てきすとぽいトップページへ
第三回 てきすとぽい杯
 1  2 «〔 作品3 〕» 4  15 
松原奇譚
茶屋
 投稿時刻 : 2013.03.16 23:24
 字数 : 2687
5
投票しない
松原奇譚
茶屋


 その者達には尻尾があたという。

 これは大阪府松原市に残る伝説の話である。
 伝説といてもそう遠い昔ではない。戦後しばらくたてからのものであるから、まだ生き残ていて実際に見知ているものもあるかも知れない。だが、そこのところは曖昧で、やはりそれが現実であたかどうか曖昧である点でやはり伝説たる所以とも言える。
 例えば、一里塚耕助という者。
 この者、耕助は、とにかく畑を耕すのが好きだた。畑を耕すというのは正確ではない。畑を開くのが好きであた。大和川の河川敷にあてひたすら荒地を耕していた。彼の目的がなんであたのかはよくわからない。何の見返りがあたのかもよく知れてはいない。ただ、ひたすらに新たなる畑を開いていた。おそらく彼はそうすることが彼の人生の命題であり、ある種の真理に達するための道であたのであろう。仏道でひたすら禅を組む趣がたのかもしれない。彼はそれに習てひたすらに畑を耕した。作物を植えるわけでもなく、収穫を楽しむわけでもなく、ひたすらに畑を作ていたのである。
 ひたすらに。ひたすらに。
 あまりにも熱心すぎて、前の日に開墾した畑のことなど忘れてしまい別の畑を耕したほどである。
 ただの阿呆に見えるこの者。
 だが、一生懸命出会たのこの者の姿に、村人は同情的であた。
 果たして、その後どうなたのかわからない。
 ただ、この者の耕した畑は今どうなているのであろうか。もしかしたら、今も畑として使われており、千に一つ、あなたが口にしたことがあるかも知れない。あるいは耕助の努力は跡形も無く整備され住宅地や堤防に化けてしまたかもしれない。
 耕助の残滓は今も残ているのであろうか。

 例えばかんご池 おぼこという者。
 おぼこは化粧上手であたという。菱蔓のかんざしをつけ、オシロイバナで口紅をしたその姿はたいそう美しかたそうである。近隣の若い男は皆その姿にのぼせ上がり、若くなくともおぼこが通るたびに男たちはその姿に見とれずにはおれなかたというほどである。
 化粧は魔性で、一種の变化である。人間が誕生して長い年月が経てしまい、女が化粧するのはさも当然となたが、自然界ではそれほど見られない現象である。多くの動物は雄のほうが飾り立て雌を惹きつけるための美麗をこなす。人間の雌が化粧するのは自然界では奇怪と映るかもしれない。
 さて、このおぼこ、伝説はそれだけしか知れない。
 化粧をして男をたぶらかすには飽きたらず、恋をし、愛を知り、子をこしらえたかもしれない。野暮な想像であろうが、おぼこの素顔を知た若者がそれでもおぼこを愛すると誓い、めでたく結ばれたという物語もあたかもしれない。
 そう、物語が必要だ。
 例えば、蛇の足や、人の尻尾のように。

 最後に三ツ池 およしという者の話である。
 下高野街道沿いにある籠池の近くに住んでいる、およしという若い娘があた。
 およしは美女であた。
 白い肌、美しい着物、麗しい唇の色。男を惑わすには十分な器量を持ち合わせたおよしはその界隈の若者にもてはやされるには十分であた。
 およしは外を出歩くとき、赤い笠をかぶていたが、その顔を見たい男たちは「べぴんの姿を見せておくれ」と囃し立てるのであたが、およしはどうも恥ずかしがり屋な性分があたようで、その姿を聞くとすと煙のように姿を消してしまたと言われている。そのせいか、およしは周辺では「幻美人」と呼ばれていた。美人であるだけならば、と言ては失礼かもしれないが、その姿を拝もうとすると消えてしまう。なんとも典雅で、粋な、その噂はおよしの住む村だけではなくその近隣にまで広がていたという。
 あるとき、のことである。
 およしは若い男と恋に落ちた。
 道明寺の縁日の日、およしは三ツ池の土手に座り、ぼと池の水面を眺めていた。
 祭の喧騒。
 祭の明かり。
 そんな賑やかな村の様子に、やや疲れていたのかもしれない。
 本来の姿に戻り、ただ、ぼと水面を眺めていたのである。
 そこへ、一人の若者がやてきた。この若者も喧騒に疲れていたのかもしれない。そして、およしの姿をみとめ、隣りに座た。
 しばらく、二人の間に会話はなかた。
 若者は何を思たかかんざしを取り出し、それをおよしに与えた。
 およしは驚き、それを拒んだが、若者は笑て、かんざしを押し付けてしまた。およしはなおも拒むので、若者は笑ていた。
「ならば、明日の晩、私と散歩をしてくださいませぬか」
 若者の戯れであたかもしれない。だが、美女の姿ではないおよしがそんな事を持ちかけられるのは初めてであた。
 若者は本当のおよしの姿を知り、誘てくれたのだ。
 そして、次の晩、およしは美女の姿となり、若者と会た。
 若者は苦笑しながら、「もとの姿でも構わないんだが」と言て笑た。
 楽しかた。
 およしも若者もその晩を存分に楽しんだ。まるで、昔からお互いのことを知ていたかのように。
 およしと若者が愛しあうのもそれほど長い時間は必要なかた。
 毎晩のように邂逅を重ね、他愛もない話をし、心のなかで愛を交わした。
 結婚の誓いをするのも当然の成り行きと言えた。
 だが、およしはここに来て自分の正体を思い出した。
 およしは人間ではない。
 尾がある。
 若者の喜びと反比例するように、およしは次第に憔悴していき、疲れ果てたような顔つきへと変わていた。
 所詮は畜生の身、人間と結ばれることなどありえない。たとえ、結ばれたとしても、夫となる若者が、畜生と結ばれた男として世間から嘲笑を受けるのはなんともいたたまれない。
 結婚の前夜、およしは死んだ。
 池のそば、若者と出会い、かんざしを受け取た池の畔であたという。

 これが松原の狐たちの話である。
 古来より日本では狐たちと密接な関係にあた。
 狐に化かされた、狐の嫁入り。
 狐は昔の日本人にとて、身近な存在であた。
 だが、現在ではたぬきは見かけても、狐は見かけない。
 彼らはどこへ行たのであろう。
 日本人の幻想を連れ去て、彼らはどこへ去ていてしまたのであろう。



参考

 松原の狐たち-Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E3%81%AE%E7%8B%90%E3%81%9F%E3%81%A1

 松原市
 一里塚の耕助狐話-2
 http://www.city.matsubara.osaka.jp/10,21056,53,267.html

 松原の狐達と三ツ池のおよし狐
 http://www.city.matsubara.osaka.jp/10,977,53,267.html
← 前の作品へ
次の作品へ →
5 投票しない