「ただいま戻りました」
部屋に入ると、六畳一間は春の陽気に満たされていた。カー
テンを開けて出かけてしまっていたため、昼間のぬくぬくとしたけだるさがそのまま閉じ込められている。畳が日に焼けてしまいそうだった。
「おう、遅かったな」
そんな空気のせいか、我が同居人の反応も少し遅かった。昼寝していたのかもしれない。
「すみません、タマさん」
靴を脱いで玄関にそろえたところで、同居人が姿をのこのこと歩いてきた。本来聞こえないはずの肉球の足音まで聞こえそうな歩調である。それに合わせて真っ白なしっぽがゆらゆらと揺れる。
「土産はあるんだろうな」
「ありますよ。サークルの友人が余った鰹節を譲ってくれました」
「この前のサバがうまかったんだが」
「贅沢言わないで下さいよ」
目の前に鰹節を開けると、タマさんはしぶしぶ、あくまでしぶしぶと言ったていでもぐもぐやりはじめた。どうやらお気に召したようである。
「タマさんって本当に猫みたいですよね。地縛霊のくせに」
「地縛霊って。土地神だって言ってるだろう」
「まぁ猫なら話したりしませんからね」
「ちゃんと否定しろよ」
文句を言いつつちゃんとカリカリやっているあたり、律儀な神様である。もっとも、勝手に部屋に住みついて食べ物を奪われていることには変わりないので、地縛霊よりも迷惑ではあるが。
タマさんが口を動かすたびに、しっぽが揺れる。これは喜んでいる合図である。
「しっぽっていいですね」
「あ?」
「いや、色々表現できて便利じゃないですか」
「欲しいのか、しっぽ。その気になれば生えさせてやってもいいぞ」
「え、本当ですか」
「こう、尾てい骨のあたりから、グイッと……」
「そんなダーウィンもびっくりな進化論でっちあげないでください」
仕返しにタマさんのしっぽをつかんで抗議した。ぴしっ。
「おい、離せ」
しっぽの根元に力がこもった。しかし指の握力の方が圧倒的に勝っている。
「聞いてるのか。はーなーせー」
ぐいぐいと引かれる。動かしまくっていたせいか、ふわりと花の香りがした。
「あれ、タマさん。どこか行ってたんですか」
「は? あぁ、少し河原を散歩した。すみれが咲いていたぞ」
「へぇ」
ぱっ、としっぽを離してみる。花の香りは一層強くなった。勢い余ってタマさんがこけた。
「おい、いきなり離すな」
「いやぁ、しっぽっていいですね」
「なんだ、やっぱり欲しいのか」
「うーん……へ、へくしょい!」
花の香りの中の何かが、私の鼻を刺激した。
「欲しいのか?」
「……やっぱいらないです」
春の昼下がりは、のらりくらりと続いていく。