【BNSK】品評会 in てきすとぽい season 11
〔 作品1 〕» 2  10 
能無し
投稿時刻 : 2015.04.05 11:28
字数 : 1337
5
投票しない
能無し
合間ぽてこ


 男は、イエスマンと呼ばれていた。
 同僚にも、顧客にも、妻にさえ侮られ頭を下げ続ける毎日。時には客の壊した品物のせいで売上が合わぬと同僚に怒鳴られた。またある時には同僚の失態を取り戻すべく行かされた接待現場を妻に目撃され逃げられた。離婚の際提示された多額の慰謝料にも、当然のように男は「イエス」と答えるのだた。
 男はだんだんと心を病んでいた。そして、それと比例するようにピアノにのめりこんでいた。幼いころの手習いで基本的な技能は有していた男であたが、この頃になると家にいる間は寝食も忘れて鍵盤をたたき、職場では右手の親指と中指で机をはじきながら、「一音足りない」とそう呟いてばかりいた。
 男のようすは大変不気味であた。社の人間には煙たがれ、あることないこと妙な噂が立た。
 とうとう、彼は会社を解雇された。不況のあおりを食らたその小さな会社の、体の良い厄介払いであた。
 職を失い、やがて心の支えのピアノまで差し押さえられた男が向かたのは近所の楽器屋だた。
 「一音足りない。一音足りない」そう言いながら展示用のピアノを狂たように演奏する姿は話題となた。彼のまわりに集まる客は彼の音に酔いしれ、ふと何かを思い出したかのように慌てて店を飛び出す。そして不思議そうな顔でまた店内へと帰てくるのだ。まるで、たた今思いついた何かを忘れたとでも言うように。
 しばらくして、ぶつぶつとひとり言を唱えながら奇妙な曲を弾く謎の客はその店を出入り禁止になた。
 楽器屋の店員によると、謎の客が来店するようになてから、ある者はジズ奏者として大成しようと思い立ち、十万もするサクスのケースを買たところでふと我に返たという。ある者はとある国の軍隊に志願し、数日後慌てて取り下げたという。またある者は、ズボンの後ろポケトに拳銃を仕込んだまま大統領の演説を聞きに行き、何もせずそのまま帰てきたのだと匿名SNSで大げさに吹聴してまわた。ある日突然、殺人衝動が湧いたのだと。そして誰もが口をそろえて、それもこれもあの謎の客のせいだと言た。

 弾くべき鍵盤を失た男はある崖の上に立ていた。とある目的を実行する場所として有名なそこで、男は焦点の合わぬ目で「ミ、ド、ミ、ド」と呟いていたが、やがておもむろに懐からナイフを取り出し自らの頭に突き立てた。男はしばらく千鳥足をもて足元の土を削り、真逆さまに海へと吸い込まれていた。
 男の最後の言葉は「ド、ミ」であた。
 その手についた脳漿がくうちりくちりと音を立てる様子を嬉しそうに見つめながら彼は沈んだ。崖の上に残された血痕は、まるで「ノー」と書かれているようにも見えた。
 ちうどその頃、とある国のとある子ども部屋で、男児の作たドミノが軽快な音を立てて倒れだした。倒れるドミノを目にしたとある男は街頭で資本主義を批判する演説を垂れ、とある男がそれを拳銃で撃ち、またとある男は軍隊を引き連れてそれを私刑し、それに反発してSNSで集た団体と彼の軍との抗争は世界中に広まていた。
 力を持たない人間たちの希望は、もはや、とあるジズサクスアーストの奏でる明朗なメロデと、来世に期待し自らの頭をナイフで貫くことしか残されていなかた。
← 前の作品へ
次の作品へ →
5 投票しない