第30回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・白〉
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ないしょの話
大沢愛
投稿時刻 : 2015.12.12 23:49
字数 : 3533
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ないしょの話
大沢愛


 ないしの話だからね、いい?
 

 あれは高二のクリスマスイブの日。
 午後九時を回ていた。
 塾の帰り、私は自転車で舗道を走ていた。25日にクラスのみんなでクリスマス会をやる予定だたんだ。いちおう、彼氏持ちの子たちは今夜、いろいろとある。莉子や凛たちはおな中つながりでカラオケで集またあと、こそと抜けるらしいし、陽葵のとこは大学生の彼氏がけこう無理してホテルのバイキングを予約してくれたらしい。どうだたのか、何があたのかを翌日、クリスマス会でぶける。そういうのがあると、いつもはビビてしまうことも勢いでやれたりするわけで、まあ楽しみ、てとこ。

 の、はずだたんだ。
 
 颯太とはこの春から付き合い始めた。それまでの助走期間(!?)が一年くらいあたせいか、恥ずかしい盛り上がりのないまま、ここまできた。
 ていうか、むしろはしぐのが恰好わるい、みたいな雰囲気が最初から漂ていた。
 これて、実はけこう面倒くさい。
 恥ずかしさを避けるてことは、臆病なままでいるてことだ。べつに蛮勇が良いてわけじないけど、臆病というのはようするに相手よりもまず自分が優先、てこと。二人きりでいて、お互いに守りを固めて手さぐりで付き合ていたんじ、あんまり楽しめないし、なによりもこころがボデブローを受け続けるみたいな感覚になる。
 
 そして今日。
 私たちには何の予定もなかた。
 颯太は家族でクリスマスを祝うそうだ。
「うちでは毎年、そうしてるから」
 しれと言た顔は忘れられない。
 ここで私はブチ切れてもいいはずだた。ふざけんなよ、一緒に過ごすとか言てただろ、て。
 でも私は、顔色一つ変えなかた(つもりだた)。
「そう」
 クリスマスイブに関する二人の話し合いは、それで終わた。
 
 ばかみたいでし
 
 口惜しくて泣きたくなたか、ていうと、そんなことはなかた。
 泣く気にもなれなかた。それが気持ち悪いくらい。
 九か月近くの間、何してたんだろうな、て。
 
 夕方、塾に出かけるとき、ママが、なるべく早く帰て来なさいよ、て言てたけ。
 高校二年生の娘になんてこと言うんだろ?
 私は言てやたよ。
「わかた」
 ・・・何よ、笑えばいいじん。
 でもね、ちとくらいは期待してたんだ。もしかしたら最後に逆転とかあるかもしれないて。颯太が迎えに来てくれるんじないか、とか。お互いにふくれ面しながら、市民会館裏手のお店でちとお茶飲むだけでもいい。許してあげる。ていうか、むしろ私から謝りたい。素直じなくてごめんね、て。め恥ずかしい。だけど、こういう機会じなき言えないままで終わてしまうかもしれないし。

 イヤーフルの向こうで風が流れている。イルミネーンで飾りつけられた街路樹はとくに過ぎていた。暗がりの舗道には歩く人はいない。そりそうだ。こんなところ、タクシーて拾えない。鞄の中の携帯電話は何も言わない。ていうか、本当に入ているの? 何とか言いなよ。お願いだから。
 素直になる千載一遇のチンスを逃した私は、青信号の交差点を走り抜けた。信号待ちの車の中には、男女のカプルが詰まてる気がした。少子化の対策にもならない無駄撃ちばかしやがて、とか、自分で言てて赤面する。たぶん十二月の夜風で冷えたせいだね。ガードポールの白が、暗がりに光を曳いて伸びてゆく。

 道の左側に、青い看板が見えた。セブンやフミマを見慣れた目には、ちと不思議な感じがする。ローソンだた。この街ではめたに見られない。ママによると昔はむしろローソンしかなかたそうだけど、いまでは駅裏に一軒あるだけだ。元ローソンだたところは居抜きで改装されて、不動産屋や携帯シプ、激安美容室とかになている。
 道沿いの青い看板はどこかくすんでいた。駐車場は軽自動車数台をはみ出し覚悟で突込める大きさだた。お店のウインドーは白く曇ている。並んだゴミ箱の投入口は半開きで、家庭ごみらしいビニール袋が力いぱい押し込まれていた。
 私は自転車のスピードを緩めていた。
 お店の入口にピングのダウンジトを着た、小学校低学年くらいの女の子が立ていた。
 入口のドアの前に立たまま、ミトンの両手で口を覆ている。逆光になた姿からは表情までは読み取れない。
 自転車に跨たまま、女の子の横顔を見つめる。白い息のかけらでも見えたら、安心してペダルに足を載せられたのに。
「寒くない?」
 口をついて言葉が出た。女の子はこちらを向く。ああ、やぱりだ。すこし吊り気味の、大きな目。肩までのストレートヘアは、あと数年で背中まで届くはずだ。
「へいきだよ」
 唇を強く結ぶ。光を受けた頬はほんのりと赤みを帯びている。
「わたし、きうお姉ちんになるんだから」
 いつの間にか風が止まていた。私の周りに雪がちらついていた。女の子の睫毛に、ひとひらがとまる。まばたきするうちにじと融ける。
「お家で待ていればいいのに」
 自転車のハンドルを握り直す。バランスは崩れない。分かている。両足の爪先がアスフルトを捉えている。
「パパもそう言た。でも待ちきれなくて、ここまで来たの」
 入口から漏れる光が地面にいびつな四角形を描いていた。女の子の見つめる先に何があるのか、分かていた。
「ここからだと、病院の建物が見えるから。あのなかで、ママと、赤ちんががんばてるんだから」
 道の反対側には暗闇が広がていた。トラロープを張られた更地には雑草が生い茂て、いまは枯れた穂を重ね合わせている。青果市場の照明はとくに落ちていた。
「風邪引いちうよ」
「だいじうぶ。わたし強いから」
 ミトンの両手を合わせて、暗がりを見上げている。女の子の瞳には明かりが映ていた。病院の窓明かり、だろうか。一つ一つを数えられるような気がした。瞳の中の小さな明かりのなかに、仰向けになた姿が見える。その中で、まだ意志のかたちすら持たないかたまりが懸命ににじり出ようとしている。
「偉いね、お姉ちん」
 そう呟くと、女の子は両手を合わせたままこちらに向き直た。
「あんたなんか知らないよーだ。べー
 顔を歪める。本当に、見覚えのある顔だ。
 女の子の姿がなくなり、ローソンの明かりも消えて、夜風に凍えた鼻先に洟が滲んでいた。舗道の真ん中で、自転車に跨た私は、泣いたあとみたいに胸が熱くなていた。

 こういうこと、するかな、お姉ちん。

 マフラーに鼻先を埋めて、ペダルに力を込める。ゆらりと走り出した自転車は、スピードが上がるにつれて路面の継ぎ目に強く跳ねあげられる。街路樹の根元に、車道の明かりがこぼれている。さきまで走ていたサニーやカローラに代わて、ハイブリド車の影がせわしなく往来していた。

 鞄の中で着メロが鳴り響く。家からだ。
「早く帰て来なさい。一人娘なんだから」
 言い返さず、はい、と答える。
「誕生日なんだから、パパも飲まずに待てるんだからね」

 たぶん、あの子の瞳の中には、病院の廊下の明かりもあたのだろう。
 いまより十七若かたパパは、あの日もきと飲まずに廊下を歩き回ていたに違いない。ときどき立ち止まて、肩甲骨のストレチを始めて気味悪がられたりして。
 あの子はあれから七つ、年を取て、それから永遠に年を取らなくなた。
 いぱいいじめられた。いじわるもされた。泣きながらかかて行ても、平気で突き飛ばされた。腕ずくで喧嘩して、互角に持ち込めるまで、あの子は待ていてくれなかた。いまならぜたいに勝てると思う。
 まさか、それが分かたから、あんな姿で出て来たんじないよね?
 中央病院の旧館。向かいに建ていた古いローソン。

 これが私のクリスマスイブの話だなんて、言えるわけないじない。
 使えねーなこんちきしう。

 国道バイパスの高架が近づいてくる。ロードサイド店舗の照明が眩しい。
 鞄の中で違う着メロが鳴り出した。
 自転車を止めて、耳にあてる。
「あの、きうはごめんな。いちおう、プレゼントだけ渡したくて、家の近くの公園前で待てるから。ほんと、ごめん」
 暗がりであの子がにやにやしながら見上げている気がした。
 自分でも情けないくらい崩れた表情だていう自覚はある。
 つばを飲み込んで、精いぱい憎たらしく声を出した。

「あんたなんか知らないよーだ。べー

 電話の向こうで何か言ているけれど、私はすぐに通話を切た。
 だてそのままじ、早く帰るから待てて、とか死にたくなりそうなことを言てしまいそうだたから。


 それが私のクリスマスイブの話。
 絶対にひとには言わないでね。
 間違ても小説に書いたりしないでね?
 あんたのこと、信じてるから。

 嘘だけど。
              (了)
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