学位が欲しいだけでアート・メイジなの」 
と、素気ない口調で返てきた。 
 それから十日も経たないある夜、クヌートとジシカがラウンジのソフでくつきながら囁き合い、キスをする場面に遭遇し、私は落胆した。

 ハーフタイムになてすぐに、チアリーダーたちのダンスパフマンスが始まり、グランドを照らすライトの後方から打ち上げ花火が上がた。彼女たちのしなやかな肢体が伸びる様は眩しいものであたが、花火は隅田川や多摩川に上がるものと比して貧弱であた。また、チアリーダーは全員が西洋人の女子学生で、アフリカ系やヒスパニク系、アジア系は見当たらなかた。アメフト選手にはアフリカ系もいたが、その類いのことについては、西洋人であるクヌートとジシカには訊かない方が良いと、私は理解していた。

 ゲームは終わた。どちらのチームが勝たのか、甲冑武者たちの誰がデイヴドだたのかも不確かなままに。
 満席の観衆が一斉に席を立ちゲートに向かう。とても混雑して少しずつしか歩が進まない。私は憂鬱になたが、この国の人たちはそういうことに鷹揚である。例えば食材買い出しのためにスーパーのレジに並ぶと、長い列ではないのにいつまでも待たされる気がしたが、誰も不満に思わないようであた。
 ところがクヌートがやらかした。
 黒いサングラスをかけ、盲人のふりをし始めたのである。それはレイ・チルズがピアノを弾きながら歌う様子と酷似していた。他より頭抜けて背の高いクヌートがそうすると、近くの者たちはすぐに気づき道を開けた。私も咄嗟に盲人の手を引く者を演じ、三人は容易くゲートを通過したのである。
 駐車場をオペルまで戻る。クヌートはサングラスを外し「してやたり」の表情でジシカの肩を抱きよせ、ジシカもにこやかにクヌートの腰に腕を巻いた。
 私はこの国に来る直前までしていたアルバイトを思い出していた。
 赤帽の深夜便で、国道六号を水戸まで下り、十軒ほどの写真店のポストからフイルムを回収し、船橋の現像所まで運ぶ仕事であた。カーラジオから毎晩のようにサザンオールスターズの『ごめんねチリー』が流れていた。
 あのバンドは、テレビの歌番組でもその楽曲を演奏し、黒いサングラス姿の桑田佳祐は、幼児の玩具風の小さなピアノを弾きながらレイ・チルズを模して歌た。

 そういうことに誰も文句を言わない時代のことである。
 この作を書くにあたり、昨今は、チアリーダーも多人種から構成されているとネト検索で知た。
 桑田佳祐がレイ・チルズをプリテンドした映像をYou Tubeで探してみたが、いまは存在していないようである。

               〈了〉
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