藤子F不二雄先生の、少し不思議なサイエンスフィクション
少し、不思議。
かつてはと
っつきづらかったSF(サイエンスフィクション)というジャンルに新たな意味を与えたのは、「ドラえもん」「パーマン」などの作品で知られる藤子・F・不二雄先生です。大長編ドラえもん(ドラ映画の原作)の著者近影の下に、自分の書いているSFは「少し、不思議」なんだよとはにかんだ笑顔で種明かししている藤子F先生の姿を見たのはわたしだけではないでしょう。
もしかすると、SFというジャンルを国民的なものにしたのは、藤子F先生かもしれません。古参SFファンの皆さんもご存じのとおり、かつてSFは好事家たちが支えるマイナージャンルでした。それをここまで一般的なジャンルに育てたのは、SF小説家の皆さんであると同時に、藤子F先生をはじめとした漫画家たちであったというのは一つの真理と思われます。タイムパラドックスや歴史改変ものといった概念をお茶の間に浸透させたのは、藤子F先生の代表作・ドラえもんであったといっても過言ではないでしょう。
ときに、藤子F先生の「少し、不思議」という言葉、かなり誤解を受けているような気がします。
ちょっと科学的なことをちりばめておけば、それで「少し、不思議」なんだろう、みたいな。
しかし、それは違います。今回はそのお話です。
「ドラえもんのび太の宇宙開拓史」という作品があります。 のび太の部屋の畳の下と宇宙船の倉庫のドアとが繋がってしまうという、壮大なんだか四畳半なんだかよく分からないイントロダクションから入るこの作品、その二つが繋がってしまう理由についてかなり詳細な理由が述べられています。宇宙船が無理なワープをしたことによって空間が折りたたまれたまま固定されてしまい、結果のび太の部屋の床下にワープホールが出来てしまった、というようなものです。この裏には、当時のSFにおいて一般的だった「空間の折り畳み」式のワープ航法が紹介されているのですが、なんと藤子F先生、その原理についても劇中で説明しています(分かりやすい説明なのですが、それでも分からない子供のためか、「どこでもドアが故障しちゃったようなもんだ!」とドラえもんに説明させています)。
子供向けとされる「ドラえもん」の中ですら、(しかも、どこでもドアという原理なんか説明しなくても既に受け入れられている道具がありながら)藤子F先生は二つの空間がくっついてしまった事象に理由を与えているのです。これぞまさしくSFマインドだよなあと思うのです。
また、かつてF先生のアシスタントをなさっておられた方の証言なのですが、ある時、翼竜(恐竜とほぼ同時期にいた、翼をもつ爬虫類のこと。プテラノドンが代表格)を書いてF先生に提出したところ、先生から赤がついたそうです。先生曰く、
「この作画だと腕の関節がおかしなことになってるよ!」
と仰ったそうです。
絵を描かれる方だと首肯していただけると思うのですが、生物のデッサンをする際には、その生物の骨格構造や筋肉の付き方などの知識が物を言うのです。しかしながら、翼竜は既に絶滅しているので実物を見ることができない。ただ、痕跡たる化石を見てどういう関節をしていたのかをイメージするしかありません。
F先生は恐竜が大好きだったそうです。恐らくは山のように関連書籍を読み、多くの化石に触れてその構造を学んだに違いありません。
二つの例だけでも、藤子F先生の凄味が伝わったのではないかと思います。
藤子F先生は、決してSF考証をなおざりにしていたわけではありません。むしろ、既存のガジェットを積極的に用いて、「なぜこうなったのか」を必死で理屈づけられています。また、調べられることはすべて調べた上でベストを尽くすという姿勢が見えます。
ただ、藤子先生は、メインの読者層である子供のために、それらの理屈を分かりやすい言葉に改めたり、あるいはお話の進行に関係ないのであればその説明を省いたりして読みやすくブラッシュアップしているのです。
わたしがこの小稿で何を言いたいのかと言えば、特にハードSF志望の方は、もう一度藤子・F・不二雄先生のSFに目を通してみてはいかがでしょう? というご案内だったりします。ハードの方からは、「藤子FのSFは海外SFの翻案ばっかりじゃねえか」という批判もおありでしょうが、それでも先生は当時の日本人のSF知識に合わせてしっかり噛み砕いて紹介しています。その凄味を感じ取って頂けたのなら、この小稿は大成功です。
そして、今回、企画に合わせて初めてSFを書こうと思っているあなた。ぜひ藤子F先生のSFを読んでみてください。藤子F先生がおつくりになった、少し不思議なサイエンスフィクションを見ることが出来るはずです。そしてその読書体験は、きっとSFを書くときの手助けになるはずですよ。