第23回 文藝マガジン文戯杯「帰郷」
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青年バベル
投稿時刻 : 2023.08.06 11:11
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青年バベル
木嶋章夫


 信仰を持ていないにもかかわらず、多神教では無く一神教に近いような内面を持て生きていると感じることが多々ある。
 一昨年の冬、全く外出することが出来ずに、歯を磨いたり髭を剃たりお風呂に入たりする気力が枯渇しており、すかり人間の屑のようになている僕の惨めな常套手段として、女性に助けを求めることしか思い付かなかた。
 それも年賀状を送るという消極的な手段で……
この時、人とのコミニケーンが全く失われており、会うことはおろか、電話さえも恐ろしくて出来ない程に精神的にも肉体的にも衰弱していたので、年賀状を書くことでさえ一苦労だた。
何かに取り付かれたように猪年の絵を描いていて、後三月経ても手の痺れが取れないので、一生治らないのではないかと考え憂鬱だた。
そうやて完成した年賀状の一枚を、助けを求めるために先生に送た。
 先生というのは僕が小学校高学年の時から中学校卒業まで通ていた英語塾の先生であり、高校に入れてくれた恩人だた。
 今では中学校に勤めている先生がカトリクだたということを、僕はつい最近まで知らなかた。
インタートで先生の名前を入力して検索した時にその事実を知たのだた。
先生がカトリクだたということを知た瞬間に、僕は思い出の中の先生の笑顔からはとても想像出来ない、目が眩む程の輝かしい先生の不幸をあれこれ妄想したけれども、それは全く先生を汚して喜んでいるようなものだた。
 年賀状を送て助けを求めたと言ても、文章を書いて送た訳では無く、猪年の絵を描いて送ただけで、言葉は何も添えなかた。
これまでに散々「愛しています」だの「結婚して下さい」だのと熱に浮かされて書きまくた手紙を無視され続けてきているので、最早絵葉書一枚送るだけで息苦しい程の重力がお互いに掛かることを知ていた。
 僕は年賀状の返事が来ることを全く期待していなかた。僕はこの時に何か能動的な行動(その動機が愛欲に深く結び付いたものならば尚の事良かた)を起こす必要を感じていたのであて、例え返事が来なくても、先生に向かて手を伸ばすことが出来るだけで取り敢えずは救われることを、経験上良く知ていた。
 しかしながら思いがけず返事が来た時に、どん底の状態から一気に有頂天になたので、もしもこの時の僕を見た人がいたとしたら、少し頭がおかしくなたのではないかと思ただろう。
余りに嬉しかたので、先生からの年賀状が届いた日付けは今でも正確に覚えている。

 迎春 幸多き一年でありますようにお祈り致します 元旦

 たたこれだけの、全く形式だけと言ていい年賀状だたが、他の人から送られて来た年賀状とは別にして大切に保管し、たまに取り出しては眺めていた。
美しい手書きの文字で書かれたこの短い文章の中に、先生の名前の一文字が使われていることや、この年賀状が「愛の寄付金」付きの年賀葉書を使用していることから、実際には有りもしない先生の僕に対する愛情を必死になて無理矢理捏造することに取り付かれていた。
 この年賀状が届いた時に一番嬉しかたのは、差出人の先生の名字が変わていないということだた。
つまり先生はまだ独身でいるのだた。
僕は先生の正確な年齢を知らない。
僕が小学校の高学年だた時には、先生は既に教壇に登て僕に英語を教えてくれていた。
以前先生のマンシンにいきなり押し掛けて中に入れてもらえず、インターン越しに年齢を尋ねたことがあたが、
「失礼なこと訊かないの」
と言われてかわされてしまた。
続けて先生の誕生日をしつこく尋ねたが、決して教えては貰えなかた。
そしてその先生の判断は正しかたのだ。
先生がもしも僕に誕生日を教えていたら、僕はその日をまるでクリスマスのように神聖化してしまい、毎年何か贈り物をしてしまうに決まていたので、先生にとては恐らく憂鬱で我慢出来ない日になていただろうから。
 年賀状を先生に送たのは、助けを求めることの他にもう一つ意味があた。
僕は先生の住む茂原から離れて引越していたので、住所が変わたことをお知らせする意味があたのだ。
僕としては、何とか生きています、ということをどうしても伝えておきたかたのだ。
しかし、茂原で壊されてゆく僕の実家を先生が見て、
「雉町君はどうしているのだろう……?」
などと心配していると甘い妄想に浸るのは、甚だしい自惚れに過ぎない。
先生の僕に対する奥深い反応というのは、まさに無関心に他ならなかた。
それはまるで神のように。
 僕達は神が地上の出来事、とりわけ飢餓や戦争などの悲惨な出来事に対して残酷にも無関心だと感じ、不幸の中にいて全く見捨てられた存在であるということを痛感している。
それにもかかわらず人間が神を必要としているということは、人間の悲惨を示すのでは無く、むしろ栄光を示しているのだということを言い切りたい。
 僕が学校や仕事を途中で辞めたり、クビになたり、大学に合格出来なかたり、小説や短歌の新人賞で落選したり、警察のお世話になたり、醜く太たり、覚えていた英単語の意味を忘れていたり、他の女性に夢中になたりした場合に、先生の名においてすぐさま断罪された。
ここではきりさせておかなければならないのは、これらのことを僕が実際にしでかしたとして、もし先生がそれを知たとしても、先生自身はそれを責めるどころか、全くの無関心だということだ。
僕はこれまで、これらの自分が不利になる(と勝手に思ている)ようなことを、いちいち電話や手紙で先生に告白しなければ罪悪感に耐えられなくなる程弱かたのだが、それらを聞いている先生にとては、全く聞く価値の無い、つまらぬ話に過ぎないということが、先生の声の調子で痛い程伝わて来るのだた。
 告白というのは罪の観念としかり結び合わされている。
恐らくは愛の告白までもが罪の観念と密かに結び合わされているのだ。
先生のことをここにこうして文章にしてしまうということは、カトリクの信仰告白とは違て、信仰を更に深めるということにはならない。
むしろ逆である。
僕にとて先生のことが今でも本当に大切ならば、僕の性格からして徹底的に秘密にすることにより、先生に対する愛情を、より深く密度の濃いものにしただろう。
ここにこうして文章にしてしまうということは、僕にとて、先生のことが幾分かどうでもいいことになりかけているのだ。
 この小説を書く為に、先生からの年賀状を改めて取り出して見た時、そこに「祈り」という言葉が使われていることに初めて気が付いた。カトリクである先生が「祈り」という言葉を使う時、僕達が使う時とはまた違た意味があるのだろうか?
 僕がこの小説を書くにあたてずと考えていたことは、祈りによて引き起こされる(かのように見える)結果のことでは無く、祈りそれ自体の価値についてだた。
祈りとは無償であり、それ自体が救いになているような運動のことなのだ。
僕はもと簡単に、祈りとは愛だと言てしまて良かたかも知れない。
それは情念の問題なのであて、エネルギーに満ち溢れた情熱的な瞬間を救いの観念と結び付けたのだた。
祈りを象徴的に表すものとして、僕は涙のことを思い描いていたのだた。
一見、救いと涙が矛盾するように思えるのだが、僕の考えでは、完全に満たされている状態においては、最早祈りや救いや愛や情熱などの入り込む余地が失われているのだ。
 茂原にある、先生が通ている教会に、
「お話したいことがあるのですが(祈りについて)」
と電話を入れると、神父さんらしき人が、
「日曜日のミサにいらてみてはどうでしうか?」
と言て下さた。
先生はミサに来ているのかどうかを尋ねると、最近は顔を見せていないということだたので、もしや先生の信仰が揺らいでいるのではないかという希望的観測の入り混じた推測をした。
先生との関係を訊かれたので、かつて先生の教え子だたということを言うと、先生に伝えておくので名前を教えて欲しいと言われた。
僕は「佐藤」だと偽名を名乗た。
もしも「雉町」だと本名を名乗たならば、間違い無く先生に逃げられてしまうと思たのだ。
バレないように出来るだけありふれた名字に隠れて、僕は茂原で先生と会うつもりでいた。
 叔母が亡くなた後、茂原の実家を壊したのだが、シベルカーによて乱暴に壊されてゆく住み慣れた実家を見ながら僕が思ていたことは、一体何千回位この自分の部屋で自慰をしただろうかということだた。
あんなに幸せな自慰をすることはもう無いだろうと、降りしきる雨の中、大きな音を立てて壊れてゆく実家を眺めて佇んでいた。
 かつてこの実家の前を掃除していた時に先生と会たことがあた。黒い服を着て市役所に行く途中だた先生は掃除している僕を見て、
「偉いね」
と言た。
この「偉いね」というのは先生が僕を適当にあしらう時によく使う言葉で、これを言われてしまうと何一つ偉くない僕は先生の前で、まさに有罪を宣告されることになるのだた。
その後先生に会いたくて毎日実家の前を掃除したが、そのような幸運は二度と無かた。
 一年前、用事があて久しぶりに茂原に行た時、先生に英語を教えてもらた塾の木造校舎が壊されていることを知た。
それは本校舎とは離れた所にある小屋のようなもので、普段は滅多に使われていない校舎だた。高校を受験する時、僕の偏差値では志望校に合格しそうにないことを先生も知ていたので、塾が閉また後、木造校舎で特別に無償で僕だけ教えてもらていたのだ。
先生のこうした愛情溢れる行動が、僕に対する特別な感情からきていないことは確かだたが、それがカトリク的な道徳からきているのではないかと考える時、僕は歯軋りする程の悔しさでいぱいになるのだた。
冬だたので教室に赤い電気ストーブがあたのをよく覚えている。
一度だけ先生がドーナツを買てきてくれたことがあた。ドーナツは4つあて、先生は2つ選ばせてくれたが、僕は食欲が無くてチコレートのやつを1つしか食べなかた。
先生は2つとも食べていたのを、僕はじと見ていた。不思議なことだけれども、残た1つのドーナツを未だに先生が持ているかのような気がしていて、
「あの時残してすいませんでした」
と謝れば今でもそのドーナツが貰えて、そしてそれを食べると特別に美味しいのだという気がするのだた。
外が暗くなてから、木造校舎に二人きりで英語を教えてもらている時、先生を押し倒してしまいたいという誘惑に何度も駆られたが、それは出来なかた。
英語の偏差値が上がると、他の教科の偏差値も自然と上がてきて、僕は先生のおかげで何とか志望校に合格することが出来た。
 木造校舎は壊されていたけれども、本校舎は依然としてそこに建ていた。
本校舎で先生の授業を受けていた時、他の生徒と話していて、先生の授業を聴いていないことがあた。その時の僕を見る先生の、怒りと軽蔑に満ちた眼差しを、僕は忘れることが出来ない。その表情を見れば、本当に嫌われていることは疑いようも無かたし、自分は汚ならしい存在なのだという考えから逃れることは出来なかた。こういたことは何度かあて、一番よく覚えているのは小学生の頃、少し高い所から先生のブラジを覗き込んでいるのがバレた時だた。偶然見えたそれから目を離すことが出来ずに、すかり釘付けになていた時、気が付くと先生は僕のことを完全に軽蔑し切た表情で見ていた。
最初、まさかバレているはずが無いと思ていたのだが、当然バレていたのだ。
小学生であり、軽蔑を受けた原因が性的な事柄だたこともあたので、このことは決定的に忘れられない出来事となた。
今でも先生の意思に関係無く、僕が先生の名において勝手に自分自身に断罪を下す時、しばしばこの時の先生の軽蔑し切た表情が思い浮かぶのだ。
 僕が高校に合格した直後、当時まだ生きていた母親が先生に、親戚の男性を紹介したことがあた。内心、
「余計なことを……
と思ていたが、高校に合格したことで浮かれていたので、さして気にも留めなかた。その後母親から、先生は親戚の男性と順調に交際しているということを聞いた。
僕は先生がその顔も知らない男に抱かれている姿を想像しない訳にはいかなかた。
と後になて先生と偶然病院で会た時に、
「先生は結婚しないんですか?」
「出来ないのよ」
「選んでるんでしう?」
「選べないのよ」
などといた馬鹿げた会話をしてしまたことは今でも悔やまれる。
 かつて浪人をしていて、茂原の図書館で浪人仲間と話していた時、真黒に日に焼けた先生と会たことがあた。
テニス部の顧問をしていて、似合わない程に日焼けした先生は、図書館で受験勉強している(実際はしていなかた)僕に対してお決まりの「偉いね」という言葉をかけたけれども、大勢の仲間の前で先生に「うん」では無くて「はい」と敬語で返事をした時、僕はどんなに誇らしかただろうか。
あの時、あの図書館にいたどんな人間よりも僕は幸福だたのだ。
 かつてよく通ていた茂原の本屋に行こうとした時、そこが既に閉店しているのを目の当たりにした。
その本屋に行く時はいつも緊張したものだた。なぜなら先生と会てしまうことがよくあたので。
「会てしまう」と否定的な意味で書いたのは、僕が先生とその本屋で偶然一緒になる時、決まてみともない格好をしていたからだ。
だからその本屋に行く時はちんとした服を着て、寝癖を直し、髭を剃てからでなくてはならなかた。
どうしてもそれが出来ない時は、本屋に入る前に、先生がいるかどうかをしかりと確認してからでないと怖くて入れなかた。
それにもかかわらず、この本屋は僕にとての聖地の中の一つだたのだ。
 小学生の頃、塾のキンプで先生と一緒にバスに乗ていたら酔てしまたことがあたが、その時先生が酔い止めバンドという物を貸してくれて手首に巻いてくれた。
こんな物効く訳が無いと思ていたが、乗り物酔いはすかり治てしまたのだた。
その後キンプのシで、
「美人発見しました」
と言いながら司会者が、恥ずかしそうに口に手を添えている先生の手を引いてステージ上に連れて行た時、僕は初めて先生のことを美人かも知れないと思たのだた。
先に酔い止めバンドを貸してくれたこともあて、先生は僕の中で、美人で優しいということになてしまた。
 大人の女性と道ですれ違う時に、
「もしかしてこの人は先生ではないだろうか?」
などと思てしまうことがあるが、そういう場合、嬉しさでは無く、恐怖に近いような感情に捕らわれてしまうことが常だた。
その女性と目が合たりしようものなら、凍り付いてしまうような緊張状態に陥て歩くのをやめ、半ば引きつたような顔で見詰め続けることしか出来なかた。
 未だに先生の出てくる、恥ずかしい程ロマンテクな夢を見てしまうことがあるが、そこに出てくる先生は実際とは違て、僕よりもずと背の高い体をしている。抱き締めれば先生の体が僕よりもずと大きいことが分かて、僕はその胸の中ですかり安心してしまうのだた。
 僕は先生のことを、新しい母親として見出してしまたのではないかと恐れる。
僕は先生との、木造校舎での短い蜜月を思い出すことは殆ど無い。
それよりもいきなり押し掛けたマンシンで中に入れてもらえず、溜息の入り混じる冷たい言葉で追い返されたことや、怒りや軽蔑に満ちた眼差しで睨まれたことを好んで反芻したのだた。
その時によく平行して思い出すのは、僕が初めて幼稚園に行くバスに乗せられた時、母親から引き離されて大泣きしたことだた。
幼稚園に着いてからも、園児の中で僕だけが泣き叫んでいて、幼稚園の外に放り出された。
母親とは、小学生の時に妹と3人で学校のプールに行た帰りに、緑色の芝生に敷き詰められた校庭で、とても大きなトノサマバタを、みんなでへとへとになるまで駆けずり回てやと捕まえたという特別な思い出があるが、それを思い出すことは殆ど無かた。
僕は不幸の中にある、痺れるような神経症的快感に溺れることにすかり慣れ切てしまていたのだ。
 僕の青春時代は、暗い夜道を一人で歩き回ているうちに、いつの間にか終わてしまたような気がする。
これは比喩的な表現では無くて、明るいうちは寝ていたり部屋の中でじとしていたりして、暗くなると一人で外に出て、当ても無く茂原の夜道をうろうろ歩き回ていたという意味だ。
実際は好きな女性の住んでいる家が見たいという目的があたが、そこに至る道は適当であり、なるべく知らない道を通るようにしていた。よく通る道にはお気に入りの、知らない人の家があり、そこはどんなに深夜に通りかかても二階の子供部屋らしき所の明かりが点いていて、僕も「ただいま」と言て入て行けば、温かく迎え入れてもらえるような、そんな馬鹿げた夢を抱いていた。
携帯電話の無かた時代に、女性との会話を家の人間に聴かれるのが嫌で、わざわざ外に出て話しに行た電話ボクスがあた。
僕はある田舎の高校生がフラストレーンから、電話ボクスを爆破した、というニスを聞いた時に、女性に電話する時によく使ていた電話ボクスを、フラストレーンでは無く愛情から、爆破してしまいたいという考えにとりつかれたものだた。
 どこからか流れて来る、懐かしい思い出の曲を不意に聴けば、一瞬にして幸せだた当時の空気に包まれてしまうという、誰もが知ているあの体験を、僕は五月の新緑の、僕にとては精液を連想させる香りを嗅ぐことによて体験するということがよくあた。
この体験に連動して、下腹部が急に熱くなり、ひどく切ない気持ちになるようなことがあたが、僕はかつてこれを密かに「恩寵」と名付けていた。
今となては、僕に「恩寵」は全くと言ていい程起こらない。
これには色々な理由があるだろうが、一つには「恩寵」を引き起こす為の鍵……新緑の香りや、思い出の曲や、子供部屋の明かりや、電話ボクスなど……が使い古されてしまていて、僕にとて既にありきたりのものになてしまているからだろう。
去年、茂原に行た時も「恩寵」は一切起こらなかた。
 僕は風景の美に心を動かされることが殆ど無い。例え僕がお気に入りの、知らない人の家や電話ボクスを含む茂原の風景を愛していたとしても、それは風景を通して過去の自分を愛しているに過ぎないのだ。
かつて手軽に「恩寵」を引き起こそうとして、お気に入りの、知らない人の家や電話ボクスを写真に収めて、「恩寵」を引き起こしたい時にいつでも眺めようとしたことがあたが、失敗に終わた。
平面であり、小さすぎる写真の風景では、僕を包んでくれはしなかたのだ。重要なのは風景を見ることでは無く、風景に包まれることだた。
そうしなければ風景は、僕を一瞬にして現在から過去の方へと運んで行てはくれなかたのだ。
 お気に入りの、知らない人の家や電話ボクスのある道をずと行た所に先生のマンシンはあた。
先生のマンシンに至るまでの愛すべき道を、これまでに一体何度往復しただろうか。「愛しています」だの「結婚して下さい」だの「文学賞を絶対取ります」だのと書かれた、毎回便箋たくさんの枚数の狂た手紙を直接先生のマンシンのポストに入れに行たり、好きな本や、来る途中に咲いていた向日葵や百合を摘んできてマンシンのポストに入れたりするストーカー行為を、先生の迷惑になるなどとはつゆほどにも思わずに繰り返している僕は確かに幸福だたのだ。
後になてこれらのことが叫び出したくなる位恥ずかしくなたり申し訳無く思ても、それと同時に痺れる位の幸福を感じることはおそらく許されているのだ。
今となて僕が本当に願ているのは、先生が絶望して明日から生きてゆく気力が全く無いとなた時に、それを救うのが先生の信仰では無く、先生が嫌悪したはずの僕のストーカー行為を思い出して、
「私はストーカーされる程に愛された経験があるのだ」
という確信によて救われて、明日からも生きてゆく気力を得るという状況が起こることだた。
「マンシンの中に入れて下さい」
という願いが繰り返し棄却された後に、せめてと思い、マンシンのポストに手紙を入れようとした時、
「お願いだから何もしないで……
と懇願するように言われてしまたことがあた。
「お願いだから」と特に付け加えているのが悲しかた。
僕を傷つけまいとする先生の優しさと、気の弱さと、それにもかかわらず断固とした拒否を表すその言葉を押し退けて僕はポストに手紙を入れてしまた。
先生は深夜の2時、3時になてもマンシンに帰ていないことが多かたので、誰か他の男と逢ているのではないかと不安になりながら、近くにある公園で夜を明かすことがよくあた。
滑り台に寝そべりながら、砂場にゴキブリがいるのをじと見詰めて、
「外にもいるんだなあ」
とぼんやり思たものだた。
こうしたことは僕が小説や短歌の新人賞にことごとく落選した時にすかり愛する自信を無くしてしまて出来なくなた。
 どんなにひいき目に見ても、宗教の反大衆的な側面を見逃す訳にはいかない。
結果的にどんなに大衆の味方をしているように見えても、少なくとも当初は持ていたはずの大衆に対する恐れと軽蔑が、宗教を動かす大きな力になていたことは否定出来ない。
これは文学も同じであて、どんなに大衆に対する愛をうたていようとも、それを作り出す出発点においては、大衆に対する恐れと軽蔑を隠し持ていたのだ。
人間を憎むということは、おそらく人間を真に愛する為に必要な回り道なのだ。
これは自分自身についても言えて、自分自身を憎むということは、おそらく真に自分自身を愛する為の回り道なのだ。
僕は大衆と、とりわけ労働を恐れて憎んだ。恐れているくらいなら、憎んだ方が格好もつくし、ずと気が楽だたのだ。
実際は労働の価値を充分に認めていて賞賛しながらも、恐れから弱い犬がよくそうするように、必要以上に攻撃したのだた。
僕を攻撃してくる(かのように感じる)社会に対して、僕は小説や短歌を武器にすることによて反撃した。
僕は出来るだけ汚らしい表現を選んで暴力的に社会と対抗しようと試みたけれど、先生から「偉いね」と言われてしまえばたちまち罪悪感で崩壊してしまうような失敗に過ぎなかた。
このような僕が望んでいた事は、自分にとて最良だと思えるものを差し出して、それを軽蔑されることだた。もしも僕がこのまま死ぬとしたら、墓には花々で無く嘲笑でいぱいに飾られればいいなと思う。
しかしながら僕の望んでいたのはこういたコミニケーンだたのであて、無視されることでは無かたのだ。賞賛されることもごく稀にあたが、僕の肌には合わなかた。
僕は鼻持ちならない人間として、いつまでも人の心の中に留まり続けることを望んでいた。
かつて先生から短歌を誉めてもらた時に、続けて小説を送たら全く無反応だたことがあり、物凄いシクと共に自分が汚らしい存在であることを再確認することになたのだた。
 当時はまだ仕事をしていたので、茂原にある教会のミサに日曜日出席することは難しかた。
「今日は先生がミサに出席しましたか?」ということを毎回教会に問い合わせたけれど、返事は決まて「出席していない」ということだた。
思い切て先生に電話することにしたが、緊張し過ぎていたので話そうと決めていてあらかじめ用意しておいた言葉は全く使うことが出来なかた。
「教会に行ていないんですね……何度も教会に電話して聞いたんですが……
「教会に電話していることは知ていました」
 ここで僕は死にたい程の恥ずかしさと共に、密かに勝利の感情に酔いしれない訳にはいかなかた。
教会には「佐藤」と名乗ていたにもかかわらず、怪しいと感じて先生が真先に僕のことを思い出したのは成功だた。
否定的な意味だたにせよ、未だに先生の中で僕が息づいていることを知て、喜ばない訳にはいかなかたのだ。
それから僕は、
「一緒に茂原の七夕祭りに行きませんか?」
と誘たのだが、
……と難しいですね……
と断られてしまた。
しかしそれさえ嬉しかたのだ。いつもだたら「忙しいの」といきなり断られてしまうところだたが、それが例え形だけのものだたにせよ、
……と難しいですね……
と少しは考えてくれているような素振りを見せてくれるだけですかり幸せな気持ちになてしまた。
いつの間にか僕に敬語を使うようになてしまた先生が少し悲しかたけれど。
しかしその後夜勤の最中に、半ば浮付いた気持ちで、
「一緒にクリスマス・イヴに茂原の教会に行きませんか?」
と誘た時に、
「夜勤頑張てね!」
と言われていきなり電話を切られてしまてから、再び電話を掛ける勇気と教会に行く勇気をすかり無くしてしまた。
受話器から先生の声と一緒に流れて来るテレビの音が、中に入たことの無い先生のマンシンの構造を想像させたけれども、近くに男がいるような気がして辛かたのだ。
その後ハロウンカードとクリスマスカードを一緒に送た時に、「短歌研究」と角川「短歌」の新人賞に落選した原稿と携帯小説を一冊にまとめたものを一緒に送た。特に携帯小説を先生が読めば、自分が題材になている箇所が幾つもあることに気付いて嫌悪することは明らかだたが、そういたことを連想させるエピソードや登場人物の名前をあえて直さずに送たのだた。
そして電話をする勇気が無かたので、手紙を一緒に送た。

 今年は年賀状が送れずにすいませんでした。
先生は去年の年賀状に「幸多き一年でありますようにお祈り致します」と書いてくれました。
嬉しかたです。
でも僕が先生のことを祈る時、先生に直接何もしてあげられていないのに、先生に幸せになてもらえているのでしうか?

 こういた問いかけに対し、先生の返事は無かた。
それはまるで神のように。
返事が無い、という残酷な祝福。
ト上で先生の画像を見つけた時は信じられないほど嬉しかた。
先生は中学校の同窓会に出席しており、みんなの真ん中に座て微笑んでいる。
かなり荒い画像で、しかもかなり小さく映ているが、僕にはひと目で先生だと分かた。
微笑むとほぺたが上にあがて、丸く膨らむのだ。
この写真で先生を見極められるのは僕しかいないだろうと自惚れた。
この写真は大事に保存し、携帯電話の中に入れていつどこでも見られるようにした。
 先生に出した手紙のコピーがたくさん出て来た。
出した手紙のコピーをとておいたのは、過剰な自己愛の他の何物でもない。
これらの手紙を発見してから読むまでに、羞恥のため、かなりの時間が必要だた。
つたないけれど、これらの手紙は、先生に近づくための階段のひとつひとつだ。

×     ×     ×

   先生に
先生に。
本当は電話でも良かたのですが、何か照れる。
それに先生忙しいから、居なかたらどうしようと思て。
だから手紙にしました。
先生、年賀状を出したのは英語塾を見て、想い出したからではないのです。
先生のことは忘れたことがありません。
ただ、自分に自信がなかたのです。
先生の前には出れないと思てた。だから連絡が取れなかたのです。
それではなぜ今年、年賀状を出したのか。
自分に自信がついたのか、と言われると、決してそうではないのです。
相変わらず自分に自信がない。
なぜか出してしまた、としか言いようがありません。
でも後悔はしていません。
電話で言た通り、今年、看護学校を受験します。
今年も、と言た方がいいですね。
実は十月まで、東京のある看護学校に通ていました。
理由があり、そこは辞めざるを得ませんでした。
先生、いつも「偉いね」て言う。
全然偉くないよ。それは自分が一番分かてた。先生から「偉いね」て言われるたび、すごく辛かた。
偉くないのに。
看護学校は、今の僕ではちと難しいと思う。
でもせいいぱいやるつもりです。
僕ももう二十六です。
二十六になりました。
先生と初めて会たのが小学生の頃だから、もう十五年近くになりますね。
そう考えるとすごい。
もう無いて心のどこかで知ていたのに、英語塾に行てしまいました。先生に教えてもらた、あの、小屋のような教室を見に。当たり前だけど、無かた。当たり前だよね。
先生に会いたいて思う。先生のあの大きな目を見たいて思う

×     ×     ×

先生に
先生、ごめんなさい。
本当にごめんなさい。
あの手紙は忘れてください。
捨ててください。
あんな手紙引くよね。
それは引くよ。
ごめんなさい。
一度、謝るために電話したのですが、先生、居なくて。
と言うか、先生としべる勇気がなくて、先生の居ない時間に電話して、留守電にメセージを入れようかと思たのですが、コールするだけで留守電にならなかた。それでまた勇気がなくなり、また手紙を書くことになてしまいました。
先生が読んでくれるか不安ですが。
でもきとまた電話します。
看護学校の合否も伝えたいし。たとえ全部落ちても電話します。
どうか嫌いにならないでください。
風邪をひいて、体じうが痛いです。
テストまでにはなおさなくては。
先生、本当にごめんなさい。

     ×     ×     ×

残暑お見舞い申し上げます

先生の夏休みが終わらないうちに手紙を出します。
暑中見舞いは届いたでしうか?
たとえ返事が来なかたとしても。
先生が見てくれたというだけで、僕は幸せです。
暑中見舞いには短歌が載ていたと思います。
僕は個人的に短歌と小説を作ていて、同人誌のイベントなどに出ています。
いわゆるコミケとか。
千葉だとうきうきマートとか。
なんていうかオタクが集まるイベントです。
先生の生徒でもそういうの好きな子がいると思います。
今回「短歌研究」という雑誌に僕の短歌が載りました! 
一番先に先生にお知らせしたくて!
短歌いぱいあるので送らせて頂きます。
小説もいぱいあるのですが、今回は一つだけ送らせて頂きます。
僕はもともと大きくなります。
だから見ててね、先生?
いつでも先生のことを愛しています。

     ×     ×     ×

愛する先生へ
今日はいきなり家に行てしまてゴメンナサイ。
でも本当にお話ししたいことがあたのです。
それを今から書きます。
先生、僕は恥ずかしかたです。何にもなれなくて。
先生に長生高校に入れてもらたにもかかわらず大学にも入れないし、看護学校も失敗した。
でも一人で戦てきたんです。
と短歌が雑誌に載るようにな……。これでちとは先生に会える資格があるかなて思た。
これで終わるつもりはありません。
僕にはきと才能があります。
今、角川の短歌新人賞に三つ、「文学界」という雑誌に小説を五つ出しています。
もうすぐ発表があります。受賞できるかどうか分からないけど……
先生、もし僕が一人前の作家になれたらその時はどうか結婚してください。
僕は本気です。僕は今29です。
僕はあんな短歌をいぱい作ているけれど、実は童貞です。
まわりにいつも女の子はいたけれど、でも何だか嫌だた。
15の時から初めての人は先生がいいてずと決めてたから……
正直に言うと、僕は今夜先生に男にしてもらうつもりでした。
でも別にH目的じないから。
先生とずと一緒にいたいだけだから。
ホームページは見てもらえたでしうか。
僕の日記が毎日載ています。
先生に見てほしい。
僕が毎日どんな生活を送ているか。
もちろん日記が僕のすべてじないけど……
先生にいつも見守ててほしい。
僕はいつでも元気です。
アナスイの時計を贈ります。
本当は今夜あげる予定でした。
オークスブクセンターで会た時、先生は黒い服を着ていて、絶対この時計が似合うと思たから。
中古でごめんね。お金ないから……
どうか新学期からはこの時計を身に着けて学校へ行てください。
僕と一緒にいてください。
いつも先生を愛しています。

     ×     ×     ×

大切な大切な先生へ
残暑見舞いをありがとうございました! 
もう本当に嬉しくて信じられなかた! どこに行く時も持ち歩いています。
電車の中で見たり、図書館の中で見たり……
一人で微笑んでて気持ち悪いです。
エゾリンドウの絵葉書をありがとうございました! 
でも先生、リンドウの花言葉を知てて出してくれたの? 
たらイジワルです。
「悲しみにくれるあなたへ」
僕は悲しみにくれてなんかいませんよ? 
ただ先生を想ているだけです。
だから幸せです。
その後すぐに僕の手紙が行たと思います。あの手紙の気持ちに嘘はありません。
信じてください。
アナスイの時計も届いたと思います。良かた、返されちたらどうしようかと思た。先生が身に着けてくれてるて思てもいいよね? 
いつも身に着けててね。
いつも一緒にいてね。
たまに僕のことを思い出してね。
離れていてもいつも一緒です。
ホームページを見てもらえると嬉しいです。僕はいつでもあそこにいます。
僕はいつでも元気です。
今日は小説を二つ送らせて頂きます。
『花よりも葉』と『つぼみの献花』といいます。「文学界」という雑誌に出した五つの小説のうちの二つです。
先生、もしこれを読んでも僕のことをキライにならないでね。
こんなものを書かざるを得ないくらい僕は追い詰められて生きてきたのです。
汚らしい小説かも知れません。
Hだし……
でも汚らしいだけじないて信じてる。
一流の文学だて信じてる。
だから先生に読んでもらいたいんです。
この二つは僕が中野で一人暮らしをしていた時に書いたものです。
当時は靴屋で働いていました。
先生、僕はもしかしたら四月から大学生になるかも知れません。
淑徳大学というところの社会人入試を受けるかも知れません。
作家を目指しているけれど、一応保育士の資格を取ておきたいな、と思……
なんか子供とか好きみたいです。
ピアノが出来なくちいけないんだけど……
中野に住んでた時、幼稚園で働こうと思て面接を受けたんだけど、落とされてしまいました。
僕は毎日、自分の腕時計を見て、先生の時間だと今学校で何やてるかな? 
給食食べてるかな?
とか思てます。
毎日そうやて生きています。
僕は先生のことを片時も忘れたことはありません。

先生がいたから僕は高校に入れたんだよ忘れないから

絶対に忘れない。全部覚えてる。

勉強の休み時間にドーナツをくれたあなたの笑顔を想う

僕は一個しか食べなかたの覚えてる。
不安でいぱいであんまり食欲がなかたんです。

吐く息が白く見えてる教室で二人の他にストーブがいた

赤いストーブだたのも覚えてる。
先生が車で来てたのも、僕が一回サボたのも、早野校に行こうとして分からなかたのも。

先生に教えを受けたボロ小屋を見に来たけれど壊されてたよ

数年前、見に行た時はシクで涙も出ませんでした。
こんなことならもと早く来て、写真とか撮ておくべきだたと思た。
それ以来あそこには行ていません。
もう見るのがイヤだから。
今回もプレゼントを贈ります。
とうちにあた物です。
先生が持ていてください。
ガラスの靴です。
一生先生を愛し続けることを誓います。

     ×     ×     ×

With so many frowers

先生、スペルあてる? 
クして! 
間違てる? 
これじ造花になうね! 
先生に両手いぱいの花を!
先生の誕生日はいつだろうとか考えちいます。
誕生花ていうのがあてね、366日、全部に花が捧げられているのです。
ちなみに僕は11月25日なので、パボニアです。
花言葉「慎重」だて。
ええー? そうかなあ? 良く分かりません。
先生、僕は「短歌研究」の10月号にも載る自信があります。
と載てみせます。
その時はもといい歌を先生に捧げます! 僕はまだ同人誌にしていない短歌がいぱいあります。
毎日友達と携帯で短歌交換しているので……
多い日は一日二十首くらい出来ます。そのすべてが良い歌じないけれど……
今日もその友達とビグサイトのイベントに行て来ました。
なんか全然売れないんですけど……
負けないけど。
友達の短歌も素晴らしいです。
その友達とは別なのですが、僕にはプロの歌人の友達がいます。フーコー短歌賞を受賞した女の子で、白川優子さんといいます。
26歳? だたかな? 
『制服少女三十景』という歌集が本屋で売ています。(今見つけることは難しいのですが……)。
良い歌がいぱい入ています。
でも女の子は恋をしていないとダメみたいで、今はほとんど歌が作れない状態らしいです。
東京に住んでいたのですが、今は実家の静岡のブクオフで働いています。
実は僕も昔、船橋で妹と二人で暮らしていた時、ブクオフでバイトしていたのですが、たた三か月でクビになてしまいました……
白川さんもやばいらしいです……

逢いたいよだけど本屋で突然に逢たら怖い似た人を見て

僕は先生にすごく会いたいです。
でも町とかでいきなり会てしまたらどうしようかと思て怖いです。
だからオークスブクセンターに行くのもすごく怖いです……
だから文教堂に行てます……
でもCDレンタルしなきいけないので、たまーにオークスブクセンターに行きます。
中に入ると、まず先生がいないかどうか確認します。
オークスブクセンターでレンタルしたものじないんだけれど、僕は今、小泉今日子の「優しい雨」という曲が大好きで、毎日そればかり聴いています! 
洋楽とかパンクとかいぱい聴きますが、日本のだとCoccoとか大好きです! 
活動休止しちたけど……
でも絵本を出すんだて! 
『南の島の星の砂』ていうんだよ! 
ても期待しています。
先生はどんな歌が好きなのか気になります。
今日も本屋に行ていて、先生のことを考えていました。
先生のことを考えながら本を探していたのですが、無くて、店員さんに訊こうとしたら「先生!」て店員さんのこと呼んじて。
もう顔真赤にな……
もうあの本屋に行きづらいです……
先生、10月号に期待していてください……
と載ります。
そこに載た歌は先生に捧げます。
この手紙の返事は出さなくていいです……
先生からの手紙はすごくすごく欲しいけど、怖いのです……
だから出さなくていいです……
僕には残暑見舞いがあるから大丈夫です。
どこに行くのにも持ち歩いています。
でも……もし……よろしければ……お手紙ください……
最後に先生に歌を。心を込めて。

「愛してる」そう言うだけじ伝わらぬ気がしてほかの言葉をさがす

     ×     ×     ×

ひまわりと一緒に

向日葵の花言葉知らぬまま九月(君だけ見てる君のことだけ)

ひまわりを贈ります。
先生の家に行く途中で盗みました。
花泥棒は罪にならないのですよ?
今、この手紙を先生の家の近くの、小さな公園のブランコに乗りながら書いています。
牛乳がそのままになているので、先生、昨日からいないんだね……
今先生がどこで何をしているのか考えると嫉妬で気が狂いそうです。

深夜まで待てどあなたは帰らない今宵いずこで誰といるのか

先生、約束通り10月号に載たよ! 
そこに載ている歌はすべて先生に。
愛を込めて……
今夜は僕、先生を抱き締めにきたんです。
でも先生いなく……
明日はイベントがあるので残念ですが帰ります。
先生、今夜は十五夜なんだよ?

満月を見てると好きな人のこと思い出すのはなんでだろうね

先生、指輪を贈ります。
おもちのだけど……
金色のものを僕が持てます。
別に身につけなくてもいいので、持ていてください。
お腹がすいたので、牛乳を一本もらてゆきます。
ごちそうさま。
先生に僕が作たfrowersを。
愛を込めて。

片方のペダル壊れた自転車を漕いであなたの家まで恋で

     ×     ×     ×

この僕が先生と呼ぶ人はただこの世の中であなただけです

先生の家から帰てすぐにこれを書いています。先生、はじめに言ておきますが、愛しています。
ドアの外に百合があたでしうか? 盗まれていないといいけど……
ごめんね、茂原じうを探したけれど、咲いている百合は見付からなかたんです……
花屋に行けば売ているけれど、それじイヤだた。
だから茂原じうを歩いて探しました。球根が付いているので、植えれば咲くと思います。
咲かすか咲かさないかは先生にまかせます。
「つぼみの献花」です。
百合は先生のイメージです。
僕の一番好きな花です。
先生は僕のことを小学生の頃から知ているから子供あつかいするんでし? 
僕もう29だよ? 
11月25日で30になう。
三十路です。
でも想いは、15のあの時のままです……
あれから15年も経いましたね。
僕の人生はメチクチでした、でも先生を忘れたことはなかたし、先生はどこかで生きてるし、この世界のどこにいても同じ空の下にいるて思てたからやてこれた。
青空を見るたびそう思てた。
先生の歳がいくつであろうと僕は愛しているし、先生の美しさはオークスブクセンターで会た時に分かりました。
先生どんどん綺麗になるね。
多分、この前ポストに入れたひまわりは枯れていたと思います。
でも僕の想いは枯れません。
気持ち悪い。
でもホント。
本当です。
「短歌研究」は毎月22日に出るので見てみて下さい。来月も載る自信があります。
今度は二首以上載ると思います。
図書館にもあるので見てみてね! 
でも僕はよく図書館にいるから気を付けた方がいいよ! 
文教堂もね! 
オークスブクセンターはあんまり行かないけど……
僕はいつも先生の幸せを祈てるよ。
どこにいても。
僕はいつも心の中で先生に助けられてきた。
でもこれからは僕が先生のことを助けるくらいないきおいで頑張ります。
僕は今、毎日、生活の中で感動したことは全て歌にできるほどの才能があります。
僕は誰にも負けません。
ホントだよ? 誰にも負けない歌人になります。
あと小説も。
小説の方にむしろ力をそそいでいるのだけれど……
先生が振り向いてくれなかたら、僕は一生童貞だし、一生独身です。
先生がこの先振り向いてくれなくても、僕は勝手にそうします。
これは「誓い」です。対象のない誓いじない。
対象は先生です。
先生が知らんぷりしても、僕は誓いをたてます。
女の子の友達はいぱいいるけど、でも先生しか見てないから。
本当に。
先生のことだけ想ています。
もし先生が振り向いてくれなかたら、僕は気が狂てしまうかも知れません。
失恋でおかしくなた人を、僕は知ています。
先生、覚えてる? 五年前のことを。
1月6日のことを。
千葉大学病院で会てるんだよ? 
先生は歯の治療に来てて……
先生はあの時、ニトの帽子をかぶていて、とても可愛かた。
先生は、
「いくつになたの?」
と訊いてきて、僕は、
「24ですよ、もう」
て答えた。
先生はいくつになたの? 
とは訊かなかた。
今夜、先生の家のドアの前で訊いちたけどね! 
あの時はね、辛かた。
自分に自信がなかたから。
でも今は先生の前に堂々と出れる。
愛してるて言える。
あの時さらに僕は、
「先生は結婚しないんですか?」
と訊いて、
「できないのよー
て先生は言た。
「選んでるんですか?」
「選べないのよー
て先生笑た。
これらのことは全て昔の日記に書いてあります。
昨日の夜、僕は日記を読み返して一人泣きました。
嬉しすぎて。
日記つけてて良かて。
僕は今でも日記をつけています。
ホームページでもつけているので、2つもつけています。
先生にあげた指輪と同じもので、金色のものを、僕は左手の薬指につけています。
これはもう一生はずしません。
というかサイズがきつくて、ムリヤリつけたのでもうはずれません。でもそれでいいと思ています。
先生しか愛さないことをもう決めたから。
先生に年賀状を送たことも、先生がその後電話をくれたことも、飛び上がて喜んだことも、全て覚えているし、全て日記に書いてあります。僕は人を愛することを知ているし、本当に幸せで、自分で望んでこの世に生まれてきたと信じています。
先生に会うために。 
気持ち悪い。 
でもホント。
本当です。
この手紙は朝になたら速達で出します。
一秒でも早く先生に届くように……
先生の幸せを、いつも祈ています。

左手の指輪に誓う先生のことをずうと愛してゆくと

     ×     ×     ×

逢えずとも君はどこかで生きてるし同じ青空の下にいるし

昨日女の人から手紙が来ました。
「先生かも!」
て見たら知らない女の人だた。
この前の同人誌のイベントでうちのサークルのフリーペーパーを見て、お友達になりたいて言てきたよ。
25歳の主婦だて。
先生からじなくてがかりしました。
残暑見舞いの先生の字てとてもキレイだね。
僕の字は下手で……
僕は昔、大人になたらキレイな字が書けるて信じてた。
でも書けなかた。
もう30になろうとしてるのに下手な字を書いてるなんて気持ち悪いです。
僕はこのままだと40になても50になても下手な字を書いてそうで怖いです。
でもそれはきと僕が15のままだから。
一緒に歳をとてゆける人がいなかたから。

年齢はつねにあなたが上だから歳をとるのは怖くはないよ

先生は30になる時、怖くなかたの? 
僕は今ではもう怖くありません。
て先生だて通てきた道だから。
安心して通てゆける。
僕が歳をとれば先生だてとるし、その点では先生はいつも僕を待ててくれる。
だから怖くありません。
そこだけ甘えさせて下さい。
僕は実際の歳よりだいぶ若く見られるけど、もう30近いです。
これからどんどん醜くなてゆく。
ただでさえあんまりかこよくない僕なのに、これ以上醜い僕を先生に見られたくありません。
これからどんどん寒くなりますが、夏服の僕も見てもらいたかたです。
こう日に焼けていたんですよ?
先生の写真が欲しいなていつも思う。
顔が見たいです。
毎日先生の顔を見ることが出来る生徒たちにちと嫉妬です。
僕が先生のこと「先生」て呼ぶから先生は僕のこと子供あつかいするのかなて思いました。
でも他に何て呼んだらいいのか分からないし……
あと、僕がいつも15の時のことにこだわているのも良くないのかなて思いました。
たら15の時のことを忘れる必要があります。
(絶対忘れないけど……)。
先生は僕のことを元生徒だと思わずに、歌人とか作家とか思てくれればいいし。
(まだなてないけど……)。
僕も先生のこと、キレイで優しく、尊敬できる中学の英語の先生だて見てゆくら……
15の時のことは忘れないけど、忘れる必要があるんだたら忘れるから……
(絶対忘れないけど)。
だから僕を見てください……
僕は昨日体調がすごく悪くて、倒れそうになたので、山之内病院で点滴を打てきました。
かつて体力的にここまで追い込まれたことはありませんでした。
大袈裟ですが死にたくないて思いました。
先生の顔さえ見れてないのに。
書きたい小説だてまだいぱいあるし、歌だてまだ枯れてない。
僕はまだまだこれからなのです。
病院のベドの中で、
「先生お見舞いに来てくれないかな」
なんて馬鹿なことを考えてた。
先生今頃英語教えてるだろうなて思てた。
本当に馬鹿なことだけど、先生が死んじた時のことも想像した。
てどうしても先生の方が年上だから……
そうしたら病院のベドの中で泣いてしまて、看護婦さんに「苦しいの?」て訊かれた。
僕は「はい」て答えた。
本当に馬鹿なことだけど、もし先生が先に死んでしまても、後追い自殺とかはしないようにしようて思た。
先生はエミリ・ブロンテの『嵐が丘』を読んだ? 
サリンが死んでも、ヒースクリフは生き続けたでし
エミリ・ブロンテは30で病死してしまいました。
美しい女性でしたが、現実の恋愛を知らない人でした。
なのにもかかわらず、『嵐が丘』を書いたというのは驚くべきことです。
でも僕はエミリ・ブロンテじないし、現実の恋も知てる。
30で一人で死ぬつもりもないし。

先生は一人暮らしだから、病気になたりすると不安だよね? 
僕も中野で一人暮らししてたから分かるよ。
もしも助けが必要だたらすぐに僕を呼んでね? 
すぐに飛んでくから。
僕は風邪薬とかいぱい持てるんだよ? 
マツモトキヨシで働いてる友達だているし。
これからどんどん寒くなるから、先生、気をつけてね……

分かたよ一人暮らしをしていると風邪ひくだけで心細いと

先生がお手紙くれなくても、僕が先生にあげたものを、返されないてことだけで、僕がどんなに嬉しいか分かる? 
返さないでね。
返すくらいなら捨ててね。
人には絶対あげないでね。
本屋とかよく行くけど、先生と一緒に、
「この本面白いんだよ?」
とか、
「このCD好き」
とか言えたらどんなに素敵だろうて思う。
最近オークスブクセンターで、スピツのニアルバムを借りました。
「ガーベラ」て曲が大好きで、そればかり聴いています。
先生の生徒でもスピツ好きな子はいぱいいると思います。
僕はカラオケとても上手いですよ? 
先生は何を歌うのかな?
この前先生の家まで行た時、先生は僕を無視しようと思えばできたのに、それをしなかた。
とても嬉しかたです。
あの時、
「愛してます」
て言おうと思た。
でも怖くて言えなかた。
たら絶対泣くと思たから。
こうして手紙ではなんとか書くことができるけれど、本人を前にして、しかも顔を見ながら言えるのか分からないです……
あの時先生は僕のことを、
「大切な生徒の一人」
て言た。
正直言うと、
「一番大切な生徒」
て言てほしかた。(ダメ?)。
先生、変な男と結婚しないでね。
僕よりも愛情や才能や若さで劣ているような男と結婚しないでください。
もししようとしたら僕はそんな結婚式、メチクチにしに行きます。
先生は僕だけのものです。

ている好きだと言てしまたらきと泣くからだから言えない

     ×     ×     ×

蕾だと信じ捧げた白百合が実だと分かて大恥かいた

先生ごめんなさい!
あの百合、つぼみじなくて実でした……
すいません!恥ずかしいです……
こんなんじ歌人になる資格ないね……
叔母に言われて気付きました……
ていうか、うちのまわりにもあれと同じようなのがいぱい生えてて、いつも、
「なんで咲かないんだろ?」
て思てたんでした……
先生もきと、
「なにこれ。つぼみじないし。これ実だし。咲かないし」
とか思たことでしう。(先生はこんなに言葉遣い汚くありません)。
ごめんなさい……
実は僕はちんと咲いた百合を見つけて、持ていたんです。
だけどお風呂に置いておいたら、うちの犬(メス)のミルが食べてしまたんです! 
(本名はコンデンスミルクていいます。ゴールデンレトリバーと柴犬が混ざた雑種です。
本当は前回の手紙は家の近所で手に入れた、ピンクのバラを添えるつもりでした。
だけどそれもミルが食べちて!(嫉妬?)。
もう本当にがかりしました。
また探しに行ても、百合は咲いてないし、バラも咲いてないし……
ミルが……
ミルはこの夏に緑が丘リゾーンで拾てきた犬です。
捨てられて、ボロボロになていたのですが、ちうど僕が通りかかて、あまりの可愛さにさらてしまたのでした。
子犬だたので、自転車のカゴに入れてさらてしまいました。
ミルはバカで可愛いです。エサをあげても、どこにあるのか分からないみたいで、ウロウロ探しています。
鼻が利かないのかな? 今ではでかくなりました。
最初、男の子だと思てたら、女の子でした。とても可愛いです。
先生に絵本を二冊贈ります。あ、これ、僕、ちと理由があて二冊づつ持てるんであげますね? 
お金かかてないので心配しないで下さい。
一冊はCoccoの絵本です。
Coccoは大好きで、CDはほとんど持ています。
でもなんか絵本は期待していたのとは違た。
何でか。
それは男の人が出て来ないから。
きりラプンツルみたいなのを描くのかと思てたら違た。
この絵本を読むかぎり、Coccoは歌てる時とは違て、沖縄の海で自然に囲まれ、男の人なしで自足しています。
この絵本を読むかぎり、僕にはそう思えます。
僕がいくらCoccoのフンだと言ても、今回はもう一冊の絵本『ピピラくん』に軍配を上げざるをえません。
お話しを書いた大友克洋という人は、マンガとかアニメ映画の『AKIRA』を作た人です。
ても凄い人。
尊敬しています。
どうか絵本を読んでくださいね。
先生、なんか最近忙しいです。
毎日のように手紙を書いています。
先生はもと忙しいんだろうけど……
今日も、僕の小説が好きて書いてくれた男の子に手紙を書きました。
『ちぎれる日々』が一番好きて言てた。
この子は人間の女の子が好きになれなくて、アニメの、それもアンドロイドしか好きになれないんだて。
いろいろ書いて手紙を出しました。
人形しか愛せない男の小説「人でなしの恋」(江戸川乱歩)を昨日読んで、そして読むと面白いよ? 
て書きました。
でも本当にとても良い小説。
乱歩好きです。
他にも良いのがいぱいある。
女の子は苦手そうだけど……
乱歩は小説を書く時、真暗な部屋にロウソクを灯してその明かりだけで書いていたそうです。
乱歩は人間嫌いでした。
「現こそ夢、夢こそ現」と言ています。
乱歩は現実よりも、自分の妄想を愛した人でした。
しかし名声を得るようになり、人と仲良くできるようになると、乱歩は今までのような夢幻の小説を書けなくなていたといいます。
その時はもう、乱歩にとて現の方が大切だたのかも知れませんね。
他にも手紙を書かなくちいけない人がいぱいいるんです。
この前の25歳主婦とか、歌人の子とか、インタート文学賞をとて50万円もらた子とか、やおいのサークルの女の子とか……
もう一か月もみんな待たせているんです。
でもとにかく先生には書かなくちと思て。
あ、さきの男の子はとても絵が上手いんですよ! 
少年ジンプとかにイラストが何度ものているんです! 
もしかしたら漫画家になれるような子かも知れません。
先生あのー……指輪なんですが、ずとつけてたら、きつかたもんで寝てる間に指の一部が壊死してしまいました……。大馬鹿です。別にいいやと思てそのままつけてたんですが、手を洗てる時に壊れてしまいました……。おもちですからね……。今は別の指輪をつけています。壊れたやつも大切にとてあります。たまに女の子に「何その指輪―!」と言われるんですが、別にいいんです。「喧嘩する時の武器にするんだよ!」て言てます。
ああ、本当はもと先生に書くべきことがいぱいあた気がするのに……
メモしておけばよか……
でも先生がまだ「美川」先生でよかた! 
別の苗字でなんか呼びたくありません。
もしも仮に先生が結婚していたとしても、僕はその男から先生を奪うつもりでいたけれど……
先生、15の僕に優しくしたことを、お願いだから後悔しないでね。
もしも今、先生の生徒であの時の僕のように困ている子がいたら、どうか優しくしてあげてください。
お願いです。

学校のチイムがどこか遠くから聴こえてくれば生徒にかえる

     ×     ×     ×

図書館にて
先生、「短歌研究」を送ります……
一首しか載らなか……
前に書いた手紙で、今度は絶対二首以上載る自信があります、と言たような気がします……
ごめんなさい。
本当に恥ずかしいです。
でも今回は自信あたのです……

雷を録音してる君を見て雨の路上で恋に落ちたよ

同じ本二冊買う人見つけたよきと誰かにあげるんだよね

スプーンを落とした時の音が好き部屋いぱいのスプーンの雨!

牛乳の国の王女になるためにかぶてみたいミルククラウン

受け入れてもらえぬならばもういそ殺されたいと思い願

の五首を出したのです。
でも二番目の一首しか載らなか……
本当にシクでした。
最初、本屋で立ち読みした時、僕のが一首も載てないと思てしまい、真青になてしまいました。
どうしよう、先生に会えない、本も贈れない、と思て、絶望的な気持ちになりました。
でもかろうじて一首載てて……

     ×     ×     ×

この最後の手紙は投函されていない。
短歌が雑誌に載らなかたことで力尽きたのだ。
手紙を完成させることも出来ないくらいシクを受けていたのだ。
僕には先生の前に出る資格がない、それどころか手紙を出すことすら許されない、そう思た。
全ての自信を失てしまたのだ。
ぼくはひどい鬱状態におちいり、先生とコミニケーンをとろうとすることを一時的に辞めた。
去年の夏の終わりに、叔母の一周忌があたので久しぶりに茂原に行た。
ヒグラシがうるさい程に鳴いていたので、その鳴き声が墓石に強く響いてしまて、その下で叔母と一緒に眠ている母親が生き返てしまうのではないかなどと考えて恐ろしかた。
茂原にきても「恩寵」は全くやて来なかた。
僕はお墓のすぐ近くにある、茂原で一番高い塔に登ることにした。
てみると、
「老朽化につき閉鎖致します。長い間のご愛用ありがとうございました」
と書かれた張り紙があり、立入禁止になていた。
失礼ながらも、「老朽化」という文字を読んで先生のことを思い浮かべてしまた。
しかしながら先生だけでは無いのだ。
もし今の僕の顔を先生が見たなら少なからず戸惑うだろう。
立入禁止になていたにもかかわらず無視して塔の敷地の中に入ていくと、塔の入り口に鍵が掛かていて入れないようになていた。
しかし塔を形成する鉄格子と鉄格子の間を、痩せた今なら何とか通り抜けることが出来た。
ていた時だたら通り抜けられなかただろうと思う。
脱獄する囚人のような気持ちで鉄格子を通り抜けて恐る恐る塔を登てゆくと、カラースプレーで大きく、
「2007今日未明5月3日青春」
と落書きされているのを発見した。
他にも、
「東大進学拒否万……
と落書きされていて、「万歳」の歳の字が書けなかたのだろうか?
これじ東大に入れないなあと思た。
これらの落書きはこれまで存在しなかたのだ。
塔の閉鎖を惜しんだ若者達が、愛情からこれらの落書きを書き殴たのだと勝手に解釈した。
まだ小学生だた時に、我が家で何年も使われたテレビが壊れて捨てられてゆく日、クレヨンで「今までありがとう」とテレビに書き殴たことを思い出した。
塔の一番上まで登ると、更に沢山の落書きが書き殴られていた。
「跋折羅団」「赤木」「レイプ万歳」「ゴツがんばろうぜ」「ほむら殺す」「ほむら消えろ」(「ほむら」と書かれたのをよく見ると「しまむら」だた)「みのもんた鳥」「みんな死ね」「まんこちんこ」
などと所狭しと書き殴られているのだた。これらの落書きには不道徳なものが含まれてはいたけれど、若者の抑え切れない叫びがそのまま描かれているような気がする故に、美術館に眠ている古ぼけた絵画などより一層愛すべきもののように思えるのだ。
塔の一番上では天気が良ければ富士山が見えたが、この日は見えなかた。
周りにはビールの空き缶やシンナーの吸殻、使用済みコンドームなどが散らばていた。
塔の一番上からでは、どこに先生のマンシンがあるのか確認出来なかた。
僕は塔の一番上から携帯で先生に電話しようかと思たが、きと今頃学校にいるはずなのでやめておいた。
塔の上から少し見える、先生のマンシンに至る大好きな道を歩いてみたいと思ていたのだがやめておいた。
なぜかあの道はもう歩いてはいけない気がしたので。
歩いても「恩寵」がやて来ないであろう事が何となく分かていたので怖かたのかも知れない。
僕は東京タワーからの眺め、とりわけまだ空が明るい時の眺めも大好きで、登た時は必ずと言ていい程、更に600円払て一番上まで登ることにしている。
高い上空の、幾分か神の視点からこの人間の風景を愛することになるのだ。
東京タワーの一番上から街を見下ろすと、よくもまあこんなにも沢山ビルや家を建てたものだと感動に打ち震えてしまう。
その一つ一つに生活があて、みんなそこで泣いたり、笑たり、人を想たりしていると考えて、柄にも無く胸が熱くなるのだた。
僕が茂原の塔から見える風景を愛していたのは、その見慣れた風景の中に、いちいち自分の姿を見付けてしまうからだ。
塔の上から下を見下ろす。
かつてここから想像の上で飛び降り自殺しなかた若者がいるだろうか。
下を見下ろして少し想像力を働かせれば、先生や僕の死体を始めとして、ゆうこりんや酒井彩名といた茂原出身の有名人、そして数え切れない程の死体が転がているのが見えた。
僕は小さな子供がよくそうするように、塔の一番上から唾を落とした。
塔の上から高校が見える。
僕が高校生だた頃にはここは女子高だたが、割と最近共学になたらしい。
高校のグラウンドに体操着で走ている女子生徒達が見える。
僕は今では、女性が存在するからという理由で、この世は生きるに値する、と考えられるようになている。
「幸せになりたい」と願う時に少しだけ感じるあの恥じらいを、今ではすかり払拭することが出来る。
塔の一番上にある壁に、
「ここに名前をかいた人は両想いになれる」
という落書きと共に、大きな相合傘が描かれてあた。
そこには数え切れない程の男女の名前が、小さな文字でびしりと書き込まれていた。
僕はそれを一つ一つじくり見た後、書く物も持ていないし、またこんな所に名前を書くような歳でもないので、諦めて塔を降りて行た。
付記
AIは使用してません。
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