第30回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・紅〉
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髪結いの弟子
志菜
投稿時刻 : 2015.12.12 23:28
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髪結いの弟子
志菜


 
「上繋橋の袂で殺しがあたろ? なにか話を聞いてないか」
 新町近くの髪結い床で、履物売りの親父が店主の喜八に囁いた。
 喜八は、剃刀では履物売りの親父、権米衛の月代を剃りながら素知らぬ顔をして囁いた。
「下手人はどうもお侍らしいですわ。痩せて背の高い二本差しが、難波の方へ向かて歩いて行たとか」
 権米衛は、履物屋の主と同時に、同心の手先を務めていた。町で情報を集めては、親分である同心に報告するのである。髪結いの喜八も客からの情報を集めて、権米衛に報告させられていた。
「ほ。どこからの話や」
「今朝来た、橋の袂の蕎麦屋の親父ですわ。惣嫁の女たちが言うてたそうです」
「惣嫁か……参考にならんな。まええ、気にだけ止めとこう。また何かあたら教えろ」
 髪結いが終わると権米衛は、振り返りもせずに出て行た。喜八はその後姿に顔をしかめた。
 弟子の仁助が洗た晒を畳みながら苦笑する。
「そんな顔してるところみつかたら、えらい目に合わされませ」
「うるさいわ。あんな奴に偉そうに言われなあかんのは癪に障るわ。元は博打で縄を打たれた前科もんやぞ」
「それでも今は履物屋の主ですやん。鑑札もろてここで商売させてもろてる以上、文句は言われまへん」
「お前の賢しらな口調聞いてたら頭痛なるわ。はよう、水引持て来い」
 仁助は肩をすくめて、奥の箪笥の引き出しから束ねた水引を持てきた。師である喜八はすでに次の客に取り掛かている。髻の水引を断ち、油を付けた櫛で何度も梳く。今度は若い男だた。
「親父さん、細く、粋に頼むよ。少し傾いだくらいがちうどええんや」
「弥吉はん、これから新町にでも繰り出しはるんか?」
「そんなところや」
 常連の弥吉は、にやけた笑みを浮かべた。
「よろしおまんな」
 機嫌よく喜八は言い、水引を口で咥えて手際よく髷を結い上げる。
「こんな感じでどうでろ」
「もう少し、斜めに……そうそう、あんまり真直ぐやたら田舎もんみたいやろ」
「弥吉はんの垢抜けた格好見たら、誰も田舎もんなんて思いまへんわ」
 愛想を言いながらも手は止まることなく、髭をそた剃刀を盥で手早く濯ぎ、耳の中を晒しで拭いて仕上げる。
「せいぜい、気張てきはりや」
 張りのある声で若い男を送り出し、小さく鼻を鳴らす。
「紀州の山奥から来た田舎もんが。おまえなんか遊女に金巻き上げられて喜んでるのが落ちや」
 かろうじて仁助に聞こえるような声で呟き、新たに暖簾をくぐてきた客を振り返り、笑顔を浮かべる。
「これは、河内屋の旦那。今なら直ぐにできます。さこちらへ」
 二日前に河内屋の旦那が来た時は、『強突張りが、掛けの代金は渋るくせに三日と上げずに来よる』と悪態をついていた。
 しかし今は、河内屋の旦那の少ない髪を器用にまとめ上げ、形の良い髷を作り上げている。
 あきれつつも仁助は思た。
 師である喜八の腕の早さと技術はもちろん優れているが、それよりも見習わねばならないのは、へつらいと所世術であると。
 客商売とは因果なものよと思いながらも、連れ立て入てきた二人の客が入てきたのを見て、仁助は立ち上がり、満面の笑みを浮かべながら出迎えた。
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