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第23回 文藝マガジン文戯杯「帰郷」
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青年バベル
(
木嶋章夫
)
投稿時刻 : 2023.08.06 11:11
字数 : 25062
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青年バベル
木嶋章夫
信仰を持
っ
ていないにもかかわらず、多神教では無く一神教に近いような内面を持
っ
て生きていると感じることが多々ある。
一昨年の冬、全く外出することが出来ずに、歯を磨いたり髭を剃
っ
たりお風呂に入
っ
たりする気力が枯渇しており、す
っ
かり人間の屑のようにな
っ
ている僕の惨めな常套手段として、女性に助けを求めることしか思い付かなか
っ
た。
それも年賀状を送るという消極的な手段で
……
。
この時、人とのコミ
ュ
ニケー
シ
ョ
ンが全く失われており、会うことはおろか、電話さえも恐ろしくて出来ない程に精神的にも肉体的にも衰弱していたので、年賀状を書くことでさえ一苦労だ
っ
た。
何かに取り付かれたように猪年の絵を描いていて、後三
ヶ
月経
っ
ても手の痺れが取れないので、一生治らないのではないかと考え憂鬱だ
っ
た。
そうや
っ
て完成した年賀状の一枚を、助けを求めるために先生に送
っ
た。
先生というのは僕が小学校高学年の時から中学校卒業まで通
っ
ていた英語塾の先生であり、高校に入れてくれた恩人だ
っ
た。
今では中学校に勤めている先生がカトリ
ッ
クだ
っ
たということを、僕はつい最近まで知らなか
っ
た。
インター
ネ
ッ
トで先生の名前を入力して検索した時にその事実を知
っ
たのだ
っ
た。
先生がカトリ
ッ
クだ
っ
たということを知
っ
た瞬間に、僕は思い出の中の先生の笑顔からはとても想像出来ない、目が眩む程の輝かしい先生の不幸をあれこれ妄想したけれども、それは全く先生を汚して喜んでいるようなものだ
っ
た。
年賀状を送
っ
て助けを求めたと言
っ
ても、文章を書いて送
っ
た訳では無く、猪年の絵を描いて送
っ
ただけで、言葉は何も添えなか
っ
た。
これまでに散々「愛しています」だの「結婚して下さい」だのと熱に浮かされて書きまく
っ
た手紙を無視され続けてきているので、最早絵葉書一枚送るだけで息苦しい程の重力がお互いに掛かることを知
っ
ていた。
僕は年賀状の返事が来ることを全く期待していなか
っ
た。僕はこの時に何か能動的な行動(その動機が愛欲に深く結び付いたものならば尚の事良か
っ
た)を起こす必要を感じていたのであ
っ
て、例え返事が来なくても、先生に向か
っ
て手を伸ばすことが出来るだけで取り敢えずは救われることを、経験上良く知
っ
ていた。
しかしながら思いがけず返事が来た時に、どん底の状態から一気に有頂天にな
っ
たので、もしもこの時の僕を見た人がいたとしたら、少し頭がおかしくな
っ
たのではないかと思
っ
ただろう。
余りに嬉しか
っ
たので、先生からの年賀状が届いた日付けは今でも正確に覚えている。
迎春 幸多き一年でありますようにお祈り致します 元旦
た
っ
たこれだけの、全く形式だけと言
っ
ていい年賀状だ
っ
たが、他の人から送られて来た年賀状とは別にして大切に保管し、たまに取り出しては眺めていた。
美しい手書きの文字で書かれたこの短い文章の中に、先生の名前の一文字が使われていることや、この年賀状が「愛の寄付金」付きの年賀葉書を使用していることから、実際には有りもしない先生の僕に対する愛情を必死にな
っ
て無理矢理捏造することに取り付かれていた。
この年賀状が届いた時に一番嬉しか
っ
たのは、差出人の先生の名字が変わ
っ
ていないということだ
っ
た。
つまり先生はまだ独身でいるのだ
っ
た。
僕は先生の正確な年齢を知らない。
僕が小学校の高学年だ
っ
た時には、先生は既に教壇に登
っ
て僕に英語を教えてくれていた。
以前先生のマンシ
ョ
ンにいきなり押し掛けて中に入れてもらえず、インター
フ
ォ
ン越しに年齢を尋ねたことがあ
っ
たが、
「失礼なこと訊かないの」
と言われてかわされてしま
っ
た。
続けて先生の誕生日をしつこく尋ねたが、決して教えては貰えなか
っ
た。
そしてその先生の判断は正しか
っ
たのだ。
先生がもしも僕に誕生日を教えていたら、僕はその日をまるでクリスマスのように神聖化してしまい、毎年何か贈り物をしてしまうに決ま
っ
ていたので、先生にと
っ
ては恐らく憂鬱で我慢出来ない日にな
っ
ていただろうから。
年賀状を先生に送
っ
たのは、助けを求めることの他にもう一つ意味があ
っ
た。
僕は先生の住む茂原から離れて引
っ
越していたので、住所が変わ
っ
たことをお知らせする意味があ
っ
たのだ。
僕としては、何とか生きています、ということをどうしても伝えておきたか
っ
たのだ。
しかし、茂原で壊されてゆく僕の実家を先生が見て、
「雉町君はどうしているのだろう
……
?」
などと心配していると甘い妄想に浸るのは、甚だしい自惚れに過ぎない。
先生の僕に対する奥深い反応というのは、まさに無関心に他ならなか
っ
た。
それはまるで神のように。
僕達は神が地上の出来事、とりわけ飢餓や戦争などの悲惨な出来事に対して残酷にも無関心だと感じ、不幸の中にいて全く見捨てられた存在であるということを痛感している。
それにもかかわらず人間が神を必要としているということは、人間の悲惨を示すのでは無く、むしろ栄光を示しているのだということを言い切りたい。
僕が学校や仕事を途中で辞めたり、クビにな
っ
たり、大学に合格出来なか
っ
たり、小説や短歌の新人賞で落選したり、警察のお世話にな
っ
たり、醜く太
っ
たり、覚えていた英単語の意味を忘れていたり、他の女性に夢中にな
っ
たりした場合に、先生の名においてすぐさま断罪された。
ここでは
っ
きりさせておかなければならないのは、これらのことを僕が実際にしでかしたとして、もし先生がそれを知
っ
たとしても、先生自身はそれを責めるどころか、全くの無関心だということだ。
僕はこれまで、これらの自分が不利になる(と勝手に思
っ
ている)ようなことを、いちいち電話や手紙で先生に告白しなければ罪悪感に耐えられなくなる程弱か
っ
たのだが、それらを聞いている先生にと
っ
ては、全く聞く価値の無い、つまらぬ話に過ぎないということが、先生の声の調子で痛い程伝わ
っ
て来るのだ
っ
た。
告白というのは罪の観念とし
っ
かり結び合わされている。
恐らくは愛の告白までもが罪の観念と密かに結び合わされているのだ。
先生のことをここにこうして文章にしてしまうということは、カトリ
ッ
クの信仰告白とは違
っ
て、信仰を更に深めるということにはならない。
むしろ逆である。
僕にと
っ
て先生のことが今でも本当に大切ならば、僕の性格からして徹底的に秘密にすることにより、先生に対する愛情を、より深く密度の濃いものにしただろう。
ここにこうして文章にしてしまうということは、僕にと
っ
て、先生のことが幾分かどうでもいいことになりかけているのだ。
この小説を書く為に、先生からの年賀状を改めて取り出して見た時、そこに「祈り」という言葉が使われていることに初めて気が付いた。カトリ
ッ
クである先生が「祈り」という言葉を使う時、僕達が使う時とはまた違
っ
た意味があるのだろうか?
僕がこの小説を書くにあた
っ
てず
っ
と考えていたことは、祈りによ
っ
て引き起こされる(かのように見える)結果のことでは無く、祈りそれ自体の価値についてだ
っ
た。
祈りとは無償であり、それ自体が救いにな
っ
ているような運動のことなのだ。
僕はも
っ
と簡単に、祈りとは愛だと言
っ
てしま
っ
て良か
っ
たかも知れない。
それは情念の問題なのであ
っ
て、エネルギー
に満ち溢れた情熱的な瞬間を救いの観念と結び付けたのだ
っ
た。
祈りを象徴的に表すものとして、僕は涙のことを思い描いていたのだ
っ
た。
一見、救いと涙が矛盾するように思えるのだが、僕の考えでは、完全に満たされている状態においては、最早祈りや救いや愛や情熱などの入り込む余地が失われているのだ。
茂原にある、先生が通
っ
ている教会に、
「お話したいことがあるのですが(祈りについて)」
と電話を入れると、神父さんらしき人が、
「日曜日のミサにいら
っ
し
ゃ
っ
てみてはどうでし
ょ
うか?」
と言
っ
て下さ
っ
た。
先生はミサに来ているのかどうかを尋ねると、最近は顔を見せていないということだ
っ
たので、もしや先生の信仰が揺らいでいるのではないかという希望的観測の入り混じ
っ
た推測をした。
先生との関係を訊かれたので、かつて先生の教え子だ
っ
たということを言うと、先生に伝えておくので名前を教えて欲しいと言われた。
僕は「佐藤」だと偽名を名乗
っ
た。
もしも「雉町」だと本名を名乗
っ
たならば、間違い無く先生に逃げられてしまうと思
っ
たのだ。
バレないように出来るだけありふれた名字に隠れて、僕は茂原で先生と会うつもりでいた。
叔母が亡くな
っ
た後、茂原の実家を壊したのだが、シ
ョ
ベルカー
によ
っ
て乱暴に壊されてゆく住み慣れた実家を見ながら僕が思
っ
ていたことは、一体何千回位この自分の部屋で自慰をしただろうかということだ
っ
た。
あんなに幸せな自慰をすることはもう無いだろうと、降りしきる雨の中、大きな音を立てて壊れてゆく実家を眺めて佇んでいた。
かつてこの実家の前を掃除していた時に先生と会
っ
たことがあ
っ
た。黒い服を着て市役所に行く途中だ
っ
た先生は掃除している僕を見て、
「偉いね」
と言
っ
た。
この「偉いね」というのは先生が僕を適当にあしらう時によく使う言葉で、これを言われてしまうと何一つ偉くない僕は先生の前で、まさに有罪を宣告されることになるのだ
っ
た。
その後先生に会いたくて毎日実家の前を掃除したが、そのような幸運は二度と無か
っ
た。