ある男の盛り上がらない話
大崎駅。切符を買う。列車に乗る。それだけの事。人が溢れるホー
ムで列車が来るのを待ち、目の前で開いたドアから到着した列車に乗り込む。座席はどこもかしこも人が座っていて、私が座る余裕はなかった。つり革につかまりぼんやりと景色を眺める。そして列車は動き出す。私の体は慣性で後方に流されるが、つり革につかまってそれをこらえる。
品川駅。高層ビルが立ち並ぶ。私は流れて行く。ビルの姿を眺めている。
田町駅。若い学生らしき集団が電車内に乗り込んできた。東京タワーはうまく見えない。
浜松町駅。黒いスーツのサラリーマンが乗り込んできた。
新橋駅。再びサラリーマンが出たり入ったり。
有楽町駅。若いカップルが乗ったり下りたり。心なしか黒いスーツの人間は減り。顔に髭を生やした人物が増えたような気がする。
東京駅。旅行客だろうか、大きなカバンをしょっている。それから外国人の姿も見えたような気がした。多くの人数が入れ替わったので、隙を見て私は座席に腰かけることができた。
神田駅。人間観察はやめた。それよりも私はある一つの悩みを、頭から振り払えないでいた。それはとても重たく、苦しく。人の心を蝕んでいきさえ擦る
秋葉原駅。その悩みは、おそらく小説が書けないということである。先ほどまで部屋に籠っていたのだが、結局私は部屋を抜け出し、こんな意味もない時間つぶしに興じている。
御徒町駅。何故書けないのだろう。それは私の才能が原因なのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。きっと書けるはずだ。現に私は何本か小説を仕上げた経験がある。だからかけるはずだ。アイデア。そう。何かアイデアがあればきっと。
上野駅。だがアイデアは浮かばなかった。駅から駅までの間考え込んだというのに。何も。これっぽっちも。私は自らの発想の貧困さを呪おうとさえした。だが、そんなことをしても無意味だと私は気づいている。だから考えるべきだ。しかし何故考えられない?
鶯谷駅。もう考えたくない。
日暮里駅。 お
西日暮里駅。そ
田端駅。 ら
駒込駅。 く
巣鴨駅。 私
大塚駅。 は
池袋駅。 寝
目白駅。 ていた。
高田馬場駅。目が覚めた。相変わらず私は電車のシートに腰かけている。発車のサイレンがホームに響きわたっている。車掌の声が社内に拡がった。「ダぁシャアリヤス」
新大久保駅。「ダぁシャアリヤス」
新宿駅。 「ダぁシャアリヤス」
代々木駅。「ドア閉まります―」
原宿駅。 「ドアが、閉まります。ご注意ください」
渋谷駅。 「ダぁシャアリヤス」
目黒駅。 「ダぁシャアリヤス」
五反田駅。「ダぁシャアリヤス」
大崎駅。「ダぁ―シャーりやす」
そして再び。
品川
田町
浜松町
新橋
有楽町
東京
神田
秋葉原
御徒町
上野
鶯谷
日暮里
西日暮里「ダぁシャアリヤス」
田端
駒込
巣鴨
大塚
池袋
目白
高田馬場
新大久保
新宿
代々木
原宿
渋谷
目黒
五反田
大崎・・・・
再度、品川田町浜松町新橋有楽町東京神田秋葉原御徒町上野鶯谷日暮里西日暮里田端駒込巣鴨大塚池袋目白高田馬場新大久保新宿代々木原宿渋谷目黒五反田大崎・・・
長い。こんなに駅名覚えられない。私はそう思った。頭の中で考えているとほとんど何かの呪詛の様である。この大崎から五反田までのループは人を惹きつける魔力がある。いや、実際はそんなことないんだけど、この堂々巡りな感覚がまさに自分の人生の様である。
そして意外と長かった。何時しかあたりは暗くなり、ビルの明かりがまぶしくなった。数えきれないほどの人とすれ違った。そしてその誰の事も覚えていない。
時刻は夜の1:15分。「終点の大崎です」そうアナウンスがなった。それでも私は動かなかった。そうしていれば当然に駅員さんにこう言われるだろう。
「お客さん。終点ですよ」・・・・・。
予想通りだった。最後に「降りないんですか?」と付け足して言われたがこれはこれでありだろう。まぁそれで当然だろう。たぶんそれが因果関係だろう。
仕方ないので私は電車を降りた。やはりホームの人影はまばらだったが、それでも人がいるのが驚きだ。
この山手線のループがまるで人生みたいなんて哲学的なことも考えたりするけど、物事の終わりというのは案外些末で、現実的なものなのかもしれない。劇的な終わりなんてのはあまりないよ。
なんだか山手線の最後の一周は一周しないものがあると聞いていたが今回は一周してきてしまった。それも人生観に結び付けようとしたけどそれもなんだか無理っぽい。
だからこの話もそろそろここで切り上げます。なんだか訳が分からなくなってきたし。
それでは本日はこの辺で。後には疲れた男が残されたとさ。