帰省
誰かから定期的にプレゼントを貰うという習慣が無くな
って久しい。
誕生日を迎えて思うことは、免許証の更新を確認せねばならないな、という程度のことであった。妻をまだ彼女と呼んでいた頃はその日が近づくにつれ、それとなく欲しいものを探られたものだったが、今となっては免許更新センターだけが葉書を寄越して私の誕生日を気にかけてくれる。
ところが、である。小学校に上がったばかりの娘が、私が与え始めたお小遣いを貯めて、誕生日プレゼントを私に買ってくれたのだ。
黒い垂れ耳の可愛らしい犬のキャラクター。ところどころにその犬をあしらえた財布が「いつもがんばってくれてありがとう」の手紙を添えて私の机の上に置かれてある。
こんな日が来るとは思わなかった。喜びよりも先に驚きを感じた。ああしなさい、こうしなさい、親の指示の元生きて来た彼女が初めて見せる自主性。立派な財布を貰ったとしても大して金を入れられないけれど、それでもやはり、私は嬉しかった。
そんな、去年とはひと味違う私の誕生日が過ぎると、間もないまま盆がやって来た。まとまった休みを取り親子3人で妻の実家に帰省するのが私たちの毎年の恒例である。妻の実家は私の住む街から3時間程車を走らせた山あいにある田舎町だ。それが盆と重なると5時間もかかる。億劫と言えば言えなくもない。
けれども日々の生活に追われる私たちには盆と正月くらいしか帰る機会を得ることができない。先方も楽しみにしているし、第一に私には私の目的もあった。車中に菓子を持ち込み旅行気分でいれば悪くはない5時間だ。
妻の実家に着き、お決まりの挨拶もそこそこに私は子供を義母に預けて、タバコを買ってくる、とひとり家を出た。これも毎年の恒例だ。孫と水入らずを過ごしたい義父母は大して文句も言わない。無論、タバコだけを買いに行くわけではない、むしろ私の目的を果たすための口実と言って良いだろう。
道を歩けば、半年振りの風景は変わることなく、私を迎えてくれた。山あいに突然切り開かれている水田。時折、町に音を響かせて走る単線電車。舗装のされてない道には痩せこけた街路灯が淋しげに列を成している。
歩みを進めると思い出したかのように民家がぽつぽつと現れてくる。夕になれば辺りは一体仄暗く、畦に潜む蛙たちが会話も出来ぬほど一斉に鳴き始める。時期が合えば小川には蛍もあるらしい。遺伝子にでも組み込まれているのだろうか、都会育ちの私にも込み上げるノスタルジーが、ここにはある。
町にひとつしかない万屋風情を残したコンビニでタバコを買って、先に続く坂道を登り切ると、そこには私の目的地である寺があった。この寺には妻のご先祖と妻自身が眠る墓がある。私には毎年、ひとりだけ先に墓参りを済ます慣例がある。父親の肩書きを降ろして、夫として妻と語らいたいのだ。大半は愚痴である。7歳の娘と4歳の息子。親子3人で奮闘する毎日がいかに大変であるかを妻に愚痴愚痴とぶつけてやるのだ。
けれども今回は嬉しい報告もひとつできそうだ。俺の誕生日が復活したよ、と。私は墓前にしゃがみ込み、娘がくれた誕生日プレゼントの話を妻に語った。
もともと心臓に病を抱えていた妻は、次男出産の肥立ちが悪く突然にこの世を去った。
出産に伴い、医者からの忠告はあった。 一人っ子の淋しさを知る妻はこれを振り切った。不安があった私も、長女の出産の成功から妻に同意した迂闊があった。
「こんな日がくるとは思わなかった」
唐突に訪れた絶望の内に私の頭を巡った言葉だ。
「こんな日がくるとは思わなかった」
同じ言葉を娘が私に思い出させてくれた。
人生の其処彼処に仕掛けられた「こんな日」を、私はあと幾つ辿る事になるのだろうか。
いつの間にか騒がしかった蝉の合唱もヒグラシの独唱に変わり、日も少しずつ傾き始めた。
「愚痴を聞いてくれてありがとう」
妻の墓にそうつぶやいた。
愚痴しか言わぬ駄目な夫は、明日には頑張り屋のパパとしてここに戻らねばならない。
私は立ち上がり妻の墓を去ろうとする。ふと、一陣の涼やかな風が私の頬を撫でた。
「おつかれさま」
風がゆらす梢のざわめきのなかに、妻の労いの声を聞いた気がした。