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【BNSK】月末品評会 in てきすとぽい season 4
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見送り人
司馬
 投稿時刻 : 2014.07.01 03:15
 字数 : 10868
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司馬


(酷く、青い空だ)
 ふと、そう思た。
 ぼ、という、まるで地鳴りのような音が、私の耳を震わせる。それに合わせ、半ば体に染み付いた動きと、本能のように口から出てくる祝詞が耳朶を震わせる。
 やがて、地鳴りが聞こえなくなると、目の前にある蒸籠の釜にくべられた薪を、一本、二本と抜く。しばらくして、祝詞を上げる私の声にまた、地鳴りの音が合わさてくる。
 昔、先代の神主だた私の父に、なぜ地鳴りがなるのか聞いたことがある。
「これは、神様の声なんだよ、栄蔵」
 そんな、誤魔化しの様な答えが返てきたが、そのあとちんと父は教えてくれた。何でも、蒸籠の中に入ている米が、釜から上がてくる蒸気で膨張するときに擦れあてなる音なのだという。
 “鳴釜神事”と言う呼び名なのだと知たのは、父の後を継ぐために修験場へ通い始めた、十年ほど前のことになる。
 読み上げる祝詞が終わる頃には、再び地鳴りは収まていた。丁度いい按配だ。これも、父から教わたことである。
「本日も、お勤めありがとうございます、先生」
「いえ、こちらこそいつもお世話になておりますから」
 深い、深いお辞儀をしてくれる檀家の、山田のおばあさんに、私も畏まて深々とお辞儀をする。その拍子に、私の額から大粒の汗がぽたり、ぽたりと落ちた。
「あら、あら。まだ初夏の前だというのに、暑いですからねえ、先生。すぐに麦茶でも用意しますので」
 おばあさんは私の様子を見て穏やかに笑い、ゆくり急ぐ、といた表現がしくり来るような歩みで家の中へと消えていく。
 私は、ありがとうございますと好意に甘んじることにして、懐から湿気た手拭いを取り出し、額の汗を拭た。つんざくような蝉の声が、鳴り響いている。もうすぐ涼しくなるとはいえ、こんな季節に神主装束を纏うと言うのは大変なことだと人は言う。
 しかし――
……御国のために戦ている人々に比べれば、なんともないな」
 そう、呟いた。
 今、皇国は英米との太平洋戦争の最中だた。新聞によると、戦況は大きく優勢に傾いており、戦争勝利も間近だという。
 だが、私はなんとなく思ていた。戦況は、芳しくないのだと。むしろ、帝国の敗北さえあり売るのではないか、と。
 その証拠に、あちらこちらから、かき集めるように粗鉄が徴収されている。我が家にも、帝国陸軍の人間がやてきては、必要最低限のものを残して、鍋やら食器やらを持ていかれた。
 最初は飯をこさえるのにも苦労したが、御国のためであれば、止むを得ないことだろう、と今は思ていた。
 きと、最前線では御国のために、数多くの同胞たちが命を削て、戦ているのだろう。
 そんな状況で、未だに私が内地で、のうのうと神主業をしていられるのは、ひとえに私が当主であるからだ。
 五年ほど前に父が流行り病で亡くなり、跡を継いだ兄も結核を患て、今は病床の身である。兄には跡取りがいなかたため、いつ死ぬか知れたものではない身よりも、健やかな体を持つ弟のほうが当主に相応しいと、当主を譲られたのが四年前だた。
 その年の冬、帝国海軍は真珠湾に至り、太平洋戦争が始また。私が、徴兵されることはなかた。ひとえに、地元の名士の、当主であるから。ただそれだけの理由で、私が呼ばれることはなかた。
……幸運なこととは思うがなあ」
 また、ぼやきを一つ零しながら、私は手拭いで汗を拭う。もちろん、戦争に好んで行きたいわけではない。だが帝国臣民の一人であることに変わりはないのだ。御国を、ひいては家族を護るためなら、喜んで戦場へ向かうつもりではあた。
「ええ、お待たせしました、先生。あいにく麦茶はうちの子が全部飲んでしまておりまして。まだ冷えてはおりませんが、緑茶と、粗末なものですがお菓子を包ませていただきましたので」
 しばらくぼおとしていたが、山田のおばあさんの声で我に返ると、なんだか申し訳ない気分になり、緑茶は頂くとして、お菓子は固辞することにした。
「この大変な時期です、山田さんのところも、あまり余裕はないでしうし、正太郎くんに食べさせてあげてください」
「へえ、この大変な時にうちの子は、飯が食えるありがたさも分からず、図体ばかり大きくなて、がつがつ食うものでねえ。ちとばかし、躾のためです」
 そういて、山田のおばあさんはお布施ののし袋と共に、和紙で包まれたどら焼きを、押し付けるように、私の懐へと入れる。
「息子さんに、食べさせてあげてくださいな、先生」
 そこまで言われては、もはや断ることも出来ず、深々とお辞儀をして御礼をするしかない。山田のおばあさんは、いつもどおりの微笑みを浮かべて、同じようにゆくりとお辞儀をする。
 そうして、少し立ち話をしてから私は山田さんの家を後にし、分教会でもある我が家への帰途へと就く。とはいえ、山田さんの家から我が家までは、半里もない。同じ村の端と端ぐらいの距離である。
 神主装束のまま、村のあぜ道を歩いていると、たびたび村の人間から挨拶をされる。昔からずと、神主業をやていた家だ。どうしても、一目を置かれてしまう。
 それがなんだか、少し苦手だた。幼少はそうでもなかたが、今では心許せる友など、両手で数えられるほどだろうか。いや、それだけいれば十分なのかもしれない。
 ただ、その友たちも全員、太平洋の島々や満州、印度支那で戦ている。生きてまた、あえる保障などどこにもなかた。
……ん、郵便か?」
 やがて、私の家が見えてきた。父の代に建てられた木造平屋で、分教会を兼ねた家だ。屋敷と呼ぶには小ぶりだろうが、それでも普通の家と呼ぶにはやや、大きいものだた。
 その家の前に、茶褐色で見覚えのある制服を着た青年が、佇んでいた。そして、私の姿を認めると、少し目を伏せ、意を決したような表情でこちらへと走てくる。
 瞬間、その青年がどういう理由で私の家の前に佇んでいたのか、悟た。同時に、私の体の中で何かが、冷たく冷えていくのを感じる。
「ええと、山中、栄蔵さん、ですか。神主の」
……ええ、はい。そうです」
「あの……、その。僕、じない、私、帝国陸軍の、その……
「大丈夫です、分かています。……頂けますか?」
 言いよどんでいる青年に、私は静かに笑えば、青年が持ているだろうそれを、差し出すように言た。ばつの悪そうな表情の青年はやがて、肩からかけた郵便鞄から一枚の封書を取り出す。
 私は、封書に巻かれている糸を外し、開けた。ちらりと見える、赤茶色の紙。
 ああ、やはり。とうとうこのときがきたか。そう思てため息をつこうとしたときだた。
「ええと、我が帝国陸軍は、栄蔵さん。あなたに、従軍神主として、お越しいただきたいと思ております」
 青年は、暗記してきただろう文章を読み上げるように、緊張した面持ちで、そう告げた。どうも、私の思ていたものとは、少し違うらしい。
 やがて、青年は郵便鞄の小物入れから、折りたたまれた和紙に書かれた文字を読み上げ始めた――



□ ―― □ ―― □

「少尉相当官、従軍神主の山中、現着いたしました」
 私は、少し緊張しながらそう告げる。洋服と言うものは、あまり慣れない。もとも、今着ている物を洋服とするならば、だ。
 茶褐色の上着に、茶褐色のもんぺ、茶褐色の帽子。いかにも、帝国軍人といた出で立ちである。しかし、私に言わせれば、まるで服に着られているような気分になていた。
 どうも、洋服は性に合わないらしい。亡き父も、着物を好んでいたし、私の一族は洋服との相性が悪いようだ。
「山中少尉、来てくれたか」
 私の声に気づいた、恰幅のいい中年男性――私よりも、一回りほど年上の、年季の入た軍服を着た将校が、やや憔悴した様子でこちらへと歩いてくる。
 そうして、私の目の前で綺麗な敬礼をした。なんとか、見よう見まねで敬礼をしてみたが、どこかおかしかたのかその男性はおかしそうに、くすりと笑う。
「そう無理にしなくてもいい、山中少尉。いや、先生と呼ぶべきかな」
「そんな、恐れ多いことです。山中とお呼びいただければ」
「そういうわけにも行くまい。兵たちの手前、わざわざ招聘したのだからな。私の方こそ、松井と呼んでくれ」
 そういいながら、松井と言う将校は私を営舎へと案内してくれた。階級は大尉らしく、私よりも二つも上である。もとも、私の階級は相当と言うだけで、正式なものではなかた。
「話は聞いているね、先生?」
「はい、松井大尉。新たに発令される作戦のための祈願、と聞いています」
「ならばいい。なんとしてでも、この作戦は成功させなければならない。英米の息根を止めねば……
 松井大尉はそこまで言うと、はと口をつぐむ。
(やはり、戦況は芳しくないのだな)
 そう思いながら、松井大尉の後を歩きながら、営舎の中へと進む。やがて、行きついた先は下級将校用の部屋の一つだた。
「先生はこの部屋を使てくれ。三つ隣が私の部屋だ。困たことがあれば、遠慮なく尋ねるように」
 そういうと、松井大尉は部屋を出て行た。あまり長居して、機密を喋るのも不味いと思たのかもしれない。
……なんとも)
 大きくため息をつき、帽子を傍の椅子に引掛けながら、内心呟いた。結局、軍務に就くとは言え、内地の安全な場所での勤務と言うわけだ。しかもなぜか知らないが、下級将校の待遇までもらている。
 一方、友人たちはろくに食事も出ない最前線で、草をかじりながら弾薬不足の中、戦ている。そう思うと自分の境遇が、酷い裏切り行為なのではないか、と言う思いがわいてきた。
「ともかく、出来ることをするしかない。神主として、求められているのだ。御国のために応えることが、臣民の責務だ」
 まるで自分を叱咤するかのように、持て来た神具や衣装一式を、部屋の片隅へと置いた。



………………

…………

 翌日、松井大尉より呼び出され、共に営舎の司令部へと向かう。神主装束を着てから、とのことだたので、茶褐色の軍服ではなく既に衣装を纏ている。
「遠路はるばる、ご苦労だた、先生。基地司令の岸田だ。まあ、楽にしてくれ……といいたいところだが、その衣装では難しそうだな」
 岸田司令は、げそりとこけた頬をぽり、と指で掻きながら、椅子に座る。それを見てから、私も椅子に座た。
「早速だが先生。君にやてもらいたいことがある」
「はい」
「作戦の必勝祈願だ。やてくれるね?」
「はい」
「よろしい。松井君、先生を案内してくれたまえ」
「は
 短いやり取りが幾つか為された後、私は松井大尉に連れられ、営舎を後にした。どうやら、営舎の傍に敷設された、飛行場へ向かているらしい。
 やがて、格納庫の傍に、簡易な神棚が作られ、神酒や榊が供えられている。その前には、三人の若い搭乗員が居並んでいた。
 ごうん、ごうんという、プロペラが回転する音も聞こえる。エンジンを温めているのだろう、と思た。
「時間も、そう多くはない。先生、ご祈祷を」
「分かりました」
 急かされるように、私は準備を始める。薪を置いて、火打石で火をつける。水を入れた釜の上に蒸籠を置き、米を入れ、蓋をする。それを、五徳に乗せて、薪の上に据えた。
 やがて、祝詞をあげ始めると、ぼ、という釜の鳴る音がし始める。それが、私の紡ぐ祝詞と合わさり、奇妙な雅楽となて周囲に響く。
 そうして、祝詞をあげ終わると同時に、釜の音は鳴り止んだ。御幣を、三人の搭乗員の頭上で振りかざし、祈祷の言葉をあげる。火打石の火花を降り掛け、刻んだ榊の葉と和紙を、振りまいた。
 最後に、また祝詞をあげる。長く、長く、祈願の言葉を紡ぎ、御幣を振る。
 それで、全て終わりだた。
「終わりました、松井大尉」
「うむ、ご苦労だた、先生。全員、気を付け!」
 松井大尉の、よく通る声が響く。その声と同時に、三人の搭乗員はびしと、直立した。
「諸君らはこれより、皇国の為、陛下の御為、その命を炎と為し、一億総火の玉の先駆けとして、敵空母を撃滅する為に、神風となる!」
 一瞬、その言葉の意味が分からなかた。神風、とは何のことだ。たた三機で敵空母が撃滅できるはずもない。尋常な手段では。そう思た。
 ――つまり、尋常な手段ではない。それを、悟る。彼らはこれから、”死ぬ”のだ。それがなぜか、分かた。
「先生の必勝祈願は終えられた。諸君らの抱く五十番は、必ずや敵空母を撃沈せしめるだろう!」
 松井大尉は、三人の搭乗員に小皿を渡し、そこに神酒を注ぐ。松井大尉自身も、小皿に神酒を注ぐ。そして、四人が同時にそれを口に流し込んだ。
「勇敢なる兵どもよ。諸君らの健闘を祈る!」
 松井大尉は、くるりと踵を返した。そして、訓示の終わりと同時に、足早に営舎のほうへと歩いていく。
「ま、松井大尉
 私は松井大尉を小走りで追いかける。やがて、追いついた松井大尉に対して、詰め寄た。
「大尉、あれはどういうことですか!? 神風とは一体……!」
……静かにしてくれ、先生。致し方がないことなのだ」
「何が、致し方がないなのですか!? 彼らのような、私などよりも若い、前途ある若者を死地に送り込むなど……
「そんなことは百も承知だ、馬鹿者!」
 松井大尉の大声が、営舎に響く。あまりの大声に、頭に血が上ていた私でさえ、思わず冷静になるほどだた。
「誰が、好き好んで、教え子たちを……! まだ、満足に真直ぐ飛ばすことも出来ないひよ子を、空に上げるというのだ……!」
 松井大尉が、真赤な目をして、私を睨み付ける。その瞳から、抑え切れなかたように、涙が一粒零れ落ちた。
 一分ほどにらみ合ていただろうか。やがて松井大尉が踵を返し、足音を踏み鳴らしながら自身の部屋へと戻ていくのが見えた。
 一方の私は、呆然とすることしか出来なかた。しかし、エンジン音が大きくなたことに気が付いて、思い出したように再び、滑走路へと向かう。
 既に、三人の搭乗員たちは出撃準備を終えていた。飛行帽を風に靡かせ、空を見上げている。
「君たち
 私は小走りで彼らの元に駆け寄る。そして、息切れを整えながら、それでも祝詞を読むときのような、しかりとした声で彼らに言た。
「恐かたら、戻てきてもいいんだ。君たちには、帰る場所がある。むざむざやられては――
 そう言たが、三人のうち一番年上の、兄貴分のような青年は、私の言葉を遮るように笑う。そして短く、彼は言た。
「ありがとうございます、先生」
「若林飛曹長、準備できました
 整備兵の報告があがる。それを聞いて、その青年――若林飛曹長はにこりと微笑んだ。
「行きます、先生」
 その、別れと呼ぶにはあまりにも短く、そしてありふれた言葉に私は、何か言うことも出来ず、ただ彼と、その後にいる二人の青年の姿を見ることしか出来なかた。
 やがて、操縦席に乗り込んだ三人は、私と整備兵の、たた二人の見送りを受けて、プロペラを回した。エンジンの回転音が跳ね上がる。
 やがて、一機が飛び立た。二機目が、次いで飛び立つ。三機目、指揮官機――指揮官と呼ぶには、余りにも小さく、悲惨な部隊の長となた、若林飛曹長の機体が上がる。そして、エンジンの音が遠く、離れて行た。
(神様よ、彼らにどうか、慈悲を)
 それは、祈りではなく、懇願だた。神に祝詞以外の方法で願いをあげたのは、初めてだた。
 空を見上げた。彼らが今、命を懸けている場であり、ともすれば……いや、ほぼ間違いなく最後の風景になるだろう、空。
(酷く、青い空だ)
 僅かに、そう思た。
 その日、岸田司令の手によて、若林飛曹長ら三名の勇士の名に、赤い線が引かれた。
 戦果は、白紙だた。


□ ―― □ ―― □


「尽忠報国の意気を胸に、僕は最愛の人を護るために行くのです」
 田舎に、幼少からの結婚を約束した相手がいる青年。
「我が体は死せども、我が魂は死せず。陛下の御剣となれるのであれば、男児に生まれた甲斐があります」
 天皇陛下の御為と、その身に気炎を満ち溢れさせる青年も。
「家族の面倒は、御国が見てくれると約束をしてくれましたから」
 老いた母と若い妻、そして生まれたばかりの息子の事を気に掛ける青年も。
 皆、帰らなかた。
 神の存在を、信じていないわけではない。だが、これはあまりにも。そう思わずにはいられなかた。
 私は、彼らをいつも見送た。見送るたびに、声を掛けた。
「帰てきてもいいんだ。岸田司令と、松井大尉には私からとりなしてあげるから」
 それはもはや、哀願に近しい言葉だた。替わてやりたくても、それすら叶わない。ならばせめて、引き留めよう。こんな、速やかなる自殺が御国の為になるはずがない。
 それは、臣民としては間違た考えだたのかもしれない。だが、人として、一人の神主として、思いとどまてほしかたのだ。
 だが――
「ありがとうございます、先生」
「大丈夫です、先生」
「そう思ていただけるだけで、俺は救われます、先生」
 彼らは、そう私に笑て、行てしまた。こんな無力な私を、先生と呼んで。憎んでくれた方が、どれだけ楽だたか。やり場のない怒りを、ぶつけてくれた方が、どれだけ楽だたか。
……私はただ、君たちを死地に追いやる手伝いをしただけなんだ」
 そう言いたくても、言う事さえできない。そんなことを言てしまえば、彼らの為にした必勝祈願が嘘になてしまう。
 ただ、私は祈願をし続ける。彼らが勝てるように。死地から、舞い戻れるように。
「先生」
 声を掛けられた。松井大尉だた。
……明日の特攻で、祈願は終わりとなる。先生には、別の飛行場にて、必勝祈願を行てほしいとの要請が来ている」
 行てほしい、と言外に伝えられる。私は力なく笑た。
「また、私は若い人が死地へ向かうのを、見送るのですね」
……私も、見送り続けた。私の教え子たちだ。一期生も、二期生も、三期生も。全員見送り続けた」
 松井少尉は、そのこけた頬を僅かに緩ませ、そして言た。
「ゆくり休んでくれたまえ。明日が最後なのだから」
 そういうと、松井大尉は自分の部屋へと戻て行た。
(最後、か)
 厳密には、この飛行場での最後なのだろうが。めきり、営舎の中の人気はなくなた。犬と遊ぶ訓練兵たちの姿も、懸命に鍛える若年兵たちも、皆居なくなた。
 岸田司令の部屋にある出撃帳には、赤い線がたくさん引かれている。その隣には、ほとんど何も書かれていない。
 彼らは、死して靖国の英霊となた。きと、そうに違いない。靖国に行けば、彼らに会える。
 そう思わなければ、どうにかなてしまいそうなほど、私は憔悴していた。
 明日で、一つの区切りがつく。私は身を清め、床に就いた。



………………
…………

「先生だ」
「ああ、先生じあないか」
「先生、ご無沙汰しています」
 これは、夢だ。そう、はきり分かる物だた。
 とても健やかそうな表情の彼らに、私が囲まれているのだ。
 現実では、有り得ない。そう思た。
「先生、ありがとうございます」
 私は、何もしていない。そう答えようと思たが、何故か声は出ない。触れようと、手を伸ばしても、届かない。
「先生が、祈てくれたおかげで、僕たちは帰てくることが出来ました」
「最期に、逝く前に、親父と話せた気がするんです。すみません、ありがとうて」
「私も、許嫁と話すことが出来ました。泣かせて、しまいましたが」
 彼らの、その屈託のない笑顔が、酷く悲しくさせる。こんな無垢な若者たちを、私は見送たのだ。涙が零れた。これは夢だから、そんな気がしただけ。
「泣かないでください、先生。笑てください。そうでないと、私たちは逝けません」
 涙で前がぼやけて見える。その水滴の隙間から、顔が見えた。若林飛曹長だた。
「ありがとうございます、先生。僕も、お袋に、最後に会えました。それでいいんです」
 彼は、笑た。満足そうな笑顔だた。なぜ、そんな笑顔が出来るんだ。問いかけようとしたが、それもできない。
「見送てくれる人がいました。帰りを待てくれる人がいました。お蔭で、僕たちは戻てこれたのです。だから、ありがとう、なのです、先生」
 若林飛曹長は、そう言た。答えるつもりで、口を開く。声は、でない。
 だから、私は、笑うことにした。涙は、止まらない。それでも、笑うことにした。
「ありがとう、ございます、先生」
 若林飛曹長の声が、木霊した。彼らが、消えていく。手を、伸ばした。
……!」
 気が付いた時、私は営舎の一室で、虚空に向けて手を伸ばしていた。外は、明るい。朝だた。
 外では、すでにプロペラの音が聞こえる。部屋の扉を叩く音がした。どうぞ、というと扉がゆくりと開き、若い青年の姿が現れる。
「先生、起きられましたか」
「ああ、ええ。今しがた。もう、そんな時間ですか」
「はい。最後くらい、少し寝坊させてやれ、との松井大尉のお達しで」
 これまで、何機もの飛行機を整備してきていた、整備兵の一人だた。彼もまた、見送てきた人だた。
 彼らの場合、搭乗員もそうだが、何より我が子のように整備をしてきた、機体も見送てきている。二倍辛いのだろう、と勝手に思た。
「松井大尉にお礼をしなければ。これまで世話になりましたし。準備するので、少し待ていてください」
「はい、外でお待ちしていますので」
 整備兵はそう言て、扉の外へと消える。手早く、衣装を整え、釜や蒸籠、そして白米などを用意していく。烏帽子を被り、杓を手に持た。
 そして、整備兵と共に、外へと向かた。滑走路には、機体が一機だけ、ぽつんと置かれている。すでにエンジンは回ているようで、ぱらぱらとプロペラの回る音が聞こえている。
 搭乗員の姿は、まだ見えない。
「先に準備を済ませましうか」
「はい」
 整備兵が、たどたどしい手つきながらも、準備を手伝てくれる。お神酒を少し零してしまたようで、少し泣きそうな顔になていた。
 こうしてみると、まだ少年の面影さえ残て見える。せめてもの救いは、彼を見送らないで済むことだろうか。
「準備は出来たかね、先生?」
「ああ、はい。もう少しでできます、松井大尉――
 聞き覚えのある声を背に、私は振り返た。そこにいたのは、いつもの茶褐色の軍服を着た姿の、松井大尉ではなかた。
 飛行帽を被り、ゴーグルを首に下げ、つなぎを着た姿は、どこから見ても搭乗員のそれだた。
「ようやく、行けるよ、私も」
「松井大尉……!? どういうことです」
「先日、特攻志願が受理されてね。もう、育てるべきひよ子たちもいない。お役御免、と思われたのだろう」
 松井大尉は、静かに息をついて、どこか清々しそうな表情で笑う。
「この飛行場、最後の特攻というわけだ。これで、見送ることもなくなる」
「そんな……
「君には、世話を掛けるね、先生。私まで、見送らせることになる」
 松井大尉のその言葉には、どこか静謐さえ感じさせた。悟りを開く、というのはこういう事なのだろうか。神主である私は、こんな静謐さがあるだろうか。
 それとも、死を目前にした人には、何か真理を得る何かがあるのだろうか。その答えはきと、得てみないと分からない物なのだろう。そう思た。
「さあ、先生。どうか、必勝祈願を。私を、見送てくれるのだろう?」
 松井大尉が、頭を下げる。私は小さく息を吐いた。
「酷い人ですね、松井大尉は」
 私はそれだけ言うと、火打ち石で薪に火をつける。数分もすると、ぼおお、という釜鳴りの音が聞こえ始めた。
 祝詞をあげながら、御幣を松井大尉の頭上に振りかざす。しん、しんと和紙が擦れる音が、釜鳴りの音と混じりあい、どこか胸を締め付ける様な和音を奏でる。
 そして、火打ち石と打ち金を触れ合わせ、火花を散らす。そして、榊と和紙を刻んだ、紙吹雪を撒いた。紙吹雪は、プロペラが起こす風に乗て、空高く舞い上がていく。
 火打石を置き、祝詞をまた、読み上げる。釜鳴りの音は、鳴り止まない。薪を一本、五徳の下から抜いた。それでも、止まなかた。
 祝詞を、読み上げ終わる。静かに、一礼をした。
「多くの言葉は、持たない。先に逝た、友と、師と、弟子たちに会いに行く。その道程で、英米に痛撃を与えることが出来れば、と思う」
 それは私に言た言葉ではない、と思た。松井大尉は、小皿に神酒を入れて、静かに捧げ、そして一気に飲み干す。やがて、空になた小皿を目の前に置く。
 プロペラの音が大きくなる。もう、時間らしい。一層、風は強くなる。撒いた紙吹雪が、まるで季節外れの雪のように、見えた。
「行きます、先生」
 それは、今朝夢に出てきた、若林飛曹長と同じ、別れの言葉。短く、潔い、その二言に私は、若林飛曹長には言えなかた言葉を紡ぐ。
「ご武運を、松井大尉」
「君も、な。これからもきと、たくさんの人を見送るのだろう。それが君の戦争なのだと思う、先生」
 松井大尉は、すこし微笑むと、首にかけていたゴーグルを目に当てた。そして、大きな爆弾を抱いた、深緑の機体の操縦席へ手を掛ける。
「今朝、皆が夢に出てきたんですよ、松井大尉」
 私は、松井大尉にそう言た。操縦席に身を収めた彼が、少し動きを止め、そしてこちらを向く。
「奇遇なことだな、私も、皆と会たんだ」
「皆、何と?」
「ありがとう、と」
 短く、彼はそう言て笑た。私の夢はどうだたのだ、という質問は飛んでこない。あるいは、私の表情を見て、悟たのだろうか。
 操縦席の風防が、閉じられた。プロペラの回転数が跳ね上がり、ますます風は強くなる。ぎし、ぎしと軋む音を立てて、機体が動き始めた。
 やがて、滑走路の端にたどり着いた松井大尉の機体が、前を向く。そして、飛行機のエンジンが唸りを上げる。機体が、滑走路を走り始める。
 ふわり、とその機体が浮いた。車輪が、滑走路から離れる。
 深緑の機体が、空へと放たれた矢のように、ぐんぐんと高度をあげていく。ふと、営舎の方で、帽子を振ている人影が見えた。岸田司令だた。
 彼もまた、見送る人だたのだと、気づく。少し、目を閉じて、思い返す。
 若林飛曹長の事、松井大尉の事、整備兵の事、岸田司令の事、そして自分自身の事。何について、というわけではない。漠然と、考えてみただけだ。
 やがて、目を開いた。遠く、本当に遠く、空の彼方。深緑色の機体が、透き通た青に消えていくのが見えた。
 私の傍で、ぼう、と小さな釜が音を上げる。薪は熾火に変わり、水もほとんどなくなていた。今日は、いつもよりも長く、鳴ていた気がする。
 それがなんとなく、神様の泣き声のように、聞こえた。聞こえた気が、しただけだ。
「神様も、泣いてくれるのかな」
 それでも小さく呟く。不意に、涙がこみ上げてくる。瞳に溜まる涙が零れない様に、空を見上げた。松井大尉の機体が消えて行た方角だ。
 目に、ため息が出るほどの青空が飛び込んでくる。雲一つ存在しない、とても綺麗な青。
(ああ、全く。本当に、酷いくらい、青い)
 そう思た。思たとたん、涙が、零れる。
 もう、それを止める術は、私にはなかた。

-了-
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