砂海の蜻蛉はなにを食む
視界がぶれる。身をよじる。ときどき風が当たるが、むしむしとした、拷問のようなものだ。気体は暑気にふれる。痛みを感じることもかなわない。
ここは、砂海(さかい)だ。砂(いさご)のシー
ト。砂のほかは皆無だ。ただ暑気が染み渡るばかりだ。
汗は流れない。身体(しんたい)が危機にあることが分かる。体外に出せるほども残せない。自分が歩行可能だということが、不思議に満ち溢れるようだ。安堵は感じない。どうせ後には息も不能になる。
もうどれほど歩いただろう。後ろを見ると、前方と同様の地が、ただ不毛の地があるのみだ。
……かれこれ太陽が三回ほど昇る以前、私は、大罪を飲み込んだ。
イダの地に私の庭がある。イダは自然あふれる地域だ。自然とともに生き、自然を支配しもしない。偉大なる自然を支配しようなどということは意地汚きことだと、イダの民は信じた。イダは人民が庭を得(う)ることは容易な地なのだ。
私は普段と変わりなしに、庭の世話をした。庭には、多様な太い樹がある。私は害のあるものが附しはしないか歩き見た。併せ、花の世話もした。
庭の中には、殊に古い樹がある。樹には実がなる。これは、昔より食むことを禁止された樹の実だ。
イダの法に、こうあるのだ。
――フィアの実を食むな。
なぜかは了知しない。しかしこれはイダの禁忌だ。栽培を禁止したという意味とは違う。食むことが禁止なのだ。
私は普段と同様に、フィアの実に害のあるものが附したかを見た。なんと長蛇(ちょうだ)がいた。私は長蛇を樹より仕切るよう「立ち去れ」と言う。しかし長蛇は立ち去ろうとしない。
「この実、食みとうはないか」
長蛇が言う。長い舌が実を這う。
「フィアの実になにを!」
私は憤怒した。
「怒鳴るな。この味を知りとうないのか」
長蛇の喉が鳴る。長蛇の視線が、私を縛る。身体が動かない。
「さあ食むがよい」
私はイダの主(あるじ)に死罪を言い渡された。イダの禁忌に触れたのだ。
……私は依然、砂(いさご)を歩いた。
蜻蛉がいた。
蜻蛉が私を視認した。私は完全に蜻蛉のうみだした、陽光の侵攻を阻む場所に入り込んだ。冷涼な風を感じる。蜻蛉は私の何倍も巨大だ。フィアの樹を横にしたような巨大さだ。翅を透過した陽光は、ほんの少量ばかりだ。胴は幹よりも太い。両の視器官の脇に、口がある。
蜻蛉は私を見ると、旋回した。輪の軌道をうむ。私を食む魂胆なのだろう。蜻蛉の翅により強風が生じた。砂(いさご)が暴れる。
蜻蛉が飛ぶ。私に向かう。ああ、死んだ。なにも感じない。
だが、私は死なない。
私は、蜻蛉の背中にいた。
*
蜻蛉は私を食むことを観念したようだ。私は蜻蛉の頭部より後ろの位置に座した。私の背後で、翅がせわしない振動をした。
しばし後に、イダの地が視界に入り込んだ。
イダの民が騒がしい。巨大な蜻蛉が来たのだ、当然のことだろう。民が蟻のように動いた。私は自分の庭に戻りたい気持ちだ。しかし蜻蛉は、私の意思を断り、主(あるじ)のいる城に飛ぶ。
城の垣根にはとうに、大量の戦士が配置された。蜻蛉に砲火を開始した。蜻蛉にはただの粉のようなものだ。しかし私の身体(しんたい)は穴ぼこになる。多量の血が流れる。どろりとしたものが、蜻蛉の頭部を塗布した。私は高揚とした気分になる。戦士に視線を飛ばせると、何人かは尻込みした。戦士たちを、蜻蛉が薙ぎ殺した。私と違い、蜻蛉に危害はない。
蜻蛉は主の寝床に飛んだ。戦士たちが騒がしい。私は跳ぶ。主の寝床に入る。中に主はいない。私は廊下に歩いた。戦士と鉢合わせになる。向こうは私に弾丸を撃ち込む。胸に穴があいた。私は戦士たちに向かい歩いた。
「よ、妖怪だ」
戦士が言う。同時に、戦士は武器を放り立ち去ろうとした。莫迦者だ。ほかの戦士が感知したときには、もうあとの祭事だ。私は武器を握る。
私は廊下を歩き、階段を昇降した。冠の居場所を探査した。しかしなかなか視界に入り込むことがない。もう城外に逃亡したのか。蜻蛉のところに戻ろうか。否、より精を入れた城の探査が先だ。私は地下にも踏み入る。
入ると、ここに主がいるという自信が来た。恐怖を感じる。私の恐怖とは違い、冠のある恐怖だ。地下は倉庫のようだ。箱が重なりあう。中には本が多量にある。ほかの箱にもいろいろと似たようなものばかりだ。
この箱以外は。
不時を予期し用意されたのだろう。箱の中身を取り出した跡がない。主の身が危機になるとき、地下のこの箱に入ることになるようだ。主は、律儀にも励行した。臣下が用意した隠所(いんじょ)ほど、危ないところはないというのに。
しかし、私は臣下になれたことはない。臣下も臣下なりに、主の座を理解しない者ばかりなのかもしれない。
私は武器の砲身を箱に付した。残りの弾丸はある。私はこん、と箱を砲身で叩いた。主の叫喚が届いた。私は主の発話を嘲笑した。
「どうか命は――」
なにか言うより先に弾丸をぶちこんだ。血が噴きあふれる。箱は樽のようにワインに満たされた。
私は清涼になる自分を感じた。同時に、蜻蛉のところに戻りたいと願う自分も感じた。私は自分の心に従うことにした。
戦士たちは依然、主の死を認識しない状態で垣根を囲み、鉢合わせになれば弾丸を出した。私の身体はぼろぼろの紙きれのようだ。しかし戦士たちは武器を握るのを弛緩しない。
残りの弾丸が零になれば、自然と了した。
私は、道を失うが、蜻蛉が私のところに来た。私のいるところに、城を壊し来たのだ。私は蜻蛉の頭部を撫ぜた。
頭部の後方に座した。壊れた腰では容易なこととは異なるが、蜻蛉の動きがいいのか、動き出した後は安心にいることが可能だ。
私は清涼だ。清涼な気分だ。
力量を頂戴したのだ。
フィアの実の、巨大な力量を。
*
蜻蛉は私の願いを聞き入れ、私を庭に運んだ。庭は見ないうちに荒れたようだ。花が枯れた。
蜻蛉は砂海に帰郷した。自身の分布した地が一番居心地がいいのだろう。私が庭に戻ることを願うのを見、蜻蛉も砂海に行きたいと感じたに違いない。
――蜻蛉はなにを食み生きるのだろう。
ふと、疑問をいだいた。あの砂海にはなにもない。あるのはただ、砂(いさご)ばかりだ。
枯れ花の処理をし、私は庭の中心に寄る。
フィアの樹の実。これを齧ることで、私は厖大な才を感じた。
長蛇がいた。
長蛇は私を見ると、さ、と樹の端に附した。
「どうした。なぜ身を見せない」
長蛇は無言だ。私と視線を合わせようとしない。私は長蛇に礼がしたいというのに、なんだろうこの仕打ちは。
「……立ち去れ」
途端、長蛇が言う。私が以前発話した言葉だ。
「どうしたというんだ」
長蛇は私を忌むように視線を伏せ、遁走した。恐怖を食んだかのように。
……なんなのだろう。
疑問に感じるよりも先に、回答は私の頭部に生じた。
頭部が割れるように痛い。弾丸にも壊せない脳が、が、が。
私の、が破裂、た。崩壊、る。頭部の中かか蜻蛉の幼、が這いだだるどみ。フィアの実はただ。の実。しかない。のか本能。蜻蛉の。による。本能。だ、たのか。脳にた、ごを生み附し動かした、ごが生、れるとき、での、りかごとした。
蜻蛉の赤子が私を食
了