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労働の夏!職場小説大賞
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ハイエナの仕事
あまね
 投稿時刻 : 2016.08.08 21:34
 字数 : 5868
5
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ハイエナの仕事
あまね


「アガサさん、オレもついていていいすか?」
「なんで?」
 事務所を出ようとすると、新人のタチバナが立ち上がた。
「社長が今日からアガサさんについて行けて。仕事を現場で覚えろてことらしいです。もう申請書書かなくていいんですよ。嬉しいす」
 アガサは書類の束を新人の鼻先に差し出した。
「まだある。内容は詰めてあるから」
「ダメですよ。これは所長命令です。そもそも、申請書を溜めるな、ちんと出してから現場行けて局長から言われてるじないですか」
 新人に押し付け損ねた書類をデスクに押し込み、上着を手にしてオフスを出る。新人は喋りながらついてきた。
「時間があるんだよね」
「あとでもいいですよ。戻てからでも」
「あんたが許可することじないでし
 入国管理局までは転移ゲートをくぐること三回。目をつぶていてもいける。入管には内偵専用の転移装置がある。同業者の顔はだいたい覚えてしまう。そうでなくとも、同業者は雰囲気でわかる。新顔で初仕事のタチバナは浮く。一緒のアガサも居心地が悪い。
「許可証、忘れてないよね?」
 一抹の望みをかけて言う。
「あります。作てもらいましたから。顔写真つきですよ」
 タチバナが当たり前のことに喜びながら、入り口の読み取り装置に許可証をかざす。アガサたちは何の問題もなく入り口を通過し、転移待ちの列に並んだ。入国用転移装置は五つあるが、出国用は一つだけだ。運が悪いと少し待たされる。順番が来ると、予め座標を打ち込んでおいた専用デバイスで転送場所を指定する。
 ほんの瞬きする間に、視界が変化する。
 三階建のビルの屋上。夜更けだが、街の明かりは絶える気配はない。
「ここ、どこですか?」
「東京都板橋区」
「へえ……
 タチバナがよくわからない感慨を漏らす。
「こちは初めて?」
「遠足で来るところでもあるまいし、当たり前じないですか」
「勉強はしてきたんでし
「そりうそうですけどね」
 アガサはふわりと屋上の柵を乗り越えた。数メートル下の窓をすり抜けて、無人の部屋に入る。ここ一週間ほど根城としている入居者のいないアパートだ。タートの家は、この斜め向かいにある。
 タチバナがおとりと部屋に入りながら聞いてくる。
「いま内偵してるのて、どんな人ですか」
「ユウキミカ。24歳。女。会社員」
「それだけ?」
「それ以上、必要ある?」
「いや、わかりませんけど……
 タートは部屋に戻ているらしい。明かりが付いている。風呂あがりなのか、タオルを首にかけた女がカーテンを閉める。視線を感じているのかもしれない。そうだとしても、アガサたちの姿が見えるわけはないが。
「可愛い子ですね」
 タチバナの軽口をアガサは無視した。
「就寝まで待つ。そのあと、時の芽を抜き取る」
 タチバナはやや緊張した面持ちで頷いた。待ている間、新人はおとなしかた。軽口を控えるだけの分別を働かせたからではないのはすぐにわかた。タートの部屋のカーテンは閉まていて中を覗くことはできないが、透視、聴覚の増強その他で状況を探る方法はいくらでもある。覗き見。褒められた行為でもないが、任務から逸脱しているわけでもない。それも、新人はアガサに気取られないようにやている。能力ある若者ゆえの驕りだろう。おそらくそれなりの労力で力を隠しているのだろうが、アガサは探りを入れるまでもなく――概ねおしべりな新人が黙り込んでいるというだけの理由で――ほぼ確信していた。
 確認するつもりもない。アガサ自身、あまり原識を働かせるのは得意ではない。唐突に、社長が力のある新人が入ると言ていたのを思い出した。そういう意味だたのかと今更になて得心する。だからといて、仕事ができるとは限らない。必要な技能を除いて、能力のあるなしはこの仕事の前提条件にはならない。うまく使えば非常に優秀な人材になるかもしれないが、そうならないこともある。原識を司る能力を必須とする職業は、もと別にある。新人も、別に力を使いたくてこの仕事を選んだのではないはずだ。
 部屋の明かりが消えた。
 それから一時間待て、アガサは直接タートの部屋のベランダへと飛び移た。
 安定した寝息。タートはすでに眠りについている。アガサはベドに近づき、タートの上に手を近づけた。
 意識してみれば、タートの脳内に巣食う芽の存在が感じ取れる。アガサは手を伸ばし、ゆくりと脳内から時の芽を抜き取た。
 タートがかすかにうめき声を上げる。だが、それだけだ。目覚めはしない。
 アガサの手には肉の管のようなものが握られている。見る間にその一部が膨張し、目蓋のようなものを形作た。それはテニスボールほどの目玉だた。
「見てみる?」
 アガサは新人に目玉を差し出した。
「え、いいんですか」
「練習してきてるんで
「そりあ、訓練校でやりましたけど。一通りは……
「見えるのは一度だけだから、慎重に」
「わ、わかてますよ」
 タチバナは覚悟を決めた様子で左手の手袋を脱いだ。タチバナが素手で力を送り込むと、目玉は肉の管をタチバナの指に巻きつけ、半ば同化した。やがて涙をこぼしながら、目蓋が開き始める。
 目玉の色は宿主とした人間によて異なる。ユウキミカの時の芽の色は淡い緑だた。だから何ということもない。第一、タチバナの立場だたら、そんなことを意識している余裕はなかたはずだ。
 タチバナは顔を近づけ、目玉の中を覗き込んだ。
「ウウ……!」
 うめき声を上げ、タチバナが顔を歪める。そこまでは、通常の反応だ。だが、次の瞬間、タチバナの左手が電気を帯びたように光を発した。青い火花が散り、同時にタチバナの左手が変化する。手首から先が二倍ほどの大きさになている。黒い皮膚と長い爪のある悪魔の手が、目玉を握ている。目玉自体もタチバナの力に呼応して大きくなている。
「やりすぎだ、タチバナ」
 彼が新人らしく力んでいたのだということに、アガサは思い至た。何かあれば、監督不行き届きで社長に叱られても仕方がない。
 時間にしてほんの数秒ののち、時の芽は自壊した。タチバナの手の中で、ボロボロに崩れ落ちていく。
 タチバナは膝に手をついて、息を荒げた。アガサは無意識にタチバナの手から目を逸らした。
 ――悪魔が、本当の姿を晒すなんて。
 もとも、そういう忌避感を抱くこと自体、差別的と言われかねない。悪魔がいつから真の姿を隠すようになたのかわからないが、最近ではあえてありのままの姿で過ごすことを選ぶ者も増えてきた。数としては圧倒的に少数派だが、そういう選択を批難はできない。
 とはいえ、タチバナが真の姿を見られることを屈辱と考える可能性もある。見なかたことにするのが一番いい。
「すみません」
 タチバナは体勢を立て直すと、いつの間にか元に戻た左手に手袋を付け直した。
「見えました」
「あたのね」
「ハイ……。三日後……8月10日朝8時5分。駅に向かう途中の道で、彼女は車に轢かれそうになる」
「戻ろう。あとは、あんたの得意な申請書を書いて、終わり」
 部屋を出る直前、タチバナがタートの方を見つめているのを感じる。アガサは何も言わないことにした。タチバナはたぶん、見過ぎた。必要以上のことを。
「ターて、どうやて選んでるんですか?」
 都内五所に設置された転移装置の一つへと向かて飛ぶ道すがら、タチバナが問いかけてきた。出発したときよりも、顔色が悪い。疲れているのだろう。いくらイレギラーなことが起こたからといても、時の芽を使うのにそれほどの力を消費することはない。とすれば、原因は精神的なもの。
「知らないよ。内偵対象者は局が決める。わたしたちはタートが適切かどうか調査するだけ」
「法則性はない。ランダムだて。訓練校では教わりましたけど。本当ですか?」
「知らないて」
「共通点は?」
「ない」
 嘘ではなかた。選ばれる人間に、共通点はない。例えあたとしても、おそらくアガサなどにはわかるはずのないものだろう。
「あの子の寿命も見えました。四年後です。重い病気で死にます。ただでさえ短い人生なのに、オレたちがもと短くする。あの子、やりたいこともできずに死ぬんですよ」
「だから、なに」
 タチバナは押し黙た。
「あんたは深く見過ぎた。人間に引きずられている」
 時の芽を使てみるのは、数週間先か、せいぜい数年先の未来だけでいい。死の蓋然性がもとも高まる時を探す。それ以上は必要ない。ただ、その気になれば、相手の全人生を覗ける。現在、過去、未来、神に定められた寿命までのすべてを。
 それをやり過ぎと思うかはひとそれぞれだ。
 どのみち、悪魔の表面的な同情心を本気にする者などいない。
 内偵業者にもいろいろな者がいる。アガサのように必要最低限の情報のみを抽出する者もいれば、積極的にタートの情報を収集する者もいる。
 淡々と内偵し申請書を出す者もいれば、人に死をもたらすことに異様な興奮を覚える者も、過剰に同情を寄せて悲しむ者もいる。それでも、仕事はつつがなくまわる。スタンスはどうあれ、まともな申請書を出しさえすれば、文句は言われない。
 後輩が今後どんな風に仕事をこなしていくにせよ、アガサはあまり口出しすべきではないと思ている。
 ――それが悪魔なのだから。


 三日後、アガサは再びタチバナを人間の世界へと連れ出した。
 8時3分。
 ユウキミカが駅への道を歩いてくる。両側に歩道のある比較的広い道路だ。予定では、二分後、この道路を黒の乗用車が走てくる。乗用車は信号を見落とし、横断歩道を渡る途中のユウキミカに向かて突込んでくる。だが、彼女は死なない。横断歩道の途中で、ハイヒールが脱げて立ち止まるから。間一髪、乗用車は彼女の鼻先をかすめていく。
 それが神の加護。神の庭では、神が予め定めた寿命以外で、人が死ぬことはない。
 だから、悪魔はその予定に少しだけ手を加える。今回でいえば、ユウキミカのハイヒールが脱げたとき、少し背中を押してやる。一歩余計に前に出た彼女は、車に轢かれ、命を落とす。
 そうして、悪魔は命を窃取する。神の目を盗み、もとも死の蓋然性が高い時を狙て、人を死に導く。
 それをするのはアガサたちではない。そこから先は、局の人間の仕事だ。彼らはアガサたちの申請を元に、命の刈り取りを実行する。
 横断歩道の周囲に、数名の悪魔が潜んでいる。そこにユウキミカが歩いてくる。
 アガサたちは少し離れたビルの屋上から、それを見守ていた。タチバナが固唾を呑んで見つめている。
 そのとき、アガサは気配を感じて目を上げた。太陽がもう一つ現れたような、眩しさの感覚。反射的に、タチバナを引き倒す。
 気配を殺すことにアガサは慣れているが――新人もうまくやることを願う。
 光そのもののような、あまりに強烈な存在感は、アガサたちに気づくことなく交差点の方に向かていた。実行部隊の連中はさすがというべきか、すでに姿を消している。
 こんなことは、滅多にないことだが――計画は中止だ。天使が現れたのでは……
 あれほどの存在にも、人間は何も気づかない。一部の勘のいい者が空を見上げてみるが、何も見えてはいないらしい。
 天使の光に陰りを感じた。アガサは息を詰めた。この後何が起こるかわかたからだ。
 天使が通り過ぎた瞬間、交差点で騒ぎが起こた。赤信号の交差点に車が侵入し、三台が絡む事故。悲鳴と叫び声。周囲に通勤途中の者たちが集まり人だかりになている。その中に、ユウキミカの顔もあた。彼女が交差点に差し掛かる前に、事故が起こた。
 命を収穫して、天使の陰りが消える。まばゆい光が天へと登ていく。
 天使が消えたあとも、アガサはしばらくの間うつ伏せのまま、凍りついていた。
「アガサさん……アガサさん!」
 名前を呼ばれてやと我に帰る。新人はすでに立ち上がていた。差し出された手を取ろうとして、自分の手がみともなく震えていることに気づく。
……ありがとう。情けないところを見せた」
「それはお互い様です」
 三日前のことを言ているのだろう。今のタチバナは天使を前にしても平然としているようだた。力のない悪魔が高位の天使を目にしただけで消し飛ぶこともあることを考えると、大した度胸といえる。もとも、そんな高位の天使が降臨することなど千年に一度あるかないかだし、驕り高ぶた天使たちはたとえ悪魔の存在に気づいたとしても、殺す労をとらないものだ。それがわかていても、アガサのような平凡な悪魔は本能的な恐怖から逃れられない。
 ――やはりこいつ、高位の……
 悪魔の階級制が廃止された今となては、そのような詮索は野暮でしかないが、つい考えてしまう。
 社長なら彼の血筋を知ているかもしれない。権力の世界にうといアガサにはまるで想像もつかないが。
 タチバナが屋上の手すりによりかかりながら、深いため息を吐いた。それは落胆にも、安堵にも聞こえた。
「任務、失敗ですかね」
「いや、わたしたちの仕事は申請書を出すまでだ。その先のことは知らない」
「そんな、無責任な」
「いい忘れたが、申請した人間の収穫作業を見学に来るのは、本来は褒められた行為じない。今回は、仕事の手順を見せるためにあえて連れてきた。次は、ないから」
「アガサさんは、気にならないんですか。自分が申請した人間がどうなたか」
「ぜんぜん」
 タチバナが本気で驚いたような顔をする。アガサは念を押した。
「いいね。わたしはダメだと教えた。そのあとあんたが禁を破るなら、それはあんたの責任だ」
「そうですね。バレなきいいんですね」
……
 まずいことを教えたかもしれないと少し思う。タチバナがアガサの渋い表情を見て小さく笑う。
「オレ、死神てもと花型の仕事だと思てました。だて、世の中になくちならない仕事だし。でもなんか、ハイエナみたいすね」
「そうだよ。ここは神の狩場――神の庭なんだ」
 わたしたちはその狩場で獲物を掠め取るハイエナ。いつかこの狩場を本当の意味で悪魔が手にする日は来るのだろうか。それはあまりに途方も無い妄想だ。それまでは、他人の狩場をこそこそと嗅ぎまわるハイエナであり続けるしかない。
「タチバナ。ひとつ、あんた勘違いしてるよ。わたしたちは死神じない」
 死霊取得業務・神の庭派遣局――その単なる下請けの内偵業者。ただの民間企業だ。
「どうして局に入らなかたわけ」
「もちろん、あえて、ですけど」
 タチバナはニヤついて言た。
「オレ、この仕事向いてる気がするんです」
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