「あのさ、公彦。何か新しいスポーツを考えてみないか？」
　同居人の星一郎がそう言い出したのは、六月に入ってしばらく経った頃だった。すでに梅雨に入ったのか、ここ数日は雨が降り続いている。畑仕事ができず、僕は和室で机に向かっていた。
　久しぶりに広げた問題集は受験勉強のために買ったものだ。大学受験ができなくなった今となっては数学の勉強などしても仕方がないはずなのに、時々こうして問題を解いてみたくなる。
　星一郎は僕の後ろで寝ころんでマンガを読んでいた。
　僕の家には大量のマンガがある。兄が好きでいろいろと買っていたからだ。けれど、星一郎は僕の家に来てからの半年ちょっとで一通り読んでしまったらしく、今は僕の部屋の片隅でホコリをかぶっていた「マンガ偉人伝シリーズ」を引っ張り出して読んでいた。
　雨音と扇風機の音を耳にしながら一時間ほど経った頃だ。
　星一郎がアホなことを言い出したのは。


「……は？」
　星一郎が何を言っているのかわからなかった。蒸し暑いのに長袖のパーカーを羽織っているので暑さで頭がやられたのか、もしくは最近の長雨で脳みそにカビが生えたかと思った。まあ、もともと変わった奴ではあったけれど。
「お前、何を言ってるんだ？」
「だから、新しいスポーツを考えようって言っているんだよ。俺たち二人でさ」
　星一郎は目を輝かせて言う。
「例えばさ、雨の日でも晴れの日でも楽しめてさ、一人でも二人でも大人数でも遊べるような、今までにないおもしろいスポーツがあったらいいと思わないか？」
「無茶苦茶な。そんな都合のいいスポーツなんて、あるわけないだろう？」
「ないから考えるんだよ」
「暇なら学校の体育館に行ってこいよ。今なら貸し切りだぞ」
「公彦だって暇だろう？　大学なんて行けないのに勉強なんてやってるんだからさ」
　何も言い返せず、僕は数学の問題集を閉じた。


「やっぱサッカーっぽいのがいいんじゃないか？　男ならサッカーが好きな奴も多いし、女子サッカーもこの間まで結構盛り上がっていたしさ」
「サッカーは新しいスポーツじゃないだろう？」
「だからサッカーをアレンジするんだよ。例えばサッカーボールに火を着けて蹴り合うってのはどうだ？　何か熱い感じで良くないか？」
「良くない！　やけどするし、だいたい火なんか着けたらボールがダメになるだろうがっ！」
「じゃあ、惑星サッカーってのはどうだ？　火星とか木星とか惑星の配列にコーンを置いてだな、それを避けながらブラックホールに見立てたゴールに向かってシュートして……」
「お前、太陽系からブラックホールまでどれぐらい距離があるのか知っているのか？」
「いや、知らねぇ」
「知らなかったらできないだろうがっ！」
「それなら知識がいらない単純なスポーツを……そうだ！　大声を張り上げてコップを割る！　たくさんコップを割った方が勝ちだ！」
「そんなの普通の人間にできるかっ！　それにコップがないとできないし、割るだけなんてコップがもったいない！」
「じゃあ、一人の人間の腕を左右から引っ張り合うっていうのはどうだ！　これなら道具もいらねぇぞ！」
「人が三人いないとできないだろうがっ！」


　アホな会話は二時間ほど続いた。


「やっぱ新しいスポーツを考えるって難しいなぁ」
「当たり前だ」
「そっかぁ……そうだよなぁ……」
　ひどく落ち込んだ声に、俺は驚いた。いつものように暇つぶしの遊びだと思って付き合っていたが、ひょっとして星一郎は本気で今までにない新しいスポーツを考えようとしていたのか？
「どうかしたのか？」
「あのさ、新しい生き物とか星とか島とかをさ見つけるとさ、好きな名前を付けられるじゃんか。でさ、自分の名前を付けることもあるじゃん」
「そうだな」
　確か大昔話題になった彗星とか、調べてみればいろいろあるはずだ。
「新しいスポーツを考えたらさ、俺の名前を付けたかったんだよ」
　星一郎はそう言った。
「そうしたらさ、お前がそのスポーツをやる度に俺のことを思い出すだろう。それに、お前が他の奴にそのスポーツを教えてさ、そいつがこのスポーツは何でこんな名前なのか聞いてきたらさ、お前はきっと俺のことを話すじゃんか。そうしたら俺っていう人間がいたことがさ、他の奴の記憶にも残るんじゃないかと思ったんだ……」
「お前、まさか村を出て行くつもりなのか？」
　星一郎が僕の村に来たのは半年ほど前だ。自転車で旅をしていて僕の村にたどりついたのだ。
　また旅に出るのか？　もうここには戻らないつもりなのか？
　言葉にできない想いが頭の中でグルグルと回る。
　何か言わなくてはと口を開きかけた時。
　星一郎は無言でパーカーの長い袖をめくった。腕には赤い斑点がいくつもいくつも浮かんでいる。
　見覚えのあるそれに、僕は息を飲んだ。


　赤斑病。
　その病気を僕はそう呼んでいた。
　けれど、それが正しい名前がどうかわからない。医者とか研究者が名前をつける前に、ほとんどの人間がこの病気で死んでしまったからだ。僕の同級生の腕に赤い斑点があるのを見つけてから一週間ほどで、僕以外の村人は死んでしまった。
　テレビのニュースでも取り上げられたが、翌日にはそのチャンネルは映らなくなった。その次の日には別のチャンネルが、また次の日にはまた別のチャンネルが消え、あっという間にテレビはただの箱と化した。
　それが一年前のことだ。
　情報が途絶え、世界がどうなっているのかわからない。けれど、助けが来る気配は今までに一度もないから、きっとみんな死んでしまったのだろう。
　村がソーラー発電や風力発電の施設を作っていたおかげで電気だけは以前のまま。缶詰や乾麺、飲料水やお菓子など日保ちする食料はたくさんあったが、いつかこれらも尽きる。
　僕は畑で作物を育てることにした。一人ではたいした量は作れないが、食べるのも一人だ。本で作り方を調べながら少しずつ種類を増やし、保存方法を考え、ひとりぼっちの冬に備えていた頃だった。
　僕の村に、星一郎が自転車に乗ってやって来た。
　星一郎は隣の県に住んでいたそうだ。誰もいなくなった店や家から食料を調達しながら、誰か他に生存者がいないかと探しているうちに僕の村にたどりついたのだ。
「夜に山の方を見てみたらさ、灯りが見えたから来てみたんだ」
　どうやら他の場所には電気が来ていないらしい。
「寒くなってきたしさ、これからどうしようかと思っていたんだよなぁ」
　冬の間ここにいてもいいかと星一郎に聞かれ、僕は「いいよ」と答えた。
　春になっても星一郎は村を出て行こうとしなかった。
　かつてゴールデンウィークと呼ばれた時期になっても星一郎は僕の家にいた。
　このままずっと彼はここにいるのだと僕は思っていた。
　そう思い込んでいた。




　長い梅雨が終わり、いつもより涼しい夏が来た。
　そして秋の気配を感じ始めた頃、僕は星一郎の自転車を納屋から出した。星一郎がちゃんと整備をしていたおかげで、まだ十分走れる。
　自転車に荷物を積み込み、サドルにまたがる。
　とりあえずは一ヶ月、他の町を見てまわろう。冬になったら村に戻ってきて、春になったら再度出発。そうしたら今度は行ける所まで行ってみよう。自転車がダメになったら歩いてでも先に進んでみよう。
　そうして誰かを見つけるまで旅を続けるんだ。
（誰かを見つけたら、絶対にお前のことを話すからな）
　庭の桜の根元にもう一度目を向けると、僕はペダルをこぎ出した。

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