N○K教育「ひとりでできるかな?」
NHK教育テレビ(今のEテレ)のこども料理番組「ひとりでできるもん!」、舞ち
ゃん(役名フルネーム「水沢舞」)がクラムチャウダーを作ったことがあった……気がする。小さい子がクラムチャウダーなんてハイカラな料理よく作るな、と私もこどもだったのに思ったものである。私はひとりでできるわけはなかった。
さて、私が料理をするようになったのは何度か呟いているとおり、母が死去する一年前からのことで、「あなたのほかにできる人がいない……!」と白羽の矢が立ってのことだった。ほかの人は私よりずっと忙しいか、とても料理など頼めないか、あるいは先があまり長くなく今のうちに次世代の私に引き継がせる方がいいか、といった具合だった。
料理に関し、母が私に残した言葉はいくつかある。毎日を乗り切るヒントのものもあるし、警句のようなものもある。ご紹介しよう。
その一は「とにかく量は用意する」だ。
何と言っても人は腹が減ると気分も悪いし、米でも野菜でも多めに出せ、ということだった。品数が少ないと思ったらチルドのシウマイでもレンチンするとか、ヨークベニマルどまんなか特の市の初日で加工肉が安売りになるのを買ってストックしておくとか、豆腐は毎日の味噌汁にもなるし足りないと思ったら麻婆豆腐の素があるとか、塩もみの浅漬けでいいから作っておくとか、いろいろと小技を教えてもらった。これのおかげで最初のうちの「どうしたらいいんだ!」という危機を何度も乗り越えられた。
その二は「惣菜を上手く使え」だ。
自分で毎日料理をするのは限界があるということだった。特に人数が一般家庭より多かった我が家では、まともな献立で作ると大変なことになる。野菜炒めは具材それぞれが中華鍋いっぱいで、肉を炒めて取り出し、もやしを入れて取り出し、キャベツを炒めて肉ともやしを戻す……など、毎回がそういう具合だ。何でも自分で作って「しっかり料理をしなきゃならない」と思わないように、ということだった。行き詰まってからでなく、先に言われたことは大変ありがたかった。
その三は「和風味はだいたい醤油・酒・みりん=1・1・1」だ。
いろいろな料理があってレシピでは微妙な比率で入れるように指示をしてくるが、構わないと言うことだった。土井善晴先生の言葉だと思われる。実際、私もこれで困ったことはない。(たまにみりんは使わなかったり砂糖を入れたりするのがあるので、注意は必要)
「レシピがないし、比率も覚えてない。困ったわ……」
そんなときは全部同じ量で入れるとよい。あと、酒は塩分の入った料理酒はおすすめできない。
その四は「冬は困ったら、鍋」だ。
本当に、鍋は、楽!
野菜とメインの肉魚などを切っておけばいい。そしてテーブルにガスをおいて火をつけたら、鍋奉行をしないこと。なんでわざわざ私が鍋を仕切らなきゃならない? せっかく切るだけで終わりにしたいのに!
そういうわけなので、野菜を入れるにしろ、肉魚を入れるにしろ、誰かにさせるようにする。
それと、翌日の朝のご飯とセットにするものとして、食べ終わってから具材を追加しておくのもよい。白米に出汁が染みてうまい。
さて、その九七二まで母の言葉はあるけれど、てきすとぽいの制限時間もいっぱいということで、ここらで母が間違っていたこと、を紹介したい。
母は「生姜は熱帯の植物なので乾燥させた方がよい」と言っていたが、高温はそうだが、多湿の土地(インドあたりが原産とされるが野生種は見つかっていないらしい)のものなので、普通に冷蔵庫で低温でいいと思われる。乾燥した生姜をすりおろすのは大変である。
それと、母は年相応に目が悪く、カレーを食べると私は一時間ほど結構な腹痛に襲われた。おわかりだろうか……ジャガイモのソラニンだ、芽を取り切れていなかったのだ。
翌朝のカレーではなぜか腹痛が起きなかったので長らく気づけなかったのだが、「そういえば昔、母がジャガイモの芽を取っていたときに取り残しを指摘して嫌な顔をされたことがあったな」と思い出して真相がわかった。
みなさんは老眼鏡など、かけるようおすすめする。なお、母は「カレーが身体に合わなくなった、食後にもたれて腹が痛くなる」と早々に離脱していた。私たち家族は原因不明にソラニンに苦しみながらカレーを食し続けた……というわけである。
搬送されることがなかったのはソラニン濃度がそこまでではなかったのではないか、と考えられる(浅黄幻影調べ)
それでも間違いというものはいつでも誰にでもあるもので、いくらかの間違いがあっても正しいものを継承できることは素晴らしいこと。そして間違いは本当に間違いであることが多い一方、正解はいくつもある。よく言われるように、料理に正解はない。
だからこれから自分で毎日の食事を用意する人は、正解などないのだから無理なことなど自分に課さず、気楽にやればいいと私は思うところである。
落ちを用意できなかったのは私の間違いであった。
完