第30回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・白〉
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鬼と恋泥棒
投稿時刻 : 2015.12.13 00:00
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鬼と恋泥棒
古川遥人


 教室の最前列、左から三番目の席に座る女子。
土ケ谷嬉子。
彼女には友達がいない。何故だろう。苛められているというわけでもない。成績が良く、運動神経も良い。特に気取たところは見られない。コミニケーン能力に問題があるわけでもない。容姿はやや古風な顔立ちだが美しいと言える。それでいて妬みや顰蹙を買うようなことはない。どちらかと言えば、彼女自身が周りを、それとなく拒絶しているように感じる。遠ざけているように感じる。
僕はしかし、そんな土ケ谷嬉子に恋している。どこに惚れたのだろう。碌に話したことはない。もしかしたら話したことすら無いかもしれない。一目惚れなのだろうか。高校二年生になて、文系クラスを選び、クラスメイトになた彼女の顔を見た瞬間、僕は彼女に惹かれていた。無意識に彼女の姿を目で追うようになた。休み時間はいつでも机で小説を読んでいる土ケ谷嬉子。僕が見る彼女の姿は、ほとんどが最後列の自席から見る後ろ姿だたが、長く艶のある黒髪、白い肌は、見ているだけでドキドキとさせられた。
ただ一つ、気になることがあた。彼女の隣にいる者の存在。いつだて恋い焦がれる気持ちで彼女を見る度に、同時にそいつの存在に悩まされる。彼女だけを見ていたい。が、どうしても隣の奴に注意を引かれる。
そいつは異質な存在だた。
恐らく僕の二倍ほどはあろうかという体躯。筋骨隆々とした体格。常に怒りを表しているかのような恐ろしい表情。まるで刃物のように先端が鋭い牙。天へ向かて尖ている大きな角。そして血塗られたような赤い肌。
鬼。
彼女の隣には、常に鬼がいる。彼女は鬼に憑かれている。


僕が鬼の存在を認識できるようになたのは、姉が自殺した後のことだた。
姉は高校一年の夏休みに死んだ。今から三年前。彼女は学校で苛められていた。口下手だた。人見知りだた。誰かに話しかけようとしても、とさに言葉が出てこなかたり、言いたいことを躊躇う癖があた。恐らく、きかけは些細なことなのだろう。クラスメイトが姉の癖を、笑いに変えた。姉をからかう目的だたそれが、いつの間にかエスカレートしていく。それは姉の尊厳を傷つける遊びへと変わていた。どれだけ姉の心を苦しめられるか、壊せるかというゲームに発展していた。それを止められる者は誰もいなかた。姉は共同体の中にある、ストレスを発散するための緩衝材に選ばれた。消費される緩衝剤。あるいは共同体の中における生贄。それが姉に与えられた役割だた。姉は家でも何も喋らなかた。明らかに苦しげな表情で、食事も食べず、痩せ細ていく姉を、僕は助けることが出来なかた。気づいてやることさえ出来なかた。しかし、僕に何が出来たのだろう。中学一年生だた僕に、壊されていく姉を救う力があたのだろうか。感傷と後悔ばかりに苛まれることに疲れ、僕は一年間、姉のために心を苦しめた後で、姉のことを考えるのを止めた。僕の心までもが壊れてしまいそうだた。身近な人間を救えなかた僕が、それに苦しみ過ぎて、精神を壊してしまうのは何かが違うのではないかと感じた。僕は薄情なのだろうか。自殺した姉のことを考えない様にして、クラスメイトに恋をする僕は、もしかしたら世間に糾弾されるような存在なのだろうか。僕は姉が死んだ後に、一週間ほど気づけば泣き続けているような生活を送り、姉の死を一年ほど引きずり続け、意識的に姉のことを忘れて幸せな生活を送ろうとするようになた時に、鬼が見えるようになた。
最初に鬼を見たのは、テレビの中だた。二年前、テレビ出演を重ねることによて有名になた占い師の横に、鬼を見た。最初はテレビの演出だと思た。僕はその意味の分からない滑稽さに笑い、両親に向かて、何でこんな演出をするんだろうと話しかけた。しかし両親とも、そんなものは見えないと言た。僕が何度も執拗に鬼がいると説明しても、二人は気味悪がるばかりで、そこでようやく僕の方がおかしいのだと気づいた。鬼は滅多に見ることはない。鬼を見て以来テレビを見ないようにしたこともそうだが、街中を歩いていても、鬼の姿をほとんど見なかた。たまに見かけたとしても、駅前をふらふらと歩いていたり、公園のブランコの前に立ち、じとブランコを見つめ続けていたり、路地の端に座て通り過ぎる人を観察したりしていた。始めは、鬼が見えてしまうことでパニクになた。泣き叫ぶほどに鬼を怖れた。鬼は、明らかに人を苦しめるような、理不尽な悪事を行い、人を殺したりする、悪の象徴たる存在だた。もし鬼が見えるということを相手側に気づかれたら、殺されるのではないかと思た。そもそも、それが本当に鬼なのか、頭がおかしくなてしまた僕の幻覚なのではないか、そう思い、僕は自分が狂てしまたのではないかと苦しんだ。が、鬼が人襲うところを僕は見たことがなかた。僕と鬼の目が合たこともあるのだが、鬼は僕に注意を払うどころか、何故か会釈を返すこともあた。鬼はもしかしたら、僕らが想像するような悪意ある存在なのではないかもしれない。少なくとも僕が見る鬼、僕の幻覚かもしれない鬼には、人を攻撃する存在ではなかた。そのことに気づき始めてから、僕はなるべく鬼を意識しないように生活を送ることにした。
しかし運命とは皮肉なもので、という慣用表現にもある通り、僕が恋する女の子には鬼が憑いている。人に憑いている鬼を見たのは、テレビで見たあの占い師以来だた。ほとんどの鬼は、人に憑くことはなく、たとえ人に憑いているように見えたとしても、少し時間が立てば離れてしまう。だから一人の人物にずと憑き続けている鬼を見たのはそれが初めてだた。この鬼はいたい何者なのだろう。そして土ケ谷さんは鬼がいることに気づいているのだろうか。僕は彼女を見る度に、悩まされるのだた。

放課後になると、いつものように吉屋が僕の元にやて来て、一緒に帰ろうぜと言た。僕自身、あまり友達はいないかたが、吉屋だけは親友と言える存在だた。いつでも一緒に行動を共にした。このクラスになてから、彼とは気がついたら友達になていた。どのような切掛けだただろう。思い出せないが、とにかく吉屋は何でも話せる親友だた。親友とは得に切掛けがなくてもそうなるのだろう。
「今日も土ケ谷の方ばかり見てたな」
「そう?」
 帰り道で、吉屋は僕の肩に手を置きながら笑いかける。
 彼は毎日、僕が土ケ谷を観察しているところを観察する。そんな時の彼は何故だか嬉しそうだた。ある時に、どうしてそんな嬉しそうにするのかと尋ねたことがある。すると彼は
「恋をしている人間は幸せそうだから、それを見ていると、自分も幸せな気持ちになれるんだよ」
と言た。確かにそういうものかもしれない。不幸が連鎖してしまうように、幸せも連鎖していく。一人の人間の恋が、いつか世界を平和に変えることになるかもしれない。僕は彼の言葉に、そんなことを考えさせられた。
「デートに誘てみるとか、せめて話しかければいいのに」
 駅までの道を歩きながら、吉屋はからかうようにそう言た。
「いいんだよ。見てるだけで幸せなんだから」
 鬼が近くにいるということもあてか、僕はなかなか彼女に話しかけられずにいた。まあ、鬼に関係なく女子に話しかけるのは苦手な方なのだが。
「そうか、まあ幸せならそれでいいんだけどさ。お前が土ケ谷と付き合て、もともと幸せになれば、見ている俺ももともと幸せになれるんだよ」
「結局は自分のためか」
 僕は思わず吹き出してしまう。
「ま、そういうこと。でもお前の幸せが俺の幸せになるんだから。それは悪いことじないだろ? お前の幸せは俺の幸せ。いい考え方じないか」
「ジイアンもそういう明るい思想を持てたら、怖れられずに済んだのにな」
「そしたら漫画がつまらなくなる。そしてドラえもんの出番もなくなる」
 僕らはそんなくだらない会話をしながら駅に向かた。


 地元の駅に着き、帰りのバスに乗ろうとしたところで、土ケ谷の姿を見つけたた。いや、まず鬼に違和感を覚えてそこに土ケ谷の姿を見つけたと言た方が正しいのだが、とにかく土ケ谷が駅から東方向に歩いていくのが見えた。
同じ駅を利用してたのか。
一緒のクラスになてから一か月程だが、初めてそのことを知た。それと同時に、彼女はどこに住んでいるんだろう、という遠慮のない好奇心が湧き上がてくる。僕は気がついたら彼女の姿を追ていた。これじストーカーないか。そう思いつつも、後を付けることを止められなかた。

彼女はどんどん大通りから外れていき、川を越えた山の方へと入て行た。十五分ほど歩いた後に、とある神社が見え、彼女はその敷地へと入て行た。
ここが彼女の言えなのだろうか。
鬼が神社に入ていくというのは何とも不思議な光景に思えたが、鬼を祭る神社もあるような気がしたから、別に不思議な事でもないのかもしれない。
姿を見失わない様に急いで彼女の後を追て石段を上がり、鳥居をくぐろうとしたところで、いきなり何者かに肩を叩かれた。僕は思わず、短く息を吸いながら振り向いた。
そこには不思議そうな表情を浮かべながら僕を見ている土ケ谷嬉子がいた。
「藤村君、なんでこんなところにいるのさ」
 僕がずと抱いていたイメージよりも親しげに、明るい声音で彼女は言た。唐突のことに僕は言葉が出てこずにおろおろとしていると、
「この子がね、藤村君がずとついてきてるて教えてくれたんだ」
 そう言て、近くにいる鬼の腹をぺしぺしと叩いた。
「え……この子て」
「あれ、藤村君てこの子が見えるんじないの? 良く目が合うて聞いたからそち系の人かと思たんだけど。ああ、もしかしてはきりとは見えないてやつ?」
「え、あ、いや見えるよ。鬼……だろ」
 そういうと彼女はパと花が咲いたように笑顔を浮かべた。
「そうそう! いやー、やぱり見えてるんだねえ。鬼が見える人に直接会たのて、家族以外では初めてだよ!」
「それて、危なくないのか? というか、何で保土谷さんにずと憑いてるんだ?」
「ふー……藤村君てこの神社がどういう神社か知てる?」
「あー、ごめん。判らない」
「まあ普通そうだよねえ。あのね、ここは鬼を祀ている神社なの。鬼てね、人の悪い感情を餌にしているんだよ。人の嫉妬とか、憤怒とか、悪意とか、そう言た感情を食べる存在なんだよ」
「へえー、鬼てもと悪いことをする奴かと思てた」
「昔はそういう鬼もいぱいいたらしいけどね。結局生き残たのは、この子みたいに人間に害を及ぼさない、人間の悪い感情を食べる子なんだよね」
 土ケ谷がそういうと、鬼は照れたように頬を掻いた。思たよりも人間味のある奴だた。
 そんな鬼を見ていると、土ケ谷が急に真面目な顔になて、僕に指を突きつけた
「それよりも、君。恋をしてますね」
 いきなり、160キロのストレートを投げられたような感じ。
「いや、あの、その、だて恋をするのは自由だし……
僕がしどろもどろになると彼女は、 
「確かに恋をするのは自由だし、止めません。でも藤村君は今、とても悪い存在に憑かれようとしてますね!」
 ズバと言た彼女の後ろで鬼がやけに頷いているのが見えた。


翌日の放課後、僕はいつものように吉屋と共に帰た。
「なあ、今日俺の家に来ないか」
 僕は初めて、吉屋を家に誘た。親友と遊ぶことは、特に不思議な事じなかたし、誰かとゲームをしたりするのは小学校以来やていなかたので、友達らしい交友をしてみたいというのも本音だた。
「ああ、いいよ」
 特に躊躇うこともなく、吉屋は頷いた。
 僕らは電車に乗て、僕の地元へ向かう。電車内ではいつものように、とりとめのない会話をしながら笑た。
 地元に着き、僕は彼を先導しながら大通りから外れ、川を渡て山の方へ入ていく。
「へえ、わりと人通りから外れたところに住んでるんだね」
「うん、まあね」
 彼は物珍しそうにあたり意を眺めまわしながら、そう言う。
 神社が見えてきたときに、彼は少しだけ戸惑たように
「あれ、家て、神社なんだ」
「うん。言てなかけ?」
「初耳だよ」
 そう言いながらも彼は、付いてくる。
 石段を登り鳥居をくぐたところで、彼は唐突に呻き声をあげてうずくまた。僕は急いで後ろを振り向く。そこには土ケ谷さんと鬼が立ている。鬼の方は大きな手で吉屋を掴み、逃がさぬように握りしめている。
「本当に、これで良かたの」
 土ケ谷に向かて僕は尋ねる。
「ええ、彼は妖怪ですから。最近生まれた妖怪ですね。恋泥棒。他人の恋心を奪い、餌とする存在です」
「恋泥棒……
「人の幸せを奪て、恋する気持ちを忘れさせる。あくどい妖怪です」
「でもさ、生きるためにする事だたら仕方ないんじないのかな」
「そうですね。でも、この子は必要以上に喰らて、他人から永久に恋心を奪うような妖怪ですからね。放ておけません」
「親友だと思てたんだけど」
「それが彼らの手口なんです」
 土ケ谷が言うには、彼らはいつの間にか僕らの生活に入り込み、僕らを信用させて、心を食べるのだという。
「これで僕はまた一人ぼちか」
「私がいるじないですか」
「え?」
「親友、私がなてあげますよ」
 彼女はとびきりの笑顔を見せてくれる。
 本当にお願いしたいのは違う関係なんだけれど。
 そう思いながらも、親友から始めて見るのも悪くない気がした。
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