はたきをふるったとたん、大袈裟じゃなくて目の前が突然真っ白になった。
　慌てて逃げ出す。三年七組教室の入口は右手にある。廊下に飛び出ると、そこは大掃除の最中の人混みだった。校内放送のイッツアスモールワールドが流れている。きれいな空気と引き換えに喉のいがらっぽさが押し寄せてきた。教室からは本郷貴志や小出洋平が我勝ちに転げ出てくる。
「結愛、何しやがる」
　貴志は咳き込みながら私を睨みつける。眼鏡が真っ白だ。笑える立場じゃないのに、思わず吹き出しそうになる。
「てめぇ、笑ってんじゃねぇよ」
　男の子に握りこぶしでこめかみをぐりぐりされる高三の女子ってどうかと思うけれど、現実だ。粉っぽい手首を握って引き離そうとするけれど、貴志の力は無駄に強い。
「びっくりしたなぁ」
　真横で洋平がタオルで身体をはたきながら呟く。怒りを含まない声に、思わず頭を下げて叫んだ。
「ごめん！　全部私が悪い」
「当たり前だボケ」
　アンタに謝ってんじゃない、という声は力を増したぐりぐりに封じられた。教室からは白い煙が廊下へ流れ出ている。担任の藤川先生は掃除監督はしない。隣の三年六組の新埜先生が体操服に着替えて陣頭指揮するのとは好対照だった。新埜先生は窓の外に向かって黒板拭きをはたいた時にも「六組の教室に入って来る！」と血相を変えて怒鳴り込んできた。藤川先生がいないのを見て取ると、私たちを散々罵って出て行った。これはもしかするとそれどころじゃすまないかもしれない。
　次々に教室から出てきたのは男の子ばかりだった。物理理系のわが七組に女の子は二人しかいない。幸いにももう一人の矢波綾香は東階段の掃除に行っている。
「何が起こったんだ。一瞬だったけれど」

　みんな箒や雑巾を持って大掃除をしていたのだ。私は窓枠に跨ったり床に這いつくばったりする役は免除されていた。
「やっぱり女の子だって意識しちゃう？」
「誰がテメェのパンツなんざ見たいかよ！」
　ちょっと傷ついた。
　掃除用具庫には埃だらけのモップしか残っていなかった。あと一つ、使われた形跡のないはたきがぶら下がっていた。手に取る。窓枠や蛍光灯の上をはたけば少しは役に立てるかもしれない。教壇のところはまだ誰も掃いていなかった。私は駆け寄った。黒板の上にはジュースパックや丸めたプリントが見える。振り上げたはたきを思い切り打ちおろした。

　そして冒頭の事態へと至る。

「黒板の上がここまで埃まみれだったとはな」
「たぶんチョークの粉も堆積してたんだぜ」
　そうよ、感謝しなさいよ、と言ったら殴られそうなので黙っていた。教室入口からはもわもわと白煙がたなびいている。たぶん机も床も粉だらけだ。また掃き直し、拭き直し、と考えると急に申し訳なくなってきた。なんでこんなにばかなんだろう。目尻の粉が目に染みたのか、じわっと涙が出てきた。
　右手のはたきを、貴志が奪い取る。
「うおおおおっ」
　叫びながら教室へ駆け込んだ。パタパタという音とともに白煙がいきなり濃くなる。ひとしきり続けたあと、白っぽい顔で駆け出してきた。その顔を見てみんな笑い出す。
「よし、俺も」
　洋平がはたきを受け取って煙の中へと駆け込む。咳き込みながら貴志は笑っていた。周りの男の子たちも手を叩いて爆笑している。白い洋平の次は別の子がはたきを手に突入した。新埜先生が何か怒鳴っている。私たちは笑い続けた。この夏が終わればもう受験しかない。埃くらい何だという気がした。髪を払うと白い粉が膝に散る。もうクリーニングに出さなきゃダメだな、と思う。濡れた雑巾で拭いた貴志の顔はまだらな笑顔だった。
　何人めかの男の子の手からはたきを受け取る。私は息を止めて真っ白な教室の中へと駆け込んだ。

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