山本昌くん引退記念 レジェンド小説大賞
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紅葉
茶屋
投稿時刻 : 2015.10.03 20:47
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紅葉
茶屋


 平維茂はどうにも気が進まなかた。
 馬の背に揺られながら、雲を見る。
 たくさんの赤とんぼが田畑に向かて散ていく。
 もう秋か。
 山の色づきも始まている。
 紅葉狩り、か。
 とんだ酔狂だな、と惟茂はため息をついた。

「して、いかがいたしましう」
 齢はもう六十に近づこうかとしている男が、仄暗く深い目で見つめてくる。
 惟茂はふと、うすら寒いものを感じた。目の前の男は都の権謀術数の中をのし上がり、皇孫たる父親に官位は及ばなかたもののその影響力を広げてきた男だ。
 まるで敵う気がせぬ。
 惟茂を唾を飲み込み、目の前の男の返事を待た。
「信濃守殿は、いかが思われる」
「は、は
 何と答えていいものか、逡巡する。それだけ、目の前の男に気圧されていた。
「その、鬼女は、何と言たかな」
 惟茂ははとして顔を上げる。
「鬼女……でございますか?」
「左様。鬼女だな。たしか、妖術で村々の民をたぶらかし、徒党を組んで都に攻め入ろうと企んで居るとか」
「な……
 そんな噂などございませぬ、と否定しかけた言葉が、喉の中途で止まる。
 目の前の男の、笑顔が嫌に不気味だた。
「いまさら、妾腹の弟など出てこられてもな、困るのだ」
 清和源氏棟梁、源満仲はそう言て何事もなかたかのように酒の準備を小姓に命じた。

 紅葉、という名の女がいた。
 満仲の父である経基の妻の腰元となていたが、いつの間にやら手がついて、経基の子を孕んでいた。
 しかし、経基妻への呪詛の嫌疑がかかり、それから逃れるために紅葉は大きな腹を抱えながら都から落ち延びたのだという。
 やがて、水無瀬の地に落ち着き、そこで経基の子を生んだ。
 京の文物に通じ、医薬の心得もあた紅葉は周辺の村の民に慕われ、高貴な人として扱われていた。
 次第にその噂も巷に流れ、信濃守であた惟茂の耳にも入てきたのである。
 ふと信濃に立ち寄た折り、紅葉を訪ねた。
 白く透き通り美しい手だ。
 最初、惟茂が持た印象はそうだた。
 上げた顔も、やはり美しかた。
 あまりの美しさにいささかの動揺を覚えながらも、惟茂は紅葉の話を聞いた。
 生まれた経基の子、経若丸は元服の齢に近づいているという。
 自分はこのままここで朽ち果てても良いが、せめて経若丸は元服させてやり、経基の子として京にて何らかの官職に、あるいは誰かの郎党にと思ているというのだ。
「話を、通してみよう」
 紅葉の美しさに気圧されてか、惟茂は安請け合いをした。
 経基は既にいないが、嫡子の満仲がいる。
 妾腹と言え、弟だ。何らかの計らいをしてくれるだろうと踏んでいた。
 もしうまくいかなければ、己の養子にしてやても良い。
 紅葉の質素な庵から出た惟茂はにやついていた。
「惚れたかもしれぬ」
 そんなことを郎党に漏らすほどだた。

「これは観音に参ること17日、昨夜夢枕に観音様より授かた降魔の剣。これにて怪しげな妖術を使う鬼女の首を取る」
 惟茂は刀を天に突きあげると、郎党たちにそう言い放た。
 郎党たちはそれを信じたようにどよめき、湧き上がる。
 既に、紅葉に対する噂は広めてある。
 怪しげな妖術を使う。
 妖術で若いものやあぶれ者をたぶらかし、軍勢を仕立てている。
 何度か戦いを挑み、そのたびに妖術に翻弄されてきた。
 そんな噂である。
 無論、嘘である。
 斥候の情報でも、紅葉を守る有志達などたかが知れた数だ。妖術など、惟茂は端から信じていない。
 容易く、殺せる。
 だが、そうもいかなかた。何か、大義名分が欲しかた。
 落ち延びた女と源家の血筋に連なる子供を殺すにはそれが必要だた。
 そして、己の心を納得させるのにも。
 惟茂が安請け合いをしたときの紅葉の顔が脳裏によぎる。
 安心した顔。己を信じてくれた美しい女の顔。
 子の将来を憂いていた、母の顔。
 苦々しい思いをしながら、惟茂は剣を鉾に収めた。
「斬るのだ」
 惟茂は、そう小さく呟いた。
 胸に刺さる痛みを噛みしめるかのように。
 
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