越中泥棒左衛門碧之介、弟子入りを目論む
立山連峰が富士山の標高を越えてから、およそ半年。
越中泥棒左衛門碧之介は、住宅街の外れにある一軒の民家を訪れていた。
「ご老体、この若輩者にどうかお教え願いたい。どうすれば、あなた様のように立派な行いができるのですか?」
物置小屋が置かれた庭では、碧之介が一人の老人に頭を下げていた。春四月である。風に流されてきた桜の花びらが、老人の額に貼り付いた。
「へ
っぱにゃほほなほしてほごほごほご~」
「へっぱにゃほほな……。それは一体……」
三顧の礼にならい、たびたび老人の元を訪れていた碧之介だったが、相手はひたすらこの体である。自ずと碧之介の私怨ゲージは勢いを増していた。東京では相も変わらずスカイツリーがもてはやされており、立山連峰は日々成長をつづけている。信じ難いことに、日本にはついに8000m級の山がそびえることと相成ったのだ。
「ご老体、何故にそのような中身のない会話をされるのですか。このままでは、あれが……あれが……ヒマラヤを越えてしまいますぞ。私には人とはちがう力があるのです」
声を震わせ東を指差したが、老人は微笑むのみ。そもそものきっかけは、町の広報誌だった。そこに書かれた記事によれば、目の前の老人はある偉業を成し遂げたという。見開きページの右上段には写真があり、濃い緑が茂る森を背景に二階建ての校舎が建っていた。
<柴田理恵さん以来のスター誕生! 金子権兵衛さん(100歳)、ミャンマーに学校建設>。
この盛大な見出しが、碧之介の野心に火をつけた。老人は外国に学校を作ったと記事は告げている。無論、金がなければ学校は建てられない。となれば、老人はそれなりの財産を有しているに相違ない。
「ご、ご老体、お頼み申します。この碧之介、必ずやお役にたちます。何卒おそばに置いてくださらぬか」
「ほごほごほご~。へっぱにゃほほなほしてほごほごほご~」
「ご、ご老体! まだそのようなことを! いいですか、記事にはこのように書かれております。齢100歳を迎えた権兵衛さんの心意気を我々も見習いたい、と。何よりも、何よりも。ご老体にはマネージャーが必要です。柴田理恵以来のスターともなれば、いずれケンミンショーからのオファーだって来るはずではないですか」
しかし必死のアピールもむなしく、ほごほごほごというのが老人からの返答だった。
やはり自分のような青二才とはまともに話すつもりはないということか。
許さない。
断じて許さない。
金子権兵衛、許すまじぃ。
双眸に業火を宿すと、碧之介は手にした広報誌を力の限り地面に打ちつけた。
「ああ、そうかい。よく分かったよ。誰が二度とこんな家に来るものか。立山連峰が世界一の山になったら、あんたのせいだからな。シェ、シェ、シェルパ族に恨まれたって、碧之介知らないよ!」
くるりと踵を返すと、碧之介は老人の家を飛び出した。
ひっく、ひっく、びええ。
春の日差しが優しすぎたのだろう、住宅街を歩く碧之介は人目もはばからず嗚咽した。
「ねえねえ、そこのお爺さん、入れ歯で学校を作ったんだって。なんでもブリッジに使われている金属をリサイクルすると、結構な金額になるらしいよ」
「そうそう。全国から集めたんだってね。知り合いがインタビューしたんだけど、歯がないから聞き取るの苦労したって」
コンビニの前ですれちがった通行人の会話さえ、もはや碧之介の耳には入らない。
ひっく、ひっく、びええ。
背後にそびえるのは、さらに一段高くなった立山連峰。
こうなったら、月にまで届かせちゃうんだから、あははは。
高笑いをする碧之介だったが、かりにそれが実現すれば、ジャック・デリダ的には口中の不在性と結びつく差延と呼べるにちがいない。
え、ジャック・デリカって誰? そんなの知らないよ。検索したら出てきたんだよぉ。差延だって、わしわし噛み砕いて解説してくれないとチンプンカンプンだよぉ。
びええ。