(時間外)Be Like the Squirrel Girl
去年の夏、私は先生とつきあい始めた。
先生は私が高三を迎えた春からクラス担任にな
った。五月を過ぎた頃からアプローチを始めた。断り方に寸分の隙もなくて、私はますますのめり込んだ。どうやって先生を翻意させたのかは、自分でも分からなかった。
梅雨が明ける頃、先生は言った。「学校教師とつきあうことが何意味するのか、分かっているのか」と。校庭にはアジサイの花が咲いていた。空には虹が架かっていた。ひょっとしたら、虹が架かっていたから翻意してくれたのかも知れなかった。
先生からの最初のプレゼントは、小さなサボテンの鉢植えだった。月宮殿と呼ばれる球状のサボテンで、繊細な白い棘を無数に持つ。
棘のある動植物にシンパシーを感じるらしい。針や牙では駄目なのだとも。形状的には、ウニや毬栗がもっとも洗練されていると言った。
どうやら私は、その棘の防御をかいくぐって先生にたどり着いたらしい。少し、誇らしく思った。
はじめて車に乗せてもらったとき、外ではセミが激しく鳴いていた。程よく人気のないコンビニの駐車場で、吹かしたままのエンジンの振動を感じながら、ラジオから流れる音楽とセミの声を聞いていた。騒音の夏だ、と思った。都会の喧噪とか言うけれど、田舎だって負けてはいない。
山の上はるか上空まで突き出た積乱雲は、この星の成層圏にまで達していた。あそこならセミの鳴き声もラジオの電波も届くまい。
先生は、冷えて汗をかいた500mlのペットボトルを二本抱えてやってきた。「こっちが沙耶の」と言って、私の分を渡してくる。甘い紅茶は好きではなかったけれど、当然のように差し出す先生のそれを断ることは出来なかった。きっと、先生とこれまでにこういう関係になった女の人で、それを好きだった人がいたのだろう。バカバカしい。イヤだと言って、それでも次もそれを差し出されたら、どうせ落ち込むのだから、これでいい。
パールホワイトのダイハツのミラは、軽自動車然とした軽自動車だった。大人の男性が所有するにはコンパクトに過ぎる感じもするが、それでも女子高生の軽い脳みそを運ぶには十分だった。
私は先生に「人里離れた山奥に行きたい」とリクエストした。山ならいくらでもある。飛騨山脈とかいう、小学校の地理の穴埋め問題で初めて触れた概念は、実際には三千メートル超級の山を九つも抱える日本の一大山系で、ダイハツのミラには少し荷が重いように思われた。
「糸魚川街道。北に進めば、糸魚川に出る。日本海だな」
「海は人が多いからイヤ」
「山だって似たようなもんだ。今や日本のどこを探したって、人に出くわさない場所なんてない」
「でも獣道を分け入れば」
「分かった分かった、そういうのはまた今度にしよう。サバイバルにはそれ相応の準備ってものが必要なんだ」
でも結局、私と先生がサバイバルをすることはなかった。
先生はミスチルの音楽が好きだった。それだけで、何となく世代が違う感じがした。それを正直に伝えたら、まだ彼らも現役バリバリなんだぞと、今度こそ世代の違いを痛感する返事を返された。別に、世代が違って悪いわけじゃない。でもそれは伝えなかった。
ラジオのノイズが聞くに堪えなくなって、先生手持ちのCD(もちろんミスチル)も何巡かする間、時折トイレ休憩を挟みながら、車はノロノロと峠道を走っていった。先生はカーナビを使わない。曰く、旅の醍醐味が薄れるのだとか。地図は使ってもいいけど迷ったときだけとか、助手席の人に道案内をさせないとか、不思議なこだわりを持っていた。
途中、峠のそば屋に立ち寄って食べたざるそばは、これまでに食べたことのあるどんなざるそばよりも美味しかった。そばの麺そのものが、こんなにも水分を含んで瑞々しく、それでいて歯ごたえを失わないでいることがどうしてできるのだろうと思った。コンビニで売っているものでは二度と同じ満足感は得られないだろう、と思った。
人里離れた山奥とまではいかなかったが、道と伴走する川が岩場を縫うようになり、いよいよ川からも上流っぽさが漂い始めた頃、私たちは目的地に着いた。
砂利の敷かれた駐車場には、まばらに車が停められていた。正面にある何か商業施設と思しき建物は、和風ど真ん中の作りをしていた。
そこはいわゆる温泉旅館だった。
泊まりOKと伝えたときから、そのつもりで予約していたらしい。つまり、海に行く気なんて最初からなかったのだ。
先生には元々人を食ったようなところがあったけれど、それは周到にサプライズを計画するとか、そういう感じで発揮される能力ではなかった。むしろ、どんな嘘や企みも何食わぬ顔で扱ってみせるという芸当に近いように思われた。
でもこの時の私は、何を考えているか分からない、それでいて決して私を裏切らない(少なくともこれまでのところは)、何も知らない私を引っ張っていってくれる先生に心の底から依存していた。それこそが先生の持っている大人の魅力なのだと信じていた。
「どうして先生は私のことを好きって言ってくれないんですか」
つきあい始めた頃、私のことをかわいいとは言ってくれるのに一度も好きだと言ってくれなかった先生に対して、そう言ったことがある。まだ敬語を使っていた頃だ。
そのとき先生は微かに笑った。その表情からは困惑やら面倒くささが一切読み取れなくて、それはいわば百点満点の微笑とでも言うべき表情だった。もっとも洗練された防御に対して、付け入ることの出来る隙は少ない。
「たとえ好きであっても、好きと言うことだけがそれを表す全ての手段だとは思わないし」そこで先生は一呼吸おいた。「第一、そういうのは少し、照れくさいと思ってね」
照れくさい、と言ったのはきっと嘘だ。この先生が、たかだか私に好きだというのに恥じらうはずがない。きっと、まだその覚悟が出来ていなかったんだろう。ただ、それに気付いたのは(というかこの解釈が正解であるという保証もまたないけれど)、まだずっと先のことだ。
温泉旅館の離れの一室で、先生の抱擁を受けながら聞いた好きという言葉は、気持ちよく私を陶酔させた。
旅館でありながらにして母屋から離れた一軒家のような間取りを持つこの宿を取るのに、先生がどれだけの出費を強いられたのかは分からない。ラブホテルの相場ならその辺の繁華街を歩いていればイヤでも目につくのだけれど、それでも高校生がバイトして泊まるにもハードルの高さは否めない。
だからこれは、先生の私に対する愛情の深さの証なのだ。
先生を信じ切っていた私は、私の全存在を預けてしまうことに寸分のためらいも感じなかった。先生の体は暗がりの中でも分かるほどに引き締まっていて、私のそれとは全然違った。そのことが少しいたたまれなかった。少しひんやりした肌の感触が、汗と絡まって吸い付いては離れ、離れては吸い付いた。時には大時計の振り子のようなリズムで、時には腕時計の秒針のように。先生が、過剰なまでに私をいたわってくれるのが嬉しくて、愛おしかった。
部屋の中には薄青い月の光が充満していた。蝶の影が障子を横切ったように見えた。先生は、まるで一本一本その数を数えるかのように、私の髪の毛をもてあそんでいた。風鈴がどこかで鳴っていた。
私たちのクラス担任で、同時に高校数学を教えている先生は、ホームルームであろうと授業中であろうと無意味に饒舌だった。むしろ、数学に関係のないおしゃべりの方が人気があった。三十を少し超えた頃にしては老成した感じがなくて、むしろ少年ぽささえ漂っていた。
そんな先生のことを好きになったのだけれど、敢えてしゃべりすぎない二人でいるときの先生も好きだった。二人でこうして寝転がっている布団の中では、他のことを考える必要がなかった。ここは確かに人里離れた山奥だった。携帯の電波も入らない。
朝の気配がじわりと近づいた。月の光の明るさを、稜線の彼方から浸食する明るさが上書きしていく。
「寝よう」先生が言った。「どれだけ寝坊したって平気だ」
でもそれは嘘だ。寝坊にも限度というものがある。
「ちゃんと起こしてね」
私が言うと、先生は微かに頷いた気がした。
遠くから、セミの鳴き声が聞こえてきた。
私たちの関係は、秋も冬も秘密裡に続いていた。
大学受験を控えた私にしてみれば、いろいろな意味で辛抱の半年だった。今の私たちの関係が健全でないことも、露見すればお互いの立場を著しく悪くするだろうことも、もちろん知っていた。
先生はこの点においても、完璧に私をコントロールしていた。私たちは無闇に顔を合わせないように努力したし、極力逢瀬も控えるようにした。とはいえ、全く会わない状況に耐えられるほど、私の心は頑強に出来てはいなかった。人目を忍んで、時には隣町のコンビニで、時には神社の裏で待ち合わせた。少し会って、すぐに別れた。スパイとエージェントが進捗を交換するために、手短な儀式を行うように。
寂しさを紛らわせるように、私はサボテンに話しかけた。育てやすい代わりに、付け入る隙の少ないフォルムをしていた。でも、私はその内側に入ることを許されたのだ。
冬になり、セミもトンボも死に絶えた。雪に覆われた山間の盆地は、音を失ったようだった。灰色の空は、その上に輝く何か大事なものを隠しているように見えた。
いつかのコンビニの駐車場で、ダイハツのミラが吹かしたままのエンジンから漏れる排熱を車内に伝えていた。フロントガラスには止めどなく雪の結晶が模様を焼き付けては消えていった。冬の日は短い。ことに天気の悪い日には、午後五時にもなれば宵が大口を開けて暗闇を招き入れていた。
先生が、微かに湯気をまとった二本のペットボトルを抱えてやってきた。チョイスはいつもと変わらない。今では、少し甘くした紅茶を好きになってしまっている自分がいた。
「行こうか」と先生が言い、車が国道に滑り出る。
往くあてはない。
「受験、来週だっけ」
「そういうこと、先生が一番よく知ってなくちゃいけないんじゃ