小説、それは革命であーる 第1回犬吠埼一介杯
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メタモルフォーゼ
大沢愛
投稿時刻 : 2015.08.31 23:05
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メタモルフォーゼ
大沢愛


 一週間後、私たちの運命は変わる。

 秋のけはいが濃くなるにつれて、教室の中はなんだか言葉少なになり、休み時間もみんな机に座て傷だらけの机面をぼんやりと眺めていた。担任の小沢先生は教室内の自分の机から私たちの様子をうかがていた。いつもプーマのジジで、男の子にお尻を撫でられては真赤になて怒る。先生になて三年目、初めて六年生の担任になた。つまり、私たちのような子どもの相手をするのは初めてだ。大人はいつも自分の体験から子どものやることを簡単に決めつける。でも、これについてはそうはいかない。体験そのものを憶えていないからだ。

 夏休みの間、私たちはお父さんやお母さん、お兄ちんやお姉ちんが「どち」だたのか、さんざん噂し合た。そうしていないと気持ちが壊れてしまいそうだた。プール開放後の校舎の陰で簀子に仰向けになりながら、小沢先生はたぶん「変わた」んじないか、とみんな一致して言た。
「でも、何だたんだろうな」
 隼太が声を潜める。隼太は本気で心配していた。それについては私も興味があた。いつも女の子の胸やお尻に触てばかりだた隼太が今度は触られる側になて、目に涙を浮かべているさまを想像すると、可哀そうというよりもなんだかどきどきしてくる。
「見た目どおりだたんじね? そういうケースもあるみたいだし」
 桃矢はいつもそうやて白けさせる。家がお医者さんで、頭が良いと自分では思ているけれど、実はあんまり賢くないと思う。頭の良い子はただでさえ反感を買いやすいと自分でわかているから、例えば耀司みたいにみんなで遊んだりするのをメインにしたり。平気でひけらかして付き合いも悪いんじ、実はバカなんじないかてみんなに思われるのも当然だ。
「私、すごい楽しみだよ。全然怖くない」
 麻耶が水着袋を頭上トスしながら笑う。特に男の子たちはこそり顔を見合わせる。とにかく身体を動かすのが大好きで、四年生までは体育の時間は無敵だた。町で行われる「記録会」にはいつも出場していて、賞状を貰ていた。田舎住みの私たちがトロフや盾、メダルの実物を初めて見たのは全部麻耶が獲たものだた。五年生になてから麻耶は少し変わた。もともと背は高かたけれど、目に見えておぱいが膨らんできた。いままで運動ではかなわなかた男の子たちはここぞとばかりにからかい始めた。麻耶は笑い飛ばしてプレーしていたけれど、サカーでもバスケでも、ここぞというときの当たりをわずかに避けるようになた。一度、片付けの終わた体育器具庫で、歯を食い縛て泣いていたのを見てしまた。麻耶はむしろ変わてしまいたいのかもしれない。でも、それだけじないことくらい、女の子同士だもの、わかる。
 咲は何も言わず、手のひらで首筋を煽いでいた。もしかすると咲は「変わらない」側なんじないか、とみんな思ていた。やせぽちで、四年生と言ても通りそうな背丈だた。もちろん「変わた」からといてそれまでよりも良くなるとは限らない。でも「変わらない」子はそのままだ。私たちのほとんどが抱えている不安の中には小さな期待のかけらが輝いている。「変わらない」子は輝きを持たないまま育て行く。それだけの話だけれど、たとえどんなにつまらなかたとしても遠足に行けなかた子の気持ちは変わりはしない。面と向かて訊くのは、いくら麻耶のおぱいを平気で触る男の子にも無理だた。
わたしたちの夏休みは、そんなふうにして終わた。

 九月の中旬になると、放課後みんなで学校裏手の丙川に行くようになた。河原にしがんで手近な石を取り、水で湿してそれぞれのナイフを研ぐ。せせらぎの中にしりしりという音がとけてゆく。この中には「変わらない」ことを選ぶ子だているはずだ。それでもみんな、すくなくとも表面的には一心にナイフを研いでいる。
 刃先の具合を確かめる。切れ味そのものはあまり関係がない。それでも、せかくのナイフが曇ているのはとても恥ずかしい。
 森の梢に夕陽が隠れるころ、みんなは立ち上がり、言葉少なに家路に向かう。薄暗い道は足元が危うい。虫の声が四方から迫てくる。気がつくと芳樹と美希がしかりと手を繋いでいた。猛と蓉子も。翼と陽菜も。それぞれ、相手が決まているのだ。相手選びにはあまり意味がない。「変わた」あとは誰が相手だたかは忘れてしまう。もしかすると、顔も見たくなくなるかもしれない。翔と岬はこのごろ、物陰で唇を重ねている。そういうのはやめたほうがいい、とみんなが思ている。ときどき記憶が残ていて、あり得ない相手と関係したことが重荷になて精神的に壊れてしまうこともあるそうだ。私はだるくなた足を引きずりながら、みんなに遅れないようにがんばる。ふと左を見る。瞬がいた。私の相手だ。目を逸らす。色を失た地面には、深い穴に見える影が広がていた。

 その日が来た。
 学校は午前中で終わりになた。給食を食べて解散になた。それぞれが相手と手をつないで、ばらばらに出てゆく。一人だけの子、「変わらない」子は最後まで教室に残て、こそりと帰て行くらしい。小沢先生は耐えきれなくなたのか、終わりの礼とともに職員室へと足早に去て行た。
 瞬が私の手を握る。目を伏せて立ち上がる。視野の隅に咲がいた。やぱり、と思うけれど、掛ける言葉は見つからない。瞬の腕に背中を押されて教室を出る。廊下のにおいはなんだか息遣いを思わせた。
 校門を出ると、それぞれの場所へと別れてゆく。晴れた日だた。陽射しは夏みたいだたけれど、膝の裏を撫でる風はひんやりしていた。小川に沿て、夏草の茂みが続いている。とんぼが、つい、と耳元をかすめる。電線のとぎれたところで、道を外れて草の中へと分け入た。スカートから出た膝を草の葉先が薙ぐ。ときどき鋭く痛む。もしかすると最後になるかもしれない。痛みがひとしきり走たあと、じわりと痒みに変わるのを心で追いかける。
 草が途切れた。
 四畳ほどにわたて刈り込まれて、座れるようになている。瞬が鞄からシートを取り出した。二人で広げて、靴を脱いで上に座る。
 鞄を膝に抱えて、しばらくの間、空を見上げる。トンビが舞ている。雲はない。二人きりだ。瞬は体育座りで、組んだ指が真赤になていた。
 鞄を開けて、ナイフを取り出す。それから、ゆくりとブラウスのボタンを外してゆく。瞬は顔を背けて、シツを頭から抜いた。骨張た胸に、ちいさなつぼみが二つ見える。私はタンクトプの裾に手を掛けたまま、しばらく固まていた。トンビの鳴き声がする。草の向こうから風が抜けて、ちぎれた穂が目の前をよぎる。その瞬間、脱ぎ捨てた。手のひらで隠したくなるのを堪えて、ナイフを手に取る。刃先に触れると、河原のセミの声が蘇てくる。
 これを、つぼみの間に。
 瞬がナイフを握ている。お互いに胸の真ん中を刺し貫けば、それで終わりだ。胸に穿たれた傷から、その場で「変わる」こともあれば、家に帰て翌朝までにゆくりと「変わてゆく」こともある。そうなれば元の記憶はなくなり、新しい身体に沿て生活が始まる。ナイフを交わす相手は、信頼できさえすれば誰でもいい。男の子同士、女の子同士というケースもあた。私は瞬を選んだ。瞬以外には考えられなかた。私より小さかたころから、いちばん弱い部分まで互いに知た上で育てきた。瞬の胸を貫くことに固執したのではない。瞬のナイフがほかの誰かの胸に納まるのが堪え難かたのだ。
 ひとつだけ、やてはならないことがあた。「変わる」にはなにかしら前兆があた。痛みや熱さや、それまでになかた感覚の芽生えだ。それがなければいくらナイフで刺しても「変わらない」。それどころか、ナイフは本来の役目しか果たさない。つまり、刺し殺してしまう。だからナイフを交わす相手にはちんと確かめた上で場に臨む必要があた。そして、私には前兆がなかた。打ち明けてしまえば、瞬は誰か他の子とここにやて来ただろう。私が教室に残て、図書館から借りた黴臭い本のページをめくている間に、誰かと「変わて」しまう。前兆の有無を聞かれたときに、私は頷いてしまた。私の相手は瞬になた。毎日、私は身体の中に前兆が芽生えるのを必死に待た。でも、何も生まれなかた。みんなと調子を合わせていたけれど、日に日に心が張り裂けそうになた。本当のことを打ち明けて、誰かと代わてもらうべきだたのかもしれない。でも、それはできなかた。
 瞬は裸の胸を気にしながら、習た通りにナイフの尻に手のひらを当てて、刃先をこちらへ向けていた。毎日、丙川の河原で研いだ銀色が、日の光を反射している。私もナイフを構えた。ほんの少しだけ膨らんだ胸を瞬に向ける。もし相手が「変わらない」子だたとしても、ナイフで刺してもらえば瞬だけは「変わる」ことができる。私はここで瞬を見送る。倒れるのはその後だ。どんな姿に変わるのか楽しみに家路を急ぐ瞬の姿を思いながら。こうやて二人きりで向き合えることなんて、こうでもしなければありえなかた。瞬にとての新しい人生の門出のためだもの。どんなに痛くても我慢するよ。ちんと瞬の胸を貫いてあげるから。視界が潤んだ。涙とともに目の前が広がる。「大丈夫だよ」瞬が言う。そうだよ、大丈夫だよ。胸が熱くなた。研ぎ澄まされたナイフがゆくりとつぼみの間へと食い込んでゆく。瞬の顔が近づいてくる。こんな距離はどれくらいぶりだろう。頬に息を感じた瞬間、胸の真ん中が痛みに砕けた。

 インプレサでランエボを追い回している高田のおねーさん。
 街の保育園に勤めている多加子さん。
 一橋を目指して一浪して、横浜国大に入た杉原のおにーさん。
 みんな、何から「変わた」のだろう。

 隼太はスカートを脱がされて半泣きになていた。男みたいな名前だけれど、丸顔の女の子だた。
 いつも虐めているのは咲だ。もうすぐクラスでもいちばん背が高くなるだろう。
 麻耶はいつでも運動場にいる。まわりのみんなが子どもぽいのに、ひとりだけ大人びていた。ずと前からあの調子だたみたいだ。
 桃矢は学校を休んでいる。お家が病院だから、たぶん大丈夫だろう。
 耀司はいつも新しいお笑いを披露してみんなを笑わせてくれる。でも、本当はいちばんみんなのことを気遣てくれているのだ。
 瞬は、こんな田舎の小学校にいるのはもたいないくらいのイケメンだ。
 そしてぼくは、瞬の親友として、いつもつるんでバカをやている。ときどき、自分のことを「私」と言いそうになて、瞬にからかわれている。ぼくもたぶん、何かから「変わた」のだろう。知りたい気もするけれど、そんなときはいつも瞬たちが誘てくれて、いつの間にか気にしなくなている。
 ここにいる仲間は、ぼくも含めてたぶんいろいろあるんだろう。でも、きと後悔はしない。
 来年は中学生だ。詰襟の制服を着ることになる。今から楽しみだ。
 でも女子のセーラー服がちとだけ気になるのは、やぱり思春期というやつかもしれない。
                  (了)
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